上野山下や両国広小路という盛り場では、相変わらず切支丹お蝶の籠抜けが人気を博していました。
一方、簪抜き事件も一向に治まらない。
痺れを切らした八丁堀では囮捜査まで考えました、
銀簪を挿した女を歩かせ、同心があとを尾けながら目を光らせていたというのに、煌々たる月明かりの屋敷町で、前後数丁の間、針が落ちたのも見えるほどはっきりとした明かりがありながら、簪は鮮やかに抜き取られたというし、次は小柄な同心自身が女装して縁日に紛れ込んだが、番屋へ帰り着くまでは無事で、番屋の戸口をくぐった途端に簪がなくなっていたという。
人間技である限り、実際にはそんなことがあるはずがありません。どこかにからくりがあるか見落としがあるはずですが、さっぱりわからない。
で、いつまで経っても、簪抜きの尻尾は掴めないのです。
籠抜けの切支丹お蝶と簪抜き ― 。
この二つを一緒にしてみようなどとは誰一人として考えていませんでしたが、イヤ、待てよ、と思った男が広いお江戸にたった一人だけいたのです。
源助という髪結いでした。
髪結いとはいっても、お蓮という腕のいい女髪結いを女房に持っていたので、日がな一日遊んで暮らせるという身分。
もっぱら神田明神女坂下に住む蜘蛛七という親分の手先を勤めておりました。
親分の蜘蛛七は掏摸(すり)の元締めです。
そっちのほうのお目こぼしを願う代わりに、八丁堀の御用を勤めていたのですが、掏摸でありながら、誰にも気づかれずに簪を抜くという不思議な技がどうしても理解できない。
掏摸の元締めなのですから、あらかたの掏摸の名前は知っているし、腕前も知っている。自分を含めて、誰にも気づかれずに簪を抜くという離れ業を演じられるような者は思い当たらない。
大体掏摸は相手に身体をドーンと当てたどさくさに紛れて働くものですから、自分自身の身体が周囲の目を遮る盾になります。しかし、髪に挿した簪を抜くとなると、雲を突くような大男(大女でもいいが)でない限り、周囲の目をごまかせるものがない。
「唐(から)にも天竺にも、こんな不思議な掏摸は聞いたことがねェ……」
思案投げ首のていで、ぶつくさいったのを聞いていたのが源助です。
同じように、唐にも天竺にもいない ― というので、お蝶につけられたのが「切支丹」という渾名でした。
唐にも天竺にもねぇといえば、お蝶しかいねぇ、と思いついたのが源助です。何か科学的な裏づけがあって結びつけたのではありません。なんとなく閃いた、というのですから、聞かされた蜘蛛七親分はせせら笑うしかなかったでしょう。
お蝶の籠抜けは確かに手妻(手品)のようではあるが、誰にも気づかれずに簪を抜くという手妻とはまったく違うもんだぜ。髪結い風情のおめェなんぞにゃぁわからねェだろうが、永年経験を積んだ元締めのおれが逆立ちしてもできそうもねェようなことを、いくらなんでもあんな小娘が、と……。
源助という男、腰は軽くなかったようですが、蜘蛛七がなんとほざこうと、思い込んだら一途、という性格でした。以来、愚直なまでの執拗な追跡が始まります。
お蝶が大道芸を披露したあとを何度も尾行しますが、その都度まかれてしまう。それでも諦めず、ついにお蝶がねぐらにしていた谷中在の百姓家を見つけます。そこで飽きることなく張り込みをつづけます。
源助の立てた仮説は、お蝶がねぐらにじっとしているときは簪抜き事件が起きない、ということでした。
この仮説は当たっているような、当たっていないような……。お蝶がねぐらから出ていないはずの日に事件が起きるということもあったのです。
お蝶の犯罪を真似た愉快犯の仕業か、見張っているはずなのに、抜け道でもあって、お蝶はまんまと外へ出ているのか。
源助は自信を失いかけますが、その手の事件がふえてくると、お蝶が手を染めたときとは少しばかり様相が異なっているものが混じり始める、ということに気づきます。
以前の犯罪は恋人同士か夫婦者か、あるいは不倫か……。いずれにしても仲睦まじい男女二人が連れ立っているところで被害に遭っているのですが、女ばかりでいるとき、明らかに親子と思える男女の組み合わせで事件が起きることもある、というわけです。
そして、簪抜きが始まって五年目の慶応三年夏 ― 。
源助は大川の夕涼みの人混みにまぎれているお蝶を見つけます。その夜のお蝶は若衆姿に変装していました。
「変わった扮装(なり)をしていなさるが、おめェ、籠抜けのお蝶さんじゃねェのかい?」
源助に声をかけられて、さすがのお蝶もギョッとしますが、今日は思い人の命日……その人を偲んで、こんな扮装をしていますのさ ― と、一旦は煙に巻いた。
源助はその場は適当にやり過ごし、お蝶が再び人混みに紛れ込むと、ヒタヒタとあとを尾けます。簪を三本ほど抜く現場も目撃します。
浅草見附まできたとき、暗がりから二人の影が躍り出て、両側からお蝶を押さえ込みました。北町の二人の同心が待ち伏せをしていたのです。
大の男二人がかりではお蝶も逃れるすべがありません。ついに御用となってしまいました。
これにて一件落着。源助も大手柄 ― 。
さんざんコケにされた町奉行も八丁堀もやっと胸を撫で下ろす、というところですが、ドンデン返しが待っていました。
翌朝巳の刻(午前十時)、厳しく吟味してやろうと北町奉行・井上信濃守清直が待ち構えるお白州に引き出されたのは、若衆姿ではありますが、お蝶ではなく、庄太という男でした。お蝶の乾分(こぶん)格で、勘当されたお蝶が転げ込んだのが、谷中在のこの男の家だったのです。
庄太はどれほど厳しく責められても、昨晩召し捕られたのは、お蝶ではなく自分だと言い張って引かない。確かに、どんなに優れた変わり身の業を身に着けていたとしても、同心が二人がかりで捕らえ、引っ張ってきたのですから、変わりようがありません。
信濃守、わけがわからなくなって、庄太の身柄を牢屋に戻したところ、その晩も簪抜きが起きました。
もちろん庄太が牢を破った形跡はありません。
その年の十月のある日、両国の長屋で一人の娘の屍体が発見されました。籠抜けで有名な切支丹お蝶です。石見銀山を服んだ自殺だったということです。
谷中天王寺にある杉の樹。
大きなウロの中に、何本あるのか、にわかにはわからぬほどの数の銀簪に全身を貫かれた藁人形が見つかったのは、それからほどなくしてからのことだったそうです。