ちくわブログ

ちくわの夜明け

北朝鮮 よど号グループ取材記・3 よど号グループ帰国問題談話・平壌観光

2012-09-30 18:23:55 | 映画制作
訪朝2日目。

前回までレポート形式でやってましたが、ちょっと堅苦しい上に自分がそういう文章に慣れていないので本来の書き方に戻ります。
つうのも、前回分までは夜にいそいそと「本日のデキゴト」的な記録を書いてたのですが、以後毎日夜は飲んだくれて書く暇が無かったので、思い出しながら書いていきます。

なにしに行ったんでしょうね俺は・・・・


朝、ホテルの食堂で飯を食います。
高級ホテルなので朝鮮風、洋風、と色々メニューがありました。

わたしは朝あんまり食べれないのでそう嬉しくはなかったのですが、味の方はなかなかうまかったです。こっちのロールパンって独特の甘みがあるんですよね。特にそれがすごく美味しかった。

その後よど号グループの方々が迎えに来てくれ、車で事務所へ。
この車移動も、ただ移動するだけなのですが外の景色が物珍しく、終始楽しいものでした。わたしはよく赤木さん運転の車に乗ったのですが、ガイドのように色々と教えてくれ、街並みや平壌の人々、風俗(エロイ方でなく)についてお話してくれました。

15分ほどで事務所着。
事務所では毎朝、コーヒーをふるまってくれました。これがまたうれしい。


この日は一日、平壌を観光する予定なのですが、その前に午前のひと時を『帰国問題談話』とし、主に小西さんの主張を軸に、帰国問題をどうするか、また、それへの見解を話し合いました。
彼らにしてみれば、既に何度も話し合われていることなのですが、今回はここに元・連合赤軍兵士 植垣康博さんが参加しています。
写真奥から植垣さん、赤木さん、安部(魚本)さん


よど号グループの帰国に関する主張は一貫していて、主にはいわゆる『八尾証言』の偽証を暴くということ。
これまた大雑把に言えば、「よど号グループが日本人妻と共にヨーロッパで日本人3名を拉致した」という嘘と闘う、てことです。

まず、公然とされていることも含め、小西さんはよど号グループの歴史を語ってくれました。

「朝鮮(北朝鮮)に渡った目的は国際根拠地を作るため。軍事訓練を受けたのち、秋には帰って武装蜂起するつもりだった。当時は朝鮮をオルグして帰国するつもりだった」
そこで植垣さんが一言「よう言うわ(笑)」
こういった合いの手もありつつ、基本的には自由な発言の中に、よど号側の主張を聴く、というものでした。

「人民(日本国民)を信じていなかった。だから我々が、自分が、となってしまった。人民を愛し、信じなければならない」

「自分達の想いを人民に伝えたい。そのためには合法的に、公然と帰らねばならない。だからこそ日本政府と合意帰国をしなけらばならない。一方で手を上げて帰ることは出来ない。それをやったら終わり。日本の運動にも悪影響を与え、自分達も駄目になる」

「僕らがここにいるのは、日本にとってもよくない」

「吉田(吉田金太郎・85年病死)に我々の帰国のために(前段階として)非合法で帰国させた。彼にはしんどい思いをさせてしまった」

「柴田(柴田泰弘)、田中(田中義三)(共に故人)も逮捕される中で、次に我々に『拉致』攻撃のキャンペーンがはられた。この中で出てきたのが『八尾証言』。これに基き小泉が訪朝し、朝鮮側は日本人拉致を認めた。そこで安部に逮捕状が出された」

「アメリカは朝鮮へのテロ指定国家の根拠を我々においていた(96年2月23日 朝日新聞紙に米国務省幹部発言:「朝鮮に対するテロ支援国家リストからの削除」条件に「よど号犯に対する適切な措置」要求、と報道)。よど号グループを国外追放すれば、テロ指定国家を解除、経済制裁を解く、とした」

「これらキャンペーンと闘うために、八尾証言の偽証をあきらかにしていかなければならない」

「これは、40年前の我々の闘いの延長。亡くなった5人の同志たちの意志もふまえてやっていきたい。それは赤軍全体の闘いの意志を担っていく闘いでもある」


これに対し植垣さんからは「『人民を愛し信じる』って具体的にどういうこと?もう少し具体性が欲しい」といった意見も出ました。

話を聴く若林さん


談話とはいえ、時間もそんなになかったので、主に我々は聴く事に重点を置く内容となりました。
これら談話や種々総括に関しては、訪朝期間後半に多くの時間を設けているためさわりだけとし、午後からは普通に平壌観光に向かいました。
普通と違うってったら、よど号のみなさんが案内してくれるってとこでしょうか。



