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宗教の世界史(参考文献2)

2019-07-22 01:00:00 | 宗教の世界史
宗教の世界史(参考文献2)


2)ユダヤ教

a)下層の宗教 

●出エジプト 
広い意味でのユダヤ教が成立したのは前13世紀である。このときに「出エジプト」という事件が生じた。当時のエジプト(第19王朝)のもとで奴隷状態にあって苦しんでいた者たちが、モーセという指導者の下、大挙してエジプトから脱走したという事件である。もう一つの重要な事件は「カナンヘの定着」である。エジプトから脱走した者たちの次の世代の者たちがカナンに侵入した。(一神教の誕生 加藤隆著 講談社現代新書  P46)


・国外に追放 
ユダヤ教法典の研究者の中にも、唯一神を信奉する人々のエジプト脱出を裏づけようとする動きがある。彼らはイクナアトン死後のエジプト社会の混乱を指摘する。伝来の多神教と新興の一神教との亀裂は深まるばかりであった。この分裂と混乱を回避するには、唯一神の信徒を異端として国外に追放するよりほか手段はなかった。 (多神教と一神教 本村俊二 岩波新書 P69)


●ヘブライ人 
ヘブライ人は人種的には雑多で、どの国家にも所属せず、その最もましな生業は砂漠でろばをあやつる隊商であった。時と場合によっては、彼らは砂漠から定住地に侵入する盗賊か掠奪者たち、エジプトのブドウ園の収穫人などと記録されている。また、傭兵隊としても働いた。アマルナ書簡の伝えるところでは、彼らは紀元前14世紀のパレスティナでは、エジプトの支配下にあるエルサレムなどの都市国家を襲う無法者であった。 (世界の歴史 4 オリエント世界の発展 小川英雄・山本由美子 中央公論社 P58)


●奴隷の宗教 
ユダヤ人とは一つのパーリア民族(賤民)であった。(古代ユダヤ教 上 マックス・ヴェーバー 岩波文庫 P19)


・かつてエジプトにあったときの彼らは、隷従を強いられた。いわば奴隷であった。その奴隷体験の記憶はこのさまよえる人々を一体となったイスラエルの民として鍛えあげていた。それはモーセの十戒を遵守し唯一神ヤーヴェに仕える者として団結することであった。無力な民には唯一神と契約して硬く団結する以外に砂漠の中で生きのびる術はなかった。(多神教と一神教 本村俊二 岩波新書 P91)


・復讐する全能の神 
一神教は虐げられ抑圧された被差別民の宗教になりやすい。不正に憤り、侵犯者に復讐する、全能にして唯一無二の神こそが社会の底辺であえぐ人々にとってあがめられるべき神となるからだ。 (多神教と一神教 本村俊二 岩波新書 P68)


多神教は上層階級がつくった宗教で、一神教は差別されている下級階級がつくった宗教です。 一神教はまさに戦争の宗教なんです。(一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P201)


・奴隷と一神教 
一神教というのは被差別階級というか奴隷階級というか、いわば被抑圧者の宗教です。 当然それは打破されなくてはならないわけですから、必然的に戦争と結びついています。 一神教が奴隷の宗教だということと戦争の宗教だということは同じことです。 (一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P170)


・エジプト滞在中のヘブライ人 
ハビル(ヘブライ人)たちは文明世界と接触を持ちつつ、各地を自由に転々と移動する集団であったので、彼らがエジプト滞在中にこの様な唯一神・創造神の思想に触れたことは、十分に考えられる。 他方、モーセに率いられたハビルの集団がエジプトを出て、シナイ半島のミディアン人や、ケニ人のような半遊牧の人々の住むところにきて滞在したとき、モーセに対する啓示という形でその地の神ヤーヴェが知られることになった。 この地はエジプトと境を接しており、これらの牧人たちは単なる砂漠の民の部族宗教の信奉者であったというよりは、アマルナ的な普遍神に接したことがあったであろう。従って、モーセと彼に率いられたハビルは、もともと一神教徒であったばかりでなく、彼らがシナイ半島で採用したヤーヴェ神の神観念もまた一神教的なものであったろう。 (世界の歴史 4 オリエント世界の発展 小川英雄・山本由美子 中央公論社 P64)


●血のつながらない神 
イスラエルの神はユダヤ人との血のつながりがない。信者との血のつながりの否定というところにユダヤ教の独自性がある。天照大神は神々の一番トップにいるが、だからといって一神教の神へと転化していかない。人間との血のつながりの幻想をあくまで残す。(一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P78)


・ユダヤ教は民族宗教、キリスト教は世界宗教と言われるわけですが、(ヤーヴェがユダヤ民族と血のつながらない神であるということは)ユダヤ教には最初から世界宗教へと展開する可能性があった。 (一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P84)


b)戦争神 
●戦争神 ヤーヴェは、戦争神である。または軍神である。(古代ユダヤ教 上 マックス・ヴェーバー 岩波文庫 P212)


