ちくわブログ

ちくわの夜明け

旅先裏道

2010-11-30 03:56:44 | 
たまたま入ったビジネスホテルの裏通り。

そこがスコーンと入り込む風景でした。


風景っていうかなんていうか。
そういうことありませんか。
来たこと無いのに懐かしいわーと思える雰囲気。


思わずホテルを出て、惹かれるように歩いてみると、にゃんこがおったりして。


そんなまんまるな目で見られてもなんにもないよ。ごめんね。


別に目的は無いので、適当に歩いたらホテルに戻る。

こういう思い出が後になって、夢の中にいるような雰囲気で再生されたりするから面白い。

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連合赤軍を巡る 【1】 スナックバロン・植垣さん

2010-11-25 07:00:10 | 映画制作
前回、前々回と静岡について書いてきましたが、わたしが静岡に行った理由は「おでん」でも「ガンダム」でもなく、元連合赤軍兵士・植垣康博さんに会うためでした。


植垣さんについて少しばかり。
植垣さんはもともと静岡の出身ですが、地質学への興味から弘前大学へ。
ここで全共闘運動に身を投じ、頭角をあらわした頃、赤軍派と接触。メンバーである坂東國男氏率いる「坂東隊」の一員となり、資金調達のためのM(マネー、マフィア。要は強盗行為)作戦を数々こなしていく。(植垣さん著の『兵士たちの連合赤軍』においては、ここらへんまで非常にあっけらかんと、明るい青春物語のように描かれている)

やがて赤軍派が革命左派(京浜安保共闘)と共闘、連合赤軍を結成するに至り山岳ベースへ合流。
同志殺しに積極的に関わり、最後は他3名と買出しに行った折、軽井沢駅において逮捕される。
この時すでに、「粛清・逃亡・逮捕」によって連赤メンバーは9名にまで減っていた。
植垣さんたち4名の逮捕後、残りの5名があさま山荘に立て篭もり、銃撃戦を展開することになります。


植垣さんと初めてお会いしたのは今年の5月に行われた「リッダ闘争38周年記念パーティー」において。
司会進行をしていた足立監督が、参加者にそれぞれ一言を求めたわけですが、その時わたしも求められたのです。
普段は大勢の前だと、緊張して何喋ってんだか途中で分からなくなるような小心者ですが、この時、なぜか言いたいことがスラスラと言えました。
たしか、以下のようなことを喋ったのだと思います。


「70年安保を中心とした学生運動のドキュメントを撮りたいと思っている」
「ある人に『君はなんだ。興味本位か』と言われた。それをみなさんに言われたらおしまいだが、それでもやらなければならないと思う」
「思想的なことは抜きにして、皆さんがやったことは歴史的に意義があることだと思う」


この時、向かいの方に座っていた若松監督(『実録・連合赤軍』『キャタピラー』)が「そんなもん、興味本位でいいんだ!!」と叱責交じりに檄を飛ばしてくれました。

「興味本位でいい」

今日に至るまで、この一言がわたしをどれだけ奮い立たせたか知れません。


話が終わると、5人くらいの方が名刺を渡しに来て下さり、その中に、植垣さんもいました。

もちろん以前から名前やプロフィールは存じ上げており、こちらから名刺を渡して取材のお願いをしようとも思っていました。
これは願ったりかなったりだ、と取材の申し込みをさせていただくと、すんなり「いいよ」。

そしてアウトサイダーアート展でもお会いし、改めて、ちゃんとお願いしよう、ということで今回植垣さんの経営されている『スナック・バロン』にお邪魔した、というわけです。

当日はあいにくの雨降り。
7時開店とのことなので、少しコーヒーなど飲んで暇をつぶしてから、市役所近くにあるというバロンを目指しました。

駅からやや歩き、市役所を見つける。
この近くか、とキョロキョロしながら向かいの雑居ビル郡の看板を見回すと・・・

あった。

ふしぎな酒場 スナックバロン。


中に入るとけっこうな雨のせいか、客はおらず。このまま0時過ぎまで、ずっと二人でお話させていただけました。
ちなみにいつもこうかと言うとそんなことは無く、わたしが前もって電話したときは非常に忙しそうで、二度にわたり「ゴメン、今はちょっと忙しいからあとで!」となりました。

「僕のこと、おぼえてますか」
そう聞くと植垣さんは「ああ、なんとなくね」とのこと。とりあえず生中を頼み、思い出してもらうべくアウトサイダーアート展で撮った写真を渡し、リッダ闘争38周年記念パーティーのことなどをお話しする。


