とかく最新記事からしか読まれないBLOGですが、初めての方がこのサイトを読みやすいようにと少し工夫を凝らしてみました。
「あぐりこ日記」は山里で自足生活を営むあぐりこの暮らしと思いを中心にしたBLOGです。常連の方やそれらに興味のある方々は従来どおり最新記事から読んでくだされば結構です。
でもそれ以外の方、それでは飽き足らなくなった方、また特に自分の好みの分野を選びたい方々には・・・
☆ご利用メニュー!
「生きている食べ物」 ←アグリコの「食」観!
「猫のお噺し」 ←猫家(ねこや)の生き物たちの記した小さな"足あと"
「土の思い 草の想い」 ←あぐりこの綴った「思い」集。
「マルダヌキ物語」 ←マンガ好きの方にお勧めです!
「青春のアルゼンティン」 ←今から20年前の南米での「思い出」記録です。
あの頃自分も若かったっっ!(そりゃそうだ!)
「Contemporary Unit」 ←あぐりこが参加しているBLOG界の新・創作集団です。不肖あぐりこも、ここで時代を撃つべく鋭意修行中!
ここにアップする作品は、すべて「アグリコ日記」の過去記事の中からの選りすぐりを再推敲したものです。
「猫家の世界」 ←アグリコのHPです。しかし滅多に更新してません。その余力をもっぱらBLOGにぶつけてますからっ!
以上を含め主な「シリーズ」などは左サイドバーの「BOOKMARK」に置いていますが、中には昔書いたSF創作好きの方にお勧めの「マルちゃん・ストーリー」なんかもありますよ。
でも今読み直すと、なんだか恥ずかしいような気が・・・
ではBLOG「アグリコ日記」を通して、あぐりこの暮らしと思いを共有してくださいね。
過去のコメントを消すか、ある程度たまると自動的に前を消去できるといいですね。
今年も春がやってきました。
寒さ厳しく枯れ草の畑に新芽が出ています。
2月までには山焼きしないとと思いつつ、まだ実施できていません。
私のフィールドは1人で管理するには広いです。
もうすぐ農繁期。
牛がいるから農繁期でなくてもすること多いですが、
シーズン突入後はパタパタです。
やはり自然は偉大です。
面白いことに、ねこが住み着いていて、少しばかり変でした。
ここは、防衛省の建物、やつは前回の訓練時もいたと思う。
自動販売機コーナーでかっぷ麺を買っていたら堂々と擦り寄ってきた。
少々太り気味。慣れている。
抱え上げても知らん顔だった。
今年の夏、再び行きますが、多分また見るだろう。
我が家にまた猫がまいりました。
灰色ペースのブチです。体重1キロ余り。やんちゃです。
来たというより拾いました。詳細は略します。
既存のみみやんがただ今発情中で大騒動です。
今ははっちゃん並のかわいさ。
人間は勝手な生物です。
絶滅して初めて事の重大さに気づくのでしょう。
もしかすると、現代より前に一度絶滅しているかもしれませんよ。
私は今出来ることをやっています。
原発は今考えるコストが安いだけで、今後数万年、廃棄物の管理をしなくてはならないです。
今、安全安全と言っている人は施設が老朽化するころには存命していません。
原発が必要な理由は、年数回のピークを乗り切るためで、運転を絞れないそれ以外は、消費に頭を使うのです。
揚水発電、IH、オール電化、クリーンなエネルギーなどなどは融通の利かない原発を運転するためでもあります。
素人考えですが、国内の屋根10%に太陽光発電を設置すれば、原発はいらないと思います。
そして、瞬停してもいいような対策と国民の意識改革。
あれもこれもと欲張りな考えをそろそろ考えなおさないと、地球環境はくずれますよ。
今地球は、じわっと注意、警告しているに過ぎません。
目の前のもの、身の周りのもので飽き足りない人間は無い物ねだりを果てしなく繰り返し、それの障害となるものは例え動物だろうと生き物だろうと、この地球だろうと悉くを敵と看做して、あたかも癇癪を起こしたわがままいっぱいの子どものごとくに徹底的に痛めつけ破壊し尽くしているのです。
もちろんそうではない個人も中にはいるのでしょうが、人類を総体として観た場合にこの愚かな「飽くなき快楽の追求」こそが、私たち人類の自殺衝動の根源となっているのだと思います。歯止めの無い欲望はどのような場合でも人を幸せにはしません。それを肯定しようとするのはそれら欲望を食い物にして利潤を得ようとする営利企業の経営者だけでしょう。
