1)多神教との共存
 今までヨーロッパ世界の話をしてきましたが、これから話すインド世界も、半分はヨーロッパ世界です。インド人の大半はヨーロッパ人と同じインド=ヨーロッパ語族に属するからです。 インド=ヨーロッパ語族の分布は、ヨーロッパからインドまで広大な地域に長く帯状に広がっています。 ヨーロッパを南北に分けると、北ヨーロッパ側が主にプロテスタント、南ヨーロッパが主にカトリックになりますが、 カトリック教徒が主に南米に移住し、プロテスタント教徒が主に北米に移住した結果、現在のようにインド=ヨーロッパ語族が新大陸にも広がり、現在のようなインド=ヨーロッパ語族中心の国際社会ができあがるのです。

 インド=ヨーロッパ語族のもともとの原住地はカスピ海沿岸地方だと言われます。そこから南下して、インドへの侵入が開始されるのが紀元前1500年ごろです。彼らはインド・アーリア民族といわれます。アーリアというのは「高貴な」という意味の民族の自称です。 その別派で西の方に移動した人々は、イランに定着し、イラン・アーリア民族を形成します。 それはギリシャの暗黒時代以前のことで、彼らの宗教にはインド=ヨーロッパ語族の古い神々の姿をかいま見ることができます。

 彼らがインド西北部のカイバル峠を越えてインド北部へ侵入したとき、そこにはすでに先住民が住んでいました。彼ら先住民は、インド・アーリア民族の侵入と征服から逃れるため、インドの南部へ押し出されることになります。

 現在インドの言語分布図は多様でさまざまな言語が使用されていますが、南部は主にインドの先住民族であったドラヴィダ語族になります。 ちなみにこのドラヴィダ語というのは日本語と多くの基本的な語彙を共有する言葉として、日本語の起源を考える上で注目を集めています。

 その後インド人は地域的にも階層的にも住み分けを行うようになり、それが現在のカースト制度(ヴァルナ制度)に結び付いています。 現在でもインド人は南から北に行くにしたがって、肌の色が白くなっていきます。それは先住民が南に押し出され、北にはインド=ヨーロッパ系の住民が多くなるからです。

 インド人の宗教観の大きな特徴は、先祖を祭る墓がないということです。 それは、インド人は死ねば再びこの世に生まれかわると信じていますから(これが輪廻の思想ですが)、人が死んだ後の死体は空の器にすぎないのです。この点、生命の復活を願ってそのためにミイラを作ったエジプト人とは大きく違います。 インド人は死体は火葬にして、これを荼毘(だび)に付すといっていますが、その後は聖なる川(ガンジス川など)に流して、それでおしまいです。 死後の肉体には執着しません。輪廻の世界をめぐる「精神」こそが重要であり、それだけで十分なのです。肉体は仮の宿にすぎません。インド人は目に見えるものをそれだけでは実体として信用しません。目に見えないところに本当のものが隠されていると考えています。 ですから遺骨に執着しないインド人には、日本人のような祖先供養の感覚はありません。 ということは日本や東アジアに特徴的な祖先供養は、仏教からは説明できないことになります。

 インド人が理想とする死後の世界とはどういうものでしょうか。それは輪廻の果てに宇宙の根本原理であるブラフマン)と、自己の実体であるアートマン)が合体し融合することにあります。 漢字でいえばこれを「梵我一如」(ぼんがいちにょ)といいます。 そのことが輪廻から解き放たれた「悟り」の状態であって、また「解脱」とも言われます。 このような観念はアーリア人の宗教であったバラモン教思想が仏教思想にはいりこんだ結果、その仏教を通じて日本にはいってきたものです。

 現在日本にある多くの神様でその起源をインドに持つものが多くあります。 さっき触れたブラフマンは日本では梵天といわれます。平安初期の密教文化にあらわれます。 次にインド最大の戦争神とあがめられるインドラという神様がありますが、これは日本では帝釈天となっています。この帝釈天が祭られているお寺で有名なのが東京葛飾柴又の帝釈天です。つまり映画「男はつらいよ」の寅さんの舞台です。(若い人は知らないかもしれませんが)

 また死の世界を支配するヤマという神がありますが、このヤマがヤンマになり日本でエンマ(閻魔)大王になっていきます。悪いことをすると舌を抜かれるという、あのエンマ大王です。 さらに水の神のクンビーラ神は、コンビーラ神となり、コンピラ(金比羅)神香川県)となります。 また呪術的な力を持つといわれるアスラ神ですが、これは日本では奈良時代の興福寺の仏像で有名な阿修羅像、三面六臂の像となります。

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                 奈良興福寺の阿修羅像

 このようにインドは多神教の世界ですが、そこは全くの多神教ではなく、ブラフマンに代表されるような、和辻哲郎の言葉を借りれば「非人格的なる創造原理」である一神教的要素を持っています。 その神の観念は日本と同じく、ぼんやりと曖昧模糊としていて、人間を超えたところにある何か、とらえどころのないものとして観念されています そのような神様はキリスト教の神のような人格神とはなりえないものです。 このことは神を人間の姿として描けるかどうかという、非常に根深い問題と関係しています。