まず向かったのは有名な「万景台」。
万景台は金日成氏が生誕した地、とされている場所です。ガイドパンフには「敬愛する金日成同志が誕生され幼年時代を過された由緒深い所です」とあります。
そこにある資料館「万景台革命事績館」へ。内容は金日成氏の少年時代を中心に、いかに優秀な少年であったか、そして父母や祖父母の話も交え、いわゆる抗日戦線へどのように関わっていくかが各種資料と共に公開されています。


入り口。
ガイドのおばさんに金日成氏の絵に「礼をしましょう」とうながされ、一礼。
植垣さん「え?え? あ、お邪魔します」と。
お邪魔します・・・実に植垣さんらしいご挨拶。

ガイドさんは常に「金日成主席」の前に「偉大なる」をつけていました。

「偉大なる金日成主席は少年時代、いつも軍事ごっこをして遊んでおられました。その時は常に大将役となり、軍事ごっこを導いておられました。
大人たちはその様子を見て、この子は必ず民族の大将になれる、と口をそろえて言いました」


「日本軍に捕まり、拷問された父の姿を見て、悪魔のような日本の存在を、身をもって知ることができました」


捉え方はさておきうーん・・・・色々な意味で勉強になる。
北朝鮮では、日本人ってこういう過去を持った人間なんだ、てことです。現実として。


次に「金日成 生家」へ。
当時のままの、農機具などが展示されていましたが、この日は雨で(というか我々が訪朝した期間、ちょうど北朝鮮は梅雨でした)ほとんどビニールで覆われていました。残念。

万景台の中を移動中、井戸を案内してくれました。これは何だったか、金日成氏が子供の頃汲んで飲んだ水だったか。革命の水という名前がついていたような。
ガイドさんは「日本人のお腹にはあわなくて、下す方も多いみたいですので・・・」と言ってましたが、わたしと植垣さんはほとんど聞かずに「うまい!!!」とか言ってがぶがぶ飲んでました。



続いて「万景峰 展望台」。
ここからは平壌が一望できます。

ただ綺麗に見せるだけではない、本来の平壌という感じです。
赤木さんが運転中の話で教えてくれたのですが、「平壌は城塞都市。日本は下町とかあるでしょ。こっちは城塞都市として、全てが中に入っている」と。

成程、住宅や工場、様々の施設が渾然となっています。遠くに見える煙突は火力発電所とのことです。

ちなみに電気と言えば平壌は停電が多いとよく聞きますが、今回の訪朝では一度もありませんでした。あるレストランでショーのためにガンガンに電気使ってたら、そのお店のヒューズが飛んでしまった、てことはありました。

反対側を見ると、大洞江からの平壌。




昼飯は冷麺で有名な「玉流館」へ。

ものすごく並んでました。
平壌の方々はここの冷麺を食うために相当時間をかけるのだろうな・・・

店内の様子

店内でポーズを決める植垣さんの様子


こちらはしかし「外国人特権」で、少しの待ち時間でありつけました。

ものスゲーうまかったです。
多分今まで食った冷麺の中で一番うまかったかと。

よど号の方々も42年前、ハイジャックでこの北朝鮮に渡った折、その1年後くらいにやっと食わせてもらったとのこと。
皆感激し「なんでこんなうまいものをもっと早く食わせてくれなかったんだ!」と言ったそうです。




続く

前回まではこちら
【北朝鮮 よど号グループ取材記・1 北京】
【北朝鮮 よど号グループ取材記・2 平壌へ よど号グループとの初対面】
コメント (3)
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スター・ウォーズ in コンサート行ってきた

2012-09-22 03:12:19 | しゅみ道
先月の話なんですが。


東京と大阪で『スター・ウォーズ in コンサート』という催しがありまして。
北米とヨーロッパで大ヒットしたコンサートが日本に上陸!とのことで、これは金は無くとも行かねばならない、と使命感に燃えて行ってきました。

生演奏でスター・ウォーズのサントラが聴ける!てだけでも嬉しいのですが、今回のコンサートはこれに加え「スクリーンに曲目に沿った映像が映し出される」「C-3POの中の人、アンソニー・ダニエルズが司会」「レーザーによる演出」と、盛りだくさんの内容でございました。
なのでチケットは先行予約のプレミアムピクチャーチケットという絵柄入りの特別仕様を購入し、半年くらい前からワクワクして待ってました。

