JAL123便墜落事故-真相を追う- 自衛隊撃墜説を斬る(4)
■自衛隊撃墜説を導く動機とは?
前回「自衛隊撃墜説を斬る(3)」で、在日米軍の関与を除外した自衛隊(直接)撃墜説は十中八九有り得ないことを説明しましたが、念のため、本説を唱えている方々は、何をその動機として説明しているのか検証してみたいと思います。動機に対する考え方はおおよそ次の2点に要約されます。
1. 相模湾上での事故の隠蔽(角田氏 -ただし仮説として)
2. 日本の軍国化を目指す政治的謀略(池田氏 -かなり断定的)
1.の場合、自衛隊の標的機(もしくは艦対空ミサイル)が相模湾上で「偶然にも」123便に衝突。(雫石事故の時のような)自衛隊バッシングの再燃を危惧した自衛隊が、迷走状態に陥った同機を誘導し、山中で空対空ミサイルで撃破したとするものです。
これについては、前回までに「偶然の衝突」自体が成立し得ないことを論証済みです。よって、自衛隊が「誘導(*1)」したり、山中で「撃墜(*2)」したりする必然的な理由もなくなります。しかし、これでは角田氏ご自身が見たという、123便を追いかける2機の自衛隊戦闘機や、現場近くで拾ったというミサイルと思しき金属破片など、氏がこれまで根拠としていた証言や物証の説明ができなくなってしまいます。というより、氏はこれらを根拠に自衛隊撃墜説を推論したのでしょうから、証言・証拠の存在を説明する新たな推論、動機の説明が必要になったと言えます。
2.の場合、私は池田氏の著書を読んで、動機についての説明がほとんど理解できませんでした(*3)。しかも、氏の場合は、初めの著書では相模湾上での「何か」が「標的機」だったのに、後の著書(「御巣鷹山ファイル」シリーズ)では自衛隊が密かに開発していた「巡航ミサイル」になるなど、その内容が段々とエスカレートしてきています。私なりに理解したその動機も「政府・自衛隊と大企業の複合体が、日本の再軍国化を目指し国民の知らないところで準備を始めていた。日航機事故もその現れ(性能テスト?)」という、何とも壮大なものであります。
これも、前回までの説明で成立不可能な現象であることがわかります。米軍の許可無しには1発の試射もできない自衛隊が、何で米軍の訓練海域で密かに開発した国産巡航ミサイルを発射できるというのでしょうか(*4)?いくらなんでも想像力が豊か過ぎます。ただし、1985年当時は不沈空母発言や有事立法議論、靖国神社公式参拝など、日本の防衛力や過去の戦争責任に対する解釈を巡り大きな転換期を迎えており、本気で日本の再軍国化を目指そうとしていた人々がいたことまでは否定しません。しかし、動機が存在するからといって国産巡航ミサイルが飛ぶとは限らないのであり、ミサイルを飛ばすまでの具体的な手続きが示されていない以上、認め難い仮説と言えます。
注釈の解説
*1 角田氏は123便を追尾している戦闘機を目撃しただけで、「誘導」とまでは言ってません。いったいどこで出てきた話なのか・・・そもそも、操舵能力を著しく失い、迷走飛行している123便を「誘導」できるのかという疑問に答えていません。軍事評論家のB氏によると、自衛隊戦闘機の軍事オプションに「誘導」任務は存在せず、また、そのような訓練も行っていないとのことです。
*2 自衛隊の保持する空対空ミサイルで、大型のジャンボ機が撃墜できるのかという、兵器能力上の問題点も指摘します。B氏によると、自衛隊のスパロー(AIM-7)、サイドワインダー(AIM-9)ミサイルは対戦闘機用であり、小型の戦闘機には致命的なダメージを与えられても、大型機の場合はかなりの数を打ち込まなければ撃墜には至らないとのこと。しかもミサイルというのは非常に不発が多く、半分も起爆したら多い方だとも。一発喰らって木端微塵に吹き飛ぶなどという漫画的イメージでは、現実は理解できないのです(私もB氏に叱られました)。ガンダム系アニメファンの方、気を付けてくださいね。
---- 2009.8.23 スパローの記述に間違いがあったので訂正しました。スパローは発射機が管制するセミアクティブレーダー方式、熱源を追尾する赤外線方式はサイドワインダーの方です。文意に変更はありません。
*3 後に出た本ほど、論点の飛躍が多く読むに耐えない内容でしたので、引用された証言などの他は真面目に目を通していません。上記の解釈に間違いがあったらご容赦ください。
*4 巡航ミサイルは地上(海上)スレスレの低空を長距離に渡って飛行し、地上もしくは海上の目標物を破壊するものです。間違っても飛行中の航空機を目標物として使用するものではありません。ミサイルと名前が付くものでも、使用目的によって多種多様であることを初めに理解するべきです。
* * *
以上、世の中に余りに多く「自衛隊(直接)撃墜説」が出回っているようなので、敢えてスペースを割いてこの説の反証を行いました。反証といってもそれができたのは「(直接)」部分だけであり、角田氏が示した証拠・証言、「赤い(オレンジ色の)破片」などその他の目撃証言の答を示せた訳ではありません。一方で、123便の飛行エリアが米軍統制下の空・海域と多く重複することから、米軍の関与を除外したまま自衛隊と事故を結び付けるような議論も不可能であると、ご理解いただけたかと思います。
次回は自衛隊撃墜説以外の仮説について少し触れてみたいと思います。
NON HABERES POTESTATEM ADVERSUM ME ULLAM NISI TIBI ESSET DATUM DESUPER
