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会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

戊辰150年 その1

2018-05-06 12:35:22 | 地域情報
2018年5月6日(日)晴 26.5℃~6.7℃
「それからの会津 講演」

 会津若松松平家奉賛会(林 健幸会長)の戊辰戦争百五十周年記念講演・シンポジュウム「それからの会津」は、4日会津若松市文化センターで開かれた。入場無料だが事前申し込みが必要だったので往復はがきで申し込み、入場整理券を入手。当日は鶴ヶ城周辺はゴールデンウイークで渋滞、駐車場満車が予想されてので帰省していた娘に送迎してもらった。


 二度と悲劇を繰り返さないためにはどうするかを考えた。
会津松平家十四代当主の松平保久(もりひさ)の講演に先立ち、松平さんの長男親保(ちかやす)さん等の紹介があった。
その他、来賓の挨拶などを省き、すぐに講演がはじまった。


松平さんの講演要旨は(福島民報5/5)によると
『容保公が京都守護職に就き、会津は幕末の最前線に出た。容保公の降伏文書から悲痛な思いを感じる。賊軍と認めざるを得なかった悔しさが伝わる。会津藩を語る時、「愚直」が浮かぶ。「ならぬことはならぬ」に代表される会津魂を表している。日本は明治維新で近代化したと学ぶが、賊軍・朝敵とされた会津の悔しさは大変だったはずだ。会津藩は苦難の中、新島八重、松江豊寿ら偉人を輩出した。愚直な先人の生きざまは特筆できる。会津と薩摩の和解とといわれるが、歴史上の事実はしっかり継承すべきだ。自然と「歴史」に収まる時が来たらとき、本当の意味で和解となるはずだ。』
と熱く語った。

10分休憩の後、松平保久氏、中村彰彦氏、柳沢秀夫氏の鼎談(ていだん)が、それからの会津(鶴ヶ城の開城から)としてすすめられた。話はあちこちに飛ぶが、日頃疑問におもっていたことを解き明かしてくれたので、おもしろくて時間の過ぎるのが早すぎると感じた。