ちくわブログ

ちくわの夜明け

思いをたぐる

2005-11-29 02:19:11 | Weblog
ベランダで、雑草飼ってます。
ガーデニング。

なんか、一部紅い。秋だからだろうか。病気だろうか。
それにしても雑草ってすごいですね。ほうっておいてもみるみる育ちます。たくましいよ。
でもたまに栄養剤とか、霧吹きで水とかあげています。こいつら、雑草としてはかなり幸せな部類に入ると思う。

名前はヨン太郎。「天高くモテますように」と、ぺ様から名前の一部をいただきました。

こいつの前世は月見草です。一般によく勘違いされている宵待草ではなく、「本当の月見草」こと、白い花の月見草です。
延示』の撮影用に、とネットで取り寄せたのですが、撮影後、役割を終えたかのようにしぼんで枯れてしまいました。除虫剤や栄養剤をいくらやってもダメでした。
死にゆく月見草を見て、いくらか切ない気持ちになってしまいました。こういう感情を知ると、「植物は生き物だ」と言っている人の心も分かるような気がします。

撮影するまではほとんど毎日、その可憐な花を開いて見せてくれていました。
月見草の花は、夕方開き、夜半にかけて色を薄く桃色に染めながら、朝、人知れずしぼんでゆきます。
順調にいくと、つぼみが絶えずみのり、それが次々と夜にむかって開き続けます。ホントに月を待ち続けるかのようです。

夜、暗くなってから、その美しさの絶頂を迎える月見草は、静かに、はんなりと咲き誇ります。
いちばん飼い主に観て欲しいであろうその姿。暗い中でひっそりと、小さく息衝くように開くその花を、いじらしくも、また、ゆかしくもはかなくも思ったものです。

月見草の花言葉は「自由な心」。
自由を求めて月を見上げるその姿は、「宵待草のやるせなさ・・・」と詠われたことも重なり、切ない心をたぐって待ち続ける恋慕の思いを孕んでいるかのようでした。

咲き続けている時は、それが終わりを迎えることなんて、考えてなかったけど・・・・。
まるで、もらわれてきて、環境の変化にとまどう子猫みたいに華奢な月見草でした。


植物も人間も同じで・・・・
生きるものは、死に際してまわりの人々にいろいろな思いを残してゆきます。
生き続けるものの役割は、そこから何かを汲みとって、それを紡いでやることだと思う。
そしてただ、生きていることに対して、謙虚になる。

よく言う「生きていることに感謝」というのは、こういうことだと思います。
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やってますやってます。

2005-11-27 01:36:02 | 映画 『延示』
例の『延示』ですが、やってます、ちゃんと。

進んでないように見えて地味に進んでます。
この地味っぷりでいけば、何とか年末には完成しそうです。田舎に帰れるかどうかは厳しいですが。
そういうことなんで、当初予定していた「年末上映会」は無理ぽいです。
すいません。年末にやるんなら、もう場所の確保とかいろいろ準備が必要ですもんね。今現在そんなことできるような状態じゃないし。出来て身内上映会ってところです。みなさん忙しいんで、かなり集まんないでしょうけど。

というより師走に一般上映会なんぞ催して、いったいどちら様が来るのか、という疑念が頭をもたげはじめ、なんとなく「やめようかしら」とは思っていました。

ごめんなさい、本当に。
待ってる人、いるのかあやしいけど、一応謝っときます。

さて、最近はMAも中盤にさしかかり、SE(効果音)入れを始めております。
それにあたって、あらためて劇中SEが欲しい箇所をチェックしながら、書き出しを行ってみました。
そして、その多さにあぜんとしました。


・・・・(おすしが食いたいな・・・)

何とか宙に舞い始めた「やる気」を戻し、とりあえずメインPCの中に入っている効果音集を全て聴き、使えそうなものをピックアップしていきました。

こういうことを数時間ずっとやっていたのですが、擬音のみを長く聞き続けると発狂しそうになりますね。
気付くと
ヤーー
むぼっく
とか意味不明なランゲージを叫んでいました。


みなさんも、擬音の聴きすぎにはくれぐれもご注意下さい。
足がむずむずしてきたら、やばいです。
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いい男は、鼻にパンチ食らったことがあります。

2005-11-25 01:51:18 | Weblog
鼻にパンチ食らったことありますか?
わたしはあります。

食らった瞬間、鼻がつーんとして重みのある激痛が顔面の中心を覆います。意識がそこに集中して、それ以外のことは考えられなくなります。
視床下部が壊れたんじゃないか、と思うほど。

鼻にパンチ食らうことなんて、普通の人の人生にはなかなか無いことなのかもしれません。わたしの友達でさえ「ケンカしたことない」って奴らはかなりいますので、若人にいたっては特に貴重な経験と言えるのかもしれません。
昨今は「叩かない親」が増えているため、彼らの暴力はイコール生か死かのデジタルなものになってきています。こええ。

「親」って、人殴っても偉そうにできる唯一の特権階級だと思うんですが。

ところで、鼻にパンチ食らうような人間と、食らわないような人間の人生って、どこにその差があるのでしょうか?
そういうことを考えるとやや切なくなってきます。さすがに最近はないけど、なんで俺の人生ってこう、コンスタントにフルコンタクトしちゃうような敵が現れるんだろう、と。
わたしはたまに、ちょっと仲良くなって打ち解けたような人からいきなり「冷たいところ、あるよね」と大告白されて激しく落ち込むことがあるのですが、もしかしてそれが原因なのかしら?
こっちとしては冷たくした覚えなんて全然ないのに。あれはこたえるなぁ。「またかよ」って感じです。

まあでもこんなことってけっこうありがちな話ですよね?
それに冷たくしたからって鼻にパンチ食らうような覚えはないですわ。さすがに。


ところで最近、こんな本を読みましたよ。
某銀座の有名ママさん著『いい男の○○』(一応伏字)。モテたくて、つい。
そこには1万人の政財界エリートと接してきたママさんが「いい男」とは何たるかを記しており、まったくもってありがたいご神託として拝読しようとのぞんだのですが、読んでいていささか暗然とした心持ちになりました。
なぜって、書かれてあることがことごとくあてはまらないから、です。