管理者
前回「自衛隊撃墜説を斬る(3)」で、在日米軍の関与を除外した自衛隊(直接)撃墜説は十中八九有り得ないことを説明しましたが、念のため、本説を唱えている方々は、何をその動機として説明しているのか検証してみたいと思います。動機に対する考え方はおおよそ次の2点に要約されます。
1. 相模湾上での事故の隠蔽(角田氏 -ただし仮説として)
2. 日本の軍国化を目指す政治的謀略(池田氏 -かなり断定的)
1.の場合、自衛隊の標的機(もしくは艦対空ミサイル)が相模湾上で「偶然にも」123便に衝突。(雫石事故の時のような)自衛隊バッシングの再燃を危惧した自衛隊が、迷走状態に陥った同機を誘導し、山中で空対空ミサイルで撃破したとするものです。
これについては、前回までに「偶然の衝突」自体が成立し得ないことを論証済みです。よって、自衛隊が「誘導(*1)」したり、山中で「撃墜(*2)」したりする必然的な理由もなくなります。しかし、これでは角田氏ご自身が見たという、123便を追いかける2機の自衛隊戦闘機や、現場近くで拾ったというミサイルと思しき金属破片など、氏がこれまで根拠としていた証言や物証の説明ができなくなってしまいます。というより、氏はこれらを根拠に自衛隊撃墜説を推論したのでしょうから、証言・証拠の存在を説明する新たな推論、動機の説明が必要になったと言えます。
2.の場合、私は池田氏の著書を読んで、動機についての説明がほとんど理解できませんでした(*3)。しかも、氏の場合は、初めの著書では相模湾上での「何か」が「標的機」だったのに、後の著書(「御巣鷹山ファイル」シリーズ)では自衛隊が密かに開発していた「巡航ミサイル」になるなど、その内容が段々とエスカレートしてきています。私なりに理解したその動機も「政府・自衛隊と大企業の複合体が、日本の再軍国化を目指し国民の知らないところで準備を始めていた。日航機事故もその現れ(性能テスト?)」という、何とも壮大なものであります。
これも、前回までの説明で成立不可能な現象であることがわかります。米軍の許可無しには1発の試射もできない自衛隊が、何で米軍の訓練海域で密かに開発した国産巡航ミサイルを発射できるというのでしょうか(*4)?いくらなんでも想像力が豊か過ぎます。ただし、1985年当時は不沈空母発言や有事立法議論、靖国神社公式参拝など、日本の防衛力や過去の戦争責任に対する解釈を巡り大きな転換期を迎えており、本気で日本の再軍国化を目指そうとしていた人々がいたことまでは否定しません。しかし、動機が存在するからといって国産巡航ミサイルが飛ぶとは限らないのであり、ミサイルを飛ばすまでの具体的な手続きが示されていない以上、認め難い仮説と言えます。
注釈の解説
*1 角田氏は123便を追尾している戦闘機を目撃しただけで、「誘導」とまでは言ってません。いったいどこで出てきた話なのか・・・そもそも、操舵能力を著しく失い、迷走飛行している123便を「誘導」できるのかという疑問に答えていません。軍事評論家のB氏によると、自衛隊戦闘機の軍事オプションに「誘導」任務は存在せず、また、そのような訓練も行っていないとのことです。
*2 自衛隊の保持する空対空ミサイルで、大型のジャンボ機が撃墜できるのかという、兵器能力上の問題点も指摘します。B氏によると、自衛隊のスパロー(AIM-7)、サイドワインダー(AIM-9)ミサイルは対戦闘機用であり、小型の戦闘機には致命的なダメージを与えられても、大型機の場合はかなりの数を打ち込まなければ撃墜には至らないとのこと。しかもミサイルというのは非常に不発が多く、半分も起爆したら多い方だとも。一発喰らって木端微塵に吹き飛ぶなどという漫画的イメージでは、現実は理解できないのです(私もB氏に叱られました)。ガンダム系アニメファンの方、気を付けてくださいね。
---- 2009.8.23 スパローの記述に間違いがあったので訂正しました。スパローは発射機が管制するセミアクティブレーダー方式、熱源を追尾する赤外線方式はサイドワインダーの方です。文意に変更はありません。
*3 後に出た本ほど、論点の飛躍が多く読むに耐えない内容でしたので、引用された証言などの他は真面目に目を通していません。上記の解釈に間違いがあったらご容赦ください。
*4 巡航ミサイルは地上(海上)スレスレの低空を長距離に渡って飛行し、地上もしくは海上の目標物を破壊するものです。間違っても飛行中の航空機を目標物として使用するものではありません。ミサイルと名前が付くものでも、使用目的によって多種多様であることを初めに理解するべきです。
* * *
以上、世の中に余りに多く「自衛隊(直接)撃墜説」が出回っているようなので、敢えてスペースを割いてこの説の反証を行いました。反証といってもそれができたのは「(直接)」部分だけであり、角田氏が示した証拠・証言、「赤い(オレンジ色の)破片」などその他の目撃証言の答を示せた訳ではありません。一方で、123便の飛行エリアが米軍統制下の空・海域と多く重複することから、米軍の関与を除外したまま自衛隊と事故を結び付けるような議論も不可能であると、ご理解いただけたかと思います。
次回は自衛隊撃墜説以外の仮説について少し触れてみたいと思います。
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JAL123便墜落事故-真相を追う- 自衛隊撃墜説を斬る(3)
■日本の空は誰のものか?
