ちくわブログ

ちくわの夜明け

日原トコトコ記

2009-04-30 11:12:24 | Weblog
えんえんと続く新青梅街道。
青空が続くと、やがて遥かに見えてくる山々。
原付トコトコやって約30分。ああ、俺すごい田舎にすんでんだなあ、やっぱり。しかし、いい。すごくいい。



突然ですが、原付バイクを買いました。

映像を食い扶持として約2年。
工場でセッセとやっていた時期は「チャリンコのみ」で通える場所だったので特に問題なかったのですが、こうして毎日都心の方に行くようになると駅まで15分の自転車が極めてキツク感じる。
休みの日だって、同じ交通手段で同じような道を行く。
「フ」と、うんざりとした時に「ああ、やばい。本格的にうんざりすると取り返しつかんなあ」と思い、ここはひとつ、交通手段に革新的変化をもたらす公道デビューが必要、と感じたわけです。とは言っても車を買う金も気力も技術も無いので、お手軽な原付を購入することにいたしました。

まあお客さん、何より撮影の日がええです。重たいカメラバッグをしょってもすいすい行きます。寒いのに汗ダラダラの人、という珍妙な気配もありません。
あれ、『2001年宇宙の旅』で猿が道具使うっていう感動的なシーンがあるんですが、それ思い出しました。


さて。
こうなったら遠出しない手はありません。とはいってもあんまり遠いのは無茶だし、何より怖い。
なので以前から行ってみようと思っていた「日原鍾乳洞」へ行くことにしました。
ナビタイムで調べてみると、車で約2時間。ちょうど良い距離ではないか。

日原鍾乳洞は奥多摩の奥にある都内一の鍾乳洞。
手元のシオリ(入場切符)によると「洞内は石筍、石柱の発達著しく 金世界、銀世界特に乳石の乱立は豪壮雄大記念物の豊富さと其の美観の素晴しさは正に関東第一と激賞され、ここを訪れる探勝者総ての心を奪い恍惚夢現の境に誘うのであります。」
と、無闇にそそる文句が乱立しており入場者の期待を煽ります。


当日は快晴。
前日激しい雨だったため、期待通りの青空。
朝9時に出発し、渋滞も無い道路をトコトコ行きます。
風に舞う枯葉と共にカーブを曲がると、坂の上から向かいに山々が見られ、「おお」となります。
そこからしばらく行くと、もう「街道」という感じの田舎になります。


そういった道々を味わいながら、もう少し走るとたちまち御岳山に到着。


渓流と山に抱かれて、もはや都内という事実はどうでもよくなってきます。
ここまでで約2時間。途中、実はガス欠したんで(ほんと馬鹿)、ちょっと遅くなりましたが一応の第一目標地点に到着。
ドライブインで朝食兼昼食。蕎麦を食いました。



実は「もうここで満足するようだったら山登って帰っちまおう」と考えていたんですが、思ったより走り足りない。目標は目標地点としてあるのであって、真の目標は走ることにあったので、やはりまだその先にある鍾乳洞を目指すことを再決心したのであります。
カッコイイ。

再決心したはいいけど、いかんせん馬鹿なので、調子に乗って地図を確認しないため曲がるべき大事な道を曲がらない。
しばらく行くといくつものトンネルがお出迎え。極めて恐ろしい思いをするはめになる。
原付でトンネルって怖いのです。寒いし。

おかしいなーと思っていると道の横に奥多摩湖が見えるのでシャレになりません。
間違えたと思ってドライブインでおしっこし、Uターン。
ここらへんの道に来ると、バイクのお兄さんたちがすこぶる怖い。怖い人たちじゃないんだろうけど、原付でここまで来てる人いないんで、剣持ってる人たちの中に一人棍棒持って入ったみたいで怖い。


戻って曲がるべき道を曲がると、ほとんど車も通らないような静かな山道となります。
これは非常に楽しかったです。車もスピード出せないから、アセる必要もないし。

いい気分でしばらく行くと、さあ到着です。


ああ。いいすね。
「ゴール」って感じだ。何もないや。

あとは普通に入って出てきました。けっこう歩き甲斐ある道です。
んで水がしたたっているのでよく濡れます。
中の様子はこんな。






ところどころ、岩やプチ名所があったりして、ことごとく名前がつけられ、解説がなされております。


やや歩くと、素晴しく広い洞穴に出くわします。


スケールが伝わりにくいですが、階段の大きさで察するとよい。
手すりの無い階段もあったので、下手をすると硬い岩場に頭を打ち付けて死にはしないだろうか、と心配になる。

