ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

語り継ぐ雄姿

2008年04月27日 | 中学受験 合格力随想
去年、アメリカで開催された日米大学野球選手権。日米大学野球に興味があるというよりは、佑ちゃんこと早稲田大学・齋藤佑樹投手の人気で注目された大会でした。相変わらずその人気はすさまじく、いつでもカメラが狙っている状態。しかしそのスター性から、先発した第3戦には日本を見事優勝に導きました。

齋藤投手を初めて見たのは、一昨年の夏の甲子園。テレビの中で、まだかわいらしい(失礼な言い方でスイマセン。^^;)という表現がピッタリの青年が、きちんとたたまれた水色のハンカチで品良く汗を拭いていました。やはり、それは世間の注目を浴びて、「ハンカチ王子」として騒がれはじめるのにそれほど時間はかかりませんでした。そこからの齋藤投手のすごかったこと。注目を浴びれば浴びるほど、それを力としていくようでした。決勝では再試合という激闘の末に優勝を勝ちとり、大学に進んだ現在までその活躍と注目は続いています。

甲子園で優勝を決めた瞬間の齋藤投手は、マウンドの上で拳をにぎり「ウォ――」と叫んだように見えました。その姿を見たとき、私は同じようなある光景を思い出していました。それは、二昔以上前の夏の甲子園。優勝の瞬間に、にぎり拳でマウンドで叫んだのはPL学園の桑田真澄投手でした。

PL学園は、4番に清原和博内野手というスターもいて、もともと優勝候補の筆頭でした。二人ともそのプレッシャーを力にするように爽やかに活躍し、優勝していきました。翌春、桑田投手は読売巨人軍に、清原選手は西武ライオンズに入団して、プロ野球人生が始まります。今の齋藤祐樹投手と同じ年ですが、22年前なので、齋藤くんが生まれる前のことです。桑田投手は、もとは早稲田大学に進むつもりだったということですから、齋藤投手と考え方も似ていたのかもしれません。清原選手は、熱望していた巨人に指名されなかったことから、涙を流した場面もよくプレイバックされるところです。

それからの二人を知らない方はいらっしゃらないでしょう。若いときから今まで同じ時代を生き、時には元気をもらい、時には辛さを共感した方も多いはずです。その現役人生も終盤にさしかかりました。桑田投手は昨年巨人軍を辞め、単身アメリカ・メジャーリーグに挑戦しました。それは何の保証もない旅立ちであり、現地での怪我を乗りこえ、見事メジャーリーグのマウンドに立ったとき、またあの甲子園の雄姿を思い描いた方もあると思います。20年という長い年月、プロの世界で生き、さまざまな経験を積み重ねながらも、ずっと同じ心を持っていた彼。それは野球に対する正直な気持ちであり、野球やっていたいという素直な心がマウンドからあふれているようでした。その桑田投手も、ついに今春ユニフォームを脱ぎました。

清原選手は、齋藤佑樹投手が日米大学選手権で優勝を決め勝利投手になった日に、再起を懸けた膝の手術を受けました。怪我や不振に悩まされた数年間。再起できる保証はありません。引退すれば楽になれるかもしれない。それでも現役にこだわって最後のチャレンジにでたのは、やはり、野球に対する正直な気持ち、野球をやっていたいという心でしょう。その復帰への闘いは今も続いています。

日米大会後、あるアナウンサーが齋藤投手に「10年後はどうなっていると思いますか」と聞きました。答えは「野球をやっていたい」。ああ、同じ心を持っている。新旧の現役野球人が私の中で一つにつながりました。その時、本当に、純粋な気持ちこそがプレッシャーを力にするのだと思ったのでした。

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