四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

兼好法師の『徒然草(つれづれぐさ)』は楽しい

2014-06-23 11:25:35 | 生かされて今日

 県立金沢文庫の兼好法師展を見てまいりました。一般的には吉田兼好でおなじみですが「卜部兼好(うらべけんこう)」の方が正確らしいです。この方は約700年も前の生まれながら、『徒然草』を読むとかなりの合理主義者でトテモおもろい考えの方です。

鎌倉幕府が崩壊する動乱の世の下級貴族で、当時の和歌の四天王のひとりとされ、兄には比叡山座主や官僚がいたそうですが、昨今の研究ではその出自も疑いが持たれているそうです。

わが町、横浜市金沢区には称名寺と金沢文庫とがありましたので少なくとも二回は京から来て住んだことがあるそうです。だから棒切れを振り回して道をやって来る兼好法師のよき幻想を楽しんでいるので、あまり学問が進み今持っているイメージが壊されるのは厭ですね。


★長生きすると恥をかくから長くても40そこそこでくたばったほうがいいと言いつつ、自分はかなりの長寿でした。

★一番人生を狂わせるのは女の色香。久米の仙人でさえ洗濯女のすねを見て神通力が失われました。これは現代も当りですね。

★字のまずいやつでも筆まめはよろしいそうです。

★このごろお寺の名前に珍しき名を付けたがるのは教養がない。現代では子供の名前に珍妙で読めない名前が多すぎる。学校の先生に同情します。

★月は満月のみが美しいのではなく、欠けている満月前後がいいのだ。恋もしかり。この美的感覚は日本人の風流人に定着した。

★今を楽しまない人は、死が後ろに忍び寄っている無常に気づかないからだ。

★よき友は3つ。ものくれる友、医者、智慧あるひと。

★吉日や仏滅などのいわれに囚われるのはアホだ。

★女はどうしようもない生き物で、妻は持つべきではない。オイオイこれは言い過ぎでしょう。

 

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集団的自衛権には絶対反対だ

2014-06-13 19:12:49 | 生かされて今日

 わが国を守りぬくには同盟国、特に軍事大国アメリカとの「双務的義務を伴う軍事同盟」をと自民党と公明党が決めようとしています。実質的に憲法を変えようとしております。

暴力には暴力で対抗するという原始時代のアナクロに戻そうと企んでおります。愚かなる中国の好戦的脅しに怯えて、戦前の日本帝国陸海軍が暴走した時代、憲兵が国民の心にまで入り込んでくる恐怖政治に戻したいようです。あの第二次大戦の戦場の残酷、悲惨を忘れ英雄気取りで大切な日本国憲法を壊そうとしています。

日本の平和、財産を守るという大義名分に、軍事力、戦争できる国、国民の血を流させる政治をというのは危険である。もうそんな軍事力による抑止力は空しく、「暴力肯定」の乱暴な考えから飛躍して世界平和を人類の英知でつくろうとするこの憲法の実質的改悪には反対だ。

たんなる一政権が国会の審議もせずに僭越ではないか。阿部行政の暴走だ。軍事力で平和というのは妄想であり、先の大戦でさんざん懴悔して理解したはずだ。

アメリカは世界中で戦争してきた歴史があります。その米軍と一体となれば自衛隊の自衛という責任から外れて世界中で自衛官の血が流されます。自民党のボケたおじいちゃん達目を覚ませよ。大先輩吉田 茂元総理達が大苦心された路線から脱線するな。

 

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アフリカへ毛布をおくる運動

2014-06-06 21:42:32 | 生かされて今日

 日中の温度の差が激しく、その上に悲惨な内戦や疫病、大干ばつで多くの人々が塗炭の苦しみにあるアフリカ諸国へ、不要となった毛布を贈る運動に立正佼成会は永年取り組んで来ました。

私たち横浜教会では4月から5月にかけて、会員とホテルやリネン会社等企業への働きかけをいたしましたところ530枚の善意が集まりました。神奈川新聞にこの運動の記事が出た効果で重い毛布を教会に持参くださる市民もおられて感動しました。

一枚一枚の毛布に英語での挨拶文を縫いつけ、現地への輸送費千円の献金もお願いしました。ホテル業界ではふとんのリースが多く、又対象とならない羽布団の使用がほとんどで期待した実績は出ませんでした。

アフリカは人類の誕生したわれわれの母国、早くこの善意が一人ひとりに手渡されかれらの命を守ることができることを祈りました。ODAという国の支援だけでなく民間人による国際的助け合いに役立つ運動です。仏教では人のために尽くす「布施行」が基本的行と教えております。

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福島の兄宅訪問

2014-06-01 18:27:27 | 生かされて今日

 横浜での商売を廃業し福島で田舎暮らしを楽しんでいた兄夫妻は、3.11の大震災と東京電力福島原発事故という無体な仕打ちを受けて郡山、横浜、旭川と避難生活を余儀なくされました。誠に酷な仮暮らしとなりましたが、去年除染が成った福島の村へ返ることが出来ました。

被災時離れ離れとなった愛犬は幸いに助けられ、旭川で二人の手に戻り帰村の家で暮らしましたが3ヶ月前に他界したそうです。ふたりで泣きながら埋葬したそうだ。

 私は運転が下手ですが横浜から三郷IC、常磐自動車道の終点(富岡)まで軽自動車を駆って訪ねてきました。いわき中央IC以遠は対面交通で極めて少ない交通量となり恐らくは原電や除染の車両しか走行していませんでした。道路脇には除染物をくるんだ黒い包が大量に並ぶ景も見えて不気味でした。

山裾の兄宅は改修され、新緑の海原とウグイスやホトトギスなどの囀りが日夜絶え間ない異次元の極楽です。新しい愛犬を連れて散歩しましたが、まだ帰村できない方のアトリエ付き新築の家にはオオテマリの花が盛りでナンと理不尽なことかと怒りが湧きました。

兄達は表面元気溌剌でしたがふたりとも睡眠薬を処方されているそうで、精神的な大きな傷が想像され心が痛みます。みちのくの復興が早からんことを念じました。私たちはご夫婦の厚いお持てなしを頂いて恐縮して帰宅しました。

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