ここからは覚えていることまで。
というのも、しっかり飲んでしまったため、記憶が曖昧なのです。また、話が非常に興味深く面白い。話しているとお酒がうまくなる。
植垣さんはそういった人柄の方です。

以下、メモを頼りに。




連合赤軍事件は、挑戦して失敗した世界である。

森氏・永田さん・坂口氏らに対し、恨みは持っていない。
しかしその後の裁判ではもっと頑張れたのではないか。(※1)

殲滅戦とは
相手の戦闘能力を無くすこと。殺すことではない。それが何時の間にか殺すことになってしまった。

革命を、起こした後どうするか、なんてことは考えていなかった。
後は誰かがどうにかしてくれるだろう、と。とにかく革命を起こさねば、という気持ち。

植垣さんをオルグした梅内さん
大阪のどこかにいるらしいが、詳しくは不明。別に隠れてるわけじゃないんじゃないか、と。

進藤さん(坂東隊の一員。総括により死亡)のお連れ合いだったMさんについて。
元芸者さん。
連赤事件後はタクシーの運転手と結婚。しかしその方は労働組合のリーダーをやっていたため、会社の雇ったヤクザに殺される。
現在は大阪の某所に。

ダッカ事件で日航機に乗り合わせていた乗客がバロンに来たことも。
ハイジャック時、丁寧な物腰だった実行メンバー(日本赤軍)たちに「なぜこのような人たちがテロをやるのか」と疑問に持ち、その話を聞きたく、植垣さんを尋ねた。

『実録・連合赤軍』について
植垣さんとしては不服。若松監督の思いが強すぎる。『レッド』の方が余計な演出もなく、事実に忠実である。(※2)

今、語ることは辛いか。
ぜんぜんそんなことはない。

逮捕された時の映像。すごい怖い表情だったが。
あれは凍傷で足が痛かった。(※3)

不屈というか、極限状態でも常にポジティブだが・・・(総括要求されても、最初は笑ってごまかしていたほど)
基本的に目の前の問題に常に前向きに取り組む。挫折とは無縁。

本であまり描かれなかった部分。死臭について。
それはもう、ひどいもんだった。(※4)




以上です。

(※)についての補足。
(※1)連合赤軍の指導部・トップの3人。
リーダーであった赤軍派の森恒夫氏は、永田さんと共に逮捕された後、自らの犯した過ちに耐え切れず拘置所内にて73年1月1日自殺。
ナンバー2的立場で、森氏と共に同志粛清体制を敷いた革命左派・永田さんは、逮捕後数々の本を上梓。死刑が確定しているも、現在病床にて重度の意識障害と危篤を繰り返す。
かつて永田さんと事実婚状態にあったナンバー3の革命左派・坂口氏はあさま山荘で最後まで銃撃戦を闘い、逮捕後は手記や歌集を執筆。死刑確定。

(※2)若松監督が粛清で殺された遠山さんを物語前半の主人公としたのは、彼女が監督自身の作品『赤軍 - PFLP 世界戦争宣言』の上映運動を担う一員だったから。(本人談)
この上映運動のメンバーには、後にリッダ闘争で銃撃戦を行う岡本公三氏も含まれている。
あらゆる面において「監督の思いが強くなる」のは仕方のない事だと思う。映画は映画なのだから。一方で当事者として一言があるのもまた、仕方のない事ではないでしょうか。その意味で極めて地味だが作品としてものすごく尖っている『レッド』(山本直樹先生によるイブニング連載・連赤事件をモチーフにした漫画)を推すのは必然かもしれない。

(※3)この映像、2:59付近に若き日の植垣さん、逮捕直後の様子が。

こわい。

(※4)なぜこのようなことを聞いたかというと、植垣さんの『兵士たちの連合赤軍』においては、極めて整然とした文章で総括とそれによる死の様子が描かれている。
これは反省的な文章を避け、事実をありのままに読んでもらいたい、という思いからですが、実際に総括を受けた方々は縛られた上にいわゆる「垂れ流し」を強いられ、ボコボコにされて死んでゆく。
このような凄惨な状況で「臭い」があまり語られないのが個人的に不思議でしょうがなかったからです。おそらく麻痺していた、というのもあるとは思うのですが・・・
植垣さんたちが逮捕された原因のひとつに、駅の売店員が感じた悪臭というものがあるのですが、これはおそらく死臭もまざっていたのではないか、と思います。



わたしはこの後吐くまで飲み、フラフラで宿に戻りました。



余談ですが、何かのキッカケで「隣駅のガンダム観にいってました」という話になりました。

ガンダムと言えば思い出される何人かの方々のうち、キャラクターデザインで今も漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を連載している安彦良和先生。
彼は弘前大学時代の植垣さんの先輩にあたり、学生運動(反戦委員会)のリーダーを務めていました。
後にそれが原因で除籍処分を受けるそうですが、植垣さんの著書『兵士たちの連合赤軍』によると
「元民青の幹部で、今日でこそアニメーション映画で活躍しているが、その当時は、多くの学生から信頼されていた活動家だったのである」
とのことです。



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ガンダム・静岡に立つ!!

