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感涙のドラマ

2009年02月03日 22時22分12秒 | Weblog

              
 本日は、2月3日「節分」なのであり、豆蒔きして「鬼は外、福は内」をし、今年の恵方位(東北東)に向かって無言で恵方巻をほうばる日なのです。なんで関西で盛んなこの風習を、東京でもやらねばならないのか??バレンタインデーがチョコレート会社の思惑で設定されたように、海苔巻きは、すし屋の差し金か??などと考えていても、この趨勢には逆らえず、みんなで「恵方巻」をほうばるのでした。
 そんな時、TV番組で「キミハ・ブレイク」という特番を見てしまった。この番組は、名曲の隠された悲話を披露する番組なのでした。この手の番組が、この年になると、一番弱い。涙腺がもろに弱くなっているので、話を聞いている内から、もう眼が涙で溢れてしまうのです。石川ひとみも「まちぶせ」というデビュー10年目にしてのヒット曲の最中、B型肝炎にかかってしまい、緊急入院したとか・・・、こんな話は、本当に涙腺を刺激します。中でも、さだまさしの友人の話は、号泣物でした。話はこうです・・・・・・・。
゛東急線三軒茶屋駅での悲劇がありました。駅で、少年たちが43歳の会社員を暴行した挙句、死に至らしめてしまったのです。少年裁判の中、少年たちには3年から5年の実刑判決が出されたのですが、全く反省をしていない彼らに、裁判長はこう言ったのです。「君たちは、さだまさしの歌で「つぐない」を知っているか?」しかし、少年たちは誰一人知りませんでした。続けて裁判長は言いました。「知らないのなら、この歌の歌詞でもいいから、しっかり読んでみなさい」。人を殺して反省も無い少年たちにいらだった裁判長が、諭したものなのですが、この さだまさしの「償い」には、実際のさだまさしの友人の話が、歌になっています。この歌では、加害者側に立った話のようですが、さだまさしの友人は、実際は被害者だったようです。交通事故にあった旦那の奥さんから、伝え聞いた気持ちを、加害者側に立って作った詩だったのでした。

   

償 い

作詩・作曲:さだまさし


 月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

 僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
 たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
 ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

  人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
  被害者の奥さんの涙の足元で
  彼はひたすら大声で泣き乍ら
  ただ頭を床にこすりつけるだけだった
 
  それから彼は人が変わった 何もかも
  忘れて 働いて 働いて
  償いきれるはずもないが せめてもと
  毎月あの人に仕送りをしている


 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た
 しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた
 それは事件から数えてようやく七年目に初めて
 あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

 「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました
  だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に
  主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
  それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
  手紙の中身はどうでもよかった それよりも
  償いきれるはずもない あの人から
  返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
  ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
  神様って 思わず僕は叫んでいた
  彼は許されたと思っていいのですか
  来月も郵便局へ通うはずの
  やさしい人を許してくれて ありがとう
 
  人間って哀しいね だってみんなやさしい
  それが傷つけあって かばいあって
  何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
  とまらなくて とまらなくて とまらなくて


 
お酒の配達中、大雨の中で、前方の人影を見落とし、車で引いてしまった青年の「償い」の日々を歌ったものです。旦那さんの病院で、「人殺しー」と泣き叫ぶ夫人の前に土下座し、床に頭を擦り付けながら、加害者も大泣きしながら謝ったのですが、婦人は許しませんでした。加害者は、この時から人が変ったように働きずくめ、毎月その給料と謝罪の手紙を添えて、被害者の夫人に送ったのです。実に7年も続いたと言うことです。あまりのことに、婦人からその7年後に、返信が初めて届きました。「あなたからの手紙を見るたびに、辛い主人のことを思い出します。こんなことをしても主人は帰ってきません。これからはあなたの人生を大切にしてください。送金はもう、止めてください」ということが書かれていたのです。許しではないが、被害者の夫人が、初めて自分に向けてくれた思いに、加害者も感動したと言うことです。でも、その後も仕送りと謝罪の手紙は続いたそうです。なんか、映画「手紙」を思い出してしまいました。