でも人間のこの状態はたぶん、歴史的に見れば割と最近の傾向ではないのでしょうか。それ以前実際に人類は何百万年という時代に亙って自然と調和して生きてきたのだろうし、だから今もその子孫が連綿として続いている。やはり問題はどこかの段階で(あるいは徐々に)、私たちの心理が快楽至上主義に大きく偏ったということではないでしょうか。ならばそれは修正可能でもある。私はなんとなくそんな風に思うのですよ。
ただ、全世界的に効率追求の結果が今であって地球温暖化だの異常気象だのは当たり前の結果に過ぎません。それを力でねじ伏せようだなんて人類は百万年早い。
今から30年以上前に放映された「未来少年コナン」「宇宙戦艦ヤマト」は画期的なストーリーです。
ふたつともただのマンガですが、深いです。
人間も所詮はただの獣。
どんなに高レベルだとのたまったとこで、それは宇宙を視点にすれば、微々たる存在。
散々ドンパチして絶滅しないとわからないのでしょうね。
私も効率追及の波に乗っていました。
しかし、ついていくのがつらくなり、現代社会の枠で見るとドロップアウトしました。
ある意味、とても贅沢しています。
もちろん、収めるべきは収納しています。
地球は病んでいるのでしょう。これは私たち人間という狂いかけた存在が地球の細胞膜上で暴れまくってるからなのですね。
でも仮に地上で何万発の原子爆弾が炸裂したとしても、地球時間の中ではいつかまた状態を復し、数千年後には地球は再びいのちに満ちた惑星になるのだと思います。でも私は、自分が、自分の属する人類がそのようなあまりに多くを道連れにした自滅行為を選ぶことを、とても哀しく思います。
私が今、人間としてありのままに生きようと努力している理由はここにあります。自分にはもうこのように生きるしかないような気もしています。例えて言うならば、人間は今自分自身をケージ飼いの鶏のように扱ってるのじゃないでしょうか。その結果、どちらにも同じような病気や症状が蔓延してきている。
生き方の選択が、今ほど問われる時代は滅多に無いだろうと思いますよ。その意味で、とても生き甲斐のある時代ですね。
行きつけの菓子店の店員にも笑われたし。
電子メールのアドレスは、記入しました。
必要に応じて速やかに削除を願います。
話題の宮崎県民です。
鳥には何の罪もありません。
こういうことを続けているから自然に猛威を振るわれているのだと思います。
動物は、ヒトも含めて適正に管理飼育すれば、大きな問題は起こりません。
自然が何かを警告しています。上に立つ者は一刻も早くそれに気づくべきです。
ブログについては、状況に応じて書き込みます。
ただ、自宅でないという性質上、日にちが空くことはご了承ください。
だからこの地球から頂くものは、本当に素晴らしいと思います。どうしようもない親不孝息子が身に余る親心を頂くようなものですよ。もし地球がその気になったら、私たちなんてあっという間に絶滅してしまうのでしょう。
断食中だったのでいつもよりネットに向かうことができません。またブログの内容にあまり関係の無い内容を長く続ける際には私の個人メール
agricolife@h8.dion.ne.jp
に送ってくれないでしょうか。もちろんパソコンを入手してからでいいです。お願いします。
自然をなめると自然はとたんに牙をむきます。
するべきをちゃんとして望む。
それにより絶景が私たちに与えられます。
雇用については、いわゆる「普通」を一定期間やりました。
しかし、いまは状況により「普通でない」をしています。
それぞれの環境は違います。ですから、あぐりこさんの言うように、仕事は人の数だけ存在します。
今日は、NHK衛星で映画「ビバリーヒルズコップ2」があります。厳格な公務員集団に逆らうはみ出しさんに共感できるので好きです。
アポロ似のみみやんは発情してえらいな声を出しています。
仕方ないなぁ。
厳密に言えば「人の数ほど仕事(の形)はある」と思います。その人の個性や資質を最大限に生かす仕事の形は必ずあるはず。しかしそれは本人が見つけなければならない。それが社会一般的な雇用の中にないならば、自分なりに創ればいいのですね。その面では今の日本はとてもやりやすい。一見とても生活費がかかるように見えるけれど、実は過剰な贅沢をしながらかえって不健康になっているようなものです。「世間並み」という基準を取り払えば、削れるところはかなりある、というよりは8割くらいは無くて済ませれるんじゃないだろうか。
