四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

受けた恩に気づこう

2021-05-28 05:55:21 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『自分を産み育ててくれた親の恩に比べられるものは、ほかにありません。

それを、ごくあたりまえのことのように考えたり、うっかりすると、親を恨んだりしている人がいるのです。しかし、心の奥の奥では、だれしも親の恩を感じない人などいないはずです。何かが、その気持ちを素直に表に出すことを妨げているのです。

この、親の恩をかみしめることが信仰の出発点であり、幸せへの出発点だといってもいいでしょう。

 親に心から感謝できるようになると、夫婦同士でも、互いに感謝できるようになってきます。

子どもやご近所の人と対するときも、また会社の上司や仲間を見る目も違ってきます。

人間としての軌道に乗ってくるわけです。親への感謝ができなくては、ほかのだれともうまくいくはずがありません。親への感謝が人間への信頼感を生み、それが社会の絆にふくらんでいくのです。

最近、アメリカでも家族が見直されているそうです。家庭がくずれると社会の秩序までバラバラになってしまう、という苦い体験からの知恵だと思うのです。』

                 庭野日敬著『開祖随感』より

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もっと他人に役立とうよ

2021-05-24 05:26:36 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『内科学の権威である日野原重明先生によると、六十歳で亡くなられた人の脳を開いてみると、ふつうの人なら四分の一、よほど使った人でも、まだ半分しか使っていないということです。半分以上は白紙のままなわけです。

それをそのまま残したのでは、まことにもったいない。六十を過ぎると「あとは余生」と考える人が多いけれども、とんでもない。まったく新しいことに挑戦する出発の時だという心構えが大事だ、と日野原先生は言われるのです。

私が、世界宗教者平和会議の実現に取り組み、明るい社会づくり運動を提唱したのは、六十歳を過ぎてからでした。

ジェラール・シャンドリーという人が、「人の一生の終わりに残るものは、われわれが集めたものではなく、与えたものである」という言葉を遺されているそうです。

その人の人生の究極の価値は、がむしゃらになって手に入れた地位でもなければ財産でもなく、どれだけ人さまに奉仕し、人さまに与え、遺すことができたかで決まるのだ、と言われているのではないでしょうか。』

           庭野日敬著『開祖随感』より

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