曰く、「いい男は、さりげなく生きているような努力をしています」
曰く、「いい男は、なぜか憎めない、一緒にいて気持ちのいい人です」

ギャフソッ(>Д<)

ね、あてはまらない。ほかにも随分といろいろ「いい男」の条件を挙げてきて、見るものをへこませます。
読んでいるうちにだんだんと「あーあー、そうかよそうかよ。クソくらえだ」と思うようになってきて、これでは精神衛生上非常によろしくないので、しょうがなく便所で読む本とすることにしました。
それだったら「どさくさまぎれ」で読めるので、よしというものでしょう。

何とか読み進めていくと、「いい男は、人の痛みを理解しています」というようなことも書いてありました。
ということは、わたしのように鼻にパンチ食らったことがある人間というのは、やはり少数派とはいかないまでも、それなりに限られた人間なので、もしかしたら「いい男」の仲間入りを果たしているのかもしれない、と思いました。

鼻を殴られた痛みを知る男・・・・ちょっと陰のあるダーティーな雰囲気。
女はそんな人生の苦味を知る男にこそ、惹かれるのかもしれません。


ヨッシャ。
来いや。(←なんだこいつ)
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映画に出てくる料理のはなし

2005-11-23 01:15:38 | Weblog
繰りかえすのはクセなのか、それとも好きだからなのか分かりませんけど、ジャンル、ストーリー、バジェットから制作方法、なにからなにまで全く違う『延示』と前作『ムショミノヤシロ』。ですが、共通点がいくつかあります。

そのうちのひとつが「お部屋で誰かと食事する」というシーンが出てくるという点です。
『ムショミノヤシロ』では主人公が彼氏とスパゲッティを、『延示』ではこれまた主人公のひとり、水葉が友達と鍋(水炊き)を囲んでいます。

わたし自身、料理というか食事の時間に救いを求める傾向が多分にあるため、自然にこうなってしまったんだと思います。

ところで映画に出てくる料理ってナゼか、よく映っていなければ映っていないほど気になるってことありませんか?
それもすっごいマズそうなのに限って。「なんなのかは分かるけど、具は何が入ってるんだろ」とか「あの奇妙な色のアレはどんな味がするんだろう」とか。
わたしが知っている限りで気になったものを上げていきます。


まずはわれらが『スター・ウォーズ』シリーズ。
映画一作目、エピソード4(ああ、ややこしい)「新たな希望」で登場するブルー・ミルク。砂漠の惑星タトゥイーンのルークの家にて晩餐の折に登場する、ものすっごくマズそうな液体です。実際、ルーク演じるマーク・ハミルのインタビューによると「ものすっごくマズかった」らしいです。おそらくただの牛乳に着色料入れただけなんでしょうね。
続いて映画三作目、エピソード6「ジェダイの帰還」にて、緑の惑星エンドアでレイアが原住民のイウォークと遭遇した時に出す携帯食品。なんかポテトチップスみたいなやつです。イウォークのウィケット君はこいつをうまそうに食い、彼女を仲間として認めたのです。やっすいなぁ。
それでも別働してたルークたち一行は彼らにとっつかまって「神へのごちそう」として食われそうになるのですが。

次はおなじみ『ブレードランナー』から。
これもかなり有名ですね。ハリソン・フォード演じるデッカードが屋台で食べるうどん。食べる時に店のおやじさまから日本語で「ふたつで充分ですよ!」とか言われてます。何のことかと思ったら、うどんに乗っける海老天のことを言っているようです。しかし何で怒られなきゃいけないんだろう?

SF系が続きますが『2001年宇宙の旅』から。
乗組員が食う絵の具みたいな食べ物。ペースト状で、まったくもって史上最悪にマズそうです。
もう、あの無機的な雰囲気からしてエロスが不足してますよね。もちろんそんな世界に出てくる料理が美味そうなわけない。いや、料理と言うのもはばかれる。もはや餌、ただの栄養分みたいです。

同じキューブリックつながりで『時計じかけのオレンジ』。
主人公・アレックスがかつて襲った作家の家で(そうとは知らず)パスタとワインをご馳走になります。すんごい美味しそうです。でもそのパスタには薬物が・・・どうなる?アレックス!
と、すったもんだあった挙句、自殺未遂にまで追い込まれるアレックス。ここで登場するのがステーキ(なのかな?)。全身打撲で身動きが取れないため、看護士に食べさせてもらっています。そんな彼のもとへ、政府要人が来訪し、ある取引をはじめます。そこでのアレックスの態度!内密な取引のため、看護士もいなくなり、その要人(劇中字幕では大臣と表記)に食事を食べさせてもらうワケですが、その仕草が最高です。
小鳥のように口をあけて催促し、クッチャクッチャと咀嚼音を響かせながら「ある取引」は成立します。
劇中、今までずっと「死」に向かっていたエネルギーが、ここで一気に「生」に転じます。「食事」というメタファーもともなって、ここですごいカタルシスを感じるんです。とにかく見ていて気持ちのいいシーンです。名シーンだ。


ああ、長くなっちゃった。結局SF系で占めちゃったなぁ。
もっと語りたい料理はあるけど、今日はこの辺にしときます。特に押井監督の映画と食事シーンの関係については切っても切り離せないものがあるので、また別の機会に語らせて下さい。語りたいんです。

で、何で今回こんなことを書いたかっていうと、実は先日イナゴ食ったんです。
これ。

きもかったです。
でも食いました。

ただ、飲んでただけなのですが、話がこういう悪食方向に行き、「あー、俺イナゴでさえ食べたことないなぁ」と言ったらマスターが「じゃあ食うか」と言って出してきたんです。
いまさら「いらないです」とも言えなかったのでしぶしぶ食いました。

あー、なんか足がヤダ・・・は、羽もあるし。ひい!顔こっち見てるよ!と思いながらも男らしく一気にヒョイと口に入れました。


あ、ウマス(゜д゜)

なんだー。普通の佃煮じゃないか。安酒とよく合うなァ。
結局そこそこ食べれました。でも、忘れた頃に奥歯に足とか羽らしきものが引っかかってるのはカンベンしてほしいな。
いたずらな天使め。

ところで、なぜかそこにいた人たちはみんなざざむしとかそういうの食ったことある人たちだったんだけど、「みんな、おかしい」と言うと「それは偏見だ」というバッシングにあいました。
そうなのか?今、虫食いがナウなのか?

