ちくわブログ

ちくわの夜明け

闘う 西成の労働者

2010-05-19 02:34:46 | 映画制作
          (写真:左と奥の人物が警察)

週末大阪に行ってました。
いつものごとく西成で宿をとり、そこらへんブラブラほっつき歩いてたんですわ。
そしたら通天閣の真下から拡声器を使ったデカイ声。

よく吉本のライブのチラシ配りとかしてるので、それ関係のパフォーマンスかなーと思ったら、いかにも怒声。
よく聞くと通天閣を批判している。


訴えとしては、通天閣は無料で登れる部分があるんですが、釜ヶ崎の労働者は差別されて登れなかったと。

以下、覚えている部分
「釜のおっちゃんたちがどれだけ新世界に金落としてんねん!新世界はおっちゃん達の遊ぶ場所やろ!通天閣は庶民の味方ちゃうんかい!管理人出てこんかい!!」

しばらくすると私服の刑事がやってきてヒートアップ。
「みなさんこの人ポリでっせー!おい!お前らが何やっとるか知ってんねんぞ!ここで言うたろか!お前らの言うこと聞くくらいやったら死んだるわ!!」


そして話は、07年に施行された、アオカン労働者の住民票抹消についても。
これによって西成の労働者は、ほとんどが選挙権や公民権を持っていません。
就職もできません。
まさに「格差社会」ってやつの縮図です。


大阪を清浄化するために行われたことでも、現実の釜ヶ崎、いわゆるあいりん地区は「行政の矛盾のツケを払う場所」みたいになってます。
実際ここには全国から職を失った人や、アウトロー達が集まっています。職安であいりんを紹介された、って話もあるくらいです。

ツケがあるとして、そのツケを払うのは行政でなく、末端の労働者という現実。


ここに「闘う理由」が生まれます。


背の低いおばちゃんが、仲間と一緒に装飾リヤカー引いて、拡声器でアジる。
これぞ闘い。

血が沸きあがる感覚を覚えました。



「闘う」ってのはすごく崇高なことで、その理由があるってことは非常に稀有なことです。
今、われわれが闘う理由を探したとして、格差や基地問題などいろいろあることはありますが、それらがことごとく血を沸かせるような沸点を持ち合わせているかというと、少なくともわたしにはありません。
ただただ、クソリアルなだけで、それを訴えることで得られるロマンは?その先にあるものは何か??
考えただけで無気力感に苛まれる。





話を少し変えます。
学生運動。
彼らにとっての闘う理由とは?

「革命」と「戦後」だと思います。

彼らにとって「革命」はマジで、「戦後」という言葉がリアルだった。
本当に夢のような社会主義国家ができると思っていた人たちがいるし、国が再び軍国主義になるかもしれない、という危機感があった。
もっと細かく言うと、学生は今よりもエリートだった。「俺たちがやらなければ」という責任感があったことでしょう。


確かに「みんながやってるからなんとなく」って人もいると思う。
でも、こんなことされてまでやるか普通?


          (「戦争がはじまる」福島菊次郎:機動隊員に暴行を受けた学生)

釜ヶ崎のおばちゃんを見て「闘う理由」について考えさせられました。
イデオロギーうんぬんじゃない。
自分より大きなものに全力でぶち当たれる勇気と行動力。それは闘う理由にこそある。

これが造反有理。

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ベイダー卿の広告ジャック

2010-05-12 03:31:08 | しゅみ道
ドコモの「Who is my boss?」ってキャンペーンで、われらがダース・ベイダー卿がイメージキャラクターをつとめてらっしゃいまして。
突然駅の広告にバーンと出たものですから、こりゃなんとしたことか、とビックリしたのですが、さらにビックリしたことには渋谷が広告ジャックされているとのこと。

つうわけで、お休みのある日に行って撮影してきましたのを淡々とアップします。



          駅構内









          渋谷駅前







          109





          街中








以上。

で、このキャンペーン、Twitterと連動し、かなり凝った内容なのですがイマイチ意味不明。
11日に真実が・・・!!みたいなアオリだったのですが、今のところサイトは以下のようになってて、渡辺謙さんと木村カエラさんの隣にベイダー卿が並んでたりして、かなりシュールです。


