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JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(15)

平成23年正月、新年明けましておめでとうございます。

新年の最初の記事として、久しぶりに「そしてミサイルは発射された」シリーズの記事を掲載します。前回の記事から随分と時間が空いてしまったこと、そしてだいぶ複雑になってきた本シリーズについて、全体理解のため、最新の4記事について要点と流れをまとめてみました。

そしてミサイルは発射された(11)
 北米防空宇宙軍(NORAD)の戦闘機 F-106 によるファルコンミサイル発射と第3エンジン被弾の可能性

そしてミサイルは発射された(12)
米軍地上部隊の予想投入規模と不発核弾頭現地残存の可能性

そしてミサイルは発射された(13)
 米国国家安全保障局(NSA)の戦略偵察機 U-2 の墜落と米国の思惑

そしてミサイルは発射された(14)
 旧ソ連空軍機MIG-25の墜落とそれを回収しにきたソビエト空挺部隊降下の可能性


これまで何度も書いてきましたが、123便が墜落する直前・直後に、米軍、旧ソ連軍、そして自衛隊による、空と地上における激しい軍事衝突が発生した可能性があります。また、上記の戦闘規模から見て、実際に使用されたかどうかは別にして、核弾頭または、放射性物質を含むそれらの破片が現地に散乱している可能性を指摘してきました。

多くの読者が、それだけの戦闘が発生して、どうして事故現場の狭い範囲にしかその痕跡が見られないのか、疑問に思っていることかと思います。それについては、調査している我々ですら、最初は腑に落ちない思いを抱いていました。


■広範囲に及ぶ散乱範囲

これまでの報道の内容からすると、事故の発生地点は、機種が衝突したとされる、いわゆる「御巣鷹の尾根」とその周囲の沢、または、123便の主翼が木を切り倒してできたとされる、手前の尾根の「U字溝」くらいまでの狭い範囲だったかと思います。しかし、そしてミサイルは発射された(14)で、指摘したように、武器装備の断片が事故中心点から数キロ離れた地点でも発見されていること、また前回神々の落涙(1)の記事に記したように、長野県側の南相木ダム付近で今でも自然レベル以上の放射線が観測されているなどの事実から、軍機破片などが散乱しているいわゆる「戦闘エリア」は墜落現場から数キロ圏内に広がっていることが、調査によりはっきりしてきました。

どうやら、「御巣鷹の尾根を中心に一定範囲に散乱した123便の機体破片」という事故調査報告書の示す内容、そしてそれに沿ってなされた報道そのものが、軍事衝突の事実を隠蔽するための、公共機関とマスコミによる国家的印象操作であった可能性が非常に高いと思われます。


写真(Photo)1:
  秩父(埼玉県)側にも山が削られ奇妙な植林が行われている場所がある。
  秩父の山は断崖が多く、高度な岩登りの技術がないと中々近付けない。
  真相究明のため現段階で最も調査が求められる場所です。


■運ばれた主翼?


写真(Photo)2-1:墜落翌日(1985.8.13)の御巣鷹の尾根


写真(Photo)2-2:上記赤枠の拡大図

写真2は事故翌日の8月13日に現地に入ったプロカメラマンから最近になって入手した写真です。似たような写真はこれまでネット上などで紹介されていましたが、他に比べて極めて鮮明に撮れており、位置関係もわかりやすいので改めて検証する価値があります。この写真を本ブログ記事、闇夜に蠢く物(4)で現場到着民間人第1号として貴重な証言を頂いたM氏に改めて見ていただいたところ驚くべき証言を得ることができました

「前に私が証言した時に、ジャンボの機体の話はしてませんでしたよね?私がこの写真の木が無くなっている辺りを登って反対側の谷の方に向かったのは間違いありません。でも、その時にこんなもの(主翼破片)は見ていません。こんな大きな物が残っていたら絶対に見ているし、覚えているはずです。」