 このような神観念が仏教になると、仏教の「」、つまり色即是空・空即是色の空、実体としては何ものも存在しない、あるのは関係性のみである、そういう「空」の観念にもなっていきます。 インド人の最大の発見は「ゼロの発見」だといわれますが、このことも「空」の観念と関係があると思われます。 この漠然としたブラフマンのような神の観念は、神と人との血のつながりのない点ではより徹底したものであって、そこにも仏教が世界宗教となりえた要素があると思います。

 こういう漠然とした神の観念は実は日本にもあって、日本の神話には、具体的で究極的な神は登場しません。 日本の国を生んだというイザナギ・イザナミの神についてもそうで、この二柱の神は自分の意志で日本の国を生んだのではなく、より上位の神の命令で国を生んでいくのです。 ではその上位の神が絶対的な神かというと、彼らはさらに占いなどをして、より上位の神々の意志を占ったりしています。 日本の最高神であるとされている天照大神にしても、この神は神を祀る神のような性格を持っていて、世界を専制的に支配するような神ではありません。 つまり日本ではいかに尊い神であろうと、その背後に何らかの神、または神のようなものが想定されているといえます。
 
2)日本の神観念
 このような神観念は中世から近代に至るまで和歌にも詠まれていて、例えば平安末期の僧西行はこういう歌を詠んでいます。 「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに なみだこぼるる」 また明治になると石川啄木は、 「目になれし 山にはあれど 秋来れば 神や住まむと かしこみて見る」 と歌を詠んでいます。 日本の神社というのは、何が祭られているのかよくわからないのであって、そのよくわからないところが、いいところだともいえます。 このような神は偶像化できない超越的な神の感覚であり、日本人に広く共有されるものです。日本人は神社にお参りするとき、祭神が誰であるか意識しません。

 ついでに言えば、モーセの十戒の第2条に、 「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない」とありますが、 こういうことからすると一神教にも本来偶像はありません。 それは超越的なものは具体化できないからです。

 しかし、キリスト教はキリスト像やマリア像のような偶像を利用して布教してきた歴史があります。 このことは、古代ギリシア社会から行われてきた、神を人間の姿として描く伝統と関連していると思います。 このことを考えるとなぜギリシア人が神の姿を人間の姿として描いたのか不思議な気がします。ギリシア人もアーリア人も同じインド=ヨーロッパ語族に属しながら、なぜこうも神観念が違うのか疑問はつきません。 ギリシア人は神は人間の最高の姿をしていると考えていました。神の姿を最高の人間として描きました。だから神の姿が芸術になりえたのです。しかし宗教はそういう考えだけではありません。 インド社会は本来は神を人間の姿として描かないのです。このインド社会もギリシア文化の影響を受けるまでは神を偶像として描きません。

 インド社会が仏の姿を偶像として刻むきっかけがインドの北西、バクトリア地方で発生したガンダーラ美術でした。 インドがギリシャ文化の影響を受けるようになるのは、紀元前4世紀のアレクサンダー帝国の領土拡大です。この帝国はインド西部のインダス川流域まで勢力を伸ばします。アレキサンダーはギリシア人で、この帝国の支配者もギリシア系の人たちです。つまりアレキサンダーによってギリシア文化がインドのすぐ隣にまでもちこまれました。 この大帝国が短期間で滅んだ後、次にインドの周辺に成立するのがセレウコス朝シリアです。これもギリシア系の国家であって、それを受け継ぐのが同じギリシア系国家のバクトリア王国になります。 さらにそれがインドの王朝であるクシャーナ朝へと受け継がれて、そこでガンダーラ美術が栄えるのです。このクシャーナ朝はイラン系国家ですが、文化の中心はギリシア文化でした。

 このギリシア文化の影響を受けて初めて仏の姿が偶像(仏像)として刻まれていくようになります。 その仏教文化の影響ははるか東方の日本にまで及びます。その終着点が日本の天平文化の奈良の都であり、そこで日本に仏教文化が花開きます。しかしそれが庶民にまで浸透するには長い年月がかかります。

 宗教にとって偶像を作るか作らないかは大問題であって、このような聖像問題はのちのヨーロッパ社会にも波紋を投げかけます。キリスト教は聖像崇拝を行いますが、これは主にローマ教会のもとでのことであって、それと袂を分かつ東ローマ帝国のビザンツ教会は、逆に726年に聖像禁止令を出します。キリスト教会は偶像問題で対立し、ローマ教会と東ローマ帝国のビザンツ教会(今のトルコのイスタンブールにあった)の意見の違いが表面化します。結局、キリスト教会は偶像問題で決裂し、東西に分裂します。 偶像崇拝に関しては、東ローマ帝国は最終的には偶像崇拝を許容していきますが、それは 像は刻まず、かなり抑制のきいたものになります。イコンという絵によって偶像崇拝を許容するようになります。 ヨーロッパのキリスト教文化は一神教であり、原則として偶像崇拝を禁止しながらも、現実には偶像崇拝を許容してきた歴史を持ちます。そういう意味ではヨーロッパは宗教的矛盾を抱えています。