ある特殊な空間においては、マジョリティがいともかんたんにマイノリティになるのだなぁ、と。そんなことを思考せずにはおれませんでした。


カンボジアでエタイの知れない淡水魚とか、小鹿とか、猿食ってきた(食わされた)奴に言われたくないか。

猿、うまかったよ。
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蛍雪ジェダイ

2005-11-20 02:09:26 | 映画 『延示』
みごとな夕日。
ムスタファの空みたいだ。

この季節の夕日はグロテスクなまでに空を紅く染め上げて、見る者を感傷的にさせますね。
強烈に風景を染めたあと、見るものの頓着にかまわず、すうっと沈んで夜のとばりを下ろします。

日が落ちると、冬に向け、風は身を刺すように冷たくなります。襟を立てながら歩くと、自分の身を温めるのは、自分の体温しかないことをあらためて思い知らされ、そのことにひどく焦燥を感じるお年頃にもなりました。
街灯に照らされながら色づく街路樹にうつろいを感じながらも、そんな変化する風景が意味もなく寂しい。


ウ・ソ♡

でも、季節は、自分のこころをそこに貼り付けて投影させる役割があるみたいです。
季節によって人の心がうつろうのは、そのせいだと思う。


延示』の製作進捗状況です。

サントラの水流さんから曲が数曲届きました。
微調整はしてもらうけど、それにしてもさすがだと思う。この映画の計画立ててからずっとついてきて下さっている方だからか、曲のイメージやコンセプトをかなりの段階まで理解してくれている。もしイメージが違っていたら傲慢だとは思いつつも、一からやり直してもらうつもりだったけど、これなら安心だ。本当に助かります。
特にこの映画ではある理由から、音楽がものすごく大事になるシーンがあるので、妥協したくないっていうのがあるのです。

音楽製作的にはこれからがピークかも。ゼヒ頑張っていただきたいです(なにを他人事のように・・・・)。


でもやっぱり映像に音楽あわせると感激しますね。
これぞ「映画」って感じ。やはり音楽抜きには映画は語れないなぁ。
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来いよ、CIA。

2005-11-18 03:08:26 | Weblog
最近、ひさびさに「ああ、裏切られた」と思う出来事がありました。

みじめだ。
くそっ。

こうしてがらにもなく落ち込んで街を歩いていると、まわりの風景まで変わって見えてきますね。
紅葉とサンタの襲撃に向けて赤く色づく街並は、穏やかな暖色などではなく、血と炎の紅蓮を彷彿とさせます。
行き交う人々は、街の賑わいではなく、ただの喧騒に思えてきます。

でもね・・・・でもボク、思うんです。
「裏切った方にも理由があった」と。
だってそうじゃないですか。向こうは「裏切った」なんて思ってないかもしれないし。こっちが勝手に「裏切られた」と思っているだけかも。
主観の相違ってやつ?
しょうがないよね。よくあることだ。もっと相手のことをよく考えないと。

人はそれぞれ、違う道を歩んで生きてきているんだ。その道の一点で交差したお互い。もっと思いやりあいながら生きよう。
相手を思いやる愛って、すごく大事だと思う。人は優しさに触れた瞬間にこそ、生きていることに感謝するのだと思う。お互いそういう存在でありたいね。
そして今、この時を感謝して生きていたい。そして君と出会えたことにも。

愛と感謝。これは、人生の全てではないのかな。



・・・・・以上、思ってもみないことをのたまってみました。
吐き気を催された方、ごみんなさい。テヘ。
こういう何でも相対化しちゃう人に限って、いざケツに火ーつけられると、もの凄い勢いで怒るんですよね。わたしは以前、こういう人に指を指されながら「俺は君のような人間を心底ケイベツするっ!」って言われました。
ここ、このやろうっ!俺の方が先に軽蔑しとったわ!ちくしょう!俺のほうが先だぞ! 。゜(゜´Д`゜)゜。ウァァァン
つうか、ケイベツって言葉、リアルで言われたの初めてでした。腹たった反面、なんか感動したことを覚えています。さっそく友達にも自慢したし。「そういや俺、ケイベツされちゃってさー」って。

しかしなんなんだこのgoo謹製絵文字は。かえると鶏(?)がフォーリンラヴってか。異種交配か。めでてーな。すっごいファンタジックながきんちょが生まれそう。 見てー(´▽`)

はーぁっと。風呂でも入ってくっか。


CIAとモサドのしょくん。さぁ、俺は今、すごく弱っているよ。
俺を殺るなら今だ。
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季節の香り 男の子の夢

2005-11-17 00:31:35 | Weblog
延示』に出演して下さった吉丘くみさんが出られる、劇団・東京アンテナコンテナ第三回公演『三途の川でバタフライ』を観に行ってきました。

あー、やっぱイジリーさん面白いなぁ。何だろう。個人的にツボなのかな。げらげら笑っちゃいました。
コメディだけど、けっこうホロリときちゃうようなシーンもあったりなんかして、たいへん楽しませていただきました。
もちろん、吉丘さんも前回同様、美麗なダンスを披露しておりました。