「ひとりと、ひとつ」 キャンペーンサイト
http://docomo-1-1.jp/

「Who is my boss?」 キャンペーンサイト
http://docomo-1-1.jp/wimb/


スター・ウォーズで盛り上がるのはうれしいことなんですけどね。

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どこかへの冒険

2010-05-07 04:04:12 | 
知らない土地を歩きたい。

日本海旅行から、まだ一ヶ月ちょっとしかたってないのに、また旅に出たくなってる。
なんでこんなんかなあ、と、前から考えていた。

別にうんざりするほど日常が嫌なわけでもないのに。
旅に出て数日すれば、疲れて帰りたくもなってくるのに。

なんで旅をしたがるかな?


三島由紀夫の言う「生の倦怠」みたいなのを、自分なりに解消しようとしてるのか。

知らない土地に行くと、見るものが新鮮で、日常の倦怠感が薄らいでゆく。
でもそれと同時に求めてるのは、他人の日常。


朝の喫茶店。
ひなびた商店街。
定食屋で見るテレビ。
ローカル線で職場や学校に向かう人々。
軒先の干物。
路地裏の猫。
閑散期のおみやげ屋。
町外れの飲み屋街。


自分がまったく違う場所で生まれていたら、まったく違う場所で生活していたら、どうなっただろう。
きっと旅を通して追体験がしたいんだろうな。


人間はみんな無意識に「ここじゃないどこか」を求めてると思う。
その「どこか」っていうのはもしかしたら本当にどこかにあるのかも知らん。

旅はそれを見つけるための、果てしない冒険なのかも、と思うことにする。

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「塩見孝也・生前葬」に見た、怒りの果て

2010-05-01 23:02:47 | 映画制作
このブログを最近から読まれている方に説明させていただきますと、僕は3年ほど前から個人的に、ある映画を制作しています。
といっても空白期間があるので実際にはそんなべったり作ったりしてるわけではないのですが・・・

内容はいわゆる学生運動、細かく言えば主に“70年安保”と呼ばれる学生主体の政治闘争に関わった方々のドキュメントです。
ゲバルトデモを中心とした当時の映像をひとつの柱とし、あの「思想の季節」と呼ばれた時代を血まみれで疾走した団塊の世代が、昔と今、どう生きたのか、そしてわれわれ息子世代がそこからなにを受け継ぎ、歴史に向かってなにを恢弘すべきか。
そういったことを訴える内容のものにしたいと思っています。


学生運動について、あまりにもわれわれ息子世代が無知すぎると思ったのが制作を思い立ったキッカケです。
世の中が極端に右傾化する体験をしたわたしにとって「権力と闘うってつまりどういうこと?」という問いは政治的なものでなく、生きることとも直結していました。
権力とは国だけではありません。
あるいは職場、あるいは個人的な人間関係においても、です。
さきほど歴史なんてたいそうなこと書きましたが、実際それは自分が生きる上でのささいなことと非常に強く繋がっていると思います。

社会において自分の価値をどこに置くか、どう考えるか、という問題とも言えるのか・・・
ああ、長くなってきたごめんなさい。


つきつめると『正しい反旗のひるがえし方』を知りたいのです。
彼らが正しい、というのではなく実践した彼らから学び、自分たちはどうするか、そして彼らのやったことに対し、きちんと歴史的な評価を下すにはどう考えていったらいいのか? という部分まで。


とはいったものの、それで自分は何をしたらいいのか分かりませんでした。
歴史の判断が下されていないものに対し、自分からアプローチするということはものすごく難しい。
あと、ぶっちゃけるとわたし自身ただのオタクなので、歴史的にどうとか、そういう視点を持てないのです。
それでもなんとかしたい、と頭の中だけでウロウロしていたある日、このイベントを知りました。


『塩見孝也・生前葬』


これだ、と思い再始動のキッカケとしました。
塩見孝也さんは、日本赤軍、連合赤軍、よど号グループで有名な赤軍派の元議長です。

赤軍派がいよいよ本格的な武装闘争に乗り出す前にパクられてしまったのと、そもそも主要な幹部が一気にパクられてしまったのとで、歴史に刻まれた赤軍派は彼の思い描いた革命運動とは違う方向に進んでいきます。

