先日、哲学者の梅原猛氏が新聞に寄稿しているのを目にしました。その主旨は、新刊『 葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』執筆するに際し、この30年間の新しい古代史上の発見を加味し、既刊『神々の流竄』等で開陳してきた古代史への分析を訂正するというものでした。
『神々の流竄』でさえ発表当時大きな反響で迎えられ、梅原史観の根幹を成すものと考えられています。それなのに、あえて齢85を過ぎて、まだ自説を修正するとのこと。内容を散見しましたが、いやはやこれは修正どころか新たに立て直す程の作業だったに違いありません。正に、「知の巨人」の面目躍如たるところです。
世に大家として名声を博した方々は、保守的となり自説に執着されるとのこと。変節しないことが泰斗の証しでもあるかのようです。古来中国、易経には「君子豹変、小人革面」とあります。その意味では、日本には真の意味での君子が少ないのかもしれませんし、変化・変節を嫌う日本人のメンタリティがあるのかもしれません。
日本に於いて変化を拒み悲劇を招いた例は枚挙にいとまがありません。白虎隊然り、ひめゆり部隊然り、連合赤軍の集団リンチ事件然り。今人気の武市半平太率いる土佐勤王党も、幕末の動乱期徒花として変節を嫌います。
そういえば、2001年にノーベル化学賞を受賞された野依良治氏が母校(小学校)での講演時、こんなお話をしていました。
「自分の意見を途中で変えることは、決してはずかしいことではありません。ひとつのことにこだわって目を閉じるより、まわりをよく見て聞いていいところを吸収する。そして新しい意見を持てばそれはあなたのものです。」
えてして子どもというものは、ひとつの事がらにこだわってしまいがちです。多方向から見ることができるよう、世の中にはさまざまな意見があるということをさりげなく示してあげるのは保護者の方の役目かもしれません。
それにしても八十歳垂んとして、自説に恋々とせず変化させていく梅原猛氏。その勇気と魂魄の一片でもと思うのは私だけではないはずです。
『神々の流竄』でさえ発表当時大きな反響で迎えられ、梅原史観の根幹を成すものと考えられています。それなのに、あえて齢85を過ぎて、まだ自説を修正するとのこと。内容を散見しましたが、いやはやこれは修正どころか新たに立て直す程の作業だったに違いありません。正に、「知の巨人」の面目躍如たるところです。
世に大家として名声を博した方々は、保守的となり自説に執着されるとのこと。変節しないことが泰斗の証しでもあるかのようです。古来中国、易経には「君子豹変、小人革面」とあります。その意味では、日本には真の意味での君子が少ないのかもしれませんし、変化・変節を嫌う日本人のメンタリティがあるのかもしれません。
日本に於いて変化を拒み悲劇を招いた例は枚挙にいとまがありません。白虎隊然り、ひめゆり部隊然り、連合赤軍の集団リンチ事件然り。今人気の武市半平太率いる土佐勤王党も、幕末の動乱期徒花として変節を嫌います。
そういえば、2001年にノーベル化学賞を受賞された野依良治氏が母校(小学校)での講演時、こんなお話をしていました。
「自分の意見を途中で変えることは、決してはずかしいことではありません。ひとつのことにこだわって目を閉じるより、まわりをよく見て聞いていいところを吸収する。そして新しい意見を持てばそれはあなたのものです。」
えてして子どもというものは、ひとつの事がらにこだわってしまいがちです。多方向から見ることができるよう、世の中にはさまざまな意見があるということをさりげなく示してあげるのは保護者の方の役目かもしれません。
それにしても八十歳垂んとして、自説に恋々とせず変化させていく梅原猛氏。その勇気と魂魄の一片でもと思うのは私だけではないはずです。