お笑いあり、歌あり、ダンスあり(今回はタップまでありました)、モノマネ(!)あり、それでいてちょっとハートウォーミングな味付けもしてあって、盛りだくさんでした。こういうエンターテイメントな見せ方って好感持てるなぁ。


さて、この公演が始まるまでの時間を下北沢駅周辺を探索してつぶしていたわけですが、いやー、びっくりしたなぁ。
ひさびさに日中外を歩いてみたのですが、もうほとんど冬ですね。さむいさむい。なんかサンタっぽい飾りつけとかしてあるし。

季節が変わったときに感じる匂いってありますよね?そういうのを、今日感じました。
夏の匂いは気だるくなって嫌いだけど、冬の匂いは鼻こうをすっと通っていって心地良いです。凛とした心もちになれます。

さぁ、それで寒くなれば街中でカップルがいちゃいちゃぺたぺた率アップな訳ですよね。
今日も驚くほどの数がいちゃいちゃしていたので、おじさんのキラーインスティンクトもしんなりとしてしまって、ふんまんやるかたなしって感じだったのですが・・・・。
あれは・・・何というか、恥ずかしくないのかな?例えばどっちかがぶさいくでも?今日、そういうの見てしまって思わず「うわあ」って言いそうになったのですが、本当に、本当に、恥ずかしくはないのだろうか?だったら率直に言わせて貰うと、変態だと思う。
わたしは変態とか好きなので、そういう意味では好感持てるけど、変態の快楽って、その背徳性がおおいに貢献してますよね。で、その背徳の対象が「ぶさいくな恋人」ってのはちょっとなぁ・・・・。
かわいそうだよ。

だからチュウとかは、できるだけお家に帰ってからしようよ。


あれ?・・・・あ、なぜか途中から「非モテ男の怨念日誌」にトランスフォームしてた。かっこよすぎる。男の子の夢だ。
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ケルベロス・サーガ

2005-11-14 23:27:40 | しゅみ道
分かる人にはひと目で分かる、このポスター。

ついに手に入れちゃいました。押井守監督による映画『紅い眼鏡』劇中にて街中に貼られている「紅い少女」のポスター。オクで安かったのでつい。

わたし、この『紅い眼鏡』からなる『ケルベロス・サーガ』が大好きなんです。ぶっちゃけ、『延示』もかなり影響受けてます。つうか、パク・・・いや、「インスパイヤ」ですか。ヤ。インスパイヤ受けまくりなんです。もう困っちゃうくらい。
もともと押井監督の作品が大好きで、(特に『攻殻機動隊』と『パトレイバー2』)そういう映画が撮りたい・・・っていうのがいくらかあったのも『延示』を製作しようとした動機のひとつです。あと、趣味的に全共闘が好きってのもありますが。

ちなみに『ケルベロス・サーガ』とは映画『紅い眼鏡』『ケルベロス-地獄の番犬-』漫画『犬狼伝説』『犬狼伝説・完結編』アニメ映画『人狼』などによる一連の押井守作品のシリーズで、主に「プロテクトギア」と呼ばれる装甲服を着て、暴徒(全共闘っぽい『セクト』と呼ばれる人たち)を鎮圧する部隊のお話です。
漫画以外はほっとんど戦闘シーンありませんが。

で、件の『紅い眼鏡』はシリーズ一作目にあたり、複雑な時間軸を持つサーガの中において、「後日談」的な役割を担っています。シリーズ一作目にして後日談・・・もちろん、観た人はほとんど「わけがわからん」といった感想を持つみたいです。
それに、パッケージやコピーではアクション映画みたいなことうたってますが、実は全くのミスリードで、この映画はかなり前衛的な演出手法を取り入れた実験的映画なんですね。
恐らく、100人観て100人「つまらない」と言われるような映画だと思いますが、不思議とカルト的な人気があり、語る人はもんのすごく深く掘り下げて語ります。わたしはよく理解してないから無理ですが。でも好きなんで何度か観てます。

さて、そのケルベロス・サーガですが、最近また動きが活性化してきました。
書店でたまたま新刊チェックしてたら見つけたんですが、漫画の新作が出てました。

『紅い足痕』
うーん、すごく良かったです。まるで押井映画をそのまんま漫画にしたような感じ。絵も『犬狼伝説』を書いた藤原カムイ先生のアシスタントをやっていた方が描かれているだけあって、雰囲気壊してません。
世界観の説明が主な役割だった『犬狼伝説』の稠密な描き込みとはうって変わって、水彩画のような淡いペンタッチも好感持てます。今回のエピソードは『ケルベロス』のように、「彷徨う犬」っぽい物語なので、よくマッチしてました。
サーガ的には『犬狼伝説・完結編』と『紅い眼鏡』の間のお話ですね。
このシリーズってどれもそうなんですが、べらぼうに面白いわけじゃないけど、何度も読んで(観て)しまう。そういう意味でこの『紅い足痕』も見事にケルベロスしてました(は?)。

さらに朗報。
なんと!深作健太監督によって実写映画が作られるようです。タイトルは『エルの乱』。もともと、故・深作欣二監督との間で構想していた「西成暴動」の実録もの映画に、押井監督が絡んできて、サーガの一片として組み込まれるカタチとなったようです。
あらすじではケルベロス騒乱(『犬狼伝説・完結編』で描かれる)の18年後とありますから、最も未来のケルベロス・ワールド(?)が観れるというわけですね。

うおー。楽しみで寝れねぇ。

来年には押井監督の新作『立喰師列伝』も公開されるし。一応これもサーガとは無縁じゃないんですよね。
当分楽しみはつきません。


その前にてめーの映画とっとと完成させろよって話ですけど。
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タキオンのせいで寝る

2005-11-12 18:27:19 | Weblog
はい、やってまーす。


社会と断絶されていれば、嫌なことなんか起こりっこない。
お部屋は僕のバリアーさ。

ぬくぬく。

と、思ってたんですが、昨日ハプニングが二回も発生しました。
一つはまさに未曾有の大惨事。

延示』編集中のプロジェクトファイル(映像の編集データ)が原因不明でぶっ壊れました。
何度開こうとしても読み取れない。
顔面蒼白。冷汗だらだら。
この半年、こつこつと作業してきた編集のデータがパア?へぇー・・・・。
死ぬがな。

