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JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(7)

タイトルにしっかりと記載されているにも拘わらず、ミサイルネタから離れてばかりですみません。今回こそ先を進める予定でしたが、その前に、このブログに対していつも投じられる疑問についてお答えしたいと思います。


■ボイスレコーダーに触れないのはなぜか?

世の噂の中には「都合が悪いから引用しないのじゃないか?」など、色々おっしゃられる方がいますが、その通り、確かに都合が悪いから引用しないのです。なぜなら、明らかに私たちが入手した物証、事故直後の証言の数々、事故現場の物理的状況、どれと比較しても、ボイスレコーダー(CVR)、フライトレコーダー(CFR)、そして事故調査報告書に示された記録とは多少の齟齬が生じてしまうからです。

今こうしてパソコンに向かってブログを書いている間にも、机の上に置かれた米軍戦闘機、ミサイル破片の数々がくっきりとした輪郭を持って私の目に飛び込んできます(写真1)。この確かな物証と、これまで報道や、ネット上で公開されてきたCVRなどの事故関連情報、どちらを信じたら良いのかと問われれば、答えは明らかでしょう。


写真1:机の上に置いた破片の数々(ラップしているもの)


■ボイスレコーダ発表の経緯を問う

以前、コメントにお答えする形で説明したのですが、改めてここで、CVRが発表された経緯について、その頗る不自然な点をご紹介しましょう。

(1) 国際規約上、CVR(音声)の公表義務はない
(2) CVRの録音テープは匿名でマスコミ関係者に届けられたものである(2000年)
(3) マスコミ各社は充分な裏取りをしないままこのテープを放送(2000年)
(4) 一応、匿名テープを鑑定したのは当時の日航パイロットで、この事故
  を独自に調査していた藤田日出男氏
(5) 匿名テープのマスコミ配布前に、藤田氏は日航運行部長に呼ばれ、
  「内密で高濱機長のご家族だけには聴かせて良い」と、同内容の
   テープを渡され、ご家族に聴いてもらっている(音質はその後公開
   されたものより悪かったと、藤田氏は証言している)

上記の内、特に(4)(5)については話が出来過ぎです。藤田氏が事前にテープを聴かされていなければ、この匿名テープの真贋を語れる人物は誰も居ないことになります。これは想像になりますが、その藤田氏にとっても、上司である運行部長に信託されたモノと同一内容であるからこそ、本物と認定したのでしょう。

本来ならば、藤田氏の意見だけに依存せず、マスコミはこの匿名テープの真贋に慎重になるべきだったはずです。公表義務のない音声テープが、なぜ、事故から15年経過した2000年になって、突然マスコミ各社に届けられたのか?その理由は何なのか?藤田氏は「心ある内部関係者の告発」と、その匿名の人物の行為を良心の現れと評価しているようですが、その「心」を無警戒に「良心」と見なしてよかったのか?大いに疑問が残るところです。

2000年といえば、直近の1998~1999年、池田昌昭氏が3冊の著書(「御巣鷹山ファイル」シリーズ)で、自衛隊撃墜説を大々的に発表した直後になります。1993年の角田四郎氏の著書に続いて、事故調査報告書に記されたCVRの文字情報に大きな疑いが投げかけられた直後に当たります。まるで、その疑惑追及の声に応えるような形でCVRは電波で流れるようになった、それも事故調査報告書をほとんど裏付けするような内容で。


■2000年には確実に存在:声紋合成技術

匿名テープに疑いがあると言えば必ず返ってくるのが「本人の声は誤魔化せないだろう」「家族が聞けば分かるだろう」という反論なのですが、答えを言えば「本人の声は誤魔化せる」し「家族が聞いても分からない」になります。

人の声にはその人特有の声紋(せいもん)が存在し、声紋の違いが、その人を他の声主から識別させるのです。国際軍事評論家のB氏によると、「声紋をコンピュータで合成し、他人に成りすます技術は、以前よりカーネギーメロン研究所で開発されており、2000年までには確実に実用化レベルで存在していたはずだ」とのこと。つまり、2000年の匿名テープは声紋合成技術が取り入れられている可能性が極めて高いと言えます。