●旧約聖書は戦争の記録 
旧約聖書はある意味で戦争の記録です。 モーセに連れ出されて約束の土地カナンに向かったイスラエル軍は、ヤハウェの守護のもとに都市という都市を全部殲滅していく。(一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P173)


●アダムとイブ 
君が妻の言う声に聞き従い、わたしが食べてはいけないと命じておいた樹から(リンゴを)取って食べたから、君のために土地は呪われる。(旧約聖書 創世記 岩波文庫 P15~16)


・アダムの息子のカイン 『今や君はこの土地から呪われねばならない。』 『君がこの土地を耕しても、地はもはやその力を君に提供しないだろう。君は地上の放浪者にならねばならない。』 (旧約聖書 創世記 岩波文庫 P16~17)


●「危機と抑圧」から一神教へ 
一神教が生まれる背景には、「危機と抑圧」があった。そのような雰囲気のなかで唯一神を崇めるユダヤ教が成立した。「危機と抑圧」にさいなまれた地中海世界で、人々は神々の声を見失ってしまった。 前1千年期に人々の心性をおそった神々の沈黙こそは、人類史の大転換ともいえる出来事であったのではないだろうか。(多神教と一神教 本村俊二 岩波新書 P198)


c) 一神教の成立 
●排除する神 一神教と多神教の違いは、ただ単に、信ずる神の数にあるのではない。他者の神を認めるか認めないかにある。 (ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず 塩野七生 新潮文庫 P75)


●ヘブライ王国 
イスラエル民族が成立する「出エジプト」「カナンヘの定着」の時期は厳しい経験の連続であり、民としての団結と、その反映であるヤーヴェ崇拝は自ずと強固なものであった。また部族連合時代からダビデによる王国成立までの時期は、外からの敵がだんだんと大きな脅威となる中で、ますます民族的統一を固める時期だった。 しかしソロモンの時代になると、こうした努力がいわば実を結んで、安定と繁栄が訪れる。またそれまで敵でしかなかった外国の諸勢力との共存の道も模索されるようになる。そうした中で、安定した生活の追求のために、ヤーヴェ以外の神の崇拝が平気で行われるようになった。(一神教の誕生 加藤隆著 講談社現代新書  P57)


・原理主義の危険 
どこにも純粋な一神教など存在しない。純粋な一神教を強調し、多神教的な偶像崇拝を真っ向から否定するのは、「原理主義」と喚ばれる立場をとる人間たちだけである。 逆に純粋な多神教も存在しない。八百万の神々への信仰の奥に、超越的な神への信仰が存在することをみていかないと、信仰の実際の姿をとらえるとはできない。(日本人の神はどこにいるのか P218)


●義務の発生 
契約の概念をあてはめると、神に対する民の義務がきちんと果たされていたかという問題が出てくる。 ところがアッシリアに滅ぼされる前の北王国の民の態度は、神の前で適切なものだったとはとても言えないようなものだった。ヤーヴェ以外の神を崇拝していたのである。神に対する民の義務が実現されていてこそ、神は民に恵みを与える。買い手が百円を出していないのならば、売り手がリンゴを渡さないのは当然である。 このような論理を採用することで、ヤーヴェは駄目な神だとしなければならないといった事態を回避できることになる。この論理によって神は救われたのである。(一神教の誕生 加藤隆著 講談社現代新書  P65)


・北王国滅亡のあとの『契約の概念』
・『罪の概念』の導入によって、ヤーヴェが沈黙していてもそれでヤーヴェを駄目な神だとせずに済む考え方が成立した。(一神教の誕生 加藤隆著 講談社現代新書  P78)

d)契約の発生

e)動かない神 
●言葉の呪術的価値 神の名を知ることは、その神に一定の力を及ぼせるということにひとしい。名前、一般的には言葉の呪術的価値は、先史時代から知られていた。(世界宗教史1 ミルチア・エリアーデ著 ちくま学芸文庫 P167)


●ザビエルへの問い 
日本人は反駁した。どういう反駁をしたか。ザビエルの手紙には、子細にそのことが書かれています。 「神が天地を創造し、そんなに情け深い存在だというなら、なぜ地獄などというものがあるのか、これは大矛盾であると。キリストを信じ、神の洗礼を受けなければ救われないというならば、自分たちの先祖はどうなっているのだ。洗礼を受けていない先祖は、やはり地獄に行ったのか」、と聞いたといいます。ザビエルは「先祖であろうが、地獄へ行った」と答えました。それを聞いて、日本人は非常に悲しんで泣いたといいます。 ザビエルはイエズス会の同僚たちとの往復書簡の中で、もう精魂つきはてたと述べています。自分の能力の限界を試されたと、正直に告白しています。そして、日本に進歩を派遣するときは、よほど学問のある神父にしてほしい、できれば経験のある神父がいいと言っています。若い神父では日本人に打ち負かされてしまうからだというのです。 (聖書と甘え 土居健郎 PHP新書 P105)