あれ?走馬灯?・゜゜・:.。..。.:・゜(゜∀゜)゜・:.。. .。.:・゜゜・

とりあえず自分に「しっかりしろ、落ち着け落ち着け」と言い聞かせながらぶるぶると震える手でネットを開きました。

くまなく検索。何とかして原因解明。危機は回避されました。
しかし危機は去ったところで「読み取り不可」というメッセージが出て、編集ラインが白紙状態になっている画面を見たときのショックは相当なもので、当分頭から離れそうにありません。

で、作業再開。
そのトラブルですごい疲れたせいか、作業してて知らず知らずのうちに寝てしまいました。しかもちゃんと布団で。
全然記憶ないんですよね。寝た記憶が。何で俺布団かぶってんの?みたいな。こういうことって、よくあるんです、わたし。
もしかしてこのお部屋って、メイドさんがいるのかな?メイドさんがそっとこのボクにお布団かけてくれてるのかな? ラブリー(*´∀`*)
いや、でもそんなメイドさん、いたらとっくに犯しているし、考えていたら無駄に元気ハツラツになってくるので、やめにしました。

どこだかのおばあちゃんが、「若い者が部屋に閉じこもってたって、ロクなこと考えやしないんだ。働け!」と言っておりましたが、ぼかァ、まったくそのとおりだと思うな。

そんなわたしは、せっかく来た労働のお話を断ってしまいました。先日宣言したとおり、映画製作に徹するからです。
粋だ。

さて、もうひとつのハプニングです。
AV借りに行ったら会員証忘れてました。
すごく、つらかったです。


以上。
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刻の涙を見ちゃいました。 その2

2005-11-10 18:21:41 | 鑑賞
その1はこちら。今回もマニアック(?)に行きます。
ネタバレちょい有りです。今さらですが。

先日、『機動戦士ZガンダムⅡ-恋人たち-』を観に行ってきました。
うーん・・・・今回はどうもヤな予感的中ですね。印象としてはとにかく、めっちゃくちゃ忙しい映画でした。TV版観た人にもこのペースはちょっとキツイんじゃないかと。ただでさえ複雑な世界観設定なのに、あそこまで飛ばすともう、わけわかんないですよ~。
観てない人にいたっては完璧おいてけぼり状態なんじゃーないでしょうか?

さて、サブタイトルの「恋人たち」が示すとおり、本作は基本的に恋愛映画っぽいものを目指していたらしいんですが、これもどうだか。恋愛映画って、大切なのは(観ないわたしにでも分かりますが)二人の間に流れる空気感を表現することなんじゃないでしょうか?この作品はそれをすごくないがしろにしている気がする。これでは「しょせんロボアニメ」と言われても仕方ないです。素材がちゃんとしてただけにもったいない。
ここで描かれているのは、「恋人たち」ではなく「女たち」であります。パンフには「戦いに翻弄される『恋人たち』の物語」とありますが、むしろ戦いの中で己を見出そうとする女たちって言ったほうがいいような気がします。だって、ここで描かれる男って、いつもその「女」に翻弄されてますし。
自分の宿命や、もっと大きな存在に賭けようとする女と、それをとりまく野郎どもって感じですか。

もう、ほんと、しんなりします。
ただ、ただ、「男って弱い」ってメッセージがひしひしと伝わってきたんですが。ここではあの大嫌いなシロッコでさえ男気あふれて見える。特攻かまそうとしたベン・ウッダーに関しては男の中の男と言ってもヨイでしょう。

あ、あと関係ないけどアッシマー弱すぎる・・・ナゼ?ほとんど瞬殺ですわ。
ぶっちゃけ、出さなきゃいいのに。

声優陣の変更については、ネットでも話題になりまくったフォウの配役変更はやはり痛かったですね。うーん、ほとんど思い入れのないキャラクターですが「フォウ=島津冴子」という印象があまりにも強烈だったので。この方の声って、多分皆さん聞いたら「ああ」と大体わかるような有名な方で、すごく艶のあるいい声していらっしゃるんですよね。それが、なんかフツーの娘っこみたいな声になっちまって・・・・。あわれだ。不憫ですらある。
しかし、だ。しかし、それにしても何でサラが池脇千鶴なんだ?いまさらそんなんで客とる様な作品じゃないでしょー!今の水谷優子(ちびまる子ちゃんのお姉さん)さんじゃあ、確かに色っぽすぎてあのウイウイしさは出せないかもしれないけど、なーんで、池脇千鶴?すごい、声、ういてたし。
これについては逆に本人がかわいそう。「なんでこんな仕事を・・・」って思ってしまいます。声優さんだけが持つ「声の力量」に思いっきり引けをとっていたような。

毒ばかりじゃアレなので良い点も。
実はTVシリーズ観てて、レコアさんがエゥーゴ裏切ってシロッコにつく理由がイマイチ分からなかったのですが、今回の映画でかなり、というかよく分かりました。彼女とクワトロとの何気ない会話のやりとりで分かってきますね。短く、明確に重要な部分を切り抜いていました。
クワトロ大佐って(訂正:大尉でした)、シャアとして人々を率いるカリスマ性がある反面、自分を好いてくれている女一人を絶望させちゃうようなカイショなしでもあるんですね。そこらへん、面白いです。
あと、最後。「なんでここで終わるかなぁ」とは思いましたが、ハマーン専用ガザC(!)でエゥーゴのモビルスーツと接触するカットはかっこよかった!「さぁ、お膳立ては整った」って感じで続く、とな。