私たちが自衛隊とは何をする組織かと問われれば、「日本を外国からの脅威に対し、武力を以って防衛する組織」と答えるでしょう。同時に、日本の国土、領空・領海を縦横無尽に移動する車両、航空機、艦船、隊員達の姿をイメージするに違いありません。ある方はそれを頼もしく思い、またある方は、彼らの姿を市民生活への脅威と感じているのかもしれません。
どのような主義主張を心に抱くにせよ、自衛隊とは、強力な兵器の携行を許された、日本における特別な組織であると、多くの日本国民は認めているはずです。この共通認識のネガティブな面、武力で国民を統制する悪辣な組織というイメージこそ、自衛隊撃墜説を論立てる上での基礎として、これまで特に意識されることなく用いられてきました。
しかし、イメージではなく、自衛隊、もしくは日本という国家が置かれた現実を直視することにより、自衛隊撃墜説、特に基本シナリオの1.、4. 、5.が十中八九有り得ない仮説であることを簡単に論破することができます。
まず、下記の図をご覧ください。
(図1:1985年当時の管制区域:「御巣鷹の謎を追う」 米田憲司 宝島社 2005 p111 より引用)
この図を見る限り、関東西部・甲信越のほとんど空域が米軍横田基地(米空軍)の管制域であることが見て取れます。民間航路はこの管制空域を避けるように設けられ、123便など民間航空機はまるで巨大な立方体の端を舐めるようにギリギリの空域を飛ばなければなりません。後年、一部は返還されたようですが、このように、日本の首都、東京都を抱える同空域にして、圧倒的に在日米軍の統制下に置かれていることは歴然としています。
東京都知事、石原慎太郎氏がまだ元気だった頃(今もか)、横田基地の返還、もしくは民間との基地との共用を知事の公約として強く主張していた頃には、「日本の空は日本のものではない」というフレーズをよく聞いた記憶があります。あれは誇張でも何でもない事実そのものであり、石原氏が「『NO』と言える日本」や日米安保条約への疑念の表明など、戦後永らく続く、在日米軍(米国)による日本の主権への侵害行為を激しく糾弾していたのは、まだ記憶に新しいかと思います(*)。
* 余談ですが、石原氏の米軍批判はこの時期を境に急激にトーンダウンします。お得意の外国批判のメインは、後に中国・朝鮮など、氏が言うところの三国人に移ってしまいます。これについては、行き過ぎた米軍(米国)批判が理由でCIAに命を狙われ、存命の取引として、国会議員から知事クラスへの転出、米軍(米国)批判の中断を選ばずをえなかったと聞いています。このように言葉は過激でも、意外と根性無し、それが石原氏の正体なのでしょう。
図1を見れば、123便は相模湾上空での異変の後、横田管制区域をずっと飛び続けているのがわかります。横田管制から同便に対し、横田基地への着陸呼びかけが行われたことも事故調の記録に残っています。また、米軍からの救援申請を自衛隊が断ったなどの噂、事故直後に米軍の救難ヘリが現場に到着し、部員が降下寸前で命令により引き返したなどの証言(アントヌッチ証言)など、米軍との同事故の関りについては、空域の問題以外にも注視すべき点が多々あります。
詳しくは後に検証していきますが、とにかく、墜落までの経過時間の多くは米軍の横田管制空域内での出来事であり、基本シナリオ4.、5.のように、自衛隊の戦闘機が、主体的に123便を追尾・誘導したり、上空でミサイル発射するようなことはとても考えにいことです。自衛隊なんだから・・・という考えはたいへん甘いです。ここは日本の空ではないのですから。それでも自衛隊の戦闘機が関与していると言うなら、それは、米軍に許可を取り付けた上での行動、または米軍の命令か共同作戦と捉えなければなりません。私が「自衛隊(直接)撃墜説」を否定すると先に記したのは、このような意味であり、つまり、米軍の関与を無視しては123便の墜落までの顛末を語ることは出来ないということです。
続けて、以下の図もご覧になってください。
(図2:在日米軍の訓練空・海域:「日本の米軍基地の実体」 http://www.anpo-osk.jp/kiti/nihon.htm より引用)
図1もそうですが、赤い丸で囲われた地域に注目してください。既にご理解いただけたように、123便の垂直尾翼に異変が起きた相模湾は在日米軍の訓練空・海域であり、このような所で自衛隊の艦船が、自主的に艦対空ミサイルや無人標的機を飛ばせる訳はありません。ここは日本の海ではないのですから(くどいですが)。もちろん、横田管制空域の場合と同じで、米軍の関与が何かしらあれば、それはまた別の話です。
ちなみに、軍事評論家B氏の話によると、海上自衛隊の場合、在日米軍の許可無しにはミサイルの試射一つ出来ないとのことです。最近「本当は強い自衛隊」などと勇ましいタイトルの本を書店で見かけましたが、確かに、装備や隊員の錬度など、自衛隊は世界でも優秀なレベルだと思うのですが、国土を他国軍に専有され、主体的な指揮を失った状態で、いったい何の強さだというのでしょうか・・・この状況は1985年のあの日も同じだったはずです。
MERCENNARIUS AUTEM FUGIT QUIA MERCENNARIUS EST ET NON PERTINET AD EUM DE OVIBUS