2000年から9年たった現在、音響技術の専門家なら当たり前の話になりますが、既に手元のパソコンで声紋合成することさえ可能なのです。元公明党委員長、矢野絢也氏の著書「黒い手帳」を読むと、2000年代初め頃、某巨大宗教団体が録音テープを編集し、証拠資料として裁判に提出している、と、声紋合成技術が悪用されている現実が生々しく紹介されています。また、2001年の911事件の渦中に墜落した93便に関しても、乗客が機内から掛けたとされる電話(有名な[Roll Up!]など)は、声紋合成技術を使って誰かが成りすましたのではないかという疑いが以前より指摘されています。

最後に、このブログのコメントに元マスコミ関係と名乗る方からいただいた投稿をここでご紹介します。
 ・このテープが編集されたものであることは、業界の常識
この方だけでなく、私もマスコミ関係者数名から同じような話を聞いています。


長々と書いてきましたが、結論は単純明快です。ボイスレコーダーは捏造されている可能性が極めて大なので、当ブログでは論拠としてこれを使用しません。捏造テープだった場合、音声をいくらミリセコンド単位で分析しても、真実からますます遠ざかるばかりだからです。ですから、この先触れることがあっても、せいぜい参考程度の扱いとさせていただきます。そして、真に信じられる証拠として、
 (1)物証
 (2)事故直後(情報操作の影響が少ない期間)の記事・証言
 (3)現地調査によるデータ
以上に重点を置き、論証を進めて行きます。


※このテープが捏造されたものであったなら、藤田氏にテープを渡した日航運行部長は情報操作に加担、すなわち日航上層部が隠蔽工作に加担していることを示す重要な状況証拠となり得ることにご注意ください。もちろん大手マスコミ各社が加担していた疑いも拭いきれませんが。

* * *

匿名ボイスレコーダーを聴き、打ち震え、涙した方は多いと思います。そんな心優しき人々を欺く冷酷かつ緻密な手法には、もはや人の心すら感じられません。しかしそれでも、彼ら「悲劇の計画者」当人に真実を打ち明けてもらい、人(ヒト)に帰っていただくのが私の願いであり、当ブログの存在意義であると考えています。


QUI A SEMET IPSO LOQUITUR GLORIAM PROPRIAM QUAERIT QUI AUTEM QUAERIT GLORIAM EIUS QUI MISIT ILLUM HIC VERAX EST ET INIUSTITIA IN ILLO NON EST

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JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(6)

このところ「ミサイル」ネタから脱線しており申し訳ありません。これまで「そしてミサイルは発射された(5)」や「オバマ大統領訪日に寄せて」で、現地に散乱している米軍機と思われる破片の数々、戦乱の跡などについて報告させていただきましたが、このような夥しい物証の中で、123便がミサイルに撃墜されたか否かの論証を行うこと自体に、もはやそれほど大きな意義はなくなりつつあります。

結論を先に言えば、ミサイル、あるいはそれに類する軍事兵器による撃墜以外の原因は考えられないのであり、後は現場調査・物証レベルで、どのような状況下でどのようなミサイルが発射され、どうやって同機が墜落に至ったか、そのメカニズムを具体的に考察する段階に来ています。

ここまで米軍機のことを表に出してしまった手前、今回は、この事故が常に米軍の関与するところのものであることを示す一例をお見せしましょう。ただし、「米国が日本の旅客機を撃墜したのだ!」と、「日本 vs 米国」のような短絡的な結論を導くことだけはないようにお願いします。24年に渡る事実隠蔽を成し得たのは、日本側の協力体制なしには有りえないこと、また、事故当夜に米軍同士が激しく衝突している事実もありますので、この'事変'を巡る背景については、123便の直接的な墜落原因以上に、より慎重に検証していかなければなりません。


■米国事故調査スタッフに紛れ込んだ軍人

過去の記事でも紹介した、この写真(写真1)を見てください。


写真1:米国事故調査スタッフ

青い服装の人物が、いわゆる「ロッキード社の技術者」でないかということで、胸のワッペンがロッキード社の先端技術開発チーム「スカンクワークス」のロゴマークに似ていると報告しましたが、実際はそれ以上の情報がこの写真の中には含まれて居ます。次の写真(写真2)はこの人物を拡大したものです。


写真2:青い服装の米国人

前回の記事では敢えて全情報の開示を控えていたのですが、真実を知る人々の口が相変わらず重いようなので、今回はこの人物について本当の事を報告します。なお、これらは国際軍事評論家のB氏の指摘によるものです。

