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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

『今を今のために』

2009年08月05日 | 中学受験 行雲流水録
『今は今なんだと。今を未来のためだけに使うべきじゃない。』

これは、恩田陸の『夜のピクニック』に出てくるフレーズです。主人公の高校3年生西脇融は、自らのおかれている環境を受け容れられず 、誰よりも早く大人になりたいと周囲と距離をおき高校生活を過ごしてきました。その主人公が、昼夜を通してひたすら歩くという学校行事の中で、自らのあり方に足りなかったものに気付く場面での言葉です。

私たちは、常日頃、「ああすればこうなる」という思考のもとに、どう行動するか決めます。「こうなるであろう未来」のために、今何をすべきか、考えます。先を読んで、計画的で堅実な道を選び進んでいきます。この主人公だけでなく、私たち自身「もうすぐテストがある。勉強しないと、成績が落ちる。」と机に向かっていたと思います。

「ああすればこうなる」というフレーズは、私たちが常に考えている命題ですが、その意味には次の二つのことが内包されています。それは、「予定された未来」と「漠然とした定まらない未来=真の未来」です。『夜のピクニック』に転用すると、主人公融は、「予定された未来」のために日々を費やしていることに気付き、しかしそれでは何かが足りない・何かを見落としていると、あるとき、思うのです。

例えば、受験に必要だからという意識のみで取り組んでいる科目、例えば、理科。よく聞く話ですが センター試験のためだけに必要だった理科の参考書が、試験が終わったとき、試験会場のゴミ箱に捨てられている、と。その行為者にとって理科の学習は、センター試験という「予定された未来」のためだけになしていたのでしょう。

近頃の生徒のよく聞く声に、「想定外のことが起こったときに費やした時間がもったいない。」というのがあります。不必要な学習をムダと考えると、確かにそのとおりです。受験科目としての理科の学習は、苦手意識のある生徒にはとても苦痛です。なかには、高校3年の秋になって、あまりのできの悪さに選択する科目を化学から物理に変更する強者がいたりします。「今までの時間は、何だったんだぁ! 時間を返せ。」(自分の力不足を棚に上げて。)これは「予定された未来」にとっては最悪の状態でしょう。

その一方で、国語の学習は、受験用の参考書問題集を使っているもののどこか浮世離れしていて、受験勉強という意識もあまりなく、ただただ問題文を読んだり、古典のドリルを解いたりするのを、どこかおもしろがっている生徒もいます。案外そのような生徒のそのような教科が後々「定まらない未来」に活かされているということもあるようです。

「定まらない未来」であろうと必ず形となっていきます……そのためには、『今を今のために』使うことがきっと大切なのです。そして、何ごとも自分がヒトとして自立するための礎であると考えるべきです。


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