お互い社会の中でいろいろと貴重な体験をしたようですね。それが土台のひとつとなって私たちの未来は築けるのですね。その意味では無駄なものはひとつとしてありません。
ところで初日の出を見られたんですか。私はもう何年も拝んでません。近所の山から陽が覗いたところならば、毎朝見てるんですけどね。心が洗われる景色って、とても大切ですね。
この期間は、牛飼いなどにとっては、周りの対応が手薄になる期間であり、もっとも危険がはらみます。
非常事態が起こらずに過ぎてひと安心。
今年も恒例の行縢(むかばき)山初日の出登山を決行しました。
天候微妙でしたが、あきらめずに登って大正解。
見事な日の出でした。
日の出スポットは数多く存在しますが、場所が場所だけに、ここに来る人は必然的に選ばれます。
混雑とは無縁のとっておきの場所です。
雇用のことですが、
私も時間の切り売りをしました。
それはそれで経験として(雇用形態の)無駄では
ないです。
周りは永く勤めないといかんと言っていましたが、そういう現場では将来の展望は疑問ばかりで、永くいるのは正しくないという結論に達しました。
私はマスコミが騒ぎ始める数年まえにかなりの事を経験したようです。
今は心身ともに疲れ切って大地に足を降ろしているのみです。
過労死をしなかったのは過労死する前に会社を辞めたから。
病気や入院しなかったのはそうなる前に力を抜いたから。
やりっ放しでそういう状態になって悲劇のヒロインになっている人もいますが、結構なものだと思います。
周りは愛情や同情、愛の指導などとのたまるものの実はかなりの無責任です。
出来ることは自分で考えて、自己責任で進んでいるのが現在の私です。
困ったときは声をかけます。
そのときに適正な助言をしてくれる人が一番です。
ごめんなさいね。正月早々。
今日は、生そのまんま東さんを見ました。迫力十分。
ひさしぶりに山から降りましたが、街もいいですね。
ところで現実を離れた「余談」として話すのですが、個々人の時間を売り買いする雇用というものについて、私はなにかとても歪んでしまった社会の所産的なものを感じるのですよ。元々人生の時間は売れるものではないし買えるものでもない。それを現実化ならしめているのは、今当たり前と思われているこの物質的な生活水準を維持しようとするところにかなりの部分収斂されます。つまり物質的(即物的と言ってもいい)豊かさや効率を求める方向線上に人の上下関係、雇用関係、ひいては社会福祉などという観念が成り立つような気がするのです。本来人はどのように生まれようと対等な役割を持っていると思います。すべてお金に換えようとする大衆的価値観が現代のさまざまな枠組みを造り出していると思うのです。
最近とみにそんなこと思ってます。現実社会はともかく、発想だけは自由で囚われないものを持っていたいものですよね。
ところで例の薩摩式電子記憶装置について。メモリー部分を交換できるということですが、電子関係に疎い私にはそれが果たして「もったいない精神」に繋がるものかどうかなんともわからなかったのです。日進月歩のIT業界で、しかも交換を可能とする条件設定も非常に狭いような気がしたものですから。でもなにぶんわからないことが多すぎる中で考えることだから、やはりちんぷんかんぷんです。
あぐりこさんはいろいろご苦労していると察します。
この国の民は長らく単一民族で暮らしていた名残を未だに根強く保っています。
私の生き方も、周囲の風当たりは結構強いですが、
周り標準ができない事情があるからそうしているだけで、なにもあわせようだなんて考えなくなりました。
ま、てげてげにしております。
現状では、サラリーマンが一番効率よく稼いで休日もとれて、いわゆる標準家庭も築き易いです。
いろいろ転職しました。それはそれで無駄ではないです。
いまは、先祖代々の土地を耕す職になっています。
現状を考えると放棄したほうが生活は出来ます。しかし状況がそれを許しませんでした。
いまは現実を真に受け止め、いかに潰さぬように継続するかを考えるのみです。
先日の薩摩式電子記憶装置は、もったいない精神という古くて新しい精神の商品です。
私も購入は程遠いですが、キレイな佇みにほれてしまいました。
以前私は専業農家へのこだわりを手放しました。その結果今の暮らしがあるのですが、これは周囲から見ると何を職業としているかわからない、「金たくさん持ってる」生活なようですね。でも私は他人にこう思われたいという暮らしをしてるわけじゃないのです。私は私の道を歩みます。それでなんとかやっていけるようなのですよ。