(1)サングラスをかけているので目付きまでは分かりませんが、他のスタッフが暑さでバテているのに、この人は背筋が伸びて、周囲の状況をしっかりと監視しています。体躯も鍛えられた軍人のそれです。

(2)この青い服装は、当時の米国空軍の夏用制服です。

(3)胸についた赤い帯に見えるもの、これは「略綬(りゃくじゅ)」または「略章(りゃくしょう)」と呼ばれる、ジャラジャラとした勲章の代わりにコンパクトにその人物の軍歴を示すものです。

(4)はボヤけてよく見えませんが、「スカンクワークスのロゴ」よりはV字型に翼を広げた鷲:米国空軍のロゴマーク(図1)の方が近いと言えそうです。


図1:現在のデザイン化された米空軍ロゴ(当時はリアルな鷹の絵柄だったはず)


(1)~(4)の事実が示すもの、それは、この人が全くの米国空軍の軍人だということに尽きます。なぜ、こんなバレバレの格好をするのか、B氏に尋ねたところ、次のような回答を得ました。
 ・多くの人間を動かす場合、自分の地位と権限をはっきりと周囲に誇示する
  必要がある。そのために民間人に偽装しなかったのだろう。それにしても
  露骨過ぎるので、日本をかなり見くびっている面もあるようだ。

そして、この軍人がどれ位の地位の人間かについてもお聞きしたところ
 ・略綬の数からいって、左官、それも中佐クラスの人物。ペンタゴン(米国防総省)
  から直接派遣された技官であろう。この人が黙って右手を略綬に当てれば、一緒
  に来ている民間の調査員などは、頷いて命令に従うしかないだろう。

なお、軍事産業の技術者が同時に軍属であることなどは、米国社会では珍しくないので、この人物が、噂通りに「ロッキード社の社員」であっても矛盾は生じません。

1985年8月17日に米国事故調査団として事故現場に入った空軍の高級軍人が、いったい何の目的で現れ、何を指示していたのか?偶発的に起きた事故調査のためにわざわざ米国防総省から派遣されて来たと思うなら、あなたはかなり幸せな発想の持ち主です。


SED UNUS MILITUM LANCEA LATUS EIUS APERUIT ET CONTINUO EXIVIT SANGUIS ET AQUA

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JAL123便墜落事故-真相を追う-オバマ大統領訪日に寄せて

-------------------[ A Letter To Mr. President Obama]--------------------

Dear Mr. President Obama

I welcome you to Japan with all my honor and respect.

If you can spare me a small amount of time, I'd like you to read the following short message.

As you know (or not), your loyal boys had lost their lives at Osutaka moutainous district in Japan on Augst 12 and/or 13, 1985, approximately 24 years ago.

All up until now, thier souls have been asking thier father to answer the question: for what they had to die on the ground a long distant away from their own sweet homeland, United States of America.

It is only you who is eligible to respond to their long-felt want.

I hope you could visit the place and speak to them with sincerity and love. And I also hope you will offer deep condolence to all the 520 victims of JAPAN AIRLINE FLIGHT 123 (JAL123) incident, the most disastrous airplane incident in the world history.


Thank you Mr. President

God bless you

Your Friend in JAPAN

----------------------------------------------------------------------------

オバマ米国大統領の来日に合わせ、御巣鷹の尾根周辺でS氏が拾い集めた米軍機の残骸について、今回は特別にレポートします。破片の鑑定および機材の判定については、今回も国際軍事評論家 B氏のお力をお借りしました。

それにしても、「そしてミサイルは発射された(5)」のRC-130の一件だけでも信じられないと思われる方がほとんどでしょうが、今回の報告はそれ以上に強烈です。しかし、これらは全て物証を元に掘り起こした事実なのです。少なくとも事故調査報告書に比べてはるかに正確に、当時、御巣鷹の尾根周辺で何が起こっていたかを物語っています。


■何機落ちてるかわからない、米軍ヘリ

以下の写真1は全て、軍用ヘリコプターの部品と思われるものです。あまりにバラバラなので所属等までは判別できませんが、一部についてはベルUH-1H(米空軍)、ボーイングCH-46(米海兵隊)で用いられている部材であることが分かっています。それぞれの部品の説明についてはここでは割愛します。