●「信じる者は救われる」と「神はすべてを決定する」との間には、非常に深刻な対立がある。 (イスラム原論 小室直樹 集英社 P235)


f)厳しい弾圧 
●粗末に改宗させられたゲルマン人 流血の惨をみる強制によってキリスト教徒に改宗させられた事実が忘れられてはなるまい。これらの民族はみな「粗末に改宗させられた」のであり、キリスト教という薄いうわべ飾りの下で、彼らは野蛮な多神教に忠誠を誓っていた彼らの先祖と何ら変わらないままであった。(モーセと一神教 フロイト著 ちくま学芸文庫 P156)


・生き残る神々 
農村の深部では依然として古来の異教崇拝が深く根を下ろしていた。 (世界の歴史5 ローマ帝国とキリスト教 弓削達 河出書房新社 P80)


・強制的な改宗としての洗礼儀式 
693年にイングランドのウェセックス王国で成立した「イネ法典」は、新生児に30日以内に洗礼を受けさせなかった両親から、全財産を没収するという厳しい定めを設けている。 (世界の歴史5 ローマ帝国とキリスト教 弓削達 河出書房新社 P82)


3)キリスト教

a)厳しすぎる一神教への反動 
●動かない神への疑問 
神が久しく動かないことは、人間にとって耐えきれない現実である。契約の神を神とすることは、動かない神を正当だとすることなので、人間にとっては神がいないのと同然ではないだろうか。 (一神教の誕生 加藤隆著 講談社現代新書  P144)


●ユダヤはシリア属州の1部 
紀元前63年になると、ユダヤはシリア属州の1部となった。 紀元前37年、ヘロデは正式に王位に就いた。彼はアラブ系の人物であり、ユダヤ人の目から見れば、成り上がりの外国人にすぎなかった。ヘロデを指示したのはサドカイ派である。 もう一つは、救世主が近い将来に来臨するという期待がますます高まったことで、これはやがてローマの支配からの解放と同一視され、ヘロデの死後には反ローマの独立運動とも結び付いた。キリストが現れたのは、この潮流の中からであった。(世界の歴史 4 オリエント世界の発展 小川英雄・山本由美子 中央公論社 P252)


●十字架の死は、全人類を救う贖罪の行為(新世界史B 山川 P49)


・三位一体は多神教 
三位一体は、父と子と精霊から構成されている。ということは、この教義は、神が一つであることを強調しているのではなく、むしろ神が複数存在することを示しているのではないか。ならば、キリスト教とは、じつは多神教ではないのか。(日本人の神はどこにいるか 島田裕己著 ちくま新書 P51)


・聖母マリアの危険性 
聖母マリアへの信仰は、じつは、一神教としてのキリスト教を否定しかねないものをもっている。 (日本人の神はどこにいるか 島田裕己著 ちくま新書 P107)


・聖母マリアへの信仰は、キリスト教の外の世界からは、キリスト教が多神教である証拠とみなされれる。 (日本人の神はどこにいるか 島田裕己著 ちくま新書 P110)

 


 

【4】インド

1) 多神教との共存 
●インドには墓がない 
インド人は生と死のすべてを自然の大きなめぐりと観じ、霊魂は肉体の死後も生きつづけ、天界の楽土に赴き、祖霊たちと再開したのち、やがて再びこの世に生まれかわるのだ。そして自分は、少なくとも今生で、あれこれ善い行いをしてきたのだから、来世はきっと現世より幸多く生まれるに違いない、そうした期待と信念を胸に抱いているのである。したがって、魂のぬけた亡骸に彼らは何の未練ももたない。死体は空の器にすぎないのであり、蛇の抜け殻のように不要である。こうして周知のように、ヒンドゥー教徒は墓をつくらず、死者は荼毘に付し、遺骨は砕いて灰とともに天国に通ずる聖なる川に流すのである。(ヒンドゥー教 森本達雄 中公新書 P15)


(インド人には)祖霊に対する供養という感情は存しない。(比較文明社会論 シュー著 培風館 P40)


●バラモン教のブラフマン 
・「ウパニシャッド」では、宇宙の根本原理(ブラフマン)と自己(アートマン)を合一すれば、輪廻からときはなたれ解脱することができると説かれた。(教科書 世界史B 東京書籍・実教出版)