でも、どんなに良い点を取り繕ってみたところで、やはり今回はちょっとひど過ぎる・・・・富野監督って、時代性をものすごく気にする人だから、もっと丁寧に演出してくれるかなと思っていたのですが。残念。
わたくし的に、ガンダムが面白い点って、ひとつの歴史的事変(戦争)を様々な角度で個人の視点から見せてくれるところだと思うんです。ファーストがそうであったように、時には敵であるジオンの視点から、時には民間人、難民の視点から・・・・。そういう丁寧さを破棄し、ロマンチックに恋だのなんだの語らなきゃいけないし、エンターテイメントとして戦わなきゃいけないし・・・・。結局すごくうすっぺらい作品になってしまっているなぁ、と。そんな印象です。

そして映画の最後。
恒例の次回サブタイトル発表。最終話です。・・・・・じゃーん。

『機動戦士ZガンダムⅢ-星の鼓動は愛-』

       ヽ(・ω・)/   ズコー
      \(.\ ノ


愛だの恋だの・・・・
キュンキュンか?そんなにキュンキュンして欲しいのかっ?してやるよ!だったらしてやるよ!
ハイハーイ!キュンキューン!(こわれた)
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立冬の決意

2005-11-08 22:54:50 | 映画 『延示』
この季節、よっぽど被験者が不足しているのか、「治験」の斡旋センターからひっきりなしに案内状とか電話とかが来ています。電話なんて酷い時は一日に二度も。

ちなみに知らない方のために解説すると、「治験」とはいわゆる新薬の臨床実験のことであります。わたしもコンちきもかつてこの『延示』のために各々二度ほどこの治験をやりました。これをやると、ただでさえけっこう高給な普段の夜勤工場バイト時の、約2倍のお金が入るのです。
この場合、お金は給料として支払われるのではなく、あくまで「謝礼」として払われるのがミソです。つまり治験って、名目上はボランティアなんですね。ボランティアやってんのにお金ガッポシなんて不思議だな。大人の世界だ。

一応新薬なので怖いのと、一日数回採血されたりするのでそれなりにヘビーではありますが。

ところで。
そんな折も折わたくし赤目、復帰しようとしていた夜勤バイト、「いま、いらね」の一言の元に断られてしまいました。プキュ。
いくら現場が欲しがってくれてたって、こればかりはお上には逆らえぬようです。そりゃ上にしてみりゃ出たり入ったりする奴なんか使い辛いんでしょうね。なんつーか、「それなりに貢献している」と思っていたのはどうやらコッチの片思いだったみたいです。派遣元にしても、派遣先にしても。

それでここ数日考えまして、「もういいや」とふっ切れました。もう、年内働きません。脱・プロレタリアート宣言であります。かと言ってニートでもないし、ただの無職男って感じでっす。はは。
だからその分、映画製作に時間を持っていき、年内完成目指してスパートをかけたいと思っとります。

ちなみに相方のコンちきの元へも治験の案内が来て「やろうかと思う」と言ってきたのですが、上記の案を承諾させ二人して無職化。強制年末進行モードに突入です。


もう甘ったるく、ちんたらやってるのは終わりだ!これで金が尽きたら飢え死にするまでよ。
だからどなたか、札束プリーズ。
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この俺の、ナイスアイデア

2005-11-06 19:22:12 | Weblog
貧乏人でよかった。本当によかった。

実家から「ロールキャベツ」が送られてきたんです。今日、それを食おうと思ったのですが、残り物のご飯がちょっとくさい。
これ、いけるかな?やばいかなー、と思ったときは、大抵炒めたりしてごまかします。なので今回もご多分に漏れずバターライスにして食いました。
そしたらすげーうまかったんです。なんか普通のバターライスよりうまい。なぜ?何がよかったの?コショウ多めにかけたから?腐ってたから?それにロールキャベツと相性ばっちしで、鬼のようにむしゃぶりつきながら喰らいました。人前ではこんな食い方は出来ない、そう思うほど。もさ、もさ、って感じ?

ママン、貧乏にうんでくれてありがとう。僕は相変わらず貧乏にすくすくと育っているよ。すくすくポン。

さて。
わたしは現在、パソコンを2台動かしながら映画製作その他をやっているわけですが、机が小さいので、キーボードの置き場がありません。つまり、本来キーボードを置く場所にノートパソコンを置いてあるため、デスクトップ(メイン)用のキーボードが置けない状態なんです。だから、机の隣、壁に面した箇所に並べている書類置き場の上に無理やりキーボードを置いているわけですが、これがもう、すごく打ち辛い!キーボ-ドを打つような作業(これとか、書類製作)は殆どノートでやっているのであまり問題ないのですが、それにしてもいらいらする。だからその内、机を改良してキーボード置けるようにしたろうかな、と思っていたのですが、何と、昨日もっといい方法が見つかりました。
それは書類置き場の上にダンボール置いて、さらにその上にキーボードを置く、という案です。うわ、貧乏くせえ!
でもこれ、スペース的にもすごく都合がいいんです。ダンボールの中は空だから、資料置き場にもなるし、キーボードが宙に浮いた分、下の書類置き場にはさらに書類が積めるし。
ナイスアイデアだなぁ!(*´∀`)=3
おれすげぇ・・・・。

まだナイスなアイデアは続きます。
わたくし、ipodシャッフルを愛用しているのですが、うっとうしいので首からはかけてません。だからと言ってカバンやポケットの中に入れるのもなんだし、ずっと腰にぶら下げていました。で、本当なら専用のカラビナ買うのが良しなんですが、あれってずいぶんとたけーので、自分で皮ひも結んでキーチェーンに引っ掛けてました。
でもこれもちょっとカッコ悪いし、ちぎれたりしたらやだなーと思っていた折、頭に電球がつきましたよ。
それが写真の金属ワイヤーです。
ハンズとかの手芸コーナーなんかで売ってるのですが、これ、細いからシャッフルのストラップ通しに入るんですね。しかも値段が安しー。確か200円もしなかったかと思います。
ただプラスチック対金属なので、使っているうちストラップ口に多少傷はつくかと思いますが。