 神を刻むか刻まないかは、宗教的にはかなり大きなことであって、日本でも当初は神の像はありませんでした。 今でも奈良県の大神(おおみわ)神社には裏手の山そのものを御神体として崇め、本殿はありません。拝殿だけです。このような姿は日本の神道の原初的な形態を示すものです。

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                 三輪山と大鳥居

 また一神教の中でイスラム教は現在でも聖像を禁止しています。 こういうことを考えると、一神教は本来、聖像崇拝と相いれないものをもっているように思います。 それは超越神や絶対神は本来像になしえない性質をもっているからだと思われます。 イスラム教徒が巡礼の対象としているのはメッカのカーバ神殿ですが、そこには偶像はなく、その代わりに黒い石が御神体として神殿に埋め込まれているにすぎません。 単なる石が御神体である例は日本の地方の神社にも見られます。御神体として丸い鏡が置かれているだけという神社もあります。 これらは宗教の持つ高い抽象性を示すものです。 神様とはいったい何なのかという問題です。

 人類史的にはこの問題はネアンデルタール人には発生せず(埋葬の風習は発生していましたが)、ホモサピエンスとよばれる現世人類に特徴的な問題です。 これは人間の抽象的思考能力に関わる問題で、脳の前頭前野の発達と関係しています。 ネアンデルタール人と比べて現世人類の特徴は、違ったもの同士を同時に意識上に取り上げ、比較する能力が発達していることです。この違ったもの同士を同時に意識上に取り出し、相互に比較することが前頭前野の働きです。 宗教学者の中沢新一は現世人類に特有のこの脳の働きを「流動的知性」といっています。いわば違った概念同士が、前頭前野というメモリー上に並べられ、相互に互いを見比べ、何が同じで何が違うかを観察し、そこから意味を読みとっているのです。 比喩とは、いわば一つの概念を他の違った概念と比較し、その共通する部分を見いだしてそれに意味づけをして独自の表現する脳の機能です。

 パソコンでいえば、例えばウィンドウズという基本ソフト(OS)の上にワードとかエクセルとか一太郎というアプリケーションソフトが同時に起動できることに似てますが、一昔のパソコンはメモリー量が小さくて同時に複数のアプリケーションソフトを開くことはできませんでした。ネアンデルタール人の脳はその状態に似ていたと思われます。 しかし今でもパソコンには限界があり、一つの基本ソフト(OS)はその上に開かれたアプリケーションソフトを他のソフトと比較し、その類似点や相違点を自動的に認識し、そこから意味を読みとることはできません。しかし現世人類の前頭前野はまさにそこから共通する部分を見いだし、それを何かに例える働きをしているのです。

 ネアンデルタール人も言葉を使用していたといわれますが、現世人類の特徴は言葉に比喩表現が多用されることです。直喩だけではなくもっと抽象度の高い隠喩(いんゆ)や暗喩(あんゆ)という表現もあります。英語でいうメタファーです。 「君は楊貴妃のように美しい」というと直喩ですが、「君は女神だ」といえば隠喩(暗喩)になります。「時は金なり」も隠喩です。ここでは全く違ったものを同じものとして表現しています。女性は女神ではありませんし、時は金ではありません。それでいて意味がわかるのです。 男が愛の告白をしてキスをしようとしたとき、女性がうつむきながら「バカ」といえば、それはOKのサインです。黙ってキスをすればいいのです。恋愛には隠喩がより多く用いられます。神を何かに例えて表現することと、愛の告白の表現には似たものがあります。愛の表現は、心の機微に触れるさらに微妙なものになりますが、このように人間の言語能力は言葉の裏に隠された意味を読む力をもっています。言葉ではなく、心を読む「マインド・リーディング」という機能です。 優れた恋愛小説にはこのような隠喩がふんだんに盛り込まれています。そういう優れた恋愛小説の衰退と、神の衰退は関係しているかもしれません。 女性がささやいた「バカ」という言葉を聞いて、「何で俺がバカなのか」と本気で怒る男はいないでしょう。この感覚はストレート好きの今の若い人にもわかるのではないでしょうか。 パスカルは「人間は考える葦である」といいました。またアダム・スミスは経済活動を神の「見えざる手」という言葉で表現し、現在の経済学にとても大きな影響を与えました。(彼はこの言葉を一回しか使ってないのですが後世に与えた影響は絶大です)

 これは違った概念を同時に意識上で比較し、操作して、類似点を見いだす能力です。 この比較能力は世界構造そのものの類似点や、死後の世界の探究にまで及びます。 神の発生はそのようなところから始まります。 神を何に例えるかは民族によって違います。自然環境によっても違いますし、社会環境によっても変化します。例えようのないものは何ものにも例えないということもできます。 ただ一つ共通して言えることは、神の概念は全現世人類に共通して発生していることです。 その神概念は一つの民族が共有して持つ比喩概念なのです。 それを何に例えるかはそれぞれの民族にまかされています。

 「人生論ノート」を書いた三木清の言葉を借りれば、人間社会にはこのように不確実なものが確実なものの基礎にあります。 比喩という実体のないものがいかにして実在的でありえるかということが、人生において最も重要な根本問題です。