9時半に起きる。少しは良くなったか。熱も収まったよう。
しかし腹の調子がおかしい。このおかしさは普通の腹下しではない。この独特の痛さと胃への干渉は、間違いなく腸炎だ。
しまった。なんでこのタイミングか。
ともあれ、宿を出て再び五能線に乗り込む。
車窓はすばらしい。やっと本格的な日本海が見えてきた。
これまでの旅路でも見えていたものだが、五能線に入ってからの日本海はさらに荒々しさが増しているように感じる。
しかし五能線、後半の深浦以降は一日に数本しか出ていないのを知らなかった。
岩館駅にて3時間半の足止めをくらう。
駅といっても何もない。
本当に民家以外はない。
海があるのみ。
当然飯も食えない。
歩いているおばちゃんに聞いてみても「ねえヨ」と。
一応食べログアプリを起動させてみたが、今はやっていないイカを食わせる店が表示されたのみだった。
しょうがないので寒さをこらえて海まで行く。風邪をこじらせたくないので、無理はしたくないけど。
さむい!!!
そして荒い。
ただただ押し寄せる迫力。
まさに日本海。
あの波しぶきは何メートルあるのか?
スケールが、今まで見てきたものと違いすぎて、よく分からなくなる。
吹き付ける潮風、岩に飛び散るしぶき、脳に響くような波の音。
これが日本海か。
海辺へ来ると、遊んでいたカモメが群をなしてやってきた。
なにか餌でももらえると思ってやってきたのだろうが、それすら恐ろしかった。
寒い、荒い。そして大きい。
これが日本海。
絶対に変わらない、この力強さ。
間断なくたたきつけられる、凍てつくような潮風。
目の前の大きすぎる海。
なぜかはよく分からないけど、「死」について考えていた。
弱った身体で、誰も知らない土地で、圧倒的なものを見る。
そうすると自分という存在が不安定に思え、このまま波濤の隙間にするっと消えて無くなってもおかしくないんじゃないかと思うようになる。
そういう抽象的なことだけでなく、実際「あそこの防波堤立ったら死ぬな」とか「波に飲み込まれて死ぬときって何を考えるのか、それとも何も考えられないのか」とか「愛する人がもしこの波に飲み込まれたら、僕は助けに行かず冷静にレスキューを呼んで対処するであろう」といった具体的なものまで。
どこどこの景色が見てみたい、なになにの文化に触れたい、と思って旅をする。
しかし、実際にそれらに触れると、ひるんでしまう自分がいる。
情けない。器が小さい。そんな自分が嫌だ。
でも同時に、その小ささが知りたくて旅をしているのかもしれない。
残りの2時間半あまりは、駅舎で過ごした。
思ったとおり体がだるい。胃から腸にかけて鈍痛が止まない。
17時過ぎ。岩館まで行く五能線が到着する。
それに乗り込む。
ちょうど日が暮れかけた時間だった。
空気が違うと空も違う。夕陽がとことん赤い。
都会のようにゆっくりとしたグラデーションではない。
赤は赤、青は青だ。
車窓から見える景色はいつまでも寂しい。
iPhoneの電波も入らなくなった。
ソ○トバンク、日本海に全力で土下座しろ、と思った。
18時15分。
しかし到着した深浦はしっかりした港町だった。
電波も入り、お店もある。
ただ相変わらずひたすら寒い。
駅舎での待ち時間の折、旅館を探しておいた。
そこへ向かう途中、田舎には不似合いなこじゃれた定食屋で、焼きうどん¥600を食べる。
助かった。あったかい。
19時過ぎ、宿に到着。
一泊¥4200。いたってふつうの民宿だが、宿のおばさんが寝ていて暖房がついておらず、部屋へ入ったとき、息が白かった。
客は俺のみ。
とにかくゆっくり休みたい。
しかし腹の調子がおかしい。このおかしさは普通の腹下しではない。この独特の痛さと胃への干渉は、間違いなく腸炎だ。
しまった。なんでこのタイミングか。
ともあれ、宿を出て再び五能線に乗り込む。
車窓はすばらしい。やっと本格的な日本海が見えてきた。
これまでの旅路でも見えていたものだが、五能線に入ってからの日本海はさらに荒々しさが増しているように感じる。
しかし五能線、後半の深浦以降は一日に数本しか出ていないのを知らなかった。
岩館駅にて3時間半の足止めをくらう。
駅といっても何もない。
本当に民家以外はない。
海があるのみ。
当然飯も食えない。
歩いているおばちゃんに聞いてみても「ねえヨ」と。
一応食べログアプリを起動させてみたが、今はやっていないイカを食わせる店が表示されたのみだった。
しょうがないので寒さをこらえて海まで行く。風邪をこじらせたくないので、無理はしたくないけど。
さむい!!!
そして荒い。
ただただ押し寄せる迫力。
まさに日本海。
あの波しぶきは何メートルあるのか?
スケールが、今まで見てきたものと違いすぎて、よく分からなくなる。
吹き付ける潮風、岩に飛び散るしぶき、脳に響くような波の音。
これが日本海か。
海辺へ来ると、遊んでいたカモメが群をなしてやってきた。
なにか餌でももらえると思ってやってきたのだろうが、それすら恐ろしかった。
寒い、荒い。そして大きい。
これが日本海。
絶対に変わらない、この力強さ。
間断なくたたきつけられる、凍てつくような潮風。
目の前の大きすぎる海。
なぜかはよく分からないけど、「死」について考えていた。
弱った身体で、誰も知らない土地で、圧倒的なものを見る。
そうすると自分という存在が不安定に思え、このまま波濤の隙間にするっと消えて無くなってもおかしくないんじゃないかと思うようになる。
そういう抽象的なことだけでなく、実際「あそこの防波堤立ったら死ぬな」とか「波に飲み込まれて死ぬときって何を考えるのか、それとも何も考えられないのか」とか「愛する人がもしこの波に飲み込まれたら、僕は助けに行かず冷静にレスキューを呼んで対処するであろう」といった具体的なものまで。
どこどこの景色が見てみたい、なになにの文化に触れたい、と思って旅をする。
しかし、実際にそれらに触れると、ひるんでしまう自分がいる。
情けない。器が小さい。そんな自分が嫌だ。
でも同時に、その小ささが知りたくて旅をしているのかもしれない。
残りの2時間半あまりは、駅舎で過ごした。
思ったとおり体がだるい。胃から腸にかけて鈍痛が止まない。
17時過ぎ。岩館まで行く五能線が到着する。
それに乗り込む。
ちょうど日が暮れかけた時間だった。
空気が違うと空も違う。夕陽がとことん赤い。
都会のようにゆっくりとしたグラデーションではない。
赤は赤、青は青だ。
車窓から見える景色はいつまでも寂しい。
iPhoneの電波も入らなくなった。
ソ○トバンク、日本海に全力で土下座しろ、と思った。
18時15分。
しかし到着した深浦はしっかりした港町だった。
電波も入り、お店もある。
ただ相変わらずひたすら寒い。
駅舎での待ち時間の折、旅館を探しておいた。
そこへ向かう途中、田舎には不似合いなこじゃれた定食屋で、焼きうどん¥600を食べる。
助かった。あったかい。
19時過ぎ、宿に到着。
一泊¥4200。いたってふつうの民宿だが、宿のおばさんが寝ていて暖房がついておらず、部屋へ入ったとき、息が白かった。
客は俺のみ。
とにかくゆっくり休みたい。