これがプレミアムピクチャーチケット。

ゴージャスだ。

これのおかげで当日はかなりいい席で聴く事ができました。
これのおかげっつうか、先行発売で早いとこ席取ったおかげで。

では当日の様子をどうぞ。

ドン。


会場は東京国際フォーラム ホールA。
でかかったです。
コンサートとか普段行かないんで有楽町になんとなくこういうデカイ施設があることは知ってました。

ハリウッド映画音楽界の大御所、映画『スター・ウォーズ』の全ての音楽を作曲したジョン・ウィリアムズ大先生のヨワイ80を祝うメッセージ幕も。

下にまだあったので、帰りにわたくしも感謝と尊敬の念を込めて一筆書いておきました。


会場に着いた時、ちょうどお昼の部のお客さんが出てくる頃でした。

うわースゲー人。
こうやって見ると、スター・ウォーズってやっぱり人気あるんだなー。なんでフィギュア売れないかな。

記念にポスターを撮る方々。



しばらくして我々も入場。
真っ先にグッズ売り場に走り、お目当てのものを購入。パンフレットとか限定の扇子とかバッヂとか、相変わらずどうでもいいものに金を使いました。
眼が血走ってマジだったので写真は撮っていません。


ライトセーバーは使っちゃダメです。はい。


おなじみコスプレ軍団様もご来場。


テンションMAX。
フンガー

カップルにサービス中の暗黒卿。

美人帝国軍士官。踏んでほしい。

我らがストームトルーパー。あああ、ツルツルしててかっこいいなあ。

ツルツルしてない方のストームトルーパーことサンドトルーパーもかっこいい!!

サンドといえばサンドピープル。タスケン・レイダーも。

タイファイター・パイロットには指差されました。殺されるのかと思った。

チビッコジェダイ2人に決闘を挑まれ、ピンチのダース・モール卿。

しばらくこのポーズのままの後、うしろからお父さんが「もういいやろ・・・」とつぶやき、モール卿のピンチは去りました。
勝ったのは誰。



で、

肝心のコンサートは素晴らしかったです。
フルオーケストラにコーラス付きで『運命の闘い』が流れた時は、あまりのかっこよさに全身から汁が出ました。
バックで流れる映像は、なんか観たことあるなー編集粗いなーと思ってたらサントラの特典映像を少し編集しただけのものでした・・・・おい。
さておき音楽以外で良かったのはやはりアンソニー・ダニエルズ氏による司会でした。曲の合間合間で出てきて、次に繋ぐ。盛り上げたり、笑わせたり。時にはC-3POのモノマネ(本物なんだけど)も。

全体的には非常に満足しました。
こういうイベント、2年に1回くらいはないと日本のスター・ウォーズファンは飢えてアレしますのでやっていただきたい限りです。
3D版の上映が連続で控えておりますので当分は大丈夫ですが。
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北朝鮮 よど号グループ取材記・2 平壌へ よど号グループとの初対面

2012-09-12 00:29:30 | 映画制作
13時発の便で平壌へ。機内はまるで昭和の飛行機。狭く、古めかしいつくり。
子供の頃乗った飛行機を思い出した。
クーラーなのか何なのか、上部からもくもくと涼しげなけむりが出ていた。


離陸すると北京周辺の様子が上空からよく見えた。


機内食がかなりおいしかった。あんのかかったご飯、甘みのあるロールパン、鮭のソテーあんかけ、フライドチキン、フルーツポンチ。



着陸前。
上空から平壌近郊を見る。見渡す限りの山と緑。

着陸時は「ここが空港なんだ…」と思うほど緑の中にあった。すぐそこに家もある。
濁った川で作業していた労働者が、ニコニコと手を振ってきたりして驚いた。

2時間弱で平壌国際空港に到着。

機から空港建屋の短い距離を歩いた。スタッフのお姉さんが美人だった。後に何度も見て分かることだけど、基本的にこちらの女性はスタイルがいい。服もくびれを強調するようなものが多く売られていた。

空港施設内はとても狭かったが、金日成氏、金正日氏の写真はしっかりと飾ってあった。イミグレーションでは荷物を調べられ、カメラもチェックされる。

一眼レフに関しては「GPSは入っているか?」と聞かれた。「ノーノー」と言ったが、入っていたら預かりをくらったのだろうか。
撮影に来たのに、カメラを持っていかれたらシャレにならない・・・
ここで全員、携帯を預ける。携帯を預けるってけっこう不安だ。帰るときに返してもらうとのこと。
余談だが、北朝鮮国内にはエジプトの携帯電話会社が入っている。そのためホテルでよくエジプト人を見かけた。


出ると、すぐ小西隆裕さん、若林盛亮さんのお出迎えが。
植垣さんとの初対面をカメラにおさめる。
この時印象的だったのは、若林さんが植垣さんに握手した時、そっとかけた言葉。

「苦労をかけましたね」


よど号と連合赤軍は決して無関係ではない。よど号事件の後、赤軍がより先鋭化し、革命左派と共に山に入る過程に深く影響を及ぼしている。
国際根拠地建設のため北朝鮮へと渡ったよど号グループのハイジャック作戦自体は成功したが、それにより国内に残る赤軍派への警察によるしめつけは、いっそう強化されていく結果を生んだ。
この40年を経た出会いは、横っちょでカメラを回すわたしなんかには想像もつかない、年月と想いが積み重なった邂逅なんだろうと思う。