つまり「赤軍派→連合赤軍→残虐な集団→その残虐な集団を指揮した塩見孝也」というわけではありません。
ここらへん、すごく複雑なのですが、連合赤軍と塩見さんの思想とはえらく乖離している部分があります。そもそも「連合」です。京浜安保共闘という別の党派が合流しています。(これまた複雑、と言うか人間の心理に関わってくる部分なのですが、これが例の“同志殺し”に繋がった一因でもあります)


連赤事件、よど号ハイジャック、日本赤軍による海外におけるテロ。
こうしていろいろあった、いやありすぎて新左翼運動をぶっつぶしてしまった(特に連赤事件によって)わけですが、19年近い獄中生活を送ったあとでは、それも全て手遅れでした。
このあたりの心情について、ロフトの平野悠さんがすごく分かりやすくブログに書いておられました
つまり、出てきたときには味方はいなく、言い訳も許されない状態。
死んでいったものに詫び、生きている者に反論と同時に同情もしなければならない。
自分が実際に手を下したことならまだしも、そうでないことで。
個人としては極めて重い十字架を背負わされています。


しかしながら、そういった暴走にはしる「論理」の元を提唱したのは彼自身であるので、だからこそこうして何度も「総括」をしているのでしょうか。
のかな?



で、生前葬にお話を戻します。
このイベントは上記のような総括的な意味合い、そして自らが初めて知った労働というもの(左翼は労働者を指揮する立場なんですが、自身が働くのは初めてだそうです。そりゃそうだ)を知り、さらに沖縄の普天間基地問題を闘い抜くために生まれ変わる、ということだそうです。
個人的な恨みはないので、普通にご立派だなーと思います。

ビデオカメラ抱えて一人で行ったので写真はあまり撮れませんでしたが、様々な方が“弔辞”に訪れていました。
以下、写真ある方だけ。

映画『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』 『連合赤軍 あさま山荘への道程』の若松孝二監督



社会学者の宮台真司さん



かつて赤軍派と対立した三上治さん




さて、この後パーティー的なものが行われたのですが、私はその隙にインタビューを試みました。

塩見さんご本人はもちろん、ずっと以前からお会いしたいと思っていた一水会顧問・鈴木邦男さん、たまに朝生にも出ていらっしゃる雨宮処凛さん、そして三上治さん。
三上さんに「かつて敵対した人間を、今はどう思われますか」と聞いたら「それはそれ。矛盾をかかえながら生きていくものじゃない」とのこと。
会場もわきあいあいとした雰囲気。葬というより、パーティーといった感じ。


そんな中、鈴木邦男さんはこのように答えてくれました。
「ガッカリした。もっと何かあるのかと思った。昔こんなことしたら、学生がヘルメットかぶって『ふざけんな!プチブル(小市民)的だ!』って壇上に上がったもんだけどね。(敵同士だから)昔われわれが話すなんて考えられなかったが、それは良くも悪くもある。悪いことの方が多いんじゃないかな。今は緊張感と言うものがまったく無い」

当時、右翼学生でバリバリの武闘派だった鈴木さんは、笑いながら塩見さんの生き方を「マンガですよ、マンガ。すべてマンガみたい」と言っていました。
そして、塩見さんはといえば、著書の中で赤軍をこう語っています。

「赤軍の核というのは、ロマンチシズムなんです」

それはよど号グループが「われわれは“明日のジョー”である」と犯行声明を出したことと合致します。


2年前、まったく合法的な非暴力のデモに参加する塩見さんをインタビューしたとき「いいんじゃないかね、こういうのも」と笑顔で答えてくださいました。

お互いを肯定する、というこの度量は、昔の新左翼とはまったくえらい違いです。特に赤軍派が非暴力なんてことはありえないでしょうから・・・
しかしこれも全て「ロマン」という人間が動く大原則に内包されているのだと思います。

確かにはたからみているとヌルさはあるけど、かつて命をかけ合った人間たちだからこそ、許される部分なのかもしれません。



わたしは少なくとも、今のデモにはロマンのかけらも感じません。
彼らが敗北したとして(「革命」が起きてないので、現実的に見て敗北したと思っています)、その敗北で最も問題なのは、デモを文化として民衆に定着させられなかった点だと思っています。

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