中学や高校の入試で、作文の試験を行うところが増えています。これは、子供たちの学力で、読解力と表現力が低下していることと無縁ではありません。従来の学習は、与えられたものを正確に記憶し、それを早く正しく再現することが中心でした。そのような学習は、学力の土台としては必要ですが、それがそのまま学力の中心となるわけではありません。本当の学力とは、初めて出合うような新しい問題にたいして、自分の持っている知識を使って創造的に解決する方法を探す力のことです。
近年の学力調査でしばしば指摘されることは、単純な知識の問題では正答率が高いのに、記述の問題になると途端に正答率が低下するということです。しかも、間違った答えを書くのではなく、ただの空欄のままで提出するケース形が多いそうです。つまり、与えられた問題に対して、応用力で答えることができていないのです。
この原因の一つに、低学年での学習の仕方があると思います。低学年の学習は、基礎学力をつけるという点で大切です。しかし、ここで学習の目標を学力をつけることではなく、成績を上げることに置いてしまうと、どうしても知識に偏重した形になってしまいます。本当は、その年齢に応じた知識をもとに、それらの知識を組み合わせて考えていく学習をしなければならないところを、知識の量を増やすことで手っ取り早く成績を上げる方向に進んでしまうのです。
本来、学ぶと云うことはもっと真摯で迂遠なものです。そこに特効薬やバイパスはありません。私たちは、低学年という子供達の学習への意識がピュアな時期にこそ、その迂遠なる道を一歩一歩歩くことが本当に価値あることなのだと、もっともっと強く伝えるべきだと思います。
近年の学力調査でしばしば指摘されることは、単純な知識の問題では正答率が高いのに、記述の問題になると途端に正答率が低下するということです。しかも、間違った答えを書くのではなく、ただの空欄のままで提出するケース形が多いそうです。つまり、与えられた問題に対して、応用力で答えることができていないのです。
この原因の一つに、低学年での学習の仕方があると思います。低学年の学習は、基礎学力をつけるという点で大切です。しかし、ここで学習の目標を学力をつけることではなく、成績を上げることに置いてしまうと、どうしても知識に偏重した形になってしまいます。本当は、その年齢に応じた知識をもとに、それらの知識を組み合わせて考えていく学習をしなければならないところを、知識の量を増やすことで手っ取り早く成績を上げる方向に進んでしまうのです。
本来、学ぶと云うことはもっと真摯で迂遠なものです。そこに特効薬やバイパスはありません。私たちは、低学年という子供達の学習への意識がピュアな時期にこそ、その迂遠なる道を一歩一歩歩くことが本当に価値あることなのだと、もっともっと強く伝えるべきだと思います。