その全てが濡れしめっており、暗く閉ざされた中をわずかな光が照らし出すさまは、女体のエロスを彷彿とさせるものがあります。




入場料¥600では安いくらい。シオリの文句も納得の充実。このような景観はそうそう拝めないので、興奮することしきりでありました。





ではお帰ります。
来た道を戻ればいいだけなのですが、来た道とは言っても来た道と景色が違うわけではないですか。そこのところの勘定が出来ていない点が、わたしが方向音痴で馬鹿であるゆえんであろう。
大きく道をそれ、あやうく高尾山まで行って遭難して死ぬところでした。

しかしピンチを脱したはさすが男の子。
地図、買っといてよかった。



さて、わたしは今回の旅で、こうして鞄ひとつにカメラぶら下げ、原付でトコトコ行くのはたいへんいいものだなあ、と思ったのですが、世の中はこういった行為をどう見ているのか、とても気になるのです。

というのも、知人に「見てくれ。かわいい相棒さ」と自慢の原付君を写メで撮ったものを見せたら「あはは。恥ずかしい」と言われたのです。
相手は100ccに乗っているため、このような軽口をたたいたのかもしれません。
また、帰り、駐車場でバイカーのおっさん二人連れとすれ違った時なぞ「うわここまで原チャとかww」って草はやしてましたので、法定速度30キロで轢き殺すところでした。

そんなに原付って笑える乗り物なのか。
キミタチはあれか。ちんちんの長さに誇りを持つタイプか。


俺はなあ。

俺はなあ。


ちんちん長くないけど、指が長いので重宝してます。

(了)
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うらやましいだけだろ

2009-04-25 05:15:30 | Weblog
今の自分が幸福か不幸かなんてことは分からない。


ただ、カウンターだけのお店に入り、おいしく餃子でビールを飲もうとしているところに若いカップルが入り、やたらくすくすと笑う女から香水のにおいがすれば、頭から手に取ったビールをかけてあげたくなる。
というのも、わたしは大瓶は飲みきれない。小瓶でちょうどよいのだけど、だいたいのお店は大瓶しか置いていないみたいなので、いつも少し残す。
その分を頭からかけてさしあげたくなる。

そういった度胸も持ち合わせていないので、タバコを吸ったそのモクモクを、口の開け加減でそちらにばかり流れるようにする。


帰りの中央線で、いい年したカップルがいちゃいちゃとしていれば、絡み合ったその指に、思うさまげろを浴びせたくなる。
げろもカップルのいちゃつきも、都市の景観としては同じレベルであろう。


カップルというのは近くにいると殺意を覚える。
しかし遠い間で見るとほほえましいこともある。
写真はその一例。



なんかもう俺だめだー・・・て思った。
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焼き鳥

2009-04-17 03:22:33 | Weblog
焼き鳥。


なんかたまに無性に食べたくなります。

わたしはもっぱらタレで。
しかし塩に特製の味噌をつけて食べるのも、またいい。

カプっと噛んで、串からすいーっとぬきとりもぐもぐ。
もしくは横からそのままガブっと。

集団で食べるときは串から外しますが、そういう状態になった焼き鳥の末路はたいてい、おしゃべりと駆け引きと遠慮の交差する皿上で次第に冷めていきます。
まあそういうのは、元がどんなにうまくてもマズイ。

焼き鳥は一人でじっくり食うに限ります。



店に入ったらまず一服。しつつレモンハイをオーダー。
メニューを一通り見たら、焼き鳥セットを頼む。
焼き上がるまではキムチでもアテにしてゆっくり待つ。
この、待つ時間もまたシアワセのひと時であります。



はあ。
焼き鳥食べたい。
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治験病棟 4

2009-04-11 04:17:35 | シリーズ・治験病棟
○某日(金)雨のち曇 入院5日目(投与4日目)
 気付いたら花の金曜日。表の世界は浮かれているのだろう。ここは相変わらず。それにしても「慣れる」ということはない。絶えずアゴにできるフキデモノは、その顕現か。

 起床。洗顔、歯磨きの後、「ビックコミックスピリッツ」を読む。今週号らしい。しかしマトモに読むのは購読していた二年前ぶりだ。
 山本英二「ホムンクルス」のコラムにて、人にはWeタイプとMeタイプがあると書いてあった。Weタイプはまわりの人々と馴染みやすく、その中で成長していくタイプ。サービス業向きということか。Meタイプはなかなか打ち解けず、己の道を突き進む利己主義的なタイプ。俺は絶対Meタイプだろうな。
 採血。左は痛い率高し、ということが判明。人によって痛覚は違うのでそういうこともあるね、とのこと。
 
