ちくわブログ

ちくわの夜明け

行ってきます。

2007-10-25 08:52:07 | 映画制作
今日、新宿でお仕事の後、そのまま夜行バスで広島へ。あさってに山口入りします。

更新はsubotikuで。
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国際反戦デーと鰻 1

2007-10-21 22:01:06 | 映画制作
70年安保を「学生運動」として捉えるなら、もっとも象徴的なのは東大安田砦の攻防が想起される。しかし一方で、市民目線というか、街頭目線に立った見地で捉えるなら、もっとも激しく象徴的なのは1968年10・21国際反戦デーのいわゆる「新宿騒乱事件」だと思う。

実に二万人もの市民、学生、労働者が新宿駅構内外での実力闘争を闘い抜いた。翌22日の午前0時過ぎに騒乱罪が適用され、734人の人々が検挙された。
映画『怒りをうたえ』の冒頭はこの日の生々しい記録から始まる。


さて、現在に目を移すと、このデモが当時の意志を受け継がれ、いまだ行われていることが判明した。といっても去年から。
それで二回目の今年は、10・21を京都でやり、東京では前日の10・20に行われるらしい。
「意志」の今と昔を見比べるのに、これほどの好材料もなかなかない。取材に行ってみた。

当日。
もし機動隊が出ててもみくちゃになったりして、足を踏まれたりしたらヤなので、登山靴を履いていく。走り回るのでジャケットの下にはTシャツ1枚といういでたち。それにカメラはもちろん、相棒のDVX100。約2年ぶりにアナモフィックレンズを装着し、ショルダーベルトを通す。これに上から薄手のバッグを被せ、ベルトを直接肩にかける。
一眼レフカメラとかならオシャレに見えもするが、さすがにデカいビデオカメラを、裸で堂々と持ち歩けない。街頭ならまだしも、電車とかでややうしろめたい気持ちとなる。
あとは私物や予備バッテリー、テープなどを鞄につめこむ。とにかく軽装をこころがけた。

昼過ぎ、新宿到着。
牛丼をささっと食い、集合場所の大久保公園に急ぐ。早く着いたが、すでにチラホラと集まっていた。周辺には野次馬なのか、参加者なのか、何人かの人が突っ立っていた。おそらく多くは出入り口や周辺を警備しているおまわりさんにつられているのだろう。
公園の半分は、サッカーなどの練習に興じる若者たちで使用されており、集まりつつある高年の人々と好対照を成していた。本来ならこの、サッカーに興じる彼らが担うべきものを、すでに社会の中枢から離れかけた人々が行うというのは、なんとも皮肉なことだ。しかしそれは、彼らがやってきたことへのツケ以外の、なにものでもないと思う。この温度差こそ、彼らの敗北なんじゃないだろうか。

このデモへの呼びかけをネット上で見たが、どうも形容しがたいもどかしさを感じた。「君の得意な楽器や、ヨサコイ祭りのような衣装で参加を!!」というのだ。
こういった文で若者を動員しようと思ったのだろうか。何年か前、勉強のためにある大規模なデモに参加した。それこそ機動隊が何百人単位で出動するようなデモ。しかしこれも、若者が参加しているとはいえ、しょせん楽器を鳴らすだけに終わった。
機動隊に向かって「お前らに何ができるってんだ!何かやってみろよほら!上の命令がねえと何もできねんだろ!!」と飛ばしていたが、実際、その人自身、何もできてなかった。それだけのエネルギーがあって、目の前の機動隊員の盾すら蹴れない。これのどこが反権力なんだろう・・・

忘れてしまったのかもしれないが、じっくりと思い出して欲しい。
当時も、そして今も、若い人々が闘おうとするのは、そこにロマンがあるからだと思う。チンドン屋の真似事をしたって、それで何かが起こせると考える若者は、今はいない。


その後、案内して下さるMさんと合流する。
あんまり人が少ないので「これって、集まりいい方なんですか?」と聞いたら「いや、悪いね」と。
やがて時間になり、デモが始まる。しかしそれでも出発すると、どこから合流したのか、200人近い行列となっていた。
そしてそれこそどこから現れたのか、百何十人だかのおまわりさんまで規制に現れ・・・・


つづく
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基点

2007-10-14 00:01:55 | Weblog
休日。今日は昼に起きた。

美容院に電話。夕方からのカットの予約。
昨日の晩、何も食べてなかったので、食べようと買っておいたコンビニの大盛り焼きそばとオニギリ、野菜ジュースを飲み、食う。

食いながら、水木しげるセンセーの『のんのんばあとオレ』を読む。楽しくもせつない、水木サンこと“ゲゲ”の自伝漫画。
初恋の千草さんが亡くなり、水木少年がふさきこんでいる場面。カイショなしだが子供の想像力を大切にする父が言ったセリフ。
「その悲しみは宝物だ ええ思い出をもらったな」
あー。いい言葉。

