8月16日で、土を耕さず、無肥料で無農薬、無除草という自然農法の中でも究極の方法を提唱した福岡正信氏が亡くなって1年になります。享年95歳でした。土を耕すのは動物や微生物の役割、植物も根を張って土をやわらかくする。だから人間が鍬を持って耕す必要はない。堆肥は除草せずに刈り取った草や枯れ草のみ。農薬や化学肥料はもちろん、有機肥料も必要ないというのが福岡氏の考え方でした。
樹木や果樹、野菜や穀物など百種類以上の種子を粘土にまぜ合わせて「粘土団子」を作り、それを土にばらまく。あとは粘土の水分や養分を吸収して、その土地や気候などの条件に見合った植物が自然に芽を出し、根を張り、成長するのを見守るだけ。まさに自然の力に全てを委ねる農法です。
私は福岡氏の自然農法を知ってまさに目からうろ状態。現代農法ではまず土づくりから始まり、作付けプラン、栽培方法、収穫にいたるまで基本的な方法が確立されています。しかし、実際には土壌ひとつとっても、土質が全く同じ場所はありえません。気候も違えば、その年による天候も様々です。だから、あらゆる条件に見合った方法など本当はないのです。そのため、その差異を農薬や肥料を使って人工的に調整することが必要となるというのです。
概して、農業従事者は国の政策・農協の指導と相まって、とりあえず前例に倣い、情報収集に奔走します。さらに、いいものを作りたい、自分だけ違うやり方をして失敗したくない、収益を増やしたいという思いのもとに、次第により高価な肥料・農薬を使い、あの人がこうしているから間違いないなどと考え、土や野菜の状態よりも情報に振り回されるようになってしまっていきます。
「自己家畜化」と言う言葉があります。人間は自らを飼育し、家畜化しているという意味です。それぞれが自由な意思を持って生きているから、人間は家畜とは違うと思うかもしれませんが、人間自身がつくった社会システムに依存して暮らしているという点では、社会的に飼育されていると言えるという考え方です。これまでの人間の歴史の中で進化発展をとげてきた科学や文明があるからこそ、現代の社会システムが成り立っています。そして、その恩恵によって、人間は快適に暮らすことができるのです。しかし、自然の営みを軽視し、自然を乱用してきた結果、地球は今大いなる危機を迎えています。
経済的な効率を優先した従来の農法に疑問を持ち、なるべく土地に負担をかけないで自然の力を引き出すという自然農法は、今や一般的にも広まっています。しかし、それを軌道に乗せるには長い年月を要します。じっくりと土や作物の状態を観察し、自然と向き合っていく姿勢が必要だからです。そして、自然の力に任せるのですから、当然、人間の都合に見合った収穫を必ず確保できるとは限りません。その限りにおいて、多収獲したいがために土壌を改良し、肥料を与え、虫や雑草を排除するというやり方は、手間とお金をかけて自然本来の営みをじゃましているだけなのかもしれません。人間は極力手を加えず、自然に人間の方が合わせるというのが自然農法の基本的な考え方だと福岡氏は説くのです。
福岡氏は農業の技法にとどまらず、自らの生活においても自然農法の考え方を貫きました。ほぼその半生を里の家族と離れ、山小屋での一人暮らしで過ごしました。電気、ガス、水道もないまさに自給自足の生活です。科学に依存する農法だけでなく、人間が作り上げた科学や文明そのものさえ否定し、自然と一体化した生き方を提唱し実践したのです。
もちろん、今更全ての科学や文明を否定し、福岡氏のような生活を送ることはできません。しかし、秩序ある社会システムを維持しながらも、自然の営みを尊重した社会を目指すことは可能なはずです。一人一人が社会の既存の情報に縛られることなく、自らの意思に基づき、あるがままの自然に向き合う、つまりよりゆるやかな「自己家畜化」状態としての自然との共生です。農業の分野では、自然の生命力をいかに生かすかということがこれからの目標である、と彼は述べていました。