御巣鷹の尾根に残された主翼破片については、以前から多くの疑いが指摘されています。その主たる疑惑の要諦はだいたい次のようなものです。、

「事故調査報告書では123便はこの尾根に激しく衝突して谷を滑り落ちたことになっているのに、何故か尾根に残された主翼の周りに立木が残っている。本当は上空から落下したのではないか?」

私も、これまでの調査の経緯から、ミサイル命中による空中爆発、そして上空からの機体落下の可能性が最も高いと考えていました。この尾根に残った主翼破片の写真はその説を裏付ける一つの傍証として捉えておりましたが、まさか主翼破片がここに後から運搬されていたとは予想もしていませんでした。それなら周りの立木がきれいに残っているのも頷けるというものです。


■主翼偽装の理由は何か?

主翼破片が御巣鷹の尾根に運ばれていた!?これが事実だとすると様々な憶測が生まれます。その一番の関心はやはり偽装の理由ということになります。単純に考えるなら、国民に対して"事故"と説明する以上、どうしてもどこかを墜落地点にしなければならなかった。その印象操作に、「JAL」のロゴが記された主翼破片を焼け焦げた尾根の頂近くに置いておけばその効果は抜群のはず・・・ちょっと待ってください、元々123便の機体が落ちていなかったとしたら御巣鷹の尾根がどうして焼け焦げていたのでしょう?

もちろん、墜落地点偽装の一環として木を切り倒したり、焼け跡をわざわざ作った可能性も考えられます。これを仮に「1.墜落地点偽装説」とします。しかし、その一方で、これまでのS氏の調査によると、この尾根一帯では多くのミサイル破片や軍機破片が見つかっており(*1)、この焦げ跡は元々123便以外の航空機(軍機)の墜落や戦闘行動によって作られた可能性が高いとも言えます。よって「どこかを墜落地点に」という能動的な理由でなく、軍事行動によって残された大きな傷跡を隠蔽するために、止むを得ずこの地点を墜落地点に仕立てるしかなかったとも考えられます。これを仮に「2.軍事衝突痕隠蔽説」とします。

そして、事故調査報告書や当時の報道によると、この尾根の頂付近が最も損傷の激しい遺体(写真3)があった場所と報告されています。報告書やマスコミ報道はもはや信用に値しませんが、遺体については収容状況が衆目の下にあったこと、また、この尾根から手前のスゲノ沢にかけて、M氏自身が多くの遺体、および生存者に遭遇しているという証言があります。123便の主要機体がどこにどう落ちたかは不明だとしても、この一帯に多くの乗客乗員が放り出されたのは間違いなさそうです。すると、尾根付近に放り出された遺体が激しく損傷した理由は何だったのか?一つには、123便を撃墜した兵器の特性によるもの、そして、考えたくもないことですが、二つ目は墜落後に火炎放射機等で焼き払われた可能性も強く疑われます。またはその両方で、兵器の特性をわからなくするために敢えて火炎放射機で焼き払ったとも考えられます(*2)。


写真(Photo)3:写真誌「フォーカス」に掲載された激しく損傷した遺体写真

もう、口を濁して発言する段階は過ぎたと思います。M氏の証言や発見された軍用の薬壜、そして航空機事故史上最も激しい損傷と言われた遺体群。もはや生存者が後から殺されているのは明らかです。まるで「生存者(真実の目撃者)は一人も残してはならない」という思考が通低にあるかのようです。そして、そのコンテキストから推測すれば、御巣鷹の尾根の焦げ跡は、そこにある乗客乗員、戦闘に参加した関係各国兵士を、生死の見境なく火炎放射機で焼き殺した痕跡と見なすことはけして不自然なことではありません。この恐ろしい説を「3.生存者焼殺説」として提示します。

以上、1.墜落地点偽装説、2.軍事衝突痕隠蔽説、3.生存者焼殺説、の3説を主翼偽装の理由として考察しました。しかし、現実はどれが正解というものでなく、おそらく全ての説、あるいはまだ気がついていない別の理由が複雑に絡まっているものと想像されます。とにもかくにも、主翼偽装が強く疑われた現在、123便やその他の軍事衝突が必ずしも御巣鷹の尾根を中心とした狭いエリアに限定されることは無くなったと言えそうです(*3)。