また仕事は巡り会わせです。私も現金収入のために好き嫌いを越えていろんな仕事をしました。今思えばそのどれもが役立ってますよ。出会いに無駄はないのですね。
今だって、巡り会わせがあれば明日何の仕事をしてるかわかりません。でも動物たちがいるから長く家を空けることはできませんが。これも一切含めて巡り会わせですね。
薩摩式電子記憶装置、検索してみましたが、どうもちんぷんかんぷんです。とりあえず今のパソコン環境で不足はないので、あらためて買い加えることもないかなと思います。そんなにメモリーを使うこともないですし。
この手のものは待てば待つほどいいものが安くなるから、必要な時の出会いを待ちますよ。大丈夫。古いものを使うのは慣れてるんですよ。
が、値段が高かった。鹿児島の島津興業の商品で、大島紬に包まれた2ギガのメモリーです。検索してみるとおもしろいのではないでしょうか。
私はまだ不満を言っています。まだ修行が足らないのです。
とは言うものの、農業をする資金が回らないからバイトして、時間をとられるから金で時間を補てんの悪循環。好きでないといったらウソだけど、したいこともたくさんある…。
そんなうちに30も半ばになり、方向を決めるならここですよという時期に事実上の就社を決断。条件は離農でした。
これは、結果的には訳アリで取り消しとなり、今に至ります。
周りは、わたしが農業が好きだから就社をやめたと思っています。
苦渋の決断で悩みまくったのがアホみたいでした。
国内状況をみるとなぜ耕作放棄地が増えるかが分かります。
今後の自分の生活を重視するなら勤め人の方が現実的というのは今までの暮らしを想い返せぱよく分かります。
かなり弱気になったこともありましたが現代農業誌を見て元気が少し回復しました。
ただ、田舎の慣習もあり、これもなかなかです。
今日は菓子屋でケーキつくりのバイトでした。
行き着けの店で働くとは想定外。
ごっつい手でケーキを盛りました。ごめんよお客さん。
今年は今までのところ、驚くほどの暖冬ですね。例年ならば今頃雪掻きに精出してるところなのに、まだ大して雪も降ってません。おかげで秋から溜まりきっていた仕事ができます。雪との追いかけっこも、今年は気楽なものです。
迷った末に何かにお金をかける時は、ああこれだけ払うほど自分にはやりたいことがあるんだなと思うと嬉しくなりますね。まだまだ無為に生きてはいない自信が湧いてきます。
今振り返ると、お金や条件は後からついてきたのですよ。でも自分のやる気だけは、決して後からついてきません。
ひさびさに楽しい。
まるでアマチュア無線のCQみたい。
わたしは現在、成り行き上で農家をしています。
しかし、どういう理由であれ生命を扱う以上責任をもっています。
結局はみんな割に無責任でのんきです。
青島刑事よろしく事件は現場で起こっていますから。
ネットは家の前まで高速回線が来ています。
5年前に、個人的に3年かけて通信会社に陳情してもダメで、
あきらめていたところを地区の有力者の一言で開通。
彼は、自分の仕事と勘違いして誇りたかく語っていました。
ま、なんだかんだで開通したのですが、私が冷めちゃってネットカフェに甘んじているところです。
しかし、使用回数があるレベルまで来ましたので、そろそろ自宅に欲しくなりました。
農家とITは最高のパートナーです。
さあ、帰って貴重な収入源の夕刊を配って、牛やって、明日は臨時のクリスマスバイトで夜明かしです。
クリスマスは空いていますからね。
今憶えてるのは、ホルスタインならば最低29頭だったかな。北海道の諸条件でです。徹底的に省力化し、かつ専業で。
結果的に私は農業で生活するのを諦めました。なによりも生き物たちを不本意な形で養うことができない自分を見つけてしまったのです。これはお金の問題ではありませんでした。それから私の、「農業からはみ出た」模索が始まったのですよ。
今は就農6年目。農外収入で暮らしています。幸いさまざまな場所で働いてきたので「何でも屋」みたいなものです。でも私もゆるやかな赤字経営なので、明日の状態は自分でもわかりません。
なにより大切なのは、今生きている自分です。お金よりもなによりも、これを生かすことを優先しないと。
お互い頑張りましょう!