・宇宙の中心生命であるブラフマン(梵)と個人の中心生命であるアートマン(我)との究極的一致を説く。(梵我一如)(チャート世界史 数研)


・ブラフマンとアートマンはその深き意味においては非人格的なる創造原理である。 (風土 和辻哲郎 岩波文庫 P39)


・ヒンドゥー哲学は属性が存在する基体、すなわちブラフマンは存在するという。しかし、この基体としてのブラフマンは決してキリスト教的な創造主ではない。キリスト教の場合は、神が世界そのものとなることはない。ヒンドゥー教あるいはバラモン正統派の場合には、ブラフマンはそこから世界が展開し、顕現する根本物質となる。しばしば、それが世界そのものになるのである。(空の思想 立川武蔵 講談社学術文庫 P42)


・サンスクリットでは、この究極実在としてのブラフマンとヒンドゥー教の創造神ブラフマー(梵天)は同じ語だが、前者は中性名詞で主格形もブラフマンであるのに対し、後者は男性名詞のため主格形はブラフマーとなる。またブラフマンの力をつかさどる祭官のことをブラーフマナ(バラモン)という。(エンカルタ百科事典)


●阿修羅のルーツ 
アッシリア王アッシュルバニパル(前700頃)の書庫の『アッサラ・マザス』 ゾロアスター教の『アフラ・マズダ』、インドの『アスラ』(世界の歴史6 古代インド 河出書房 P64)


・アフラ・マズダの姿は、ゾロアスターが考えたものよりも、インド最古の聖典ベーダに登場するバルナ(ときにアスラとよばれる)に似ている。(エンカルタ百科事典)


2)日本の神観念 
●日本に究極の神はいない 日本の神話には、絶対的な究極の神は登場しない。確かに神とは人間一般の通常の尺度を超えた能力を備えた存在であるが、しかしそれらはいずれも、全知全能の絶対的に超越した神としてはえがかれていない。例えば、『古事記』では、イザナギノミコト、イザナミノミコトの二神は、最初にこの国や神々を生んだ神であるが、この二神も自らの意志でそうしたのではなく、より上位の『上つ神』の命令で生んだのである。さらに、その『上つ神』もいったん事のおこるや、占いなどでより上位の神々の意志を問うたり、他の神々と相談したりしてものごとを決定しているのである。このことは、日本神話ではもっとも尊いとされている天照大神の場合も例外ではない。天照大神は、太陽を神格化した最高神として祭られる神でありながら、この神もまた、他の何ものかの神を祭る司祭者のような性格を帯びており、世界を専制的に支配する神としてはえがかれていない。 このように、日本の神話には、キリスト教などで説くような唯一絶対の究極の神は登場しないのであり、いかに尊い神であろうと、常にその背後に何らかの神(のようなもの)が想定されている。つまりそこには、この世界や宇宙の究極を特定するような発想を見いだすことはできないのである。(教科書 倫理 東京書籍 P73)


●仏像 (日本では)仏教伝来後に、仏像の影響を受けて、神像が刻まれた。(教科書 倫理 清水書院 P69)

 


 

【5】中国

1)儒教の「孝」 
●親に対する「孝」といった家族道徳を社会秩序の基本におく(詳説世界史B 山川 P66)


●祖先の魂を呼び戻す行為の主催者は子孫 中国人は、生きて在る親に対してだけではなくて、死せる親に対してつくすことをも孝としたのである。すなわち具体的には、親の命日に、親の魂を霊界から呼び戻す行為を行う。いわゆる招魂儀礼である。これを職業的に行っていたのが、原儒というシャーマン集団であり、孔子の母は、この集団の出身であると考えられる。そうなると、このように祖先の魂を呼び戻す行為の主催者が必要となる。誰がそれを担当するのかといえば、子孫以外にしてくれる者はいない。(「論語」を読む 加地伸行 講談社現代新書 p77)


●子孫の存在・シャーマンの存在 招魂を行うためには、二つの条件が必要である。まず第一は、死者の招魂儀礼を行おうとする遺族、子孫が存在する必要がある。第二には、その魂降ろしをする主祭者(シャーマン)が必要である。・・・・そしてこの招魂儀礼をきちんと行うことを、(中国人は)孝の中に含めたのである。父母亡き後も、祭祀する事を賢明に行うことは、実は自分の死後の霊魂に対するあり方のモデルなのである。自分が死せる父母を祭祀して亡き父母がこのなつかしい現世に再び帰ってくることができるようにそのように、自分の死後、子孫が自分に対して招魂してくれれば、再び自分もこのなつかしい現世に帰ってくることができることを期待するのである。 父母の招魂も、あるいはその鎮魂も、ともに実は、自分の死にたいする恐怖や不安を解消する方法なのである。 (「論語」を読む 加地伸行 講談社現代新書 p116)


