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高倉健、逝去!!

2014年11月18日 23時03分46秒 | Weblog

 映画人生を壮絶に生きてきた高倉健が亡くなったと報道された。映画人として、最高の人物が亡くなったと、非常に痛ましく感じる。藤田まことや緒方拳が亡くなっときと同じくらい、心に空虚感を感じる。大きな映画人が、また、この世を去ってしまった感がして、非常につらい。この人の作品には、どっぷりと人を引き付けるものが大きかった。静かな演技、あまり言葉を発しない役者ながら、存在感は抜群にあった。この人無くして、映像は成立しなかったとも言えるほどの輝きを示していた。そのひとが、この世を去ってしまった・・・・。あまりにもむごいものである。
 
【記事】
日本映画全盛期の1956年にデビューして半世紀余、日本を代表する俳優の高倉健さんが亡くなった。

 自らを「不器用」と称し、武骨で人間味あふれる男の生き様をスクリーンやテレビで見せ続けた「健さん」。生涯205本の映画に出演し、映画を愛し続けた「最後の映画スター」だった。

 高倉さんの所属する高倉プロモーションが18日昼前に発表した。高倉さんは次回作の準備中に体調不良で入院し、治療を続けていたが、10日未明、容体が急変して息を引き取ったという。発表文には「都内の病院で旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でした」と記されていた。

 「あれだけ健康に留意していた健さんが私より先に亡くなるなんて」。映画「駅/STATION」の脚本を手がけた倉本聰さんは、沈痛な様子で語った。「自分より年下でも、相手が板前さんでもタクシー運転手でも駅員さんでも、きちんと立ち止まって礼をする人だった。プライベートを明かさない、俳優らしい最後の俳優だったかもしれない」と惜しんだ。

 長年交遊があった俳優の千葉真一さんは新人時代、撮影所でスタッフとけんかをして俳優をやめようとした時、休みにもかかわらず一緒に撮影所内を謝りに歩いてくれたことがあるという。「人生においても俳優としても唯一尊敬し続けた方でした」と語った。

 高倉さんが出演した「あゝ同期の桜」(67年)でメガホンをとった映画監督の中島貞夫さん(80)は「役作りに執念を持ち、役と一体になりきる人だった。存在をすべてかけて映画を撮っていた希有な俳優だった」と振り返った。

 高倉さんは、俳優業を「生きるために出会った職業」と言い切った。映画で見せた、仁義を重んじ、男気に満ちたストイックな人物像。76年に東映を退社後も硬派のイメージはそのまま、「八甲田山」「動乱」で、明治の軍人や二・二六事件を主導する青年大尉を演じた。77年の山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」で若者たちと心を通わす元受刑者役で、ファン層を広げた。