ペンネームもいいのですが、すぺてを共通させると自分が混乱するので頭文字の(さ)としておきます。
牛を増やそうとしていますが、現時点では自己資金でも補助事業でもかからない半端な5頭規模(当面の目標)で頭打ち状態です。
業界団体などは増やすように指導していますが、ジレンマ状態です。
ただ、このままでは状況はゆるやかな悪化ですので自分なりに解決策を考えているところです。
農業だけが優遇されていると聞きますが、いやぁ、現場もつらいんだ。
食ってかかる人には「コメ食うな」と言いたい。
巨大みみやんは今日も元気です。
牛舎のやまとも毎日人工的にくしゃみさせられるのに寄ってきて甘えています。
ごめんねまとんくん。
まとんとはやまとのことです。
わが家は特に田舎なので周囲の人たちに知られて困るような情報はブログに盛り込まないようにしています。特に人の悪口や噂の出所になりそうなこと。でもだからといって、記事を書くのに困ったことはありませんよ。日記や記事には自分の生き方がそのまま反映される面があります。ただ書きたいこと書いて、それで波風が立たないんであればそれが理想ですね。
よく不倫や家族知人への中傷を書く人がいますが、それもその人の生き方なんでしょうかね。
うちのアポロも元気ですよ。この前玄関でメス猫を追い掛け回したので叱ったのですが、それ以来ちょっと遠慮深げになってます。家の中や家周りでは猫同士の喧嘩や追いかけはさせないようにしてるのですよ。遊んでるなら別ですが。そうしないと、弱い者が家に寄りつけなくなるのです。
誰にでも見れるんですよね。
そういうことで、これからも内容には注意しながら良好な情報交換が出来るといいと思っています。
このページはキーワードを覚えましたので出かけた折にはアクセスしやすくなっています。
ネットも使いかた次第です。
現在はかなり乱れていると言われていますが、
一部の不届き者のために全体が遠慮することは良いとは思いません。
いたずらが出るということは、そのメディアが認知されてきた証でもあります。
今がその時期と思います。
みみやんは超元気です。
なにしろテレビも新聞もない、ラジオの入りも悪いのです。あの頃は世の中からまったくと言っていいほど隔絶してました。アメリカの同時多発テロも発生から一週間後に初めて知ったくらいです。
パソコンを買ってインターネットを始めてすぐにブログと出会いました。それからはかえって情報というものをセーブしなければならないほどに。ネットを通じて知り合った人も多く、何人もがわが家を訪ねてくれましたよ。
今やパソコンは電話と手紙代わりです。家の中に図書館を持ってるようでもあります。使い方次第なのでしょうが、暮らしがそれまでとは全然違ってきたような気がします。
パソコンが来るのが楽しみですね。特に理科系の得意な人ならば、さまざま使い勝手があるでしょうよ。
…と思っています。
ちょっと視野を広げるといい世界いっぱいですから。
ミサイルの恐怖におびえずに衣食住が出来る国なのにみんな何でしょうかね。
今日は行きつけの虎屋さんでサイエンスカフェと称して大学教授を招いてのお話がありました。
光触媒うんぬんでちょっと高レベルでしたが楽しみました。
理解したかはまあ別ですけど。
本当はそちら方面に進みたかったのですが、ま、人生いろいろですね。
ということで今は小さな農家しています。
規模は笑われる程度としておきます。
しかし、わたしたちマイクロ農家が国土保全していると自負しています。
なじみの電気店に聞いたら私の収入で何とかなるパソコンが用意できる見込みです。自宅接続は来年目標。
パソコンや無線LANは農家の為にあるとは現代農業誌にありました。
今日はいい気分なので少しだけ語りました。
ありがとうございます。
それがこの世界で人間に課せられた責任であり役割でもある。その結果の積み重ねが歴史であり、また私たちの直面している現実でもありますね。