でも貧乏でよかったなぁ。貧乏じゃなかったらこんな妙案の数々は浮かばないもの。よかった、本当によかった。やったね。


悔しかったらお金下さい。お金がたくさんになると、わたしはたいへんに困ってしまいます。試しに札束投げてみそ。(←みそ・・・・)
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リマインダー

2005-11-05 02:15:52 | 映画 『延示』
かつてそこにあったものが今はもう存在しない、というのは、自分の頭の中にある風景が勝手に切り取られてゆくかのようで、かなり不愉快だし切ないことです。

風景が人に与える影響というのは、おそらく自分が思っている以上に強いもので、それは良くも悪くも殆どの動物が持つ心理だと思います。
また、人は景色や音楽にその思いを託し、記憶に留めておくことが多いようで、それらは記憶喚起としての役割を多分に担っています。

なにひとつ楽しくなかった高校時代、教室に至る階段のモルタル壁は、ひどく冷たく、すさんだものに感じられました。重い足取りはなお重くなり、青白い壁は拠り所の無さを冷酷に暗示していました。
歩道橋から見る繁華街の景色には、未来への展望をだぶらせ、ここではないどこかへと逃避する希望を見ていました。
あはは、ロマンチストだねー・・・・。

「あのころの風景」や「あのころの音楽」は自分を自分として確立させるための、とても重要な要素で、それだけにそれらをあかの他人に「侵害」されてしまう時、ちょっとやりきれない思いに捉われます。そういうのって、自分じゃどうにもならないことが多いだけにかなり悔しいものです。

廃墟というのは、いわばそれらの残骸のようなもので、そこに残る人々の思念のようなものが忌まわしいほどとり憑いていて、長い時間そこにいると雰囲気に飲み込まれて、多少ブルーになったりもします。
また、廃墟や懐かしい風景というものは、潜在意識にひそむ「あのころの風景」を呼び覚まし、そこに忘れかけていた何かを見ることさえあります。

延示』に出てくる廃墟にはそういった役割も担っているのですが、この中には既にこの世に存在しない廃墟も出てきます。

昨日、例の追加カットを撮影するためにあるロケ地を訪れました。そこでコンちきと冗談半分に「最近来てなかったから再開発されてたりしてな」と言っていたら、まさにその言葉どおり再開発のため解体されていました。
ここは廃墟というよりは、「ほとんど住人がいない団地」でした。建物がとても古く、老朽化した佇まいは既に無いものを見ているようで、存在そのものが見るものに「喚起」という働きかけをしてくるかのようでした。


しかし、古いものをただ懐かしみ、もう無くなったものを惜しがるのは簡単です。
無くなるものは必要ないから無くなったのであり、それには従わざるをえません。
悔しくて寂しいですが、それはいつの時代だって、何に対してでも必ずやってくる「時」です。
聞き分けがいいつもりなんて、さらさらするつもりもありませんが、それを認めない人間が今、「この時代」から享受しているものがあるのならば、それは都合のいい、ダダこねのようなものです。

また、懐かしい、喚起される何かというのは、いつ失われるのか分からない、不安定でギリギリの状態にあるからこそ、人に働きかける力が宿っているのだと思います。
そこに流れる「そこはかとなさ」や「あやうさ」は新しいものでは到底表現できるものではありません。


いつの時代もそうであるように、わたしが歳をとり老人になれば「懐かしい風景」は次々に失われていき、喚起すべきものも失われてゆくことでしょう。
それは社会からの孤立をも意味し、恐らくはそれこそが歳をとるということであり、常に老人が孤独である一因でもあるのではないか、と思います。

だからみなさん、おじいちゃん、おばあちゃんには優しくしましょうね。

なんだそれ。
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マルイはじめて物語②

2005-11-02 23:13:01 | 映画 『延示』
①の続き。

こうしてマルイに入ることになったわたし。腹を決めて早速侵入。
平日ですいていたせか、店員の目がとても痛い。みんな、俺を見ないで・・・・。だってその時、着てる服がジャージだったんです。痛々しい。

帽子を目深に被り、男モノコーナーへ(メンズって言え)。
何気なーいふりして見てみる。あー、これなんか良さそうだ・・・「どーも、いらっしゃいませ。どんなのお探しですか?」
うわー、来たよ。これだから嫌なんだよこういう店って。俺ぁー孤独が好きなんだ!ほっといてくれ。とかいいつつリアルでほっておかれるとさびしくて泣きたくなっちゃう。そんな意地っ張りな二十代。
でも、お店じゃやっぱほっておいてほしいですよね。なんで「選んでる」ときに声かけてくるかなぁ。とか言いつつ「うーん、ちょっと秋から春先にかけてのものを」と答えてしまう気の弱いボキ。

「そうですねー。どうですか?いつも割とカジュアルなほう?それとも綺麗めなの着てます?」
きれいめって何だろう?わたしはとりあえず冬に着ている茶色のジャケットと似たようなのを指さして「はァ、こんなのを」と。そしたらその店員、明らかに「以外」って顔してました。そうか。そんなにジャージ似合うか?俺。
「なるほど。でしたらこちらなんかどうでしょう?今年味のコーデュロイですが」
こーでゅろい・・・なに、そのネコの毛がいっぱい付きそうな、そのアレがコーデュロイってのか。「ホホゥ。コーデュロイですか」「もしくはこちらなんかでしたらわざと荒めに仕上げてますので、パンツがカジュアルな感じでも自然に着こなせていただけると思いますが」

うーん。その「パンツ」ってのはこの俺様の「ジーパン」のことを言っているのか。
バーロォ!こちとらジーンズ2着にチノパン1着の超ヘビーローテーションじゃ!「カジュアルな感じ」ってか、これしかないんじゃ!
そんなもん、見破るな!