福岡氏は「粘土団子」を用いて、砂漠化した土地を緑化する活動にも取り組みました。1979年に米カリフォルニア州の緑化に成功。アフリカやアジア各国でも指導にあたり、1988年にはアジアのノーベル賞といわれる「マグイサイ賞」社会奉仕部門を受賞しています。彼は、全世界での食糧の自給自足化をも視野に入れ、その崇高な理想の実現を目指していたのです。
樹木や果樹、野菜や穀物など百種類以上の種子を粘土にまぜ合わせて「粘土団子」を作り、それを土にばらまく。あとは粘土の水分や養分を吸収して、その土地や気候などの条件に見合った植物が自然に芽を出し、根を張り、成長するのを見守るだけ。まさに自然の力に全てを委ねる農法です。
私は福岡氏の自然農法を知ってまさに目からうろ状態。現代農法ではまず土づくりから始まり、作付けプラン、栽培方法、収穫にいたるまで基本的な方法が確立されています。しかし、実際には土壌ひとつとっても、土質が全く同じ場所はありえません。気候も違えば、その年による天候も様々です。だから、あらゆる条件に見合った方法など本当はないのです。そのため、その差異を農薬や肥料を使って人工的に調整することが必要となるというのです。
概して、農業従事者は国の政策・農協の指導と相まって、とりあえず前例に倣い、情報収集に奔走します。さらに、いいものを作りたい、自分だけ違うやり方をして失敗したくない、収益を増やしたいという思いのもとに、次第により高価な肥料・農薬を使い、あの人がこうしているから間違いないなどと考え、土や野菜の状態よりも情報に振り回されるようになってしまっていきます。
「自己家畜化」と言う言葉があります。人間は自らを飼育し、家畜化しているという意味です。それぞれが自由な意思を持って生きているから、人間は家畜とは違うと思うかもしれませんが、人間自身がつくった社会システムに依存して暮らしているという点では、社会的に飼育されていると言えるという考え方です。これまでの人間の歴史の中で進化発展をとげてきた科学や文明があるからこそ、現代の社会システムが成り立っています。そして、その恩恵によって、人間は快適に暮らすことができるのです。しかし、自然の営みを軽視し、自然を乱用してきた結果、地球は今大いなる危機を迎えています。
経済的な効率を優先した従来の農法に疑問を持ち、なるべく土地に負担をかけないで自然の力を引き出すという自然農法は、今や一般的にも広まっています。しかし、それを軌道に乗せるには長い年月を要します。じっくりと土や作物の状態を観察し、自然と向き合っていく姿勢が必要だからです。そして、自然の力に任せるのですから、当然、人間の都合に見合った収穫を必ず確保できるとは限りません。その限りにおいて、多収獲したいがために土壌を改良し、肥料を与え、虫や雑草を排除するというやり方は、手間とお金をかけて自然本来の営みをじゃましているだけなのかもしれません。人間は極力手を加えず、自然に人間の方が合わせるというのが自然農法の基本的な考え方だと福岡氏は説くのです。
福岡氏は農業の技法にとどまらず、自らの生活においても自然農法の考え方を貫きました。ほぼその半生を里の家族と離れ、山小屋での一人暮らしで過ごしました。電気、ガス、水道もないまさに自給自足の生活です。科学に依存する農法だけでなく、人間が作り上げた科学や文明そのものさえ否定し、自然と一体化した生き方を提唱し実践したのです。
もちろん、今更全ての科学や文明を否定し、福岡氏のような生活を送ることはできません。しかし、秩序ある社会システムを維持しながらも、自然の営みを尊重した社会を目指すことは可能なはずです。一人一人が社会の既存の情報に縛られることなく、自らの意思に基づき、あるがままの自然に向き合う、つまりよりゆるやかな「自己家畜化」状態としての自然との共生です。農業の分野では、自然の生命力をいかに生かすかということがこれからの目標である、と彼は述べていました。
福岡氏は「粘土団子」を用いて、砂漠化した土地を緑化する活動にも取り組みました。1979年に米カリフォルニア州の緑化に成功。アフリカやアジア各国でも指導にあたり、1988年にはアジアのノーベル賞といわれる「マグイサイ賞」社会奉仕部門を受賞しています。彼は、全世界での食糧の自給自足化をも視野に入れ、その崇高な理想の実現を目指していたのです。