ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

学問のOS

2010年12月04日 | 中学受験 合格力随想

国語はいろいろな教科の一つとして考えられています。しかし本当は、国語はOS(オペレーティングシステム)として捉えるべきです。このOSの土台の上に、様々なアプリケーションソフトとしての各教科があるという構造が一番理解しやすいと思います。

別の言い方で言えば、国語の本質は哲学です。哲学といっても、専門家が研究する哲学のような狭い意味の学問ではなく、ものの見方、感じ方、考え方の骨格を育てる学問としての哲学です。 世間では、国語の学習のこのような本質が誤解されているため、国語の学習の目指すところがはっきりしていません。

例えば、読解の学習において、物語文、説明文、などの先に古文や漢文があるようなカリキュラムが組まれています。また、作文については、物語文、説明文、などの先にビジネスで使う文書などが位置づけられていることがあります。しかし、本質はそうではなく、考える学問としての国語の原点をはっきりさせておく必要があります。

本来、学校で学ぶ教科の選別も国語というOSを育てることを中心に行う必要があります。今の時代に役立つアプリケーションソフトは何かという視点で考えると、例えば金融の知識は役立つが漢文の知識は役立たないというような考えが出てきます。そうではなく、考えるための学力を育てる教育として何を優先させるのかということを考えていく必要があるのです。

国語は、学問のOSとしての性格上、勉強の時間によってあまり差がつかないという特徴を持っています。国語の実力は、勉強の度合いよりも知的生活の度合いに比例しています。これに対して、英語や数学は勉強の度合いに比例しているので、点数の差が大きくなりやすいという特徴を持っています。このために、テストの中で利用しやすい教科として英語や数学のウェイトが高まります。 しかし、本当の学力の差は、国語力の差として表れてくるのです。

 



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