 朝飯。食パン二枚(マーガリン、イチゴジャム付)、豚つみれ入オムレツ、桃缶詰、パック牛乳。
 この時間が一番腹減っているというのに、この少なさは酷だ。同じ病室のKさんによると、朝は一日で一番多い方がいいらしいが、これは一体どういうことか。しかし、朝だって言うのにまったくもって胃がもたれていないのはさすがだ。なにしろ21時のオヤツ以降は、麦茶か水以外全く口にしていない。精神衛生上いくないと思います。

 ここに来て初めての自慰。トイレでこそーりと。どんどん溜まっていくのが分かる。下半身が獣の匂いを放ち始める・・・。

 昼食。弁当形式。ご飯と漬物、おろしハンバーグ、レタスとトマト、春雨サラダ、こんにゃくの甘煮、味噌汁。
 ヘビーだ。朝食ったものがまだ胃の中を漂っている。明日から朝飯後、少しでも体を動かそうか。

 昼食後、1時半から「散歩」に出かける。看護婦さん二人同行で、みんなそろって都会のカルガモ親子のように。目的地はK大学病院敷地内の本屋。ちなみにここはK大学「東」病院。200M先とのこと。
 雨が降ったため、出発が危ぶまれたが、小雨もいいとこだったので決行とあいなった。ただなんとなしに歩く。目的地に向かって。
 ふと、空気に味があると知る。
 目的地到着。半分は医学書。なんともつまらん本屋。つか、マンガほとんどない!!単行本にいたっては皆無。申し訳程度にマンガ週刊誌があるだけ。でも、ちょっと欲しかった新書が置いてあった。暇だし買っとくか。あと、押井守作品のメカニックを解説したムック、「メカフィリア」も購入。
 帰り、なぜかコンビニに寄ってくれたので、そこで漫画アクション購入。よかったあ、買えて。病院内の売店じゃ売ってなかったからなあ。

 曇だったので日光に当たれなかったのは残念だ。少し汗でもかいてみたいものだ。ここに来てからというもの、寝汗以外はかかない。

 帰ってすぐ、いつもの面子が麻雀を始める。卓を独占しているため、プレステが出来ない。この憤りは・・・!
 ここらで借りてきたDVDの出番。「コナン ザ・グレート」を観る。話はともかくとして、完成された世界観はさすが。グッズが欲しくなるような映画だ。しかし悪の親玉がジェームズ・アール・ジョーンズなのには驚いた。しかもクライマックスで「私はお前の父親だ」なんて台詞まで出てくるし。

 夕飯。ご飯、鯖の味噌煮、モヤシのおひたし、味噌汁。
 また鯖か。でもうまかった。味噌おいしい。

 麻雀卓のがらがらと牌をまぜる音、笑い声、談話。ひとつひとつが澱のように溜り、こころを重くする。
 誰がどこで何をして、誰と誰が仲良くなったか。いちいちそんなことまで気にする。この取り残されてる感・・・・
 名状しがたい自分への憎悪。まさかこんなところで顔を覗かせるとは。

 軽食はプリン。あっという間に平らげた。

 シャワーを浴び、消灯前のお楽しみ、「鉄人28号」鑑賞。今日は第3話の途中でおしまい。

 消灯。歩いたせいか、ぐっすり眠れた。が、ほどよい疲れと言うより、関節痛が残った。あれしき歩いただけで・・・。





○某日(土)曇のち晴れ 入院6日目(投与5日目)
 また何もない一日が始まる。
 だが、始まりはいつも心地よい。寝るたびにこころが洗濯されていくよう。昨日の澱もどこへやら。長時間の眠りは、心地よい目覚めを提供してくれる。当たり前のことだけど、こんなこと、ここ数年無かったな。
 TVを観てあらためて今日が土曜日だということを知る。そう、今日は土曜日。

「もの食う人びと」の続きを読む。今日中に全部読みきってしまおう。
 採血。痛かった。右なのに。

 朝飯。食パン2枚(マーガリン、イチゴジャム付)、ハムサラダ、バナナ、パック牛乳。
 隣のベッドで、食堂では俺の正面に座るTさんが、とっておいたイチゴジャムを俺にくれた。昨日つけなかったのだ。あまったのであげる、と。俺は甘党なので非常にありがたい。つまりパン一枚につき、ジャム一袋ということになる。トーストにつけたそれが、何にもましてご馳走に見えた。