写真1:軍用ヘリコプターの残骸


写真2:ボーイングCH-46(左)、ベルUH-1H(右)(Wikipediaより引用)


これらの残骸が夥しい数、事故現場周辺に散らばっています。写真を見ればお分かりのように、機体はバラバラです。もっとも、一部にはレーザーカッターなどできれいに切断した跡のような切り口も見られるので、大きな部品で回収が難しい、時間的に間に合わないものは、現場で切断し、素人には判別が難しい他の小部品に混ぜ放置していったのだと考えられます。

機体の残骸の数、散乱範囲、また、粉々になったロケット弾やミサイルの破片から、米海兵隊、空軍を巻き込んだ凄まじい局地戦がこの地で勃発したことが予想されます。そういえば、現場に朝4時に乗り込んだM氏も、尾根の上に出た時に聴こえて来るヘリ音を頼りに現地に向かったと証言していました。言い換えれば、現地の谷は深く、山を下ればわずか1,2キロ先の音も尾根に遮られて聴こえない状況であったと考えられます。これでは、麓の村落ではこの出来事に気が付かないでしょう。

しかし・・・ここで記載することではありませんが、アントヌッチ証言っていったい何だったのでしょうか?また、事故調査報告書も何だったのでしょうか?例え手抜きの調査をしても、これだけの物が見つからない、目に付かないはずがありません。もはや、両者が全くの創作であり、証拠的価値など皆無であることが証明されたようなものです。日本国民も世界の人々も、この24年間騙され続けてきたと言っても、まだ言い足りないぐらいです。


■本格的な偵察機も落ちていた

先を進めます。この他にも色々な物が落ちていました。


写真3:高品質の部品、測定器の一部他

(1)は'超'が付くくらいの高品質素材で製造加工された、油圧管の継ぎ手部分と思われるものです。管は2重配管で24年間経過しても全く劣化したようなような痕跡がありません。民間機ではとても採算が合わない高級品です。(2)はシールド材で、現場に大量に落ちており、おそらく機体内部全面を覆っていたと思われます。電子機材を満載した偵察機の仕様です。(3)は高度な加工と被服が施されたケーブル。観測ドーム内で位相検波計のセンサーに使用されたと思われます。(4)は機体破片で、米海兵隊の塗装と所属名の記載の一部が認められます。

これらは人が分け入るのが困難な薮の脇に在り、エンジンや機体破片などはおそらく薮の中にまだ回収されず残っていると思われます。しかし、これら特殊部品の数々が、偵察機RC-135の装備品であることを示しており、同時に、同機がここで墜落、または撃墜されたことをも物語っています。所属については写真(4)および状況からB氏は米海兵隊の可能性が高いと言っておられますが、(4)と他の部材との関連は不明ですので、とりあえず所属は不明であるとします(米空軍のものが一般では認知されていますが、同機材は米国4軍で広く運用されているので断定もできません)。


写真4:米空軍のRC-135


■謎の黒い戦闘機

まだまだ出ます。


写真5:戦闘機の機体表面(黒塗装)

写真5は、戦闘機の機体表面と思われる厚めのジュラルミンに直接黒い塗装を施した金属片です。黒色の塗装を施すこと自体がかなり特殊なことであり、その色同様、何か特殊任務を帯びて行動していた戦闘機ではないかと類推されます。私はこの機体こそ、JAL123便を撃墜した米空軍戦闘機ではないかと見ています(なぜここに落ちているかは後日に)。なお、特別なステルス加工等は見られないので、よくネットなどで噂されているF19などのステルス戦闘機ではなく、従来型機であったと判断されます。


■その他の航空機

実は、他にも上記に該当しない機材の破片が数多く発見されているのですが、まだ、それらを特定する段階に至っていません。あと2~3種類はほぼ確実に存在していると予想しています。そして、その中には謎の黒い戦闘機とはまた別の、おそらく電波吸収材であろうと思われる黒い破片も含まれています。

確実に言えるのは、想像を超えた戦闘がこの地で行われ、多くの米軍用機が墜落・撃墜されたこと。また多くの死傷者が出たことも想像に難くありません。しかも、驚くことに、その争いが翌日の午前4時ころ(M氏が到着した時間)以前にはおおよそ決着しており、既に回収作業や土砂がけ、隠蔽作業などが始まっていたのです。

