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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

私の苦手

2010年12月18日 | 中学受験 行雲流水録
皆さんは港の別れを経験されたことがありますか。「船は出ていく煙は残る、残る煙に未練が宿る。宿る未練が…」のあの別れを…。私は港の別れが苦手です。

私の生まれはN県I市。九州と朝鮮半島の間を離島で三等分し朝鮮側の島がT、九州側の島がIと考えていただくと分かりやすいでしょう。現在は魏志倭人伝記載の「一支國遺跡・原の辻」が発見され「歴史とロマンの島」として賑わっています。しかし、昔は何もないただの半農半漁の離れ小島にしかすぎませんでした。そんな島の育ちですから、私にとってずっと本土は遠くに望むものであり、現実感のないただ漠然とした憧れだったのです。

しかし、そんな私も大学進学をひかえ、かの島を離れることになりました。下宿探しやバイトの関係で、卒業式後すぐに本土に渡らねばならず、二期校受験の友人には挨拶もできない慌ただしい出発となりました。

出発の日、港には母や弟妹、親戚、友人たちが集まり、別れを惜しんでくれました。これからの新生活を思えば青雲の志に燃えているはずなのに、なぜかみんなで泣いていました。別に戦争に行くわけでもないのに万歳三唱をしてもらい、五色のテープの束を渡された時もやはりみんな泣き顔でした。

出航の時間がきて、蛍の光が流れ始め、汽笛が鳴り、銅鑼が響きわたります。とも綱がはずされ、船はゆっくりと岸壁を離れ、湾内を半周し、舳先を定め、一路博多港へと向かいます。友人たちが港のはずれの岬の先まで走り手を振り続けてくれました。テープはくるくると延び続け、長い別れを暗示するかのように千切れていきました。私も波間に漂うテープを見ながら、ただ涙を流すだけでした。

あの涙は一体何だったのでしょう。惜別の涙、不安の涙、あるいは激励の涙…。今ただ一つ言えることは、あの涙の日から良きにつけ悪しきにつけ今日の私が始まっているということです。くすんでしまった私の人生にも他の人々が涙を流してくれた眩いほどに輝く時があったのです。

たくさんの汚れなき真摯な涙を貰ったあの日を甘酸っぱい思いと共に忘れることはできません。35年余りの月日が流れ港の風景も変わりました。しかし、帰省し船が港に入る時岬をまわるたびに、今も岬の松の下で目一杯手を振ってくれた3人の友の顔が青春の思い出としても蘇ります。

遠いあの日を思い出し淋しくなるので、汽笛の鳴り響く港の別れが私は苦手です。


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