昼寝。

髪を切りに美容院へ。
美容院は苦手。なぜかというと、常に自分を見ていなければならないから。あれはなんだか、すごく心理的な圧迫感がある。
スーパーで夕食を買い、帰宅。

わたしが作ったある編集データを、送られてきたHDに落とし、送り返すだけでいいという、ぼろいお仕事をこなす。

ネットで古本購入。10月下旬は映画製作で忙しい。会う人に応じて、読まなければならない本などがある。そういったものを調べ、手に入れていかなければならない。
本格的に動き始めてこれた。旅用のバッグ・新しい靴・ジャケットの調達、本の購入、資料の整理・・・・まずは今月下旬のデモ取材から。そして月末の山口県への取材旅行。

わくわくする。
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満面の笑み

2007-10-13 01:12:00 | お仕事
「ああ、この娘は本当にくったくなく、清らな精神をたたえつつ、育ってきたのだなあ」と思わせるような満面の笑みを持つ人がいる。
不思議でしょうがないんですけど。なぜ、そんなにくったくない笑顔を見せることができるのか。もう、それは、あきらかに心の底から「ニコーーーリ」という感じの笑みで例えるならばそう、発展途上国の子供たちが見せる笑顔のよう。あとDSで新発売のなんか、笑顔トレーニングソフトのCMみたいな笑顔。

最初見たときはたまげた。「なんだ俺にホの字け」とかそんな次元じゃない。そういう恥じらいのある笑顔じゃない。極めて明確で、堂々とした笑顔。
わたしは若干引いて、たじろいだものです。
十字架をかざされた悪霊の心境に似ているかもわからん。

逆になんでそこまで笑顔だとこっちがひるむんだろう。
きちっとこちらを見据えて「ニコー」とされると「う」となるのはなぜか。単に、わたくしが世にもマレなシャイボーイであるという点も見過ごすわけにはいかないが、しかしこの東京砂漠であそこまで疑いのない笑顔を放たれると、やはり誰でも最初は「う」となるのじゃないか。


さういえば・・・・

先日、撮影の帰り。
その娘を含むスタッフメンバーの4人で、帰宅ラッシュ近づく駅までの道のりを歩いていたところ。
他は男ばかりのため、歩くのが早かったのか、その娘はちょっと遅れて歩いていました。そこでわたしは振り返って近くに行き、こう尋ねたんです。
「こうやって後ろも振り返られずに、ずんずんと先に行かれるとムカつかん?」
すると彼女はいつものように、満面の笑みで
「ハイ!ムカつきます!」



『笑うという行為は 本来攻撃的なものであり 獣が牙をむく行為が原点である』

                            -シグルイ 第4巻-
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銀ブラの歴史

2007-10-09 01:36:39 | Weblog
ひさびさに3連休で、何も予定が入ってないときている。ヨシ、ちょっと近場の温泉か何かでも日帰りで行ってみるか、と思ったが今月末に自分の映画の取材旅行に行くので、やめにしときました。

そういうわけで、いろいろとその準備を進めながらも「遊びたい」欲にかられ、ちょっと近くまで用事がてら、銀座をねり歩いてみました。なんと言っても上京して10年近くたちますが、銀座をまともに歩いたことなぞ、一度もなかったのです。

さて、銀座で思いつくのが「銀ブラ」という言葉でありますが、どうやらこの言葉は近頃の若者には通じないらしく、どうも死語と化したよう。
いちおうのため説明しとくと、銀ブラとはすなわち、自慢のいちもつをモダン跋扈する銀座にて開陳し、ブラブラとやりながら闊歩するという、まったく芸術性あふれる行為で、大正末期から昭和初期にかけての銀座は、それこそモボ・モガ・陰茎の街」と形容されるほど「銀ブラ」が流行したと聞きます。
因みにモボ・モガとはモダンボーイ・モダンガールの略であります。

さてその銀ブラですが、ものの本によるとバブル以降はめっきりやる人もなくなったとかで、まさしく資本による「街」の風景の破壊が、こんなところにまで押し寄せたかと、驚くばかりです。
資本主義というものは全てのものを相対化、均一化し、無個性・フラットな状態にすることで、そこからシステマチックに人々から「金」というエネルギイを搾取してゆくのです。最近の好例としましては、秋葉原への巨大資本の介入とそれによるムーブメントが思い出されます。

話がそれましたが、わたしが数時間練り歩きつぶさに観察したかぎりでは、陰茎はおろか、ふんどし一丁の輩さえ発見することはできませんでした。なんとか、半ズボンの浮浪者がワンカップ片手に「ウワアアアアアーーーーー」と奇声を発しながら大量の鳩と戯れておるのを目撃した程度です。

「まったく、つまらない街だ」
わたしはしらけてしまい、1杯500円前後という銀座らしからぬ安値で天丼を食わせる店で野菜天丼とアイス天ぷらを食い、そそくさと銀座を後にしました。


戦後、空襲ですっかり変わり果ててしまった銀座を見て、内地に帰還したばかりのある詩人は、こんな詩を読んでいます。
「われ知る街よいづこ 薫風にそよぐ 銀の木野子よいづこ」