2) 天皇家の血筋の尊重 
●シャマンとしての卑弥呼 
其の国、本亦男子を以って王となし、住まること七、八十年。倭国乱れ、相功伐すること歴年、乃ち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼といふ。鬼道に事え、能く衆を惑はす。年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて国を治む。・・・・卑弥呼以て死す。・・・・更に男王を立てしも、国中服せず。更々相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となし、国中遂に定まる。(魏志倭人伝)


・卑弥呼には、霊的存在と直接交流する巫女(シャマン)の性格がうかがえる。霊をよびよせるという宗教者を中心とする呪術的・宗教的民族は、シャマニズムとよばれ、シベリアや朝鮮などひろく世界各地に認められるが、こうした原初的民族が邪馬台国にも見られたといえる。(教科書 倫理 実教出版 P51)


・血のつながり 
「其の国、本亦男子を以って王となし、住まること七、八十年」 男性が王位を継承する社会で、その王の地位が不安定な時代に、巫女が王として擁立されたわけである。 たとえ男性が王であっても、神託をおろす巫女の存在が必要であった。 ヒミコには男弟がおり、女王をたすけて国を治めるという。本来は王が聞くべき託宣を、巫女が王になって、王に代わって弟がこれを聞き、政治の実務を行っているのである。したがってこの男性が事実上は王の立場にあったと見ることができる。(日本民族文化大系4 小学館 P136)


3)中国の宗族 
●殷と周の血統 殷の武丁はまた、祖先の祀りをとても大切にしていた。 (世界の歴史3 中国のあけぼの 貝塚茂樹 河出書房新社 P90)


4)中国の封建制 ●周の封建制 周の政治組織は「封建」とよばれるが、中世ヨーロッパのフューダリズムや日本の封建制度と違って、氏族制の秩序が強くもりこまれていた。(新世界史B  山川 P69)


・周の場合は、王室と同族の諸侯とは本家と分家の関係であり、氏族制度の名残である血族的な団結力によって結ばれていたのである。(世界の歴史3 中国のあけぼの 貝塚茂樹 河出書房新社 P130)


5)天の思想 
●血統を補強する天の思想 戦国時代には、伝統的血統を誇った一族にかわって、成り上がり者が台頭し、王を称するに至った。追王は、従来血統誇る頂点であった。ところが、彼ら成り上がり者は血統を誇ることができない。このいかんともしがたい弱みを抱えつつ、当時の政権を支える世論を納得させるには、「正統とは何か」について、新たな理論を用意する必要に迫られたのであった。彼らは、自らに王たるの徳が備わっている、ということを示すことで、王としての正統化をはたそうとした。 (世界の歴史 2 中華文明の誕生 尾形勇・平勢隆郎 中央公論社 P28)


 

 

【6】日本

1)神との血のつながり 
●西洋の『God』 
西洋の『God』は、日本語で『神』と翻訳されている。しかし、その内容まで同一と思いこむと、異文化についての理解がすれ違い、文化の相互理解のさまたげになる。(教科書 倫理 山川出版 P69)


●皇祖神 
イスラエルの神はユダヤ人との血のつながりがない。信者との血のつながりの否定というところにユダヤ教の独自性がある。天照大神は神々の一番トップにいるが、だからといって一神教の神へと転化していかない。人間との血のつながりの幻想をあくまで残す。(一神教VS多神教 岸田秀 新書館 P78)


●神々の編入 
神話を合理化する際に、例えば日本では、日本書紀のように、大和朝廷による統一を正当化するために、異部族の神々を、血統的な関係に組み入れている。これに対して中国では、各部族の祖神を、古代統一帝国の帝王の臣下の関係に組み入れているのである。(世界の歴史3 中国のあけぼの 貝塚茂樹 河出書房新社 P45)


●先祖の話 
柳田国男は、日本人の死生観について考察し、『霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へはいってしまわないという信仰』が古代からあり、これが仏教などの外来宗教と非常に異なる点だと述べた。(『先祖の話』) (教科書 倫理 実教出版 P51)


2)死のケガレ 
●ケガレVSハラエ 
そもそも死は日本人にとって扱いの困難な対象であった。死は最大のケガレであり、ケガレとはまがまがしい非日常性の侵入にほかならない。アラタマ(荒魂)の跳梁に対して、ミソギやハラエだけではあまりに弱すぎる。そんな時、仏教は新たに強力な呪力をもって現れた。 葬式仏教がどれほど、仏教の本旨からはずれていても、それだけの必然性があって発展してきたものであれば、将来的にも決して簡単にはなくならないであろう。(日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 P288)


