かつてのわたしの友人に、とあるアイドルのマニアがいました。
その友人の家に遊びにいった時、たまにそのアイドルの写真集やDVDを見せてもらったりしていて、よくわたしは「で、この写真集のどこで(*´Д`)ハァハァしてるの」とからかい半分で言ったものでした。
友人は別段怒るでもなくたんたんと「違うよ、そういうんじゃないんだよ」と答えていました。
正直、当時のわたしには理解不能で、写真集を買うほどの異性にリビドーを感じないというのは、返って不健康なことなんじゃないか、とさえ思いました。だってほら、男であれ女であれ、若い時分ってのはジューシーであることが本分なわけじゃないですか。違うかなぁ?
時は流れ、『
延示』を製作するにあたり、わたしは一大決心をかましました。それは「ヒロインの水葉唯は絶対にかわいい娘にしよう」というものです。それも街を歩いてて「あ、かわいい」とかいうレベルじゃなく、目の当たりにした瞬間に、心の琴線がかき鳴らされて、『じゅるり』といってしまうような娘。
しかし、この決心こそがこの映画の制作期間を長引かせた最大の要因となりました。そもそも「かわいい」と言ったって、こんな、なんの賞もとってないような、実質二人だけでやってるエタイの知れないインディーズ映画団体に、「あら、そうですか。ホナ出ましょか」と言ってくれる都合のいい「かわいい娘」なんて、そうそういる筈もありません。
案の定、断られ続けました。拒否され続けると、人間って意外な反応を示すものです。なんかもう、TVでもネットでも、可愛い女の子を見るのが心底嫌になってしまったんです。想像できますでしょうか?みる度に焦燥と自己嫌悪に苛まれて、「あーあー、そうさ、どうせ俺はちっぽけな人間さ」とヒネてしまうんです。ほとんどビョーキですよね、晋也監督。
そこでもうこれ以上制作期間を伸ばすことは出来ない、と自らに言い聞かせて、更なる一念発起。とにかく後のことは考えず全くの妥協を許さぬ完璧な「かわいい娘」というか、まさにわたしの思い描く「水葉唯」というイメージの女の子を、ネットで探すことにしました。
そこで目にしたのが
長谷川恵美さんの画像。
恐らくアマチュアカメラマンさんのHPで目にしたものだったと思います。そこには様々な角度からの彼女の写真がUPされており、わたしは恍惚としながら「ああ、この娘が水葉唯だったらとても幸せだなぁ」と思いました。
いや、思いましたじゃないよ、何ぼーっとしてんだ、ということでわたしはしかるべき場に連絡を取り、企画書と脚本を送りました。
結果は・・・・自分でもびっくり、OKでした。
OKをいただいたその時、「制作」としての自分は、もう役目を全うしたような気分になりました。「後はどうなろうと、俺の中でこの映画はすでに完成した」と。
それ程うれしかったし、思い入れもありました。と言うか、後のことなんて考えてませんでした。
その後、
RIFFILMのHPが一時的にものすごい勢いでヒット数を伸ばし、失礼な話かもしれませんが、その時改めて「アイドル・長谷川恵美」の持つ影響力やファンの多さに驚かされました。
また、すでに完成している一定の力に触れてしまったことで、物事が思わぬ方向へと変移してしまったような気にもなりました。
そういった事象の一方、わたしとコンちきはこの『延示』Bパートで表現したかったことを撮影現場に託すため、プリプロダクションを重ねました。それは「どう撮影したら可愛い女の子が可愛く映るか」ということであり、その娘が持つ魅力を少しももらすことなく、なおかつそこはかとなく表現するか、ということでもありました。
結果、Bパートはほとんどワンマン映画になってしまいましたが、出来不出来はどうあれ、これで良かったと思っています。
これがテーマだとは言えませんが、『延示』のBパートでは美少女が持つ「使命と免罪符」を表現したつもりです。それを、というか、そういった本人の意思とはかけ離れた「備わっている役目」を裏切った場合、どうなるかってのを極端に表現してみました。
人間ただ生きてても、それぞれが社会にどうより良く寄与できるか、なんてこと分かりっこないですよね。普通に生きてれば辛いことは数限りなくあるし、「運命」ってのは論理じゃ割り切れないほど残酷です。
そんな中で自分の本来の役目を探すっていうのは、人生のひとつのテーマだと思います。
クランクアップから数日後、長谷川さんの1stアルバム『
My Self』の特典DVDを撮影してほしい、という非常に有り難いご依頼がありました。
われわれはふたつ返事でお受けし、撮影に挑み、ここでまた改めてある確信をしました。
それは、美少女が、ただカメラの前で微笑むということがものすごい破壊力を秘めた表現である、ということです。
こういう意見って、すごく軽薄で安っぽい感じもしますが、例のアイドルマニアが言っていた「そういうんじゃない」というのは、つまるところこの微笑みの表現に帰結する部分が大いにあるのではないでしょうか。
彼は彼女のその微笑みに、淡い想いを喚起され、ただそれを見ることによってカタルシスを味わう。これがもし的を得ているなら、すごく良く分かります。
惚れた腫れたの部分以外で、性を語る猶予って、今の社会ではあまり見受けられませんが、人間って本気で異性に夢中になると、「恋(?)」の状態、つまり相手を偶像として捕らえてるだけの段階で満足する部分もある、とわたしは本気で思っています。ただ一緒に歩くだけで、もしくは触れるだけで満足、みたいな。
それに、「性的衝動を伴わない異性」にこれ程エネルギーを鼓舞させる「アイドル」って生き物はすごいな、と本気で思いました。
つまり彼女たちはある意味、ただ「カメラの前で微笑む」という行為で、使命を全うしている部分があると感じたのです。
水葉を演じてくれた長谷川さんは、『延示』におけるそういう部分をよく表現してくれました。
最後に、こんな小さな団体の映画に出演してくださったこと、大変感謝しています。
そして担当のTさん、『延示』の件といい、特典DVDの件といい、重ね重ね本当に有難うございました。
『My Self』発売によせて長谷川さん大特集でした。
超個人的な尺度でしか語れないので、やはり『延示』中心になってしまいましたが、これを読んだファンの方々が特典DVDを観て少しでも撮影側の思いと重ねて楽しんでいただけたら、と思います。
・・・・何で俺って真面目に文章書こうとすると「最終回」みたいになっちゃうかな。