あれはいつの頃だったでしょうか。確かまだ父がいなかったので小学校に上がる前だと思うのですが…。冬、年末が近づくと私は祖母の家に預けられました。あの頃は母と二人の寂しいお正月よりも、若い叔父叔母に囲まれにぎやかに迎える新年を楽しみにしていたように思います。母もきっと何もしてやれない年越しが少しでも喜んでくれるものになったらという思いだったのでしょう。
祖母の家での年の瀬には、毎年恒例行事がありました。それは餅つき。暮れも押し迫ってきた日の早朝、近在の農家の人四、五人が杵や桶を持って訪ねてきます。つまり餅つきの出前。餅米は数日前に研いで水に浸し、蒸籠や簀の子には水をかけ、それまで塩モズクの保管場所だった臼はきれいに洗われて出番を待っています。
当日は、竃に火が入れられ、餅米を蒸し上げた甘い香りの蒸気が家中に漂います。あんこは鍋でフツフツとあぶくを浮かせてねられたものが冷まされ、適当な大きさに丸められています。餅つきが始まると、リズミカルな杵の音やかけ声とともに、つく人、こねる人、さばく人が手際よく、丸餅、かき餅、鏡餅と仕上げていきます。
私も慣れない手つきで丸めますが、ナカナカうまくいきません。餅取り粉はこぼすわ、服に餅をつけるわ、七転八倒。そんなことをしながらも出来上がった餅は、二階の風通しの良いところにモロブタにいれて広げられていきます。
こんな新年を迎える温かな思いとキビキビと働く人の中にいる幸福感。近頃はほとんど味わうことがなくなりました。今は餅つきの出前なんてとっくに姿を消し、自宅でつく家も減りました。お餅はスーパーで買う時代のようです。
そんな中、昨日妹からお餅が送られてきました。妹の家はいまだに自分の家で餅をつきます。手作りですから少しいびつだったりするのはご愛敬。しかし、ちょっと不揃いなその丸餅を手にするとき、餅をつく人々の笑顔と笑い声が浮かびます。丸餅を通じて、あの賑わいが懐かしく思い出されるのです。みんなニコニコ笑っていたあの頃を…。
お祭りのような高揚感とその後にくるもの悲しさ。このさみしい気持ちは何なのでしょう。あの頃のことを思うとき、なぜかいつも、小さい家に過ごした母と二人の日々に思いが至ります。
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今年も今日で終わりです。京都は雪景色の大晦日となりました。これが本当の『ゆき年ふる年』なんて…。一年間駄文にお付き合いいただいて有り難うございました。来年もボツボツアップできればと考えています。来年も皆様全てが良い年でありますようにお祈りしています。本当にお付き合い有り難うございました。