戦後の復興とともに、銀ブラも復活のきざしを見せますが、時代の流れによりその内容も変質していったようです。

60年代後半、70年安保へ向けて加熱する街頭デモ。銀座では「銀ブ連」と名乗る少数党派が登場し、イデオロギーと自己表現の高度な結びつきを目指しました。しかし丸出しの下半身は機動隊による武力排除にはまったく弱く、放水車による放水で、いわゆる「腹に入り」路上をのたうちまわる者が続出したとか。いっぽうで、水圧によりむけて「ひとつウエノ男になりますた」と喜んだ人もいたようです。
70年以後は、政治的要因は極めて希薄となり、バブル期には「第3次黄銀期」と呼ばれるほどのブームになりますが、バブルがはじけ、昭和の軽薄な時期が過ぎ去ると同時に、銀ブラもひとつの終焉をむかえるかたちとなります。


こうして去勢された銀ブラの魂。
だがしかし、わたし達は彼らの残した「自己表現」という蒙昧ながらも崇高な、この芸術的行為のエネルギーを忘れてはいけない。彼らの行為そのものはともかくとして、あの爆発的なエネルギーは純粋そのものなのだから・・・・


「われ知る街よいづこ 薫風にそよぐ 銀の木野子よいづこ」


(了)
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uniqlock

2007-10-05 01:34:28 | Weblog




これを音楽付で見てボーっとながめていたら、30分ほど経っていました。
なんか催眠作用あるこれ。
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必殺!!まんがレビュー。

2007-10-03 02:02:08 | しゅみ道
人知れず恒例化したマンガレビューのお時間がやってまいりました。通算三回目に過ぎんわけだが。



■『働きマン』 4巻 安野モヨコ
 祝!ドラマ化!!・・・しかしアニメはひどかったです。

「週刊JIDAI」編集部の三十路前の仕事女・松方さんが仕事に恋愛に人間関係につまり人生にたくましく頑張るお話。仕事をしてる人なら誰でも同感できるような悩み、葛藤を鋭くかつ、テンポよく描ききる。
とにかくこの先生は「人間」と「日常」のリアリティをドラマに紡いでいくのがものすっごく天才的にうまい方だと思う。

余談でありますがわたくし先日、『エヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観に行ったんです。そしたらミサトさんのお部屋に「週刊JIDAI」がさりげなくおいてあったので夫婦萌え。



■『東京命日』 島田虎之介
 『ラスト・ワルツ』に続くシマトラワールド第二弾。
広告代理店に勤めることとなったシマトラ先生の友人・小林君。彼が入社して間もなく、とっちんと呼ばれていた目立たない編集者が亡くなってしまう。それを機に彼は有名人の「命日」に関するドキュメントを撮りはじめる・・・・

出生に秘密を持つ調律師、ストーカーの亡霊に悩まされるストリッパー、CF業界の先人・先輩たち・・・・現在・過去・未来にわたるさまざまな運命が交錯し、物語は展開します。
『ラスト・ワルツ』と同じ形式だけど、より深く、かつ分かりにくくなっている。感想を書きたいところだけど、まだミジンコ脳では理解できてないのでまた読みます。



■『しあわせ』 戸田誠二
 「―くらげになりたい でも私の死体は残る だからがんばっている」
いろいろな人たちがいろいろつらい目に遭いながらも、それでもがんばって幸せになろうとする。そういう短編集。
「そりゃそうだ」と言ってしまえばおしまいだけど、当たり前のことは描くのがすごくムツカシーと思うので、とても素晴らしい感性だなーと思います。

戸田誠二先生はWEB漫画家でサイト「コンプレックス・プール」にて作品を発表されてらっしゃいます。




■『水木しげる伝』 (上)戦前編 水木しげる
 水木センセーの自伝漫画。上・中・下巻のうち、上巻はベビイの頃から、大戦勃発後、戦場に送られるまで。
とにかく水木センセーは神のたぐいかと思われるほど天才的なので、やることはいつも世間とずれておる。したがって、まったくうまくゆかない。
その、まったくうまくゆかないのを、自分のせいだとは思わないので今日も水木初年兵はビンタを喰らうのであります。ビビビビビーン ふはっ

今も昔も、そしてわたしも子供の時分は鬼太郎のアニメやら漫画やらを観て育ったので、水木センセーはまったくの神様と言わねばならない。わたしの頃は、鬼太郎の他に悪魔くんもやっておりました。 ポークショ



■『掃除当番』 武富健治
 アクションで連載中の『鈴木先生』が大評判の武富先生。その先生の初期短編集。
『鈴木先生』と同じく、ただ痛いだけではない、心をえぐられるような心理描写はこの頃から健在。本当に不思議な、この先生にしか描けないようなリアリズムは、ちょっと癖になります。「学校」ってのはしかし、つくづく特殊かつ閉鎖的な環境ですね。



以上。
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