
人間の言葉が不思議なのは、自然界にないものを作り出すことができる点です。

普通、動物たちは言葉を持たないので、仲間どうしのコミュニケーションを一種のテレパシーのようなもので行っています。オオカミが協力して獲物を追いかけるときなどがそうです。人間のように、「おい、おまえはあっちへ行け。おれはこっちに行くから」などという言葉は使わずに、お互いにピピピと相手の考えていることを自分も同じように感じながら行動しています。

ところが、人間は言葉を発明したために、そういうピピピという感じ方ができなくなってしまいました。そして、その分、更に言葉によるやりとりが洗練されるようになっていったのです。

しかし、言葉はいったん発明されると実体のように扱うことができるので、言葉どうしを組み合わせることができるようになりました。これが言葉の創造性です。

例えば、「空飛ぶ猫」などという実際にはありもしない現象を言葉で簡単に作ることができます。もちろん、ネコを放り投げると一瞬そういう状態になりますが、通常ネコを空を飛びません。

この「空飛ぶ猫」ぐらいでは、創造性といっても大したことはありませんが、もっと複雑な概念と概念を結びつけると、自然界にある以上の価値あるものを生み出すことができます。

言葉によって価値あるものを生み出すときの材料となるものが読書といえるでしょう。 いい文章をたくさん読んで、自分の頭の中に将来の創造性の材料をたくさん蓄積していくことは人間としての存在意義につながります。
澪標