ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

潜在意識の選択

2010年06月23日 | 中学受験 行雲流水録
半端なものが出たときに、とっておこうと思う人と、捨ててしまおうと思う人がいます。計算で言えば、『切り上げをするタイプ』と、『切り捨てをするタイプ』です。

「読書の好きな子」は、わずかな時間でも空いていると、すぐに本を読もうとします。「読書に慣れていない子」は、たっぷり時間があっても本を読むのは後回しにしてしまいます。「コミュニケーション力のある人」は、どうでもいいことであっても一応連絡しておこうと思います。「コミュニケーション力のない人」は、どうでもいいことはまず連絡しません。

人として生きていく力の違いは、こういうちょっとした差の積み重ねなのでしょう。「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、必要に迫られてやる人よりも好きでやる人の方が物事をうまく遂行できるのは、こうしたわずかの差が実は結果の大きな違いになることを示しているのかもしれません。

では、この差はもともとどこから発生するのでしょう。それは潜在意識の発露の違いからだと、私は考えています。人間は、だれでも自分のことを自覚しているように思っていますが、それ以前に自己認識というものが存在します。自己認識とは、理由もなく好きだったり、嫌いだったり、得意だったり、苦手だったりしていることの背後にある心理的な影響力です。

最近の遺伝子生物学の研究によると、一つの細胞の中にあるDNAには約30億の情報(本当はその30億の情報が、更に相互の並び方によって異なる情報を生み出しています)があり、あるタンパク質を合成するためには、その情報を開くだけなのだということです。

DNAの二重らせんはちょうどチャックのように組み合わさっているため、そこから情報を取得するには、該当する部分のチャックを開き、それをRNA(タンパク質を合成)に転写するという形になります。そして、どの情報も、既にあるDNAの中から持ってくるため、必要に応じて新しいものが生み出されるのではなく、全てのものは既にある情報を思い出すだけで作り出されるということになります。

同様のことが、潜在意識についても言えるのではないかと思います。世の中には、「生まれつき体を動かすことが好きな人」と、「静かに思索することが好きな人」がいます。その差を生み出しているものは、それらの人のそれぞれの潜在意識です。

しかし、「体を動かすのが好きな人」の中には、静かに思索することが好きな潜在意識も実はあるのです。そして、たまたまその人は、静かな思索の潜在意識の方ではなく、活発に体を動かす潜在意識の方を選択しているということなのだと思います。

ここから、次のことが明らかになります。それは、自分が無意識のうちに抱いている自分のイメージが、実は潜在意識の選択によるものだということです。そして、潜在意識は自覚することによって、選択できるものになります。

「どうせ私は……だから」と言いそうになったとき、それが自分の潜在意識の選択なのだと自覚すれば、人生は大きく変わります。その変わり方は、これまで切り捨てにしてきたものを切り上げにするぐらいの小さな端数の変化ですが、その端数の変化が積もり積もって大きな変化になっていくのです。


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