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私たちが自衛隊とは何をする組織かと問われれば、「日本を外国からの脅威に対し、武力を以って防衛する組織」と答えるでしょう。同時に、日本の国土、領空・領海を縦横無尽に移動する車両、航空機、艦船、隊員達の姿をイメージするに違いありません。ある方はそれを頼もしく思い、またある方は、彼らの姿を市民生活への脅威と感じているのかもしれません。
どのような主義主張を心に抱くにせよ、自衛隊とは、強力な兵器の携行を許された、日本における特別な組織であると、多くの日本国民は認めているはずです。この共通認識のネガティブな面、武力で国民を統制する悪辣な組織というイメージこそ、自衛隊撃墜説を論立てる上での基礎として、これまで特に意識されることなく用いられてきました。
しかし、イメージではなく、自衛隊、もしくは日本という国家が置かれた現実を直視することにより、自衛隊撃墜説、特に基本シナリオの1.、4. 、5.が十中八九有り得ない仮説であることを簡単に論破することができます。
まず、下記の図をご覧ください。
(図1:1985年当時の管制区域:「御巣鷹の謎を追う」 米田憲司 宝島社 2005 p111 より引用)
この図を見る限り、関東西部・甲信越のほとんど空域が米軍横田基地(米空軍)の管制域であることが見て取れます。民間航路はこの管制空域を避けるように設けられ、123便など民間航空機はまるで巨大な立方体の端を舐めるようにギリギリの空域を飛ばなければなりません。後年、一部は返還されたようですが、このように、日本の首都、東京都を抱える同空域にして、圧倒的に在日米軍の統制下に置かれていることは歴然としています。
東京都知事、石原慎太郎氏がまだ元気だった頃(今もか)、横田基地の返還、もしくは民間との基地との共用を知事の公約として強く主張していた頃には、「日本の空は日本のものではない」というフレーズをよく聞いた記憶があります。あれは誇張でも何でもない事実そのものであり、石原氏が「『NO』と言える日本」や日米安保条約への疑念の表明など、戦後永らく続く、在日米軍(米国)による日本の主権への侵害行為を激しく糾弾していたのは、まだ記憶に新しいかと思います(*)。
* 余談ですが、石原氏の米軍批判はこの時期を境に急激にトーンダウンします。お得意の外国批判のメインは、後に中国・朝鮮など、氏が言うところの三国人に移ってしまいます。これについては、行き過ぎた米軍(米国)批判が理由でCIAに命を狙われ、存命の取引として、国会議員から知事クラスへの転出、米軍(米国)批判の中断を選ばずをえなかったと聞いています。このように言葉は過激でも、意外と根性無し、それが石原氏の正体なのでしょう。
図1を見れば、123便は相模湾上空での異変の後、横田管制区域をずっと飛び続けているのがわかります。横田管制から同便に対し、横田基地への着陸呼びかけが行われたことも事故調の記録に残っています。また、米軍からの救援申請を自衛隊が断ったなどの噂、事故直後に米軍の救難ヘリが現場に到着し、部員が降下寸前で命令により引き返したなどの証言(アントヌッチ証言)など、米軍との同事故の関りについては、空域の問題以外にも注視すべき点が多々あります。
詳しくは後に検証していきますが、とにかく、墜落までの経過時間の多くは米軍の横田管制空域内での出来事であり、基本シナリオ4.、5.のように、自衛隊の戦闘機が、主体的に123便を追尾・誘導したり、上空でミサイル発射するようなことはとても考えにいことです。自衛隊なんだから・・・という考えはたいへん甘いです。ここは日本の空ではないのですから。それでも自衛隊の戦闘機が関与していると言うなら、それは、米軍に許可を取り付けた上での行動、または米軍の命令か共同作戦と捉えなければなりません。私が「自衛隊(直接)撃墜説」を否定すると先に記したのは、このような意味であり、つまり、米軍の関与を無視しては123便の墜落までの顛末を語ることは出来ないということです。
続けて、以下の図もご覧になってください。
(図2:在日米軍の訓練空・海域:「日本の米軍基地の実体」 http://www.anpo-osk.jp/kiti/nihon.htm より引用)
図1もそうですが、赤い丸で囲われた地域に注目してください。既にご理解いただけたように、123便の垂直尾翼に異変が起きた相模湾は在日米軍の訓練空・海域であり、このような所で自衛隊の艦船が、自主的に艦対空ミサイルや無人標的機を飛ばせる訳はありません。ここは日本の海ではないのですから(くどいですが)。もちろん、横田管制空域の場合と同じで、米軍の関与が何かしらあれば、それはまた別の話です。
ちなみに、軍事評論家B氏の話によると、海上自衛隊の場合、在日米軍の許可無しにはミサイルの試射一つ出来ないとのことです。最近「本当は強い自衛隊」などと勇ましいタイトルの本を書店で見かけましたが、確かに、装備や隊員の錬度など、自衛隊は世界でも優秀なレベルだと思うのですが、国土を他国軍に専有され、主体的な指揮を失った状態で、いったい何の強さだというのでしょうか・・・この状況は1985年のあの日も同じだったはずです。
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JAL123便墜落事故-真相を追う- 自衛隊撃墜説を斬る(2)
(図は米軍のチャカⅡが艦上発射されたところ:Wikipediaより引用)
■無理がある「無人標的機」衝突説
前回「自衛隊撃墜説を斬る(1)」で示した自衛隊撃墜説の基本シナリオの1.について、他の説を検討します。
