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瞑想世界、和の真髄の宮本辰彦に心酔!

2020年04月16日 21時21分32秒 | Weblog

最近、生きることへの想いが込み上げてくる。生きるとはなんなのか?生きることとは何なのか?どのように生きなければならないのか?等、考えると生きる意味が何なのかという、哲学的な思考に入ってしまうのである。生きることとは何?これについて、明確な解答ができる人がいるのだろうか?
 生きることへの意味を見いだせず、華厳の滝から身を投じた藤村操を思い出す。彼のその時の心境を謳った「巌頭之感」という、詩が残されている。
   

巌 頭 之 感

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

                (明治36年5月22日)

この詩の中に、「五尺の小躯を以て此大をはからむとす」という一節がある。小さなものさしで、大いなるものを測ろうとするという意味なのである。人間という、とてつもなく小さなものさしで、生きることの意味を見出そうとすることは、所詮、「小躯を以て此大をはからむとす」ということなのである。人生というもの、人間の生きるといことの意味をどのように解釈し、その本質的な意味をどのように捉えるべきなのか?「いわく、不可解」なのである。まさしく、この藤村操の想いは、誰の想いにも当てはまるのである。ただ、生きることの意味を、本質まで追求しようとしている人が何れ程居るのかということにもなるのである。

 最近、ユーチューブを見ている中で、心酔してしまった人がいる。宮本辰彦である。書家であり、瞑想から色んなことを思う人、そして「和」の真髄を追求している人なのである。
 このようなたぐいの人には、心霊的なスピリチュアルな世界との交信により人間の生きることを諭そうとする人も多い。霊的世界との交信を行う江原啓之、美輪明宏、東日本大震災の発生や東京五輪の不開催を予言した松原照子・・・、このような霊的世界との交信により、事象や人生を諭す人もいる。
 しかし、この宮本辰彦は、霊的世界との関わりで思想を展開している人ではない。むしろ、「神との対話」という本を著したニール・ドナルド・ウォルシュや「ツインソウル」、、「生きがいの創造 新版」の著者である飯田史彦に近い人なのだろうと思う。人間の生まれ変わりや現世に生きている意味を教えてくれる人なのである。
 この現世に生きている意味は、「愛」の修得や実践なのであるという。精神世界(霊的世界という人もいる)で最も重要な価値観は、「愛」ということである。この愛は、恋人同士の「愛している」とは全く異なる、本質的な愛を意味している。恋人同士の愛しているは、好み、好き(すき)ということであり、根源的な愛とは異なるということなのである。しかし、人間という肉体を持った物質世界では、この愛よりも、お金や物欲というものが優先されて、見えない世界に人間は埋没している。本来、精神的存在が肉体をまとい、愛の修得に努めなけれならないはずが、完全に脱線した生き方をしているのであるらしい。これを是正することが急務なのである。

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