2010-11-19 02:15:01 | 
足。


静岡に来ておでんを食ったわたくしは、隣の東静岡駅へ、1/1ガンダムを観にいくことにしました。
お台場にあった頃は仕事が忙しく、行けなかったので。


当日は雨模様であり、しとしとと小雨だった空はいざ観にいこうとした夕方前から、本降りになり始めました。
それでもせっかくだからと行ってきました。

おでんやのおやじさんも観たらしく、「かあちゃんと歩いていった」と貴重な証言を。
さらに今は整備がお休みの時期かなにかで、胸のノズルから排気(ミスト)が出たりするのはやってないとか。


JRに乗って一駅。
さてガンダムはどこだ・・・駅から見えるかな。


?んん?真ん中・・・

!!

見えた!でけええええ!!


実際の設定と同じ、18メートルらしいです。
駅から歩くこと5分ほど。会場の入り口へ。

会場ではホビーフェアとかいうイベントもやってました。
しかし雨でそんなもん見る気にもなれず、とっととガンダムがおっ立つ「ガンダムゾーン」へ。

デデン!!

でーかーいー。
スゲー。
そして、カッコイイ!!!

ぶっちゃけ、アニメよりカッコイイ。
ほんとにガンダムが開発されたら、こんなんなるんだろなーと納得させる風貌。

あいにく、ビームサーベルは光ってなかったけど、目は光ってました。

後ろはドコモビル。

近くにビルがあると、市街戦を想像させていいですね!

真下から。大迫力。

うおー。
ガキの頃作ってたプラモの“ホンモノ”がマジに観れるとは!
プラモデルって本来、「本当にあるもの」のミニチュアとしてあるわけですが、ガンプラの場合は逆ですね。

後ろに回りつつバーニア部分。

くもって見えるのは大雨だったからです。苦労を察して。

真後ろから。仁王立ち。さまになるな。



というわけで、晴れもしくは夕焼けとか、そういった背景ならもっとカッコよく撮れたかもしれませんが、雨は勢いを増すは、カメラはずぶぬれだわで、悔しくない程度に撮影して会場を後にしました。

お客さんもポツポツしかおらず、オフィシャルショップや飲食店も開店休業状態でした。
しかし「生で観た」満足感はけっこうなもんで、やっぱし来てよかったなどと思いつつ静岡駅へ戻りました。

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静岡おでん食ってきた

2010-11-13 03:32:08 | 
ちょっと用事があって静岡に。


静岡って、東京から行くの初めてなんだけど、あらためて近いんだなあ。と。
新宿からバスに乗り3時間ほど。朝乗って昼過ぎには着きました。
安いし。

いつも実家(名古屋)や大阪行くのに通りすぎるだけで意識してなかったけど、近いわこりゃ。


着いたらさっそく雨。いやんなりますな。
宿に荷物置いてさーどうすっかと。用事があるのは夜からなので、少し時間が空きましたよ。

とりあえずめしでしょう。
で、静岡っつったら静岡おでんだから、食ってみるかと。


そういえばわたしは静岡に来るの、約20年ぶりなわけで。
小学生の時いらいだ。

その時は友達の元住んでいたところ、ということで、いろいろ案内してもらった。
駄菓子屋におでんあるんだよ、って言われて行ってみたら、ボロボロのお店に駄菓子やら駄玩具がうずたかく詰まれた中に、確かにおでんがあった。
えらくカオスな風景。
その風情が、子供ながらにたまらなく、非常に印象深かったのを覚えています。


そんなことを思い出しつつ、ああやはり20年もすれば記憶とは違う風景になっているな、とキョロキョロし、駅中の観光案内所へ。
そこで聞いた話によると、おでん街(おでん屋さんが軒を連ねてる古い通り)は夕方からしか開かない。なので駄菓子屋とかしかやってないですよ、と。
いや、もうまさしくそんなのがいいので、近場に無いか尋ねると、南口近くのお店を紹介してもらいました。