架空の艦船『たかちほ』から発射されたミサイルのお話以上に、ネット上でまことしやかに語られているのが、自衛隊の無人標的機が123便の垂直尾翼に衝突したとする説です。池田昌昭氏の著書、いわゆる「御巣鷹山ファイル」シリーズでは、海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」をすっかり当の犯人扱いしているのですが、同説の出所は、やはり角田氏の著書「疑惑-JAL123便墜落事故」でしょう。この説を唱える一番の根拠は、標的機のオレンジ色の塗装が、尾翼に残された塗料や、事故現場で目撃されたとされる、いわゆる「赤色(オレンジ色)の破片」を説明するのに好都合だからと思われます。
角田氏の著書では、標的機「ファイアー・ビー」もしくは、それより小型の「チャカⅡ」が納入前試験航行中の「まつゆき」から発射されたものではないかと疑っています。何故まだ自衛隊に納入もされていない「まつゆき」なのだ?という疑問に対しては、標的機を搭載する訓練支援艦「あづま」は、当日は呉(広島)のドックに入っており、公式記録上、標的機が飛ばせる状況ではなかったが、同海域を試験航行していた「まつゆき」が、まさに様々な試験(標的機発射も含め)を行っていたが故に、このような事故を招いてしまったのではないか、という仮説で答えています。
そもそも、同書で自衛隊の正式コメントとして述べられているように、相模湾は標的機による訓練海域ではありません。また、標的機訓練は、発射、管制、回収など役割の異なる複数の訓練支援艦が随行して行われる比較的大掛かりなものであり、随行艦は通常「あづま」などと行動を共にしているはずです。納入前の「まつゆき」が単独で標的機発射テストを行うなど到底有り得ないことです。また「まつゆき」の建造目的から考えても、わざわざ標的機の発射・管制能力を確認するなどとは考えにくいことです。「まつゆき」の同型艦は12隻も建造されており、その全てが標的機の実射による性能確認をしたというのでしょうか?たとえ、この時だけ標的機の発射テストを行ったのだとしても、随行艦だけがぞろぞろと相模湾に向かったならば、標的機訓練の事実を完全に隠蔽することは不可能でしょう(確認の意味で改めて調べる価値はあるかもしれません)。
更に付け加えるなら、前回も記述したように、当時の海上自衛隊の艦対空ミサイルは、高度7000mの付近の高空を飛ぶ飛行物体は落とせませんから、標的機をわざわざこの高度まで上げることは通常ありません。もちろん、管制に失敗したからという答えもあるでしょうが、果たして民間航路の近くでそのような危険性のある訓練を、未熟な試験航行艦を使用して行うものなのでしょうか?初めから何かの意図があればまた別の話ですが・・・
いろいろ反証してみましたが、結局のところ、この無人標的機衝突説も『たかちほ』ミサイル情報と同様に重大な誤りを含むため、やはり説得力に欠ける仮説の一つにしか成り得ません。では、その誤りとはいったい何なのか?いよいよ次回、その事実に迫ってみたいと思います。
ET NON ERAT CONVENIENS TESTIMONIUM ILLORUM
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JAL123便墜落事故-真相を追う- 自衛隊撃墜説を斬る(1)
■「自衛隊撃墜説」の概要
さて、崩壊必至の圧力隔壁説に代わって、おそらくネットを中心に最も浸透している説は、いわゆる「自衛隊撃墜説」でしょう。いろいろなバリエーションがあるようですが、大筋としては、次のような基本シナリオが想定されています。
----「自衛隊撃墜説」の基本シナリオ----
1. 相模湾上空で自衛隊の「何か」が123便の垂直尾翼に衝突
↓
2. 垂直尾翼が大破
↓
3. 迷走飛行
↓
4. 自衛隊の戦闘機(2機)が123便を誘導
↓
5. 御巣鷹山付近に誘導したところで、証拠隠滅のためミサイルで撃墜
↓
6. 墜落箇所の発見を意図的に遅らせ、証拠品を回収
確かに、1と2については、「圧力隔壁説の嘘(2)」で示した図の「外からの力」の説明になりますし、3は一般報道とも矛盾しません。4については角田四郎氏の著書に、著者自身が123便の後を2機の戦闘機が追いかけているのを目撃したとの証言があります。5.についても角田氏が現場からミサイルの断片と思わしき金属片を持ち帰っていますし、「赤い金属片」なるジャンボ機以外の部品が事故現場撮影のビデオに映っていたとの証言もあります(角田氏の著書)。6については自衛隊撃墜を云々する以前に、事故現場の発見が墜落から10時間後と、あまりにも遅いこと、発見現場の確認情報が二転三転したことから、事故当時も多くの識者がその理由について疑いを抱いています。自衛隊の「何か」やミサイル撃墜が原因だとしたら、当然証拠品を回収しようとするでしょうから、一応発見遅れの説明になっています。
ご存知のように、自衛隊には民間航空機の事故について前科があります。1971年に起きた全日空機雫石事故のことです(参考:全日空機雫石衝突事故-Wikipedia)。Wikiには、自衛隊、民間機の双方に回避ミスがありながらも、この事故の結果、自衛隊は一方的にマスコミの大バッシングを受けたとあります。本当の事を言えば、これは自衛隊戦闘機が全日空機を仮想標的にして訓練していた最中に発生した事故であり(軍事評論家B氏情報)、同義的な観点から判断すれば、明らかに自衛隊の過失と言えるものです。原因はさておき、この事故の結果、自衛隊は「空の凶器」とまで言われてしまい、国民の信頼を一気に失いました。もしも、自衛隊の「何か」が123便の事故に関係していたとしたら、同じ轍を踏まないためにも、何がなんでも隠そうとするのは容易に想像できます。