わたしもすぐに自己紹介。握手すると小西さんはギュッと力強く返してくれた。



赤木志郎さん運転の車で宿泊地のポトンガンホテルへ。
車から見る平壌の町並みは、いかにも「共産主義圏」という感じで、看板がほぼない。電線も無い。
たまに見る看板は、スローガンや金総書記親子のものだった。
人々は農村地帯ではゆったりとした雰囲気。たまに、羊だかヤギだかを見た。
市街地に入ると巨大な建物が多い。一般にわれわれの想像する平壌。記念館やどでかい運動場に学習施設・・・・
人々の服は普通のつつましいもの。


ホテルに到着後、荷物を解いて再集合。部屋は最高級クラスなだけあり、とても良かった。しかしなんでベッドが二つもあるんだろう。

ちなみに帰国後知ったが、ここは統一教会が経営するホテルらしい。


ロビーで人が揃うのを待つ間、ガイドのKさんが話しかけてきた。「若いね」「いえ、若くないです。誕生日を一昨日迎えまして、34になりました」「若いよ、まだこれからじゃない。大丈夫、万事うまくいく」
どういう意味か分からずあせったが、人生のことだろうか。

ロビーで談笑する小西さん、植垣さん


再び赤木さん運転の車でよど号グループの事務所へ。
ここでいわゆる「よど号妻」のお二人と、そして安部(魚本)公博さんが迎えてくれた。
応接室でコーヒーを出していただき、われわれ訪朝団とよど号メンバーとで少しお話をする。



小西隆裕さん


若林盛亮さん


赤木志郎さん


安部公博さん


その後すぐに宴会。
豪華な朝鮮料理がドンドン出てきた。刺身もあった。
肉あり、魚あり、粥も出た。酒は焼酎とビールが中心。北朝鮮のビールはスッキリしててうまい。大同江(テドンガン)ビールというらしい。滞在中何度も飲んだ。


皆さんとお話し、だんだんと緊張がとけてきた。
「よど号妻」のお二人は、喋るとホッとするような、これまた普通の「優しい日本のおばちゃん」。

お前洗脳されてんなよ・・・と思われるかもしれないけど、わたしが北朝鮮の滞在においてそれほど緊張しなかったのは、よど号メンバーと妻の方々が本当に普通のオッサンとおばちゃんだったから。

植垣さんは話も酒もガンガンいき、いい具合に酔っぱらっていた。途中、カクテルを作ってふるまうという場面も。
さすがスナックバロンのマスター。

小西さんが感心し「ホウ、そうやって作るんかぁ。お前らっ ちゃんと見とけよ!」と。


2時間ほどで解散し、ホテルへ戻る。
ライターがどこかに売っていないかと言ったら、ガイドのKさんが一緒に探しに行こうとホテル内をついてきてくれた。あてにしていた店は閉まっており、諦めかけたところ「一度こうと決めたらやりぬかなきゃ!」とライターへの情熱をたぎらせ、ホテル内のバーへ突入。
「ここならあるかも。一杯飲んでいこうか」と二人で飲むことに。
思惑通りお店のネーム入りライターがもらえた。しかしこの店は高いらしく「飲むのはやめておきましょう」とのこと。ありゃ。
Kさんはママさんに何事か言い、「飲まないけど少し話そうか」という流れに。
するとママさんは気を使って無料で紅茶を出してくれた。

話の内容はお互いの国のこと、お互いの国の人々が価値観を分かり合えたらいい、という事など。
さらに身辺のことも聞いてきた。ここらへんは本で読んだ「了解活動」に似ていて「あ、これはw」と思うことも。

北朝鮮のことも立てて話すと「あなた、若造と思っていたがすごい。東大か早稲田でも卒業しているんじゃないのか」・・・・
すいません、高卒です。
ちなみにそんな難しい話はしてないし、自分にはできないので、「立て」返してくれたんだろう。
「東大早稲田」には正直笑ってしまったけど。


Kさんとの話は面白かった。価値観の違う相手なのでなおさら。
この滞在を通して北朝鮮、正しくは「朝鮮民主主義人民共和国」の人民と話せる機会は限られていた。
わたしは滞在中何度かKさんの話を通して、彼らが持つ独自の愛国心を知った。それは「労働党員」だからではなく、レストランのウェイトレスの態度からも見て取ることができた。

ちなみにレストランは予定されていたものもあれば、そうでないものもあった。
なぜそれが分かったかというと、あるレストランでピアノ演奏をするお姉さんが、われわれが日本人だと気付くと総連関係の曲を演奏し出したから。
よど号グループの方が「あ、勘違いしてる」と笑っていた。


そこらへんのことはまた続きで。




続く

前回まではこちら
【北朝鮮 よど号グループ取材記・1 北京】
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