雨の中テクテク歩くこと数分。



南口の通りはまさしく「南口」って感じです。

間もなくお店に到着。

おにぎり屋さんらしい。
すでにいい佇まいだ。

ごめんなさいと中に入る。

すこぶる落ち着くじゃないか。たまらん。大好き。

中にはおやじさんが一人。
「おでん、食いたいんですが」というと、笑顔で迎えてくれました。


うむ。すでにうまそうだ。
ちなみにこの出されたお茶がまたうまかった。さすが静岡。飲んでから「あ、そういえばお茶所だった」と思い出したほど。


ああ、この黒い汁。
これが特徴だそうです。創業40年、ずっと使い続けてるんだって。

ほいではいただきます、と。
これも特徴、青海苔とだし粉をかけて食う。

ホフホフ。
うめえ。

薄味だけど、ダシがシッカリと効いた風味豊かな味。
黒はんぺん、タマゴ、大根、牛スジ・・・どんどん食える。

ああ、いい。たまらんなあ。
旅先でこうやって、外の景色見ながら地元の店で落ち着いてうまいもの食べるの。


このお店、ファンもいるらしく、出張で来るたびにタッパで大量に持ち帰る人もいるとか。
たしかにうまいし、雰囲気もいいしで、壁には有名人、タレントがテレビ収録などで訪れた時の写真がたくさん飾ってありました。
中にはかなりの大御所タレントがいるにもかかわらず、なぜか一番奥、上座に丁寧に飾られてあったのは、『シルシルミシル』のAD堀くんの写真とサイン。
きったねー字で「おいしかったです」と。

なんだろう。なんで堀くんが特別。


まあいいや。
ひとしきり、10本ほど食ってお会計。そしたらびっくりした。
1本50円。

えー。
いやほんとに合計額聞いて「エッ」とか言っちゃいました。
安すぎる。

「別に贅沢しなくても生きていければいいから」

だそうです。
恐れ入ります。

お店の名前は『まるしま』。静岡駅南口、歩いて数分。
朝早くからやって、他のおでん屋が開店する夕方までやってるそうです。


安さになんだか申し訳なくなり、深々とお辞儀し、店を出ました。
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つつみくんに会ってきた

2010-11-10 04:37:16 | Weblog
つつみくんは理髪店の倅です。


メル斗さんのお友達で、「会いたい」と言ったら「会える」というので会ってきました。



つつみくん宅を訪れると、つつみくんは不思議そうに僕を見てきました。
そりゃそうです。初対面ですから。「誰だろう」とばかりにじろじろ見られました。
メル斗さんに「俺から紹介するから」と言われていたので、気まずい気持ちを抑えてニコニコしながら「早く紹介してくれないかな」と待っていました。

すると車から降りてきたメル斗さん、開口一番「あ、こっち、従兄弟のこちんだ君。沖縄から来た東風平修(こちんだ おさむ)君」。



え。こちんだって誰。


つつみくんも聞きなおします。
「コチンタ?」
「こちん“た”じゃない“だ”!こちん“だ”!!だ!!!」

しれっと嘘を教えておいて突然キレるとか、メル斗さんの真意は汲みかねます。



お部屋に入れてもらうと、つつみくんは『水戸黄門』を観ていました。
最近ハマッているそうです。

そういうことなのか、お部屋には大量の日本刀が落ちていました。


すごいなー、どこで買ったんですか?やっぱりジャンプの裏表紙ですか?と聞くと
「そういうのじゃ買えない。まァ『月刊Gun』の通販とかだな」

だそうです。


なぜか日本刀を手にテンションが上がるメル斗さん(左)。
せっかくなので戦っていただきました。



「違うっ もっと真剣な顔!!」
と指示を出しながら、ものすごい笑っているメル斗さん。
期せずして「余裕の笑みを浮かべるワルモノに立ち向かうつつみ侍」の構図となりました。

中には忍者刀などもあり、そのマニアックさには驚くばかりでした。

そんなのどこで買えるんですか?やっぱりジャンプの裏表紙ですか?と聞くと
「いや、ジャンプより『月刊Gun』の通販がメインだな」

だそうです。


日本刀は持ってないけど、ライトセーバーならちょっとしたコレクションがあります。
そういう部分からお近づきになろうと
「僕もライトセーバー持ってますよ」
と言ったら

「ハハハ。俺ァ 洋物 には興味 ないんでな」



少しイラっとしました。


それでもなんとか仲良くなりたくて、部屋に飾ってあるロボットのフィギュアなんか見て「お、これは飛影(ニンジャのロボット)ですね。フル可動ですか。ホウすごいなあ」などと会話を弾ませていました。