蛇足ですが、戦闘機が飛行中の民間機を仮想敵機に見立てるなどというのは日本に限らず軍事の世界では常識だそうです。報道されることはほとんどないのですが、危険な目にあった民間航空会社が軍部(日本では自衛隊)に抗議するなどというのは、世界中どこの国でも起きていることであり、中には誤って本当に打ち落とされたケースもあるとのことです(B氏情報)。恐ろしい・・
■有り得ない『たかちほ』ミサイル情報
さて、今回の締めに、自衛隊撃墜説の一つとして角田氏の著書「疑惑-JAL123便墜落事」に記述された次の一説を取り上げます。
-----------------(ここから)------------------
二度目にこの言葉を耳にしたのは知人のテレビ局スタッフからであった。彼もこの話には信憑性はない、としながらも語ってくれた。
「テレビ各局や新聞社に、自衛隊員というふれ込みで、怪文書が届いた。その内容は相模湾上にいた『たかちほ』より発射された対空ミサイル日航機に当たってしまった」というものであった。この話は後に日航乗務員の人たちからも聞いた。日本航空にもこの怪文書が届いたという。
-----------------(ここまで)------------------
文を読めばわかるように、角田氏は伝聞情報を載せているだけですので、これが角田氏の唱える自衛隊説だとは解釈しないでください。垂直尾翼破壊の原因となった基本シナリオ中の『自衛隊の「何か』は、ここでは艦対空ミサイルを指しています。
この情報には大きな嘘があります。『たかちほ』なる自衛隊艦船は当時も今も存在しません。海上自衛隊員だったら、一見して嘘だと見破ることのできる情報なのです。隊員でなくても、然るべきデータを調べれば直ぐに真偽の判定が付けられる程度のものです。
むしろ、何故このような簡単に誤情報と見破ることのできる怪文書が出回ったのかが気になります。私の予想としては、
1.自衛隊が何かを仕出かしたという先入観をマスコミに植え付ける
2.誰もが否定できる説を流布し、それを否定させることで他の陰謀説の信用性も貶める
3.マスコミ及び大衆の反応および情報分析能力を測定する
などを目的として流された情報操作(Disinformation)の可能性が濃厚です。ですから、嘘だと見破ることは簡単でも、事故を隠蔽する側の心理を分析する上で非常に大きな意味を持つ情報と言えるでしょう。
またまた蛇足ですが、当時の海上自衛隊が保有するミサイルに、7000m上空を飛び去る飛行機を撃墜する能力はありません。艦対空ミサイルについてはアメリカ製の出来損ないを掴まされていますので。データブック上は性能が謳われているでしょうが、そんなスペックが全く信用できないのは、現場の海上自衛隊員が一番よく知っているはずです。仮に実在する艦船から発射されたミサイルが123便に当たったとしたら、それこそ奇跡だと評されるでしょう。
最後に、この情報にはもっと大きな誤りが存在していることを付け加えます。その誤りとは、全ての自衛隊撃墜説に共通しているものであり、何故かこれまで指摘されてこなかったことです。それについては、次回以降にじっくり見ていきましょう。
SANCTIFICA EOS IN VERITATE SERMO TUUS VERITAS EST
管理者
さて、崩壊必至の圧力隔壁説に代わって、おそらくネットを中心に最も浸透している説は、いわゆる「自衛隊撃墜説」でしょう。いろいろなバリエーションがあるようですが、大筋としては、次のような基本シナリオが想定されています。
----「自衛隊撃墜説」の基本シナリオ----
1. 相模湾上空で自衛隊の「何か」が123便の垂直尾翼に衝突
↓
2. 垂直尾翼が大破
↓
3. 迷走飛行
↓
4. 自衛隊の戦闘機(2機)が123便を誘導
↓
5. 御巣鷹山付近に誘導したところで、証拠隠滅のためミサイルで撃墜
↓
6. 墜落箇所の発見を意図的に遅らせ、証拠品を回収
確かに、1と2については、「圧力隔壁説の嘘(2)」で示した図の「外からの力」の説明になりますし、3は一般報道とも矛盾しません。4については角田四郎氏の著書に、著者自身が123便の後を2機の戦闘機が追いかけているのを目撃したとの証言があります。5.についても角田氏が現場からミサイルの断片と思わしき金属片を持ち帰っていますし、「赤い金属片」なるジャンボ機以外の部品が事故現場撮影のビデオに映っていたとの証言もあります(角田氏の著書)。6については自衛隊撃墜を云々する以前に、事故現場の発見が墜落から10時間後と、あまりにも遅いこと、発見現場の確認情報が二転三転したことから、事故当時も多くの識者がその理由について疑いを抱いています。自衛隊の「何か」やミサイル撃墜が原因だとしたら、当然証拠品を回収しようとするでしょうから、一応発見遅れの説明になっています。
ご存知のように、自衛隊には民間航空機の事故について前科があります。1971年に起きた全日空機雫石事故のことです(参考:全日空機雫石衝突事故-Wikipedia)。Wikiには、自衛隊、民間機の双方に回避ミスがありながらも、この事故の結果、自衛隊は一方的にマスコミの大バッシングを受けたとあります。本当の事を言えば、これは自衛隊戦闘機が全日空機を仮想標的にして訓練していた最中に発生した事故であり(軍事評論家B氏情報)、同義的な観点から判断すれば、明らかに自衛隊の過失と言えるものです。原因はさておき、この事故の結果、自衛隊は「空の凶器」とまで言われてしまい、国民の信頼を一気に失いました。もしも、自衛隊の「何か」が123便の事故に関係していたとしたら、同じ轍を踏まないためにも、何がなんでも隠そうとするのは容易に想像できます。
