気高き陛下は現代日本有数の歌人です。初めて民間から皇室に嫁がれ、因習の巣窟での摩擦でひとりご心痛いかばかりかと想像されます。一時お声が出ぬ苦しみの日々もありました。
上皇さまが皇太子時代、軽井沢でのテニスコートを通じて美智子さまを射止められた頃の御製。
語らいを重ねゆきつつ気がつきぬ
われのこころに開きたる窓
美智子さまを「こころに開きたる窓」と詠われる恋歌。よくぞ最高のやまとなでしこをご説得されました。
お母さん、正田富美子さまを詠まれた歌。
彼岸花咲ける間(あわひ)の道をゆく
行き極まれば母に会ふらし
母堂をなくされてからの歌。自由に甘えることさえ出来ず懺悔が滲むとても切ない歌です。
次は夫君つまり上皇さまを詠まれた歌。
遠白き神代の時に入るごとく
伊勢参道を君とゆきし日
ご結婚を大神宮へご報告の日と思われます。
天皇としての重責を負われる陛下を案じておられます。
ことなべて御身ひとつに負ひ給ひ
うらら陽のなか何思(おぼ)すらむ
昭和天皇をしのばれた歌。
セキレイの冬のみ園に遊ぶさま
告げたしと思ひ覚めてさみしむ
今生天皇のご成婚を喜ぶ歌
たづさへて登りゆきませ山はいま
木々青葉してさやけくもあらむ
現皇后が愛子さまをご懐妊を詠う。
いとしくも母となる身の籠れるを
初凩のゆうべは思ふ
戦場慰霊の歌。
いまはとて島果の崖踏みけりし
をみなの足裏思へば悲し(サイパン島)
慰霊地は今安らかに水をたたふ
如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ(硫黄島)
アフガニスタン大仏の爆破を悲しむ。
知らずしてわれも撃ちしや春闌くる
バーミヤンの野にみ仏在(ま)さず