他にもレコードのシングル盤を大量に保有しながら聴ける環境はなかったり、VHSで『夢がMORIMORI』や『聖闘士星矢』を膨大な量録画していたりと、ピンポイントでどこか外れているような不思議なコレクションを見せていただきました。

僕はそのうちに、つつみ先輩と呼ぶようになり、同じコレクター仲間としてまったく敬意を抱いた次第。


しかしインパクトではなんと言っても日本刀。
こういうのは簡単に買えるものなんですか?特に珍しいのは?と質問。

「そうだな、こういう龍の彫刻が入ったのはやっぱりなかなか手に入るもんじゃないな」

そうなんですか。そういうのはやっぱりジャンプの裏表紙で買うんですか?と聞くと

「うーん、いや主に『月刊Gun』の通販だな」


だそうです。





隣で、メル斗さんが早く帰りたがっていたので帰りました。
僕はでも、つつみくんといると落ち着くんです。なんか安心する。なんでだろう。
また会いたい。
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日本海旅行記 【7】 大間崎

2010-11-06 00:04:26 | 
8時半起床。
シャワーを浴びて宿を出る。しかしこの宿は壁が薄くてうるさかった・・・。


今日もいい天気。天気予報が外れてくれて助かった。曇りの海も悪くないが。

宿の前を流れる、大湊湾から流れる田名部川は、白鳥の飛来地で、さらに鈴屋(この日泊まっていた宿)が餌付けしているらしかった。
川では白鳥とカモメが仲良く群れていた。


11時、下北交通バスにて本州最北端である大間崎へ移動。

約2時間かけて到着。途中、窓から見る津軽湾が突き抜けるような青で、魅了された。
日本海的な暗さがないように感じた。


バスを降りたのは俺一人だった。

外に出た瞬間、凍えるような寒さ。そして突風。
土産物屋からはのんきに演歌が流れている。


吹きすさぶ風の中、海を見に行く。
容赦なく叩きつける風。
遮るものがなにもない。くさい言い方だけど、地球が生んだひとつの力を、体一つで受け止めることの厳しさを知った。

しかしその景色は何にもたとえられない。
いくらカメラで撮っても伝えきれない。
この青のパノラマはなんだろう?今まで見たことがない一面の青。こんな景色は知らなかった。

見渡す限りの青。
激しく吹き付ける突風。凪ぐことを止まない海。その中で悠々と群をなし、羽を休めるカモメ。遥かに見える函館の山々。
全てが混然となって、脳裏にグサッと刺さる。


しかし寒い。もういかん。
とりあえず目的の一つだったマグロ丼を食べよう。
ようやく一軒だけ開いてる店を見つけたが、他は閉まっていた。確かにシーズンではないから観光客自体が少ない。

マグロ丼を頼んだのに、来たのはマグロ定食だった。

飯が熱いからだと。その飯は蒸らし足りないのか、少しグチャグチャして、熱すぎて不味かった。
しかしマグロはさすが。舌に置いたとたん、とろける。たしかにこれだと、熱いめしの上に置いたらすぐにとろけてしまうかも分からん、と思った。
¥1500。


ちょっと土産物屋を見たりして時間をつぶしたが、しかしここで3時間の立ち往生を食らった。
このクソ寒い中・・・!!!
風邪がぶり返さなければいいが・・・と思いつつそう言えばこの旅に出る前、東京で買った50円の貼るカイロがあったことを思いだし、腰につける。
これがだいぶ、助かった。
たった50円でずいぶん違うものだ。

バスを待つ3時間の間、たまに海を見に行ったり、木造のバス停の中で缶コーヒー飲んだり、iPhoneで「津軽海峡・冬景色」聴いたり、ストⅣやったりした。


16時13分、ようやくバス。
17時、下風呂温泉にて下車。港町の、小さな温泉街。

大衆浴場「大湯」にて温泉につかる。
硫黄系の泉質濃い湯。
とにかくべらぼうに熱い。入っていた地元のおじいちゃんに「水でうべろ」と言われてそうして、やっと3分ほど入る。

しかしこのおかげで、長時間冷えきっていた体が、芯まで暖まった。
温泉ってのは本当にすごいもんだ。
来客は地元の人々ばかりらしく、仕事終わりに来ているようなとっつぁんばかりだった。

湯上がり、コーヒー牛乳を飲む。
バスが来るまでの時間、街をうろつく。

18時13分のバスで、下北へ戻る。

19時着。
最後の夜なので、体を休めるためビジネスホテルに泊まる。プラザホテルむつ ¥5500

夜はすき家の持ち帰りで焼き鳥丼・・・寂しい。
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