私は必ずしも自分と違った考え方で生き物と関わる人たちを「間違ってる」と言えません。それはある意味自分自身を否定することに繋がります。人は全体の「総意」で生きているといえばわかりやすいかもしれない。私たち個々人は幹から連なる枝葉の一枚一枚みたいなものなのかもしれませんね。
私もきれいごとばかりでなく、生き物を残虐に扱ったことも数え切れないほどあります。その記憶のひとつひとつが今の私を形成してます。このブログでもその断片をテーマに書いてみようとは思うのですけれど。悔やんでも悔やみ切れない自分を受け止めなければ、前に進めない気がするのも事実です。
ちょっと深刻な話題になりましたね。同じ田畑を耕す人と知り合えて嬉しいです。でも私の方は農業とは呼べません。お金の代わりにモノを作る百姓です。今はもっぱら家を作ってるのですよ。
これで一応安心です。
動物を飼っていると空けられないのがネックですが
元をたどれば自分の選択ですからまあいいか。
牛もいますよ。
生産者なのに農協が年末に押し売り(?)する肉しか食べません。
ポーターは牛舎付近の私有地に移動したので台風冠水は免れました。
エンジンかからなーい。みどり色で山になじんでいます。
どの命も意味があると思います。
最善かは分かりませんが精一杯管理しているつもりです。
確かにもうあまり見かけなくなりました。骨董品に近い存在ではないでしょうか。この辺りの物持ちのいい農家でもさすがに乗り回してる人はいないですね。田の隅に放置されてるのはありますが。可哀想な気がします。
牛を飼ってるのですか。私は以前北海道で牧場で働いていたことがありました。牛も好きなんですが、今は飼ってません。一人暮らしということもあるし、経済動物としてはどうも生き物を扱えないのです。
猫も犬も、賢いですね。私の軽トラの音をちゃんと聞き分けますよ。たまに助手席に置いて移動したりもしています。
ああ、こいつはこうして私と一緒にいるために生まれてきたんだな、と思うときもありますよ。
ネットは出会いの反面まあ、いろいろですから個人情報の交換は自制しておきます。
ちなみに、酒井はクルマ(種別、サイズ問わず)も大好きで、これまた稀な出会い(?)、どんこんならんマツダポーターにも出没しています。
みみやんはしだいにドアの穴を広げて、只今のバリケード、
中身のある灯油缶2本、中身のある工具箱2個、灯油の入っている石油ファンヒーター、みみやんのケージ、椅子です。
廊下に押し当ててこれで一応なんとかなっています。
みみやんは常に空腹でワオンワオンと情けない声。
外出から帰ると、かなり遠方でも分かるようで、みみやんが先に感知しています。
食うことしか考えていないんでしょうか。まあ、かわいいです。
牛舎にもマトン(本名、やまとだが、太いからヤマトブタ、つまりマトン)がいて、これまたえらい。
酒井の作業パターンを知り尽くしていて、さあ帰ろというとき、足元に出現しています。
町中では猫を飼うのも大変みたいですね。動物も虫も草も、邪魔なものはみんな駆逐しようという風潮ですからね。でもその中で酒井さんに拾われてよかったですねえ。
猫の生を見続けて私もたくさんのことを学びました。彼らは単なる愛玩物ではなく立派なひとつの生命なのですね。時に我々人間より素晴らしいものを感じる時があります。
また来ました。
アポロ似のみみは昨日ついにドアを破って脱走(屋内で確保)しました。
再々なので対策はしていましたが、家のほうが限界のようです。
近所の人からいろいろありまして、こうなっています。
似た頃に拾ったもう一匹は今年の冬(正確には昨年かな)が越せませんでした。
みみ似だからにせものくんとよんでいました。
あいつは愛嬌たっぷりだった。
拾ったとき栄養失調で障害もありました。
その時はふらふらで痩せていたのですが、今ではわが家の重量格です。その割には犬歯が1本欠けてるので喧嘩には弱いみたく、たまに外出はしますがほとんど家の周りで寝そべってますよ。
短い猫のいのち、ともに生きれる喜びって、ありますね。
たまたまうちの猫似のアポロ(?)の写真を見つけたので投稿です。
