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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

行雲流水録⑯         お札

2007年02月09日 | 中学受験 行雲流水録
去年、妻の実家で法事がありました。法事とは、本来亡くなった人の追善供養をするための法要を行なうことですが、お経をあげてお焼香をし、その後会食をするという形式を整えることだけに、どうしても一生懸命になりがちです。本当に大事なのは、形式ではないと思うのですが、それがなかなか…。その時、和尚さんから法話がありました。それがちょっといいお話だったので、ご紹介したいと思います。

「亡くなった人の供養をするということは、生前お世話になった感謝の気持ちを、あの世へ伝えるということです。しかし、あの世へ伝えるだけでなく、自分の周りの人々やものごとすべてに、感謝の気持ちを持つことが肝心です。どんな小さなことにも、『ありがたい』という気持ちを持ってください。天気が良くても、雨が降っても、『ありがたい、ありがたい』と思って過ごすと、自分も周りも変わってきます。

感謝の気持ちというのは、お札(ふだ)の波動と同じ。そういう気持ちでいるということは、私たち自身がお札になったのと同じことです。恨みや憎しみの気持ちは、お札とはまったく逆の波動です。そのような波動を出して生活していたら、周りも自分もどうなっていくか恐ろしいことです。」

感謝の気持ちがお札の波動と同じという根拠はわかりませんが、この話は大切なことを伝えていると思います。お札は、護符(ごふ)とも言って、神仏が私たちを守るものと位置づけられています。とすると、感謝の気持ちを常に持ち続けている人は、周りの人々を災いから守ってあげる力があるということになります。

確かに、「ありがとう」を口癖のように言っている人に対しては、私たちもおだやかな温かい気持ちで接することができます。お互いを思いやる気持ちを忘れなければ、人間関係で災いは起きないでしょう。反対に、憎しみなどのマイナスの気持ちの強い人に対しては、私たちも警戒心を抱き、おだやかな気持ちにはなれません。お互いにマイナスの感情を深め合う悪循環になっていきます。その結果、災いを引き起こすということになるのでしょう。

私たち自身がお札のようになって、周りの方を災いから守ることができたら、それはすばらしいことです。日々の気持ちの持ち方一つで、そんなすばらしいことができるのであれば、今日からみなさんも始めてみようと思いますよね。

澪標
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