
日本語の一つの特徴に『抑揚』があります。英語と比較してみるとわかりますが、英語は語と語の間に連続性があります。例えば、「This is an apple.」という文を読むときは、極端に言うと「じすぃーずあんなっぽー」で、日本語的に聞くとよくわかりません。日本人が読むともちろん、「じす いず あん あっぷる」であり、この一語と一語の間に『抑揚』が生じます。この『抑揚』を伴う間の文化的資質は、音楽の聴き方にも影響していると言われています。特に俳句や短歌などの七五調や端唄・小唄・長唄・都々逸・新内等は日本語の持つ『抑揚』の文化を生かしたものといえるでしょう。

さて、この日本語の持つ『抑揚』ついて多少考えてみましょう。音読によって日本語独特のリズム感が生まれます。普通、一般的に読む速さは1分間に400字程度といわれています。400字÷60秒=6,66となり、私たちは1秒間に6~7文字の言葉を読んでいる計算になります。

ここで、脳波が登場します。精神活動をしているときの脳波はβ波で13~40Hz、安静状態の脳波はα波で8~13Hz、まどろみ状態の脳波はθ波で4~8Hzとのこと。とすると、 ここからは私見ですが、人間の脳波はもともとα波やθ波なのだけれど、精神活動をしているとき、その本来のα波が撹乱されβ波となるのではないかということです。だとすると、β波というものは本来独自に存在する波なのではなく、α波の撹乱された状態となります。

では、なぜ精神活動が活発なときにα波が撹乱されるのか。精神活動とはほとんどの場合、言語的精神活動とされています。つまり、私たちは、普段何もしないときでも言語的に生きているのです。例えば、包丁で大根を切っているようなときでも、「そう言えば、この前のあれどうしたかなあ。あ、お湯がわいた。えーとお茶葉はどこ…」という具合です。この言語を思い浮かべるときの不規則なリズムが脳波を撹乱するのではないでしょうか。

それに対して音読は、声に出すという身体上の制約から一定のリズムにならざるをえず、この一定のリズム(6~7Hz)での音読が脳波のα波を撹乱させないカギとなります。日本を含めたアジア圏には、念仏・声明のように単純な語句を音読する文化が幅広くあります。これも、西洋人が東洋に求めるヒーリング(癒しの文化)を創りだしているようです。何はともあれ、音読は日本語の持つこの特性を生かしたものであり、念仏のような単調な繰り返しの中で自然と脳波が撹乱されないばかりか、逆にその語のリズムへと脳波が同調する(一種のトランス状態)ようになるのではないでしょうか。

長文音読は、長文を見ながら音読する形ですが、慣れてくると長文一つを丸ゝ暗誦できるようになります。暗誦しているとき、音読の『抑揚』は更にリズミカルになり、脳波に心地よい刺激を与えていると思われます。人間は、心地よい刺激を再度求めるよう遺伝子に組み込まれています。『声を出す』こと、そんな単純なことの中に、実は学習意欲の向上につながる大きなヒントがあるのかもしれません。
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