なぜ、こんなにも米軍機が落ちているのか?これは異常事態です。また、首都東京から数十キロ圏内で発生したこれだけの異常を、全く報じない報道機関、事故調査委員会、日本国政府、こちらの方も輪をかけて異常としか言い様がありません。この事実は私だけでなく、過去に各国軍の偵察機に乗り、戦場を何度も見てきたB氏をも、たいへん混乱させました。B氏は御巣鷹の尾根一帯を「飛行機の墓場だ」と表現されましたが、見事に状況を言い得ていると思います。

これら証拠物の検証と平行して、B氏とは時間をかけてこの事実について協議検討し、私たちは全体を説明する一つのシナリオに辿り着きました。次回以降はこのシナリオをブログで提示することになりますが、仮説部分が多くなり、間違いや考え違いも混じってくることは避けられないでしょう。筋の通った読者からのご指摘は私たちも採用し、シナリオに変更を加えて行きたいと思っておりますが、まずは私たちのシナリオ全体をご確認いただいてから、細部についての修正のご指摘をいただきたいと考えております。あまりに複雑な要素が絡んでおり、最初から細かいところに留まると、事故(もはや'事変'ですね)の全体像が見えなくなってしまう恐れがあるからです。


* * *

これら米軍機のパイロットがもし生きていたら(あの機体の破損状態では生存は難しいでしょう)、本日来日するオバマ大統領にこの一夜の出来事をいったい何と報告するのでしょうか。520人の事故犠牲者に加え、さらに多くの尊い命がこの地で失われたのですから。とにかく痛ましく、当夜の出来事を想像するだけで、胸が締め付けられる思いです。


MERCENNARIUS ET QUI NON EST PASTOR CUIUS NON SUNT OVES PROPRIAE VIDET LUPUM VENIENTEM ET DIMITTIT OVES ET FUGIT ET LUPUS RAPIT ET DISPERGIT OVES. MERCENNARIUS AUTEM FUGIT QUIA MERCENNARIUS EST ET NON PERTINET AD EUM DE OVIBUS

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JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(5)

これまで、123便墜落の原因がミサイルではないかとの物証と推論を提示してきました。証拠が本当に現地で調達したものであるとお疑いの方もいるでしょうが、それならどこでミサイル破片を入手できるか逆に教えていただきたいと思います。お断りしておきますが、ミサイル部品の物証は写真に掲載したものだけでなく、多種多様、しかも大量です。それらは、真実を知る方々が何も公表しないのであれば、このブログで全てを掲載いたします。また、身の安全が確保できれば、現地の土が付着したままの物証と科学的分析結果を携え、複数の証人とともに証言台に立つ用意があります。

物証や現地調査に基かない議論は無意味なだけです。ジェーン年鑑を丸暗記すれば軍事が理解できるわけではありません。軍事とは詰まるところ「殺し合い」なのです。私がこれから提示する事実及び推論の中には、ネット上やデータブックには記載されていない、あるいは記載と異なることも多く含まれます。殺し合いが、将棋やカードゲームのように決められた手駒やルールの中で行われていると本気で信じているならば、これから書くことは軍事通だと自認しているあなたをひどく立腹させることでしょう。私は、夢の世界で遊んでいたいあなたたちの楽しみを奪うつもりはありません。これ以上読んでいただかなくて結構ですので、どうぞ、どこぞの有名掲示板で空想を躍らせていてください。

ちょっと煽ったような書き方になってすみません。上述について少し考えてくださるのなら、戦記物の古典『ガリア戦記』をお読みいただければ、私の真意がご理解いただけるかと思います。また、もっと気骨のある方なら、ぜひ現地の山を登って物証の数々をご自身の目でお確かめください(まだまだ出てきます)。ただし、単独登山だけは危険ですのでお止めください。できれば登山ガイドを含む数十人くらいの同志を募って出かけられることをお勧めします。今の時期登れば、民間人に偽装された大勢の陸自・空自の特殊部隊、化学防護隊の皆さんと現地でお会いすることができるでしょう。運がよければデルタフォース(米陸軍特殊部隊)の米軍兵士とお会いできるかもしれません・・・言い忘れてました。現地の隊員さん同様、ヨウ素剤の携行もお忘れなく。