私、ネットカフェからですのでもしかするともうここは見失うかも知れません。
我が家の猫はアポロ似で名前はみみです。
交通量の多い交差点の中で血まみれれでうずくまっていたのを拾いました。
今は巨大化しています。
求める人には与えられるのですね。それを私は信じています。
私は日曜学校の頃より20代まで日本基督教団の教会に通っていました。
その間もさまざまな他宗派、他宗教の門を叩きました。私は自らの意思で洗礼を受けなかったのですが、それは私なりの「生」に対する真摯さの、真剣な自己表現でした。
私は仏教徒だから、キリスト教徒だからといって、人に先入観を持つことはありません。ただ、自らの信じる道に誇りを持つ人は快いですね。人生の友を見るようです。
生きる価値はいのちにあり、人生の価値は「気づき」の連鎖による変化にあるのではないでしょうか。実質的な生の始まりが自己の目覚めの時点にあるように、硬直化した時に人は実質的な「死」を迎えるのではないでしょうか。
意味深いブログを作られてますね。農繁期でもありすぐに読むことができないので、後々時間を見て読ませていただきます。
お互いにとって、日々が新たな気づきであり生まれ変わりの時でありますように。出会えて嬉しいです。
お邪魔と思いましたが、ちょっと立ち寄らせていただきました。すみません。
私は、若い頃から人生について思索し、「生きるとは何か」を問
い続けて来ましたが、20代でクリスチャンになり、もう60代半ば
になりました。
病妻をかかえ、看病と家事をしながら一昨年の11月頃から
「ブログ」に挑戦してみました。
「神の存在」、「聖書と人生」、「人生の意味は何か」、「神の愛とは」
「いのちと死の問題」 などについて、できるだけ、初心者にも分かり
やすく、「ブログ」でキリストの愛の福音を書き綴っています。
どうか、時間のあるとき、ご訪問ください。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
最近のKenさんの記事を読んで、あぁ、もしかしたらどこかでリンクしてくれたからなのかもしれないと思いましたし、「はてなブックマーク」などで過去記事が意外な反響を呼んでいるのかもしれない。
そのどちらも自分からはわからないのですよね。私も日々記事をアップすること以上にBLOGに精通して使いこなしてるわけではないのですから。
sakeさんのBLOGの迫力を考えると、何かのきっかけでどこかで話題になってもおかしくないですよ。確かにカテゴリー別にメニューを作れば読者に優しいかもしれませんね。
きっとsakeさんに出会いたい人は多いと思うんです。
私のブログ、この数日間だけなぜかアクセス数が上がったんです。理由はよく判らないのですが、思い当たるとしたら、自分のブログに登場する人の紹介の頁をを加えたためかもしれません。
いつも同じような数だから、同じ方に読まれているものだと思っていましたが、agricoさんの言われるように初めて来た方にも読みやすいように工夫をする事も大切なのかもしれませんね。
だからこの際、過去記事の虫干しも兼ねてこんなメニューを作ってみたんですよ。サイドバーのBOOKMARKやカテゴリーをわざわざ開いて見る人はあまりいないだろうから。
tomboさんの記事の中にも印象深いものがありますよ。最近の「白日夢」なんかもいいですよね。
いい記事はぜひ新しい人にも読んでもらいたい、他のBLOGを見てても時々そう思います。
「獅子王」描くのに私も熱が入りました。下書き自体は2年近く前にできてたんですけどね。BLOGにアップするのにそれ用に描き直してます。
自分でもたまに思い出しては笑ってるんですよ。
このコメント書いている時にちょうど横にくるカテゴリーの数を見ると、随分書かれていますね。
最近はマルダヌキの太っ腹にあこがれ、私も鍋と座布団で
(あれ大好きですよ。獅子王がどうしたぁ?!って)迫る苦難を鼻で笑ってやりたいもんだと思います。