四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

芭蕉翁の女弟子 

2021-10-27 09:19:36 | 俳句

 笈(おい)日記に、園女(そのめ)を愛でる翁の二句がある。身分制度が頑丈完璧な江戸時代にいかなる女性であったのか関心をそそられる。

暖簾(のうれん)の奥ものゆかし北の梅 芭蕉

 「ものゆかし」は、なんとなく上品なたたずまい。「北」は、北堂で主婦の居間だそうです。園女宅に招かれた際の挨拶句で、弟子の優雅さを梅の花に託してある。

園女は伊勢山田の医師の妻で当時二四歳、師の芭蕉は四五歳。本名は斯波(しば)渡会(わたらい)と云い、父は神官、夫は医者。

白菊の目にたてゝ見る塵もなし 芭蕉

 翁逝去の二週間前、大坂北浜の園女亭歌仙の発句である。園女三十歳。伊勢から夫婦して大坂へ転居していた。彼女の人柄を清らかな白菊になぞらえている。

女流俳人はかおるような佳人、才女と想像が膨らむ。いかな髪型で、冬の召し物はどうだったのであろうか。

園女五句 おおた子に髪なぶらるゝ暑さ哉

     蝉の羽のかろきうつりや竹のなみ  

     涼しさや額をあてて青畳   

     ふじばかま此の夕ぐれのしめりかな

     行秋や三十日の水に星の照り

おおよそ三百年前の江戸時代の作品とは思えない。

 夫と死別の四十一歳の時に芭蕉門の榎本其角(きかく)をたより江戸へ出て、富岡八幡宮の門前にて眼科医を開業している。

寡婦の身で新興都市江戸へ乗り出していく力強さ、生活力に敬服します。富岡八幡宮に三十六本の桜木を奉納、園女桜、歌仙桜と呼ばれ、二世園女が建てた石碑がある。享年63歳、お墓は江東区白河の霊巌寺雄松院にあります。

 

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親の恩に気づく

2021-10-14 07:21:52 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 親の恩はよく分かっているつもりでいても、自分で子どもを持ってその大変さに音を上げて、初めて親の恩に気づくというのが大方ではないでしょうか。

目の前にいる親でさえそうなのですから、ましてや、仏さまが「みんな私の子どもなのですよ。私が守ってあげているのですよ」とおっしゃられても、その思いの深さを本当に知るのは大変なことなのです。

 日蓮聖人は、その仏さまのお言葉を、しっかり自分の耳に聞き取られたのです。

「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり……

我一人のみ 能く救護(くご)を為す」と、仏さまが自分に向かっておっしゃってくださるのを、はっきりと聞かれたのだと思うのです。

 「法華経を人が読むとしても、口だけで読んだり、言葉だけで読んでいるだけで、心に読んでいない。心では読んでも体で読んでいない」と言われ、自分が受けた大難も風の前の塵のようなものだとして、すべての人を仏さまのみ手に導く柱となり、眼目となり、大船となろうと誓願を立てられたのでした。

 親の恩を本当に思い知ることが、仏さまの大恩を知ることにつながり、それが法華経実践の出発点になるのです。

          庭野日敬著『開祖随感』より

 

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うれしい話

2021-10-09 07:33:24 | 生かされて今日

 俳句に入門されて大喜びしている友がいます。まだ入門半年足らずのご婦人です。

夫婦でお仕事されていたそうですがご主人の病から今は介護の暮らしです。

当初妻が句会に出かけることに不満だったご主人が、俳句に興味を持ち、家に持ち帰る句会の作品をめぐり夫婦の対話が増えたそうです。句をつくる時にも色々アドバイスをくれるようになり喜んでおられます。

感想や批評を交え、身近な季語に気づき、知らなかった語彙など二人の間の新しい接点を俳句が生み出したのです。先日も一ヶ月後の句会が待ち遠しいと帰って行かれました。

 俳句愛好者をふやすことはひとつの社会貢献だと私は確信しております。「病院へ行くより句会へ」です。

大自然の四季と共に日々を暮し、奥深い日本の伝統文芸、古典に触れる喜びは心の開放、潤いをもたらすと思います。その上に夫婦円満が深まれば更にうれしいことです。

あなたも新しい楽しみを見つけませんか。自分の古い殻を破る行動を起こしましょう。「他人は変えられませんが、自分は変われます」よ。

 

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