*1 軍機破片の収集地点: これまでは当局の調査妨害を避けるため、破片収集地点の公表は控えていました。今回ここに初めて読者にお知らせするものです。

*2 兵器の特性を隠蔽:M氏はこの辺りの状況を「焼け焦げて煤けていた」と表現しています。仮に核兵器が使われた場合、煤がでるような燃焼は考えにくいことであり、後から火炎で焼いたと考えるのが最も自然です。主翼内部には燃料タンクが備わっており、ここで火炎が発生したとする言い訳には丁度いい物証とも言えます。

*3 狭いエリアに限定されない:主翼偽装についてはM氏の記憶、それも「見た」のではなく「見ていない」という弱い記憶に頼った推察であり、証言としての強度はそれほど高くないことは予めお断りしておきます。本記事の主旨としては、仮に主翼偽装がなかったとしても、1. 主翼は上空から落下したものであり御巣鷹の尾根が墜落現場と断定しきれるものではないこと、2.破片の落下範囲が一般の予想を超えて広範囲であること、また、3.同場所の遺体が燃料の燃焼によるものとは思えないほど激しく損傷しているという点であることを強調しておきます。遺体の検証については、改めて紙面を割きたいと思います。


* * *

この記事を書いていて、新年の最初の記事として果たして相応しいかどうか悩みました。しかし数百名もの命を奪った惨劇について書いている以上、残酷な事実を正視せずに何かを語ることも不可能です。願わくは、来年にはもうこの辛い仕事が終わっていること。多くの日本人の良心が真実に目覚め、長く不幸な状況にあるこの国を、再び力ある良識の国に生まれ変わらせてくださることを、今は信じるのみです。


ET CUM VENERIT ILLE ARGUET MUNDUM DE PECCATO ET DE IUSTITIA ET DE IUDICIO
その方(弁護者)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。


管理者 日月土


============= FOR ENGLISH NATIVE READERS =============

Thank you for reading "Nihon no Kuroi Kiri (Black Mist in Japan)" blog. The followings are the information to help you understand the articles. I hope I can present you English summaries as possible as I can.


1. What is The Crash Incident of JAL123 ?

On August 12, 1985, Japan Airline Flight Number 123 (Boeing 747 Jet plane), took off Haneda airport (Tokyo) to Itami airport (Osaka) at 18:12 with 524 staff and passengers. It is officially reported that it encounterd wall burst and lost its control above the ocean. The report also says that it started straying over the lands of Japan for about 30 minutes and finally fell into Osutaka mountaneous area a couple of minutes before 7:00 pm. Only 4 lives of the passengers were saved after more than half a day had passed after the crash.


2. What does my blog claim for about JAL123 Incident ?

The answer is TRUTH. There are too many irrational, in another word "doubtfull" explanations in Japanese official report, for example, is it possible that wall burst can occur and blow up all the 747 control lines so easily which was highly fail-safe designed? Why did it take such a long time (half a day) to start saving lives ? Why were so many particles which are not of JAL123 found in the crash point? I, the blogger named MIROKU, appeal to the readers all over the world that JAL123 crash case is NOT ACCIDENT. It was possibly shot down by a nuclear weapon and most of passengers survived were killed after the crash. To seek the answer what really caused the crash and why Japanese government hides the truth of the incident is very the purpose of this blog.


3. The Summary of This Article

The Photo 2 pictured by a professional photographer as of Aug 13, 1985, shows that the main wing of JAL123 was left on the top of mountain. Mr. M (anonymous) who reached the crash area very early in the morning, however, insists that he didn't see such a big piece when he climbed up on the same place. It is very likely that the big piece of wing was carried ( by helicopter ?) there to lead people to think it could be the right place where JAL123 crashed. The Photo 3 shows heavily burned dead body found around the carried-wing-suspicious place. It is also possible that survivors were burned by fire gun (to kill any eyewitnesses?) and the wing was carried there to excuse why those bodies were burned so hard, since the wing contains fuel tanks inside.

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