会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

南三陸の復旧・復興

2015-11-05 18:06:03 | 旅行
2015年11月5日(木)晴 17.0℃~4.4℃
「大島・気仙沼港・南三陸市をめぐって」

 気仙沼市 大島一泊研修旅行の二日目(11月2日)は、前日とは一転して雨。民宿石田屋の車で大島浦の浜港へ。
 昨日は急いで車に乗り周辺の様子を見る時間もなかったが、定期船出港まで若干時間があったので周辺を散策した。約1メートルのかさ上げ復旧工事が続いていた。たった1メートルでは、今回のような津波が来れば災害は防げないと思うのだが、漁師にとってはこの1mが大変な高さ、満潮の時はよいが干潮の時は船からの荷揚げは2m以上になり梯子が必要となるそうだ。
 仮設住宅などは16m以上の高台に建てられていたので防災対策はなさているので安心した。



 定期船で気仙沼港に着き復興応援のために”気仙沼お魚いちば”で海産物などのお土産を買った。近くには”復興屋台村”があったが、朝が早かったので開店していなかった。この港の周辺もいまだ復旧工事中。







 国道45号を南下し南三陸市へ。雨が降っているので車窓から沿岸を眺めた。ブルトーザー・トラックなどの工事車両、かさ上げの土盛り工事が延々と続いている。かなり走ったが、3月14日、震災直後から約4年8月が経過した津波で損傷した建物やガレキの山は消え、高さ約10mほどの盛り土が、平野を埋め尽くす万里の長城のようにまだまだ連なっていた。津波に耐える新しい市街地を、この上に建設するためだ。今後2年後あたりに完成予定。



 この盛り土の谷間に、赤い骨組みだけの建物が見えてきた。旧南三陸町役場の防災対策庁舎だ。この庁舎をめぐり「保存」か「解体」かで、町が真っ二つに割れている。「被害を伝えるために震災遺構として残すべきだ」という声もあれば、「震災を思い出してしまう」という声もある。津波被害のシンボルをどうすべきか、人口1万4000人の小さな町が揺れている現場を訪ねた。



「津波が襲来しています。高台に避難してください」。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線で懸命にアナウンスしていた現場。
この建物の前に立って、観光地の物見のような気持になれなかった。心からの哀悼の気持ちを込めて合掌した。

宮城県の三陸海岸の一部を視察したが、東日本大震災の復興はまだまだ途半ばだと思った。この震災と東電の原発事故に遇った福島県の復興は気の遠くなる時間がかるのだろ。








三陸復興国立公園 

2015-11-05 17:43:29 | 旅行
2015年11月4日(水)晴後雨 15.8℃~5.2℃
「大島一周 漁師の宿 民宿石田屋」

 14時20分大島裏の浜に着いた。予約していた民宿石田の主人が出迎えてくれた。車に乗り三陸復興国立公園となった大島を視察。
(大島は周囲22km、人口5,000人の三陸沿岸最大の島で周辺はノリ、牡蠣、ウニ等の魚介類に恵まれている。また、気仙沼港に漁場より毎日新鮮な魚介類が水揚げされている)
 はじめに大島の北側に位置する標高235mの亀山へ。山頂からは唐桑瀬戸や浦の浜、田中浜・小田の浜(海浜水浴場)を一望し、リアス式海岸の美しいパノラマが広がっている。亀山の中腹には、古い歴史を誇る大島神社がある。
 眼下に見える場所で4年8ヶ月前に16M以上の津波が襲い、家屋が倒壊、養殖いかだや漁船が流され、34名がなくなられたのである。
 亀山を後にして大島の最南端にある龍舞埼へ(ここから望む太平洋には海蝕による岩礁の景観がある)。約2時間の島めぐりを終えて宿へ。








民宿石田屋は、遠洋マグロ漁船の漁師の宿主が退職して開業した宿である。
「自ら漁に出て水揚げするヒラメやアイナメ、クロソイなどの季節の魚介と自家養殖している鮮度が命のホタテ、自家栽培の野菜など地場の食材をメインにした海鮮料理。漁師の宿ならではの素材を活かした海の幸を自信を持って皆様にご提供しています。
お膳の内容はその日の漁で変わりますが、できるだけお客様のご希望にお応えできるよう事前にご予算をお伺いしています。6月から8月までの殻付ウニ、11月からのアワビもご用意できますのでお気軽にお問い合わせください。」





 宿泊者は我々だけであったので、宿主が遠洋漁業にでていたこと、宿泊者のために、ホタテ、牡蠣、ワカメなどを養殖していること、体験宿泊で中学生や、高校生がやってくること、震災時のことや復興のことなど話してくれた。
アイナメ、ヒラメ、ホタテなどの刺身船盛、カニ、イカ、マグロ、サンマの刺身、牡蠣、ほやの酢の物など食べきれないほど海のものが出た。
写真を撮り忘れたので、投稿されている写真をお借りしました。