行く前はさんざん「キミと会うのもこれで最後か…」とか言われていたのですが、普通に帰ってきました。
今朝もまた北朝鮮からミサイルが飛んだようで…
こんな緊迫したご時勢ですが平壌は平和でありました。
今回の目的は第一に、自分の映画『赤軍の人々』の取材。
5年前の訪朝時から今、彼らがどのように変わったか。あの後、日本人村(彼らが住んでいる平壌の郊外にある村)が開放されマスコミ取材があり、ヨーロッパ拉致疑惑の国賠訴訟、ストックホルム合意、他諸々… 様々な出来事がありました。
その一連の動きと彼らの今、そして解放された日本人村内を撮影してきました。
もう一つは、国内支援者による日本人村(よど号グループ)サイト作成と、それにまつわる諸々の会議。
わたしはこの中で映像を担当することになりました。
ここが重要で、今回の異例の訪朝は「よど号支援の名目」がなければ果たせませんでした。
実はこの数年、2度にわたってわたし自身の訪朝が却下されていました。
どうすれば行けるかということを考えた時、彼らに協力する自分自身の名目が必要でした。
さて。
5年ぶりに訪れた平壌の街は、ガラッと近代化され明るくなっており、そのめざましい発展ぶりに驚きました。
夜はネオンがそこそこきらびやかで、女性や子供を中心にファッションも明るいものに変わっていました。
詳しい事はまた順を追って書いていきたいと思います。
以上。
今朝もまた北朝鮮からミサイルが飛んだようで…
こんな緊迫したご時勢ですが平壌は平和でありました。
今回の目的は第一に、自分の映画『赤軍の人々』の取材。
5年前の訪朝時から今、彼らがどのように変わったか。あの後、日本人村(彼らが住んでいる平壌の郊外にある村)が開放されマスコミ取材があり、ヨーロッパ拉致疑惑の国賠訴訟、ストックホルム合意、他諸々… 様々な出来事がありました。
その一連の動きと彼らの今、そして解放された日本人村内を撮影してきました。
もう一つは、国内支援者による日本人村(よど号グループ)サイト作成と、それにまつわる諸々の会議。
わたしはこの中で映像を担当することになりました。
ここが重要で、今回の異例の訪朝は「よど号支援の名目」がなければ果たせませんでした。
実はこの数年、2度にわたってわたし自身の訪朝が却下されていました。
どうすれば行けるかということを考えた時、彼らに協力する自分自身の名目が必要でした。
さて。
5年ぶりに訪れた平壌の街は、ガラッと近代化され明るくなっており、そのめざましい発展ぶりに驚きました。
夜はネオンがそこそこきらびやかで、女性や子供を中心にファッションも明るいものに変わっていました。
詳しい事はまた順を追って書いていきたいと思います。
以上。
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