蛇足ですが、戦闘機が飛行中の民間機を仮想敵機に見立てるなどというのは日本に限らず軍事の世界では常識だそうです。報道されることはほとんどないのですが、危険な目にあった民間航空会社が軍部(日本では自衛隊)に抗議するなどというのは、世界中どこの国でも起きていることであり、中には誤って本当に打ち落とされたケースもあるとのことです(B氏情報)。恐ろしい・・
■有り得ない『たかちほ』ミサイル情報
さて、今回の締めに、自衛隊撃墜説の一つとして角田氏の著書「疑惑-JAL123便墜落事」に記述された次の一説を取り上げます。
-----------------(ここから)------------------
二度目にこの言葉を耳にしたのは知人のテレビ局スタッフからであった。彼もこの話には信憑性はない、としながらも語ってくれた。
「テレビ各局や新聞社に、自衛隊員というふれ込みで、怪文書が届いた。その内容は相模湾上にいた『たかちほ』より発射された対空ミサイル日航機に当たってしまった」というものであった。この話は後に日航乗務員の人たちからも聞いた。日本航空にもこの怪文書が届いたという。
-----------------(ここまで)------------------
文を読めばわかるように、角田氏は伝聞情報を載せているだけですので、これが角田氏の唱える自衛隊説だとは解釈しないでください。垂直尾翼破壊の原因となった基本シナリオ中の『自衛隊の「何か』は、ここでは艦対空ミサイルを指しています。
この情報には大きな嘘があります。『たかちほ』なる自衛隊艦船は当時も今も存在しません。海上自衛隊員だったら、一見して嘘だと見破ることのできる情報なのです。隊員でなくても、然るべきデータを調べれば直ぐに真偽の判定が付けられる程度のものです。
むしろ、何故このような簡単に誤情報と見破ることのできる怪文書が出回ったのかが気になります。私の予想としては、
1.自衛隊が何かを仕出かしたという先入観をマスコミに植え付ける
2.誰もが否定できる説を流布し、それを否定させることで他の陰謀説の信用性も貶める
3.マスコミ及び大衆の反応および情報分析能力を測定する
などを目的として流された情報操作(Disinformation)の可能性が濃厚です。ですから、嘘だと見破ることは簡単でも、事故を隠蔽する側の心理を分析する上で非常に大きな意味を持つ情報と言えるでしょう。
またまた蛇足ですが、当時の海上自衛隊が保有するミサイルに、7000m上空を飛び去る飛行機を撃墜する能力はありません。艦対空ミサイルについてはアメリカ製の出来損ないを掴まされていますので。データブック上は性能が謳われているでしょうが、そんなスペックが全く信用できないのは、現場の海上自衛隊員が一番よく知っているはずです。仮に実在する艦船から発射されたミサイルが123便に当たったとしたら、それこそ奇跡だと評されるでしょう。
最後に、この情報にはもっと大きな誤りが存在していることを付け加えます。その誤りとは、全ての自衛隊撃墜説に共通しているものであり、何故かこれまで指摘されてこなかったことです。それについては、次回以降にじっくり見ていきましょう。
SANCTIFICA EOS IN VERITATE SERMO TUUS VERITAS EST
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64回目の終戦記念日に思う-戦争の実像-
戦没者の魂、ご遺族の皆様に追悼の意を表します。
本日、310万人もの日本人の命を奪った太平洋戦争が終わり、64年の歳月が経過しました。私は戦後世代ですが、家庭や学校の中で、前の世代から戦争について色々な話を聞かされることが多かったです。顔を知らない私の祖父が、南太平洋のどこかの小島で果てた話も、その中の一つです。
学校の歴史では、日本がアジアを侵略した戦争だ、日本が悪かったのだと教えられましたが、ここ何年かは、米国が日本を追い込んだために起きた戦争だ、米国は真珠湾攻撃を黙認し、日本を叩くために利用したのだ・・・と、どちらかというと「日本は悪くない」といった、日本の当時の立場を擁護するかの論調が強まっているように見えます。
確かに謀略の要素があることは認めますが、だからといって、一つの事実が明らかになる度に「○国が悪い、日本は悪くない」という結論になるのは、あまりにも短絡過ぎる気がします。
これまで、多くの先人たちの執念が、先の大戦の真実を暴き始めています。そこに見える戦争の真の姿は実にシンプルで、戦争とは国と国の戦いでなく、「持つ者が持たざる者から更に奪うため方便」と表現できるものです。
マッカーサーがフィリピンに滞在していた時、日比友好協会で日本の華族、財界人と頻繁に会っているのをご存知でしょうか?そこに集まる連中はイシヤ(フリーメーソン)の会員だったことをご存知でしょうか?その財界人たちが戦争中に、せっせと米国債を買い付けていたのをご存知でしょうか?売国行為で得た富は、今でもロスチャイルド関連の投資銀行で利殖されているのをご存知でしょうか?栗田中将が日本艦隊を反転させ、マッカーサーが乗船する手薄の艦隊への攻撃を避けたのをご存知でしょうか(謎の反転)?その栗田氏が、戦後、出所不明の資金で起業し、大成功したのをご存知でしょうか?