●死はケガレ 
不幸な死をとげた人の霊魂が、その祟りとして、疫病の流行や火災・落雷などの変災をもたらすと考え、その霊魂、すなわち怨霊を鎮めるための祭祀を行うようになったのも、平安時代に入ってからのことであった。・・・・一面からすれば、仏教の普及により、死者の霊魂の存在が信じられるようになったことと関係があろう。・・・・その最初は、863年に、平安宮の東南にある神泉苑で行われた御霊会であり、読経とともに、歌舞や相撲などが催されたという。 (日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P71)


・孤独死の恐怖 
人の死のうち孤独な死は最も忌まれた。周囲に見取るものがなくて死んでいくことは死者自体も最もさびしいことであったが、そういう死者の魂は多くの場合、人に災いをもたらすものであると考えられた。それは仏教渡来以前から日本人の中にあった民族的な感情であった。行路病者の死を村人が極度に嫌った話が日本書紀に見えている。 日本で仏教者が尊ばれるようになったのは、この死の処理にあたることになったからである。 しかも、生死の問題を人間個人の問題として最も真剣に考えたのが、念仏行者たちであった。 (村のなりたち 宮本常一 未来社 P189)


・御霊会は、はじめ早良親王ら政治的敗者をなぐさめる行事として、9世紀半ばにはじまったが、やがて疫病の流行を防ぐ祭礼となった。北野神社や祇園社(八坂神社)の祭りなどは、元来は御霊信仰から生まれたものである。 (教科書 日本史B 山川出版 P66)


3)アニミズム 
●アニミズムと仏教 日本仏教はそもそもの始まりから如来蔵思想を重視してきた。このような日本仏教の方向性を定めたのは聖徳太子である。仏教伝来機の最重要人物たる聖徳太子に如来蔵思想を選び取らせたものに、日本古来の霊崇拝があったであろう。山や川、樹木や人に霊が宿るというアニミスティックな考え方は、衆生の一人一人に仏性が宿るという考え方と軌を一にしている。インド仏教において、「一切の衆生に悉く仏性有り」(「一切衆生、悉有仏性」・・・・涅槃経)というときの衆生は人間であった。しかし、日本では衆生の中に生命あるものすべて、さらには山川草木をも含めてしまった。樹や石も仏性を備えており、やがて成仏するという日本仏教の考え方は、自然のものの一つ一つに霊が宿るという神道の考え方と合流して、神仏習合の理念的基礎となった。(日本仏教の思想 立川武蔵 講談社現代新書 P32)


・宮崎駿監督のアニメには、原生林をつかさどるシシ神(「もののけ姫」)など、アニミズム的な色彩がしばしば見られる。(教科書 倫理 実教出版 P51)


●三斎市の例  
中世の地方市場は、毎日市が立てられていたのではなく、三斎市・六斎市というように、ある決まった日に市が立てられました。この日は、三斎・六斎という斎日でありまして、この日には、天界から四天王またはその使者が下界に降りてくる日とされていた。中世以前においては、物は単なる物として存在していたのではなく、その所有者の魂を含みこんだものとして存在しておりました。ですから、このような物の交換は、交換者相互を物を媒介として規定すると信じられていたのであり、この物を媒介にした関係を絶つためには、神に捧げ、神の物(誰のものでもない)にする必要があったわけであり、そのような機能を持つ市で交換が行われたのであります。 (日本中世史像の再検討 勝俣鎮夫 P156 )


4)鎮魂 
●仏教の縁起 
仏教思想の大きな特徴は、縁起にあるといわれる。縁起というのはあらゆる現象世界の事物は種々の原因や条件がより集まって成立しているということで、それゆえにこそ一切万物は変転きわまりない。これが無常と言われることである。このように万物が変化し、縁起によって成立しているということは裏からいえば、他によらずして自存し、永遠に存在するようなものは何もないということである。他によらずして自存し、永遠に存在するものは哲学の用語で実体と呼ばれる。したがって縁起の原理は実体が存在しない、無実体であるということにほかならない。またインド哲学の用語では、このような実体はアートマン(我)と言われるので、縁起の原理はまたアートマン否定ということになり、これはアナートマン(無我)の原理ともいわれる。大乗仏教で主張される空も基本的には同じ原理をいっているものである。(日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 P175)


5)密教 
●空 
原始仏教以来の根本原理の1つに無我の原理がある。一切の存在は自我のような固定的な実体を持たないというものである。言いかえれば、因果性を離れた永遠の存在はあり得ないということである。この原理が大乗仏教では空とよばれ、もはや最も中心の原理とされる。ところが、密教の絶対者大日如来は永遠の宇宙的実体であり、それまでの仏教の仏が究極的には風に帰するのと根本的に異なっている。瞑想の中で自我がこの宇宙的な大日如来と一体化することにより、自我も絶対性を獲得できるというのである。そこにはウパニシャッドに見られる、ブラフマン(宇宙原理)とアートマン(自我の原理)の一致の理論との近似性もうかがえる。空海によるこのような密教の理論化は後で見ることとして、ともかくも従来の仏教の無我・空のもつ現世否定性が消えて、密教においては顕著な現実肯定性が支配するようになっている。(日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 P109)