 食後、食堂に居座って、隣の病室のKさんと話しこむ。30代中ごろと思われるこの方、ある宗教の人だった。なんだか面白そうだったので、いろいろお話を聞いてみた。
 こうして普通に話している分には非常にいい人に感じる。
 だがやはり、他宗派への批判もあり、また口調、表情を崩さない粛然としたその態度は、いかにも宗教者を思わせた。それでもにこやかで穏やか、礼を欠かさず、看護婦さんにまで「昨日の散歩はどうもおつかれさまでした」と徹底している。隣にいた俺もつられて思わず「ああ、いつも採血どうもです」と・・・さえない。が、Kさんを見ていて感じたのは、やはりなにか身にそわない事をやっているかのように、びくびくと緊張しながらお礼をしていること。それは宗教のドグマというより、もはや血や肉となった「そうしなければならない」という自身が自身に課す要求に答えるためのものだろうか。

 長い時間話したためか、あっという間に昼飯。弁当形式。ご飯と漬物、麻婆豆腐、春雨サラダ、こんにゃくの甘煮、、味噌汁。
 苦しい。全然腹減ってないのに。

 「もの食う人びと」読了。良書でした。
 しかし、心底「これはいい!」とは思えなかった。それはこの本が問題なのではなく、きっと俺が未熟だから。映画にたとえると、子供の頃ブレラン観て「おもしろい、けど、将来もう一度観たら、きっともっと面白く感じるのではないか」という感じ。間違いなく良書であり、深い感動への脈動は感じるが、今、自分にそれを感受する器が無い、そう感じた。
 個々の世界情勢を勉強し、その上でまた読んでみると良いかも。しかし俺って無知だ。
 特にこころを打ったものをあげるとすれば、やはりメインにくる「モガディシオ炎熱日誌」編だ。怒りにふるえながら、著者に地雷で爆死した米兵の軍服、それにこびり付いた皮膚を見せつける男。
「いばりくさった米兵はこうなるんだ!」
 その皮膚に群がる蝿、やがて陽光に焼かれ、ちりちりと縮れていく。いまにも腐臭が漂ってきそうな描写だった。
 世の中には例え難い怒りや貧困が存在する。あとがきと解説が非常に良いテキストとなってくれたので、それに倣うと、ひとつひとつの描写がただただその例え難さを訴えてきた。意味ではない、現実としてそうあることの虚しさ、憤り。そうあって、それを肌で感じても、留まることをせず、あくなき追求の世界に身を晒す勇気。いいな、かっこいいと思った。
 ただひとつ、分からなかったのは、この人は個人として国家をどうとらえているのか、ということ。国家と個人は全く同一視できない、と書いていたが、それの意味するところは全共闘世代のそれと同じなのか?

 夕飯。ご飯、ブリの照焼き(ショウガ付)、鶏肉とキノコの炒め物、大根とニンジンの酢和え。味噌汁。
 ブリが最高に(゜д゜)ウマかった。ここだからウマく感じたのではなく、本当にうまかった。

 MAMEで「ヴァンパイア・セイバー」やる。
 今日は21時からK-1GPの開幕戦なので、早めに風呂に入る。

 軽食。カステラ一切れ。

 食堂でそのままK-1観戦。いっしょに観てたのはTさんとKさんだけだった。みんな見ないのか。
 曙は王者ボンヤスキーと対戦。案の定曙敗退。ハイキック一閃。3RKO。
 武蔵対アビディ。判定で武蔵。よかった!
 消灯ギリギリまで観戦する。メインのレバンナ復帰戦は観れなかった。

 消灯。朝6時過ぎまでぐっすりと寝る。慣れてきたせいか、最近おしっこ以外では目が覚めない。
 頭が少し痛いのはなぜだろう。副作用か。違うと思うが。
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嫌われる映像

2009-04-06 23:34:40 | お仕事
ずいぶん前にも書きましたが、わたしは自分の作った映像を人が観ているところを、後ろから見るのが大好きです。


「作ったねえ。いやはや作った。まったく作ったよ実に」と、作った感が味わえるからです。
それだけですが。

先日、久しくそういった経験にあずかりました。


ことの起こりは昨年。
あるIT系ベンチャー企業さんの、説明会用映像を作る、という依頼。内容は仕事の厳しさが伝わるものを、ということでした。

そこでわれわれが制作したのは、ある社員さんに密着し、そのドキュメント映像に数人の社員インタビューを交え、厳しさの中に人間的な繋がり、そして社員の熱、会社としての大儀を表現する、というものでした。


