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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

鬼平の呟き

2010年10月15日 | 中学受験 行雲流水録
世界的に有名な医師であり、細菌学者であった「野口英世」は1876年、福島県の現在の猪苗代町に生まれました。1歳の時、いろりに落ちて左手に火傷を負い、その後15歳で左手の大手術を受けたことをきっかけに医学の道を志すことになります。20歳で医師の資格を取り、その後細菌学の研究に取り組むのですが、活躍の場は中国、アメリカ、ヨーロッパ、南米と世界中に広がります。そして、梅毒や黄熱病の研究によって、多くの人々の命を救うことになります。しかし1928年、黄熱病の研究のために赴いた西アフリカのガーナにおいて、自らも黄熱病に感染し、研究半ばでその生涯を閉じます。51歳でした。

皆さんもこのような「野口英世」の生涯についてはよくご存じだと思います。以前、その母シカとの関係が『遠き落日』として映画化もされました。この映画ではあまり英世の否定的な面は表現されていませんでしたが、渡辺淳一氏原作の小説では借金癖・消費癖などマイナス面も示され、人間「野口英世」として描かれています。「野口英世」ほど数々の業績を残しながら、毀誉褒貶相半ばする人も珍しいでしょう。

そんな「野口英世」を冠した「野口英世アフリカ賞」。正式名称「野口英世博士記念アフリカの医学研究・医療活動分野における卓越した業績に対する賞」は、アフリカでの感染症などの疾病対策のために活動し、その功績がアフリカに住む人々の保健と福祉の向上に貢献した人に授与される賞で、2006年に創設され、2008年5月、横浜で開催された第4回アフリカ開発会議において、第1回の授賞式が行われました。5年ごとのアフリカ開発会議に並行して授与式が挙行されます。

2008年は、ちょうど「野口英世」の没後80年にあたりました。80年経った今も、アフリカには、HIV/エイズ、マラリア、結核、ポリオなどの感染症が蔓延し、多くの人が亡くなり苦しんでいます。HIVについては、毎日8800人が感染し、6600人の感染者が死亡していると伝えられます。

日本で平和に暮らしている私達にとっては想像を越えたものですが、アフリカではこうした感染症に加えて戦争や干魃などの被害により、さらに人々の生活は日々脅かされ続けています。このような現状を踏まえ、アフリカにおいてもその功績が称えられている「野口英世」を記念し、アフリカの人々に希望をもたらし、人類の繁栄と世界の平和に貢献することを目指して「野口英世アフリカ賞」が創設されたことは大変意義あることです。

興味深いことは、この賞の設立を提言したのが時の総理大臣小泉純一郎氏であり、その原資に総理大臣退職金を全額寄付している点です。その行為についてはもっと世に流布さられるべきものだと考えます。この人は照れ臭いのか自分個人の良いところは極力秘し、変にワルぶる性癖があるようです。小泉氏は歴代総理大臣の中でも特異な存在であり、その業績も賛否両論侃々諤々するところです。この賞は奇しくも、新旧の毀誉褒貶相半ばする人同士の関わるものとなりました。

池波正太郎は、著作『鬼平犯科帳』の中で、鬼平こと火盗改メ長官長谷川平蔵してこう呟かせます。「人というものは、良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら良いことをするものさ」と。正に、「野口英世」のことを思いながら聞く鬼平の呟きは、ヒトとして生きることの難しさを示しています。


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