■オレンジ色の破片、再び

角田氏の著書「疑惑 -JAL123便墜落事故-」の中に出てきた吉原公一郎が見たという「オレンジ色の破片」について、考察します。まずは、下の写真を見ていただきたくお願いします。


写真1:赤味の強い破片


写真2:写真1とは色調の違う破片


写真3:機体の一部と思われるオレンジ塗装-(1)表・(2)裏・(3)破断面


写真1は、「そしてミサイルは発射された(3)」で示したものと同じで、国際軍事評論家のB氏もまだ特定できていません。

写真2は写真1の写真とは明らかに色調が異なるものですが、まずは、多くの特徴を備えた写真3の解説を先にします。

写真3-(1) は人の足が写っていますおりますので、だいたいの大きさがわかると思いますが、一抱えよりはちょっと小さいくらいの、破片と呼ぶにはかなり大きいものです。塗装は、グレーの上にオレンジ色を上塗りしてあります。材質は金属のようでありますが、同量の鉄材などと比べばずいぶん軽く、ジュラルミンのようなアルミ合金とは少し違う触感です。

写真3-(2)はこの破片を裏返しにしたところで、2つの板がリベット打ちで継いであることがわかります。リベットは小間隔の2列ずつで、ナットにはハードロック型が使用されており、非常に強固に強度が保たれているのがわかります。これは明らかに航空機、しかも軍用の仕様であることがわかります。

写真3-(3)は、この破片の破断面をクローズアップしたもので、ちょっと見難いかもしれませんが、真ん中に筋が通っており、この板自体が2枚の貼り合わせで構成されていることを示しています。

写真3をB氏に鑑定していただいた結果、次のような特異な点を見出しました。
 ・このグレー色は米国海兵隊の機材に用いられる塗装
 ・オレンジ色は救難機の識別色として上塗りされる塗装
 ・板は木製チップを含む合板で、地のままの金属よりも軽く安価に強度を増したもの
 ・リベットの打ち方・部材は、軍用としてもかなり強度を要求される部分である

以上を総合し、B氏の出した結論は
 ・米国海兵隊の偵察機 RC-130 の救難仕様、その着陸装置の一部
というものです(図1参照)。

「ええっ!何で米国海兵隊の飛行機が落ちているの?」多くの皆様がそう思うはずです。私も最初は耳を疑いました。しかし、これを裏付けるような報道も実はなされているのです。事故翌日の1985年8月13日、讀賣新聞夕刊にて報道された「4メートルのエンジンプロペラ」との記者目撃報道。RC-130のプロペラ径は約4メートルでまさにこの報道にぴたりと符号するのです。


図1:RC-130の着陸装置

疑問はさておき、写真2についてもB氏は次のように結論付けました
 ・破片の裏側に残っているのは炸薬の破裂痕であり、ミサイル等の弾頭部分であろう
 ・赤色(オレンジ色)の塗装が施していることから、携帯用地対空ミサイルFIM-43
  (通称レッドアイ)の弾頭部分である疑いが濃厚である


写真4:地対空ミサイル レッドアイ

何と、これまで空対空ミサイルの議論をしていたはずなのに、地対空ミサイルまで飛び出してきてしまったのです。また、B氏によると、RC-130の破片が短冊型に(写真5)バラバラになっていることから
 ・地対空ミサイルで撃墜された可能性もあるが、低空飛行中に対戦車ロケット弾
  などの貫通弾をあびて、機体内部で炸裂した可能性の方が高い
と指摘しています。


写真5:短冊形に割れた機体破片


これまで、米軍機が123便をミサイルで撃ち落したのではないか、その事だけに注目していましたが、現実には、もっと複雑な背景がこの事故の裏側にあるようです。米軍機が落ちているとしたら、当然ながら米軍兵士の犠牲者もあったことでしょう。その(おそらく)裏付けとなるのが写真6です。


写真6:現場に残された腕時計 

一見するとなんだか安っぽいデジタル時計のようです。メーカーはSANYO(サンヨー)、デジタルクォーツで防水加工が施されているもの。Made in Japan ですが海外で販売されていたものです。時計バンドの腕周りは、ゆうに20cmを超え、かなり大柄な人物が着用していたことが分かります。

