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会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

九州 一周 フルムーン 14 指宿温泉

2012-09-05 19:44:07 | 旅行
2012年9月5日(水)晴れ 33.7度

 朝夕は幾分涼しくなったようだが昼間はまだまだ暑い。
 いつものように豊齢研ITサロン会津の授業日。今月からJTrim画像処理ソフトを使用して学習する。何度か使っているソフトではあるがいろいろなツールがあって奥が深い。
午前中の受講者はJTrimソフトのツール(道具)の理解。午後の受講者は何年も一緒に勉強しているベテラン揃いでポスタライズを使ってみた。ポスタライズとは写真加工技術のひとつで画像の諧調数を数段階に減少させて面白い画像を作ることができる。ポスタライズの数値を変えると好みに合った画像ができる。少し複雑な手順を踏まなくてはならなかったが会員は真剣に取り組んだ。

6月2日(土)旅行三日目 くもり 指宿温泉

西大山駅を早々に引き揚げて指宿温泉に向かった。雨も止み今夜の宿〝指宿フェニクスホテル”へ予定より早めに到着。



通常、砂むし風呂はホテル外の施設で楽しむところであるが、このホテルは館内に砂むし風呂を備えた南国情緒満点のリゾートホテルなので出かけることなくてよかった。昭和63年に指宿に銀婚旅行で訪れたときは、5月のゴールデンウイークなのに台風がやってきて砂むし風呂に入ることができなかった。今回はホテル内にある砂むし風呂入浴券付き旅行なので食事前に体験した。用意された浴衣に着替え砂の上に横たわると係員が砂をかけてくれる。10分もすると全身から汗がじわーと出てきた。あまり長くは入っていられない。砂むし風呂から上がり、普通の大浴場で体を洗いさっぱりした。

指宿温泉(いぶすきおんせん)は、鹿児島県指宿市東部(旧国薩摩国)にある摺ヶ浜温泉(砂蒸しで有名)、弥次ヶ湯温泉、二月田温泉などの温泉群の総称。鹿児島県内有数の観光地であり、2003年(平成15年)において年間285万人の観光客が訪れ、91万人の宿泊客を集めている。農業や養殖などへの温泉利用も盛んであり、温泉の9割が産業利用されていた時期もあった。また、1960年頃から始まったハネムーンブームの中、「東洋のハワイ」と呼ばれた指宿温泉は、そのメッカとして賑わった。

「指宿」の名称は「湯豊宿」に由来すると言われているが別の説もある。江戸時代以前は高温の温泉や噴気口が点在する湿原であり危険な場所とされていたが、麻の加熱処理や炊事用、浴用として古くから利用されていた。江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』にも多くの温泉が紹介されている。

明治以前は自然に湧出する泉源を利用するのみであったが、地面を数m掘削することにより容易に温泉が得られることから広範囲にわたって開発が進められた。特に1919年(大正8年)頃から1955年(昭和30年)頃にかけて温泉熱を農業や製塩に利用するために地下から大量の湯がくみ上げられ、古くから使われている泉源の枯渇や温度低下などの問題が多発した。このため新たな温泉源の探索が行われ、1957年(昭和32年)に地下200-300mの新たな温泉地層が発見され利用されるようになった。1964年(昭和39年)以降、温泉の製塩への利用は禁止されているが、農業や魚の養殖への利用は現在も行われている。

高度経済成長以降、大規模なホテルが建設されるなど観光地としての開発が進み、日本国内および海外から多くの観光客が訪れるようになった。1982年(昭和57年)から毎年1月の第2日曜日に指宿温泉マラソン(1984年からいぶすき菜の花マラソン)が開催されるようになり、毎年1万人以上の参加者を集めている。