ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

家族の会話

2010年10月23日 | 中学受験 行雲流水録
「グローバル」という言葉は微妙に変化することはありますが、新聞でもニュースでもよく耳にする言葉です。「グローバル」という語を直訳すると「地球規模の、世界全体の」という意味。昔であれば一国で起こった出来事は一国で処理することが可能でしたが、今では一国の出来事が全世界へ広がっていくというイメージが「グローバル化」ということになります。

新聞の一面に載っている出来事やニュースのトップで報じられている出来事は、他の国の出来事であり日本とは全く関係の無いことに思えるかもしれません。しかし、今の世の中、どこかの世界で起こっていることが回りまわり、形を変えて自分たちに影響を及ぼしています。

 「風が吹けば桶屋がもうかる」ということわざがありますが、実際、今の時代はそのようなことだらけです。世界規模をこのことわざが席巻していると言ってもいいかもしれません。良い例が「バイオ燃料」。日本でも活発に行われている地球へやさしい「バイオ燃料」の開発が、アメリカの穀物相場を押し上げ、穀物の増産を図るブラジルのアマゾンの自然破壊を推し進め、アフリカの食物不足を引き起こしています。

これらの出来事の特徴は誰にも基本的には悪意がないということです。悪意のない利害関係の調整は困難を極めます。誰もが加害者であり被害者である現実。そのことの認識無くして「グローバル化」した世界を生き抜くことは不可能かもしれません。緑の回廊プロジェクトが推進されるインドネシアの自然破壊対策然り。タイのマングローブの植林然り。それらは、自国あるいは自社のみを考えて行動した爪痕への贖罪行為ととらまえて真摯に受けとめるべきです。

世の中で起こっていることを他人事として通り過ぎるのではなく、ちょっと足を止めてみることは必要です。些細なことを毎日の生活から始めること。「関係ない」とか「当たり前」で終わらせず自分の立場に置き換え、自分の中に似た話を見つけてみること。そこに真の「グローバル化」への入口があるはずです。新しい気づきは新しい意識に繋がります。足を止めることがヒトとしての生き方に深みを生むと思うのですが…。

世界では、時々刻々と様々なことが起きています。こうした事実をしっかりと認識し、そのことについて、自分に何ができるのか、何をすべきなのか考えるべきです。すぐに答えは出ないかもしれませんが、「知る」ということから始めれば今すぐにでもできることはたくさんあります。きっかけはどこにでもあります。身近なものでも、これまで知らなかった大きな世界を知るきっかけになるのです。

照れずに保護者の方の視点を意見として子ども達に伝えてみてください。子ども達はその考えを自分自身にフィードバックするはずです。世の中は広くて狭いということを段々認識するようになっていきます。今自分の生きている世界は、自分だけで生きられる世界ではないことにきっとて気づいてくれるはずです。そして、保護者の方の話からどういう結論を導くかは子ども達の成長の過程なのです。

一つの話題に「こういう見方もあるよ」と一つ提示するだけでも視野が広がります。夕食時の談笑、お風呂での雑談、お布団の中での寝物語、等々。家族の会話は子ども達が否応なく巻き込まれていく「グローバル化」への順応の第一歩です。


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