『教育の目的は、知識の習得だけでなく、立派な人間をつくることにあります。人格完成こそが教育の究極の目的です。
その人格の完成は、ただ知識を詰め込むだけでできるものではありません。宗教的な情操教育が伴わなくてはならないのですが、その宗教が教育界で軽視されているのが現状ではないでしょうか。
人格の完成とは、仏教の言葉で言えば「仏になる」ことです。人間は本来的に一人でいることができない存在です。人と一緒に社会をつくって生きていく。
そのためには、社会のしつけをしっかり教えなくてはなりません。第一に、自分のものと人のものの違いをしっかりと教えること。それから、自分の力で立つこと。転んでも自分で起きること。そして、人は一人で生きていけないのですから、まず人のことを考えること。
それを教えるのが、そのまま宗教教育であるといっていいと私は思うのです。大学出の秀才なのに自分のことばかり主張して人に嫌われ、相手にされない人がいます。それでは大学まで出てもなんにもなりません。宗教教育の必要性は、ますます高まっているのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より