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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

頭の良さに通じること

2014年03月22日 | 中学受験 合格力随想

勉強の目的は、成績を良くすることではなく、頭をよくすることです。では、頭のよさは、どのような方法で評価されるのでしょうか。

まず最初に考えられるのは、志望校の合否です。志望した学校に合格したかどうかは、その学校の過去問と相性がよかったかどうか、推薦ではなく実力で合格したかどうかなどの要素も確かにありますが、今の社会では、トータルな学力を評価する一つの尺度になっています。しかし、入試というのは数年に一度しかありません。もっと手軽なものとしては、PISAなどの学力テストによる評価もあります。しかし、これとて常時成長する子どもたちをとらまえることはできません。

知能検査による頭のよさの評価というものもありますが、これは、子供が主に小さいころに使われるものであることと、本来の検査の目的が頭のよさを評価するものではないことから、一般的な尺度とは言えません。推薦入試などでよく参考にされる、その子の過去のリーダーとしての実績などは、偶然に左右される要素がかなりあります。

また、推薦入試では、英語の試験が課される場合がありますが、英語は、ほとんどの学生が授業で勉強しているという点から見ると、その子の勉強全体の学力にほぼ比例しています。しかし、これは、海外からの帰国子女など勉強の前提に差がある場合も多いので、一概に学力全体の評価になるとは言い切れません。

数学の成績は、よく勘違いされていますが遺伝とは最も関係が薄いと言われています。数学ができないのは、頭が悪いからではなく説明や解説をうまく理解し咀嚼できないことに起因します。この勘違いと混同が問題です。数学の成績は、練習の量や解き方のコツに関連しているので、頭のよさとは全くといっていい程関係ないのです。

国語の成績、特に作文の力は、事物を的確に読み取り、理解し、論理的な構成を考え、適切に表現するという見地から考えれば、本当は頭のよさときわめて高い相関があるはずです。しかし、今の国語の成績はそうではありません。なぜかというと、現在の日本の国語は、文学の要素が多すぎるからです。文学の好きな子は、国語の文学分野が自然に得意になります。そして、なぜ文学が好きになるかというと、そこには多少遺伝の要素もありますが、それよりも、子供のころ熱中するような文学に出合ったということがかなり決定的な理由になるようです。

しかし、文学が好きな子は、数学が逆に苦手になるという傾向があります。これが論説系の評論文などが好きな子だと状況はだいぶん変わってきますが、ナカナカ文字好きでそんな子はいません。大概情緒的な文章から読書に親しみます。本来、文学的な発想と数学的な発想は、その方法がかなり違うからです。

数学は、わからなくなったら、わかるところまで戻り、わかるまでやるという勉強の仕方です。数学の難問というのは、いくつかの要素が組み合わされている問題で、易しい問題は、その組み合わせの数が少ない問題です。ですから、難しい問題にぶつかったときも、個々の要素に分解して、それぞれの要素を理解して積み上げればわかるという仕組みになっています。数学は、テキストに書かれていることをマスターすることが勉強の目標です。受験勉強も、その延長にあります。

ところが、国語はそうではありません。小学校5年生で国語の成績が下がったら、小学校4年生の教科書まで戻ればいいというのではありません。その学年の教科書を全部マスターしたからといって、成績が上がるわけではありません。国語の勉強は、できる子はできるし、できない子はできません。そのできるできないを分けるのは、ひとことで言えば読書の差です。読書の質と量が優れている子は、国語の勉強を特にしなくても成績はいいのです。ただし、国語でも、漢字の書き取りだけは、勉強しなければできるようにはなりません。しかし、国語力の本質は、漢字力ではなく読解力です。

数学と国語の違いを、列車の旅の比喩で言うと、次のような感じになります。数学は、あるところまで来て、今いる場所がどこかわからなくなったら、前の駅に戻ればわかります。国語は、あるところまで来て、今いる場所がどこかわからなくなったら、前の駅に戻るのではなく、周りの景色をよく見なければなりません。たとえ、前の駅に戻ったとしても、やはりそこで周りの景色をしっかりと見なければなりません。周りの景色を見るということは、日本語の日常生活を豊かにすることです。

逆に、数学の力をつけるために、日常の数学的な生活を豊かにするということは見当違いな努力になります。数学は、経験の中で身につける面ももちろんありますが、それ以上に勉強の中で身につけるものだからです。

ときどき、保護者の方から、「うちの子は国語が苦手なので、実際の学年よりもずっと下の学年から始めたい」という要望を聞くことがあります。下の学年に戻って勉強することは簡単ですが、しかし、それが上の学年に進む準備にはなりません。勉強するのは、下でも上でもかまいませんから、何しろ今その学年で必要とする読む力をつけることが重要なのです。

こう考えていくと、数学よりも国語の方が頭の良さを本来であれば見極めやすいことがわかります。しかし、現実はそううまくいかないことが難しいところです。



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