●山川草木がすべて実相であり、成仏するという本覚思想と、すべてのものが念仏によって救われるという専修念仏とは、理論的には軌を一にしている。(日本仏教の思想 立川武蔵 講談社 現代新書 P127)


●一切衆生、悉有仏性 
すべての衆生に悟りの可能性があるという考え方は、如来蔵思想・仏性思想などとよばれ、インドの中期の大乗仏教において主張されるようになってきたものである。(日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 P158)


●最長と空海の共通点 
最澄によれば、すべての人は成仏する可能性をもち、さらにこの身体のまま仏になることができ、諸法は実相である。このような考え方は法相・三論等の古典的仏教の教学とは相反するものであった。最澄と空海という二人の巨人が行ったことは奇妙なほどに似かよっている。この二人が現れるまでは、仏教僧たちは自分自身という実験場において、仏教という異国の思想を自信をもって開いてみせることができなかった。つまり、この二人によってはじめて仏教が日本で咀嚼されたのである。この共通点にくらべるならば、二人の相違点は取るに足らない。平安仏教を通じての特色としては、神道との習合があげられる。(日本仏教の思想 立川武蔵 講談社現代新書 P92)


・人はすでに救われている 
親鸞の願力回向の説とは、人はすでに仏によって救われており、ただその事実を知ればよい、とするものであるから、天台本覚思想と共通した立場である。(日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P98)


・古代から中世への継承 
古代における人間の慈愛の尊重は、鎌倉幕府の時代に、力強い鎌倉仏教の勃興において、慈悲の道徳として現れた。 (風土 和辻哲郎 岩波文庫 P184)


6)浄土教 
●死者供養 
・阿弥陀仏による死者成仏 法然の念仏は、それまでの念仏とは異なり、死者の鎮魂慰霊の呪文ではなく、阿弥陀仏の救済原理を明らかにして、生きている人間の救済を対象とした。しかし次第に、広大な阿弥陀仏の慈悲にすがって、死者の成仏も願うという風潮が生まれるようになった。葬式仏教では教義に対する各人の決断よりは、死者への思いやりが、重要だと考えられたのである。(日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P54)


7)村の守護神 
●鎮守の社 
民間の神社の成立は、それぞれの村や町が、共同体としての性格をもつ地域集団となったことを示している。 (日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P121)


●宮座 宮座の特色は祭りの日に村の者がお宮の拝殿に集合して祭典を行い、それぞれ座席を決めて神酒をいただき、食事をともにして帰ってくることにある。(村のなりたち 宮本常一 未来社 P148)


・近世の村は異姓集団 郷や保からの分村には特別に勢力のある家は少なく、そういう村が名田の周囲に分散し、数からいえば名田よりもずっと多かったと見られる。つまり近世の村は天正・慶長の検地によって突然現れるのではなく、古い郷や保の外側に出作・開墾によって無数に増えていき、しかもそれが異姓集団であることを一般としていた。 (村のなりたち 宮本常一 未来社 P115)


8)葬式仏教 
●祖先供養 
人は言う。先祖供養や墓は、江戸時代の寺請制度や家父長制による家制度から来たものであり、封建制の名残であると。愚かな解釈である。寺請制度や家制度があって、先祖供養や墓が生まれたのではない。先祖供養や墓への本質的要求は、江戸時代よりもはるか以前の昔からずっとあったのである。(沈黙の宗教 加地伸行 筑摩書房 P72)


●永続性を目指そうとする組織 
12世紀を画期とする古代から中世への移行は、「氏」の時代から「家」の時代への移行として理解することができる。・・・・家の形成が始まった12世紀のころから、いわば家の原理にもとづく新しい文化の発展があったことに注目しなければならない。家の原理とは何か。・・・・家は、それを構成する人々が、血縁の有無にかかわらず、相互に信頼し、その家業のために必要な役割を、それぞれが分担して遂行することにより、永続性を目指そうとする組織であった。 (日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P89)


・庶民の家の形成 
武士だけが家名をもったということは、庶民社会にはまだ家が成立していなかったため、とみられることもあるが、それは誤りであって、百姓や町人の社会には、家号(屋号)があって、それで家名を表示していた。・・・・庶民のあいだで家が形成されたのは、14、15世紀ごろ以降であった。(日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P144)


●死霊の鎮め 
死者のケガレをはらううえで、また横死者の祟る霊を鎮める上で、仏教が絶大な力を発揮すると信じられていたことが、後の葬式仏教の基盤となったといえる。(日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P54)