この辺のことはいつか詳しくレポートしようと思っておりますが、調べれば調べるほど、日本を売り渡し、戦後、巨万の富を築いた財界人、権力を手にした官僚・政治家・軍人の多さに驚かされます。結局のところ、多くの日本人、アジア人、そして連合国軍兵士の命を踏み台に、戦勝国・敗戦国の違いは関係なく、持てる者がただ富を増やした、それが、先の戦争の実体なのです。
これを知らずして、何の靖国参拝論議なのでしょう。見ていて惨めな気持ちになるだけです。
おまけ
「核が戦争終結を早めた、日米の犠牲を最小に留めてくれた」これは、米国が主張する核使用を肯定する論理ですが、これも嘘っぱちです。昭和20年の当初から終戦の打診は行われており、そこで一番の問題になっていたのが「天皇制による国体の維持」でした。それまで討議されていた国体に関する条項が、ポツダム宣言では突然削除されたため、日本は終戦提案を受け入れられなくなりました。更には、日本の要求を受け入れる交換条件として、核兵器の使用を黙認するよう迫ってきたのです。目的は何か?戦局は既に決していたのですから実戦データの採取以外に考えられません。彼らにとって黄色人種は動物実験の猿と変わらないということなのでしょう。結局、日本は国体維持のためこの無茶苦茶な要求を呑むことを決め、晴れて世界で最初の被爆国となったのです。つまり、日本軍は、日時・投下地点などを含め、米国の核爆弾投下を事前に知り、それを看過していたことになります。
そして・・・尊き日本の国土は、戦後も核の実験場として蹂躙され続けることとなるのです。
本日、310万人もの日本人の命を奪った太平洋戦争が終わり、64年の歳月が経過しました。私は戦後世代ですが、家庭や学校の中で、前の世代から戦争について色々な話を聞かされることが多かったです。顔を知らない私の祖父が、南太平洋のどこかの小島で果てた話も、その中の一つです。
学校の歴史では、日本がアジアを侵略した戦争だ、日本が悪かったのだと教えられましたが、ここ何年かは、米国が日本を追い込んだために起きた戦争だ、米国は真珠湾攻撃を黙認し、日本を叩くために利用したのだ・・・と、どちらかというと「日本は悪くない」といった、日本の当時の立場を擁護するかの論調が強まっているように見えます。
確かに謀略の要素があることは認めますが、だからといって、一つの事実が明らかになる度に「○国が悪い、日本は悪くない」という結論になるのは、あまりにも短絡過ぎる気がします。
これまで、多くの先人たちの執念が、先の大戦の真実を暴き始めています。そこに見える戦争の真の姿は実にシンプルで、戦争とは国と国の戦いでなく、「持つ者が持たざる者から更に奪うため方便」と表現できるものです。
マッカーサーがフィリピンに滞在していた時、日比友好協会で日本の華族、財界人と頻繁に会っているのをご存知でしょうか?そこに集まる連中はイシヤ(フリーメーソン)の会員だったことをご存知でしょうか?その財界人たちが戦争中に、せっせと米国債を買い付けていたのをご存知でしょうか?売国行為で得た富は、今でもロスチャイルド関連の投資銀行で利殖されているのをご存知でしょうか?栗田中将が日本艦隊を反転させ、マッカーサーが乗船する手薄の艦隊への攻撃を避けたのをご存知でしょうか(謎の反転)?その栗田氏が、戦後、出所不明の資金で起業し、大成功したのをご存知でしょうか?
この辺のことはいつか詳しくレポートしようと思っておりますが、調べれば調べるほど、日本を売り渡し、戦後、巨万の富を築いた財界人、権力を手にした官僚・政治家・軍人の多さに驚かされます。結局のところ、多くの日本人、アジア人、そして連合国軍兵士の命を踏み台に、戦勝国・敗戦国の違いは関係なく、持てる者がただ富を増やした、それが、先の戦争の実体なのです。
これを知らずして、何の靖国参拝論議なのでしょう。見ていて惨めな気持ちになるだけです。
おまけ
「核が戦争終結を早めた、日米の犠牲を最小に留めてくれた」これは、米国が主張する核使用を肯定する論理ですが、これも嘘っぱちです。昭和20年の当初から終戦の打診は行われており、そこで一番の問題になっていたのが「天皇制による国体の維持」でした。それまで討議されていた国体に関する条項が、ポツダム宣言では突然削除されたため、日本は終戦提案を受け入れられなくなりました。更には、日本の要求を受け入れる交換条件として、核兵器の使用を黙認するよう迫ってきたのです。目的は何か?戦局は既に決していたのですから実戦データの採取以外に考えられません。彼らにとって黄色人種は動物実験の猿と変わらないということなのでしょう。結局、日本は国体維持のためこの無茶苦茶な要求を呑むことを決め、晴れて世界で最初の被爆国となったのです。つまり、日本軍は、日時・投下地点などを含め、米国の核爆弾投下を事前に知り、それを看過していたことになります。
そして・・・尊き日本の国土は、戦後も核の実験場として蹂躙され続けることとなるのです。
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