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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

国語得点力をつくる

2015年10月16日 | 中学受験 合格力随想

国語の得意な子と苦手な子を分けるものは、読み取る速さの違いです。あっけないほど簡単な話で拍子抜けされると思いますが、これが真実です。

以前、小学6年生のお子さんのお父さんが、「国語があまりできないんです」と、模試の答案を持ってこられたことがあります。中身を見てみると、最初の方の問題はそれなりにできていましたが、最後の方になると×が多くなっていました。これは、最初の方に時間をかけすぎて、最後の方では時間がなくなってしまったためだと見て取れました。どうして、最初の方に時間をかけ過ぎたのかというと、読み取るスピードが遅かったからです。この子に、最後の方の×の問題を聞いてみると、時間をかければできていたことがわかりました。結局、読み取ることに時間がかかっていたため、全体の点数が低くなってしまったのです。

入試問題には、こういうスタイルの問題がかなりあります。過去には、慶応義塾大学文学部の小論文の課題文の分量は、12,000字と評判になりました。本で言うと約20ページ分です。これだけの量の課題文を読んで、1,000字の小論文を書くのに、与えられた時間は全部で90分。読むのが好きな生徒はばりばり読めますが、読むことに慣れていない生徒は、読むだけで息切れしてしまいます。

では、この『読み取る力』はどのようにして育つのでしょうか。速く読む力ですから速読力と思われるかもしれませんがそうではありません。速読の練習をすれば、練習をしないときよりも速く読むことができるようにはなります。しかし、それだけではすぐに限界が見えてきます。大事なことは、『読む力』ではなく、『読み取る力』だからです。文章を読み取るというのは、ただ文字を読むことではありません。書かれている内容を理解するということです。

人はどのようにして文章に書かれていることを理解するかというと、そこに書かれている内容を、自分のこれまでに持っている知識や体験と関連づけて理解していくのです。つまり、文章を読むということは、自分の知識体系の中に、その文章を位置づけていくという作業にほかならないのです。私たちは、頭の中にたくさんの引き出しがあり、その引き出しの中に読んだ内容を次々に納めていきます。まだ引き出しの準備ができていないために、引き出しに入りきらないものは、仮に積んでおくしかありません。引き出しの豊富な人の頭の中は、何を読んでもきれいに整理されていきますが、引き出しの数が少ない人の頭の中は、読んだものがどんどん積まれていくだけです。

ですから、初めてのジャンルの文章は、読むのに時間がかかります。また、読んでいるとすぐに眠くなってきます。試みに、経済学の勉強をしていない人が初めて経済学の本を読んだとします。ものの数分もたたないうちに眠気が襲ってくるはずです。プログラミングが初めての人が、プログラミングの本を読んだとします。どんなに易しく書かれている本であっても、これもすぐに眠気が襲ってきます。以上は、私自身の体験です(笑)。哲学の本ももちろんそうです。しかし、哲学の本を読みなれてくると、逆に、哲学の難解な言葉が出てくる文章を読むと、目がらんらんと輝くようになってきます。頭の中に引き出しがある文章は、読んでいて楽しいのです。

中学生や高校生で国語の得意な生徒は、どんなに勉強が忙しくても、勉強の合間に本を読んでいます。受験期間中であっても、受験勉強で疲れた頭を休めるために好きな本を読むという休息の仕方をしています。サッカーの好きな子が、勉強で疲れた頭を休めるためにボールを蹴るとか、バスケットの好きな子が、勉強で疲れた頭を休めるためにボールをつくとかいうことと同じです。その子たちが、どうしてサッカーやバスケットをそれほど好きになったのでしょうか。たくさん練習したからです。読書も同じです。たくさん読むから好きになり、好きになったからますます読むようになっていったのです。

小学校低学年のころによく本を読んでいた生徒が、勉強が忙しくなるにつれてだんだん読書から遠ざかるという傾向があります。これは、大人の責任です。勉強という目先の成果に追われて、読書という肝心の根を育てることを後回しにしてしまうからです。どんなに忙しいときでも読書の時間を確保するということが、大人の心がけねばならないことだと思います。そしてそのことこそ『読み取る力』獲得への本道なのです。



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