2012年9月8日(土)晴れ 33.5度
朝夕は幾分涼しくなったようだが昼間はまだまだ暑い。剪定をしなかったイチジクの木が四方八方にに枝を伸ばし小さな実をたくさんつけていた。暑さのせいか枯れた葉も多かったが、やっと新し葉をつけて勢いをましてきた。
イチジクは女性の体によいといって妻は砂糖で煮詰めあちこちにあげている。私もお茶を飲むときに食べるが疲労回復にはよいみたいだ。 実が熟し大きくなってくると鳥や虫や蟻が群がってくる。人間も負けずに収穫する。もうしばらくイチジク争奪戦をすることになるだろう。
6月2日(土)旅行四日目 晴れ 有明フェリー ホテルへ
旅も後半。後一日となった。熊本城見学を終えバスで熊本県長洲港へ。有明フェリーに乗船。船室には入らず甲板後尾で海風に当たりながら有明湾の景色を眺めた。スクリューがつくる波形が帯のように流れていく。約40分で長崎県多比良港へ到着。バスで長崎ホテル清風へ向かう。。夕方6時半過ぎに到着。バス走行約170km。旅行も4日目となると疲れた一日であった。

長洲港(ながすこう)とは、熊本県玉名郡長洲町にある港湾である。港湾管理者は熊本県。地方港湾に指定されている。
有明フェリー(ありあけフェリー)は、有明海自動車航送船組合が運航するフェリーである。 この航路は1993年(平成5年)4月以降、一般国道389号の海上区間を結ぶものとなっている。
多比良港は、江戸時代に現在地よりも南側に開港し、船着き場が整備された。島原藩主の松平氏が参勤交代で対岸に渡る際に利用されることが多く、別名「殿様舟屋」と呼ばれていた。
1887年(明治20年)頃に福岡県大牟田港、佐賀県住ノ江港、熊本県八代港に定期航路が開設した。
昭和20年代には、「長崎・熊本両県の経済、文化の向上」を目的としてフェリー就航を求める機運が地元で高まり、陳情が行われた結果、1958年(昭和33年)に熊本県の長洲港とを結ぶ有明フェリー(有明海自動車航送船組合)が開設され、現在地に新しい多比良港が整備された。

長崎市内を一望できる稲佐山の中腹に建ち、全室夜景側の客室を持つのは「長崎ホテル清風」だけ。稲佐山展望台から 霧がかかって夜景の見れない雨の日でも 中腹のホテルからは かえって雨に洗われた美しい長崎の夜景をご覧いただけます。
長崎の郷土料理、卓袱料理を主にした ホテル自慢のお料理も 長崎港の日の出、夕日、夜景を観ながらの露天風呂や大浴場も 心から「幸せだなあ!!」と感じさせてくれる場面を演出します。
朝夕は幾分涼しくなったようだが昼間はまだまだ暑い。剪定をしなかったイチジクの木が四方八方にに枝を伸ばし小さな実をたくさんつけていた。暑さのせいか枯れた葉も多かったが、やっと新し葉をつけて勢いをましてきた。

6月2日(土)旅行四日目 晴れ 有明フェリー ホテルへ
旅も後半。後一日となった。熊本城見学を終えバスで熊本県長洲港へ。有明フェリーに乗船。船室には入らず甲板後尾で海風に当たりながら有明湾の景色を眺めた。スクリューがつくる波形が帯のように流れていく。約40分で長崎県多比良港へ到着。バスで長崎ホテル清風へ向かう。。夕方6時半過ぎに到着。バス走行約170km。旅行も4日目となると疲れた一日であった。

長洲港(ながすこう)とは、熊本県玉名郡長洲町にある港湾である。港湾管理者は熊本県。地方港湾に指定されている。
有明フェリー(ありあけフェリー)は、有明海自動車航送船組合が運航するフェリーである。 この航路は1993年(平成5年)4月以降、一般国道389号の海上区間を結ぶものとなっている。
多比良港は、江戸時代に現在地よりも南側に開港し、船着き場が整備された。島原藩主の松平氏が参勤交代で対岸に渡る際に利用されることが多く、別名「殿様舟屋」と呼ばれていた。
1887年(明治20年)頃に福岡県大牟田港、佐賀県住ノ江港、熊本県八代港に定期航路が開設した。
昭和20年代には、「長崎・熊本両県の経済、文化の向上」を目的としてフェリー就航を求める機運が地元で高まり、陳情が行われた結果、1958年(昭和33年)に熊本県の長洲港とを結ぶ有明フェリー(有明海自動車航送船組合)が開設され、現在地に新しい多比良港が整備された。

長崎市内を一望できる稲佐山の中腹に建ち、全室夜景側の客室を持つのは「長崎ホテル清風」だけ。稲佐山展望台から 霧がかかって夜景の見れない雨の日でも 中腹のホテルからは かえって雨に洗われた美しい長崎の夜景をご覧いただけます。
長崎の郷土料理、卓袱料理を主にした ホテル自慢のお料理も 長崎港の日の出、夕日、夜景を観ながらの露天風呂や大浴場も 心から「幸せだなあ!!」と感じさせてくれる場面を演出します。