●鎮魂から家意識へ 
村々において、家という意識が明瞭となり、人は死んでも、家の一員として祭られ続けるという信念が姿を見せてはじめて、葬式仏教成立の条件が整うことになる。家は家族とは全く異なる社会制度である。家族は自然発生的な集団であるが、家はあくまでも特定の歴史的条件の下で成立する制度なのであり、14世紀から16世紀にかけて成立したといわれる。こうした家意識の発生を待って、あるいはそれと不可分の関係において、いわゆる寺請檀家制度というものが登場する。この制度こそが、葬式仏教を完成、定着させることになった。 (日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P56)


・民間寺院の8割が鎖国前に成立 
民間寺院の80%が、鎖国直後の1643年までに成立している。この事実からすれば、檀家制度や本末制度は、権力による人為的なものではなく、それ自体としては自然発生的に成立し、江戸幕府はただ、それを政治的に利用しただけであったとみるのが妥当であろう。(日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P129)


●四十九日の法要 
業の思想は輪廻と結び付いている。今日でもこの思想を採用したが、部派仏教以来、通常人が死んで四十九日を経て新たな生命を受けると考えられている。この期間が中陰と呼ばれる。四十九日の間、特に追善の法要が盛んに行われるのも、この時期に善行を廻向(えこう、善行をある目的のために振り向けること)してよい来世の生存を得させようという目的である。しかし、それならば中陰の時期を過ぎてしまえば、もはや、追善廻向は意味を持たないのではないか。この点、どうもすっきりした理論的な回答は難しそうである。(日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 P282)


●強制力が失われてもなお持続する葬式仏教 
葬式仏教を固定化させた寺請制度にしても、一面では日本人の宗教感覚に合致するところがあり、それゆえにこそ、それが日本の社会に定着し、強制力が失われた近代になってもなお持続することが可能であったと考えられる。 (日本仏教史 末木文美士 新潮文庫 P242)


9)仏教と儒教の併存 
●輪廻転生と招魂再生 
私は、日本の家庭において仏壇の持つ意味は重要であると思っている。輪廻転生と招魂再生の矛盾を問う必要はない。・・・・ただし、輪廻転生のインド仏教と招魂再生の儒教との併立、併存であることは、知的に理解しておくべきである。(沈黙の宗教・加地伸行・P82)


・自然宗教の祖先崇拝や霊魂観をそっくり認めたうえで、仏教的色彩を施したのが葬式仏教にほかならない。葬式仏教とは、自然宗教に仏教の衣を着せたものなのだ。(日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P66)


●葬式仏教の形において天台本覚論が現実化 死ねば仏式の葬式をしてもらえて、必ず仏の世界へ行くことができるのであれば、個人としてこれほど安心なことはない。その安心感に支えられて、現実の社会生活は充実したものとなるであろう。それが日本の葬式仏教のもつ本来の意味であり、そのような形において天台本覚論が現実のものになったといえよう。 (日本文化の歴史 尾藤正英 岩波新書 P130)


●「我を捨てる」 
宗教家が悟りを求めるとき、哲学者が思索の壁に突き当たったとき、武道の達人がその奥義を求めているとき、芸道の達人がその芸を極めるとき、彼らが故郷のごとく立ち帰っていく境地は、「自己を捨てる」ことである。 デカルトのあの有名な「我思う故に我あり」という言葉といかに大きな隔たりがあることか。 剣法の道においても理想とするところは一つであった。それは「大きなる所」「空」すなわち「大我」の世界であった。 (敬語日本人論 荒木博之 PHP P98)


●慈悲の貫徹 
仏教が葬式仏教という形でしか浸透できなかったということは、表面的には仏教側の敗北のように見えても、実は、仏教の理想である慈悲行が貫徹されたといってもよいのではないか。 民衆の側も、自分たちの自然宗教の足らないところを補うものが、仏教、特にその儀礼にあると考えたからこそ仏教儀礼を受け入れたのである。(日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P67)


 

 

【7】終わりに

1)日本の無宗教性 
●創唱宗教 
宗教が怖いという場合の宗教は、ほとんどが自然宗教というよりも、創唱宗教に属する。 特定の教祖や教義、教団が怖いのである。(日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P26)


・自然宗教と創唱宗教 
こうした創唱宗教への恐怖心や警戒感は、ある意味では正常な反応だといえる。 なぜなら、創唱宗教の本質は、日常普通の生活とは異なる考え方に立脚点があるからだ。 (日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P26)


・自然宗教 
日本人の無宗教は、創唱宗教の否定ではなく、むしろ自然宗教の信奉を意味する。 (日本人はなぜ無宗教なのか 阿満利麿 ちくま新書 P12)

 


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