<!-- さだまさし「償い」 -->



【事件概要】
三軒茶屋駅銀行員暴行殺害事件
【事件概要】

 2001年4月28日0時前、、東京都世田谷区の東急田園都市線中央林間行きに乗っていた少年達が、近くに座っていたチェース・マンハッタン銀行東京支店に勤める牧顕さん(43歳)と足を踏んだ踏まないで口論となり、三軒茶屋駅停車中にA(当時18歳)とB(当時18歳)が牧さんを殴り、意識不明の重態にさせた。
 5月4日朝、牧さんが入院先の病院で死亡。同日夜、神奈川県相模原市に住むBとC(当時18歳)が「三軒茶屋の事件は僕がやった」と神奈川県警相模原署に相次いで出頭した。さらにAとD(当時18歳)が4日深夜から5日未明にかけて警視庁町田署に出頭した。


A
B


【車内で】

 2001年4月28日、A(当時18歳)とB(当時18歳)は、友人のC(当時18歳)とD(当時18歳)と渋谷で遊んだいた。午後11時53分、Aら4人は帰宅するために東急田園都市線水天宮発中央林間行きの普通電車(10両編成の前から3両目)に乗りこんだ。当時電車はゴールデンウィーク初日の終電前で混雑しており、Aたちが立っていたところ、Bが前には座っていた牧顕さん(43歳)が座っていた。

 牧顕さんは鳥取県出身で独身。01年1月から4月30日までチェース・マンハッタン銀行東京支店の契約社員をしており、同28日以降は休日だった。事件当時は都内で酒を飲んで帰宅途中だったとみられる。事件当時、婚約者もいた。

 電車が渋谷駅を出てまもなく、牧さんとBが「足を踏んだ」「踏まない」で口論になり、池尻大橋駅を出た後、牧さんが「次の駅で降りろ」と言った。

 電車が三軒茶屋駅に到着すると、牧さんは電車を降り、Bたちにも降りるように行った。Bたちは一旦ホームに降りたものの、この電車がAたちの自宅付近まで行くことのできる最終電車だったことから、牧さんを置き去りにしようと再び電車に乗りこんだ。しかし、牧さんがBを追い駆け、閉まりかけていた電車のドアを力づくで開けて乗りこんでこようとしたため、AとBは牧さんの手を殴りつけたり、胸腹部を蹴ったりした。
やがて電車のドアが再び開き始め、牧さんはAさんを引きずり出そうとするが、その際Aのスウェットが破れた。これに怒ったAとBが牧さんを数回殴り、ホーム上に転倒させた。その後も電車を降りたAたちは10分近く殴る蹴るの暴行を続け、牧さんは血まみれになり、意識不明となった。4人は犯行後、ホームの階段を駆け上がって逃走。自動改札機を乗り越えたりはせず、切符か定期券を入れて走り去った。

 5月4日午前7時45分ごろ、牧さんは搬送先の病院で外傷性くも膜下出血により亡くなった。テレビで牧さんの死を知ったBは家族に打ち明け、4日午後9時半頃に出頭した。AはCから牧さんの死を聞き、同日11時55分頃、家族に付き添われ出頭した。


【裁判】

 2002年 東京地裁 AとBの二人に対し、懲役3年以上5年以下を言い渡す。
 この法廷で山室恵裁判長は、さだまさしの歌を引用した。判決言い渡し後「唐突だが、さだまさしの“償い”という歌を聴いたことがあるだろうか?」と質問。少年2人はキョトンとした表情。裁判長は「この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と続けた。「償い」はさだまさしが作詞、作曲。実話にもとづいた作品で、雨天に運転中、道を横切った男性をはねて死亡させた若者を歌っている。若者は遺族に仕送りを続け、事故から7年目に遺族からの手紙を受け取るという内容のものだ。


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