「はぁ、おいくらでしょう」もう、これでいいや、と思って聞いてみる。
「¥¥¥¥¥になります」

・・・・・・・・・・・。


「高っ」(-公-)


もう、恥も外聞もなく思いっきり嫌な顔して言ってしまいました。店員は慌てて「あ、今月、誕生月とかじゃないですか?でしたら・・・・」と。「ははは、違います。じゃ、すいません。また」すると店員はなおも「いや、ぶっちゃけブランドものって高いんですよ。ですが・・・」とか言ってました。

いやー。びっくりした。
こんなに普段自分が買ってる服と値段が違うなんて。入った店が悪かったのかなぁ?でもそれが結構怖くて、すぐさまマルイを出てしまいました。

もうイヤ!おしゃれ恐怖症!

結局いつも買ってる店にいいのがあったので、そこで買いました。ここってそこそこ安い割にはTシャツも試着させてくれるし、店員のお姉さんがほとんど美人なんですよね。そんで、買うと袋持って出入り口まで一緒に案内してくれるんです。挙句「ありがとうございましたー」と送り出してくれます。
最初は気恥ずかしかったのですが、なんか帰りホクホクした感じになれてお気に入りに登録です。ついニヤついてしまうのでイカンのですが。風俗嬢に送られて出てくるオニイチャンと同じような顔になってしまいます。イカンイカン。


総括。
多分、わたしはもうマルイ入んないですね。自分からは。あのスカしたCMを流し続ける限りは入らんでしょう。
もし、あのCMに出川哲郎が出演したら気が変わるでしょう。さらにマッチャンまで出てきたら、毎日でも通うかもしれません。着れる服ないだろうけど。

ヤバイヨヤバイヨ、マッチャンヤバイヨ
バウバウ( ´)ε(`)σ

最高だ。
まずありえないからこんな嘘つくんですけど。風流だね。


「驚愕の事実」
前回告知したやつです。
上京して間もない頃、わたしは新宿の近くに住んでいました。チャリでいろんなところに出かけ、もちろん新宿もけっこう探索しました。
で、そうすれば勿論マルイも目に付くのですが、わたしはあの「OIOI」って看板を、つい数年前まで「オイオイ」って読んでました。まじ、オイオイって何だって思っていました。
ある日友人に聞き「あれはマルイと読むのだ」と言われ、たいへん恥ずかしくもあり、大発見でもあったわけですが、それにしてもなぜ「OIOI」なのでしょうか。

「多摩クリスタル」の看板なみに不可解だ。
コメント (2)
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マルイはじめて物語①

2005-11-01 02:42:03 | 映画 『延示』
数ヶ月前・・・・『延示』Bパートの撮影で、主人公・水葉が夜の街を彷徨う、ってシチュエーションのシーンを撮りました。その中でマルイの前を歩いているカットがあるのですが、撮影中わたしはカメラに映らないように後ろからそっとついてっていました。しかし、どうもわたしの歩く速度がちょっと速かったらしく、カメラに映り込みそうになってしまったので、とっさに隣にあったマルイに入ってごまかしたんです。

八王子にあったマルイなら何度も入ったことあるんだけど、新宿にあるようなオサレなマルイにはその時初めて入りました。
「はいるな」
そう言われたような気がしました。
わたし自身が入るのも嫌なんですが、もう、建物というか、ビルヂングというか、それそのものから入店を拒否されたような、そんな気分になりました。お客だって明らかに「ちがう」人たちです。でも、ここで立ち止まったらただの挙動不審な人(いや、よもやすでに・・・)なので、意を決して中に侵入しました。

そして、中に入ってすぐさま回れ右、わたしは無事生還を果たしました。
これは数ある撮影エピソードの中でも、最も過酷なミッションであったと言っても過言ではないですろう。
まったく、無茶しやがる。とんだ冒険野郎だぜ。

それから数ヵ月後のついこの間。
Aパート編集中、わたしはとんでもないことに気付きました。
「あれ、このカットとこのカット、繋がんない・・・σ(・д・;)」


うん。まいったなァ。・・・・「ふぅー」とりあえず一息。
何気なく横目で目についた漫画を手にとってみる。読む。すでに何度も読み返した東陽片岡先生の「お三十路の町」をさらに熟読。「ははは。おもしれー」
ひとしきり読み終え、別段便意もないのに便器に座ってみる。出ない。
エミュで『龍虎の拳』をプレイ。ネオジオが誇る100メガショックの第一弾。不屈の名作だ。この世界観は秀逸。近頃の半分ギャルゲーみたいな格ゲーばかり作るSNKには、是非この頃の骨太でハードボイルドな雰囲気を思い出し、立ち返っていただきたい。おらッ!覇王!!翔孔拳!!!
あー、おもしかった。「やぁ、今日のご飯は何がいいかしら」とりあえずメニューを考えて、買い物に出かける。
帰って一息。たまにしか吸わない煙草をくゆらせてみる。(´ー`)y─┛~~

・・・・・・。
やっぱだめだ。どうにもなんねぇ。

「もさもさ、コンちき先生。実はかくかくしかじか・・・・」
案の定、追加で1カット撮ることになりました。しかし、このためにわざわざ役者さん呼ぶのもなんなので、自分たちでやってしまうことにしました。顔映んないし。
そこで当時の衣装を探したのですが、一点だけ見つからない。いったいどうしたというのか、まったく思い出せない。
「しょうがない、買うべ・・・・」
しかしただ買うのではもったいない。どうせあまり映らないのだから、自腹で購入して、撮影後もオサレ着として使用可なものにしよう、ということにしました。

そこで購入に出かけたのですが、いざ探すとなるとなかなか見つかりません。無くなった衣装に似ていて、わたしのサイズに合って、気に入ったデザインで・・・しょうがなくかたっぱしから入ったこと無いようなデパートなんかにも行って探しまくりました。
そして、そのデパートの中に「マルイ」も含まれていたわけです。


はい。今日はこの辺で。すいません、書いてる途中で寝ちゃったんです。だから続きはまた今度。
次回、驚愕の事実が明らかに・・・・!
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