それが今年納品され、実際に使用されている様子を、ご厚意で見学させていただけることになりました。
会場は満席。会社説明や紹介が口頭と図面で説明された後、映像が始まりました。

すると。
上映中に二名自主退場されました。

「ああっ・・・」
と思って焦ったのですが、これでいいんでした。
実は、クライアントから求められていた映像は、具体的には以下のようなもの。

IT系企業だと、どうしてもハナヤカな現場をイメージして来る学生が多い。しかし実際はド営業で、数字と結果が全ての厳しい世界。その厳しさを映像で見せて、勘違いして来てしまった学生を淘汰したい、と。

結果、説明会を開催すると上記のような「途中退場」が見られ、目的に合致したものとなりました。クライアントにもたいへん喜んでいただけてヨカッタヨカッタ。


しかし・・・
わたしはというと、やはり映像の途中で帰られてしまうというのは複雑な心境でした。
確かに目的に沿ったものは作れたかもしれない。
でも、それ以上でもそれ以下でもない。帰った人はそこに何か芽生えただろうか。刈り取ったかもしれないけど、芽生えはあったんだろうか。


作るとき、いつも自分に言い聞かせていることがあります。
もちろん、クライアントからの要望は常に意識しながら作っています。しかし、それをブッチギるような、もっと大切なもの。
それは視聴者が「面白い、興味深い、まだ見たい」と思ってくれるような映像作りです。
どんなジャンルの映像であれ、考えてみれば、これは当たり前のことだと思います。



クライアントを通り越し、作った者と観る者だけの間にある関係。映像を通じて、自分と相手だけしか存在しない。
作ることで、そんな静謐な関係を創り上げたい。


まだまだまだぜんぜんなんですが、常にそれは忘れずにいたいと思います。
今回、人から嫌われる映像を作るというアンビバレンツ(笑)な経験を通して、そんなことをより強く考えた次第であります。
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優しくない人とパンツ

2009-04-02 01:51:41 | Weblog
人に優しくありたいと思うのに、そうなれないのはなぜだろう。
なんか、自分の中のいろんなものが、邪魔をしているような気がする。プライド、偏見、誤解、経験。

素直になりたいのになれねー。スネた猫ちゃんか。
猫ちゃんとか30のおっさんがキモいが。

30といえば「コギャル」という言葉がマスコミさんを席巻したのもちょうどわれわれの世代。世代と言えば世代だけど男子校だった自分にはそんなもん関係なかったし、興味もなかった。なぜか常に同世代に性的関心がわきにくい病気患い。
そんなだから今ではすっかり女子高生とか大好きです。つかまらない事を祈ります。
ああ、やっと分かった。このごろになって。

ボヤッキーが「全国の女子高生のみなしゃーん」とか言ってたのがやっと分かった。俺も世間様にそう叫びたい。
あのアホ丸出しのミニスカート見てると、すこぶる湧き上がるものがある。
世界にはいろいろつらいことや悲しいことがあるが、全てはそれと太ももが放つバランスの前ではどうでもよくなる。見えそうで見えないパンツ。あやうさとまばゆさ。
自分と対比すると自分がとことん悲しくなる破壊力。

その悲しみによりかかっているとやがてもう、どうでもよくなってくる。
大きな人生という川の流れの中では、これは小さなことなのだ。悲しいとか言っている場合ではないのだ。どうでもいーんです。泰然たる態度でおればいいんです。
男だろっ
いや、漢だろッッ!!


ばか言っちゃいかん。
男でも漢でもそんなこたどーでもいい。今どうかってことです。

なん・・女子高生のパンツとかどうでもいいよ・・・


優しくあるっていうのは本当に難しい。
だってもともと優しくないんだもの。人を傷つけてばっかりで自分は何も与えようとしない。甘えてばかりいる。でもこうしないと生きていけないような気がして怖い。
与えるものを多くしたら、自分が無くなってしまうんじゃないかと思う。怖い。
優しいっていうのはきっと、与えても気にしない勇気のことを言うんだろう。だからそこに純粋さがある。
いろいろ自分が経験して、そっから紡がれる洗練された絹みたい。


でもどうしても絹が好きになれない。やっぱり綿が好き。
それはパンツも同じ。
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