B氏によると、この時計は1980年代、米軍パイロットが使用していたものに間違いないそうです(もちろん軍用品を一般乗客が着用していた可能性もあります)。

吉原公一郎氏が目撃した「オレンジ色の破片」。それが、いったい上記の内のどれを指していたのか不明ですが、オレンジ色には御巣鷹の尾根の闇夜の出来事を解き明かす大きなヒントが隠されている、それだけは間違いなさそうです。

* * *

先日現場に入ったS氏は、御巣鷹の尾根にある慰霊の塔の前で悲痛な面持ちでたたずむ白人男性を目撃したそうです。その方が、ここで命を落とした米軍兵士の関係者かどうかはわかりませんが、どんな理由であれ、この地で果てた全ての命に黙祷を捧げます。

BEATI MITES QUONIAM IPSI POSSIDEBUNT TERRAM

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JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(4)

日航機事故のミサイル発射に関する論述を進めます。

その前に、私の複数の友人から「ミサイルを喰らっても旅客機が簡単に落ちないことを初めて知りました」との感想をいただき、多くの人にとって、「ミサイル」という言葉に対するイメージが間違って与えられていることを知りました。これから「ミサイル」に関する議論を進める上で、この認識が誤っていると誤解を生む原因となりますので、くどくなりますが「ミサイル」というものの実際について、少し補足を加えたいと思います。

■大韓航空機に見るミサイル攻撃の実際

国際軍事評論家のB氏によると、現実を知る上で最もわかりやすい実例は、1978年に起きた、大韓航空007便によるソ連領空侵犯事件だろう、とアドバイスを受けました。この事件は、大韓航空のボーイング707がソ連領ムルマンスクの上空を侵犯し、ソ連超地内の氷河湖に不時着したというものです。同機はソ連空軍機のミサイル攻撃を受けたのですが、それもB氏の入手した情報によると4,5発命中したらしいのですが、1人の犠牲者も出さず不時着に成功しています。

ミサイル攻撃を受けていたことは最近になって公表されましたが、それに関する報道記事があったので下記に引用します。、

-----------------------(ここから)-----------------------

【78年の旧ソ連不時着大韓航空機、ミサイル攻撃受けた】

1978年に旧ソ連領空を侵犯し、ムルマンスクに強制着陸した大韓航空(KAL)ボーイング707旅客機は、2度にわたりミサイル攻撃を受けていたことが、27日、明らかになった。

KAL707機は4月21日、乗務員と乗客110人を乗せてパリを出発し、ソウルへ向かう途中、北極航路を離脱した後、ムルマンスク南200マイル地点の湖面に非常着陸した。 当時、ソ連戦闘機の機関銃警告射撃だけを受けた、と知られてきた。

(以下略)

中央日報(日本語版) 2005.6.29
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=65080&servcode=400§code=400

-----------------------(ここまで)-----------------------


写真1:大韓航空のB707機(写真は貨物機) 
ちょっと恐かったですが、安いので貧乏旅行にはよく使っていました

1983年のサハリン沖領空侵犯事件といい、大韓航空による旧ソ連領内のスパイ活動は軍事関係者の間で有名ですが、それは本題ではないので、まずは、ミサイル攻撃を受けたところで大型民間機は簡単に撃墜されないという事実にご注目ください。


■半分不発は当たり前の空対空ミサイル

「ミサイルが激突すれば爆発するはずだ」とどなたかがコメントしていたようですが、衝撃を受けるたびに爆発していたのでは、戦闘機が事故や不時着を起こすたび大爆発、下手したら基地内や、空母の甲板上で核爆発が起きていたでしょうね。

ミサイルの爆発は簡単に言えば起爆装置が制御しています。この感応精度を上げれば理論上は当然爆発しやすくなりますが、アニメの世界と違って、基地をスクランブル発進した戦闘機が必ずミサイルを発射して帰ってくるわけではありません。戦時中でなければ、多くの場合にミサイルを搭載したまま帰還するでしょうし、発射されなかったミサイルは地上で再び整備を受けなければなりません。

ミサイルは戦地を飛ぶことよりも、自軍の管轄内に存在していることの方がはるかに多いですし、爆発物としてのミサイルを整備するのは自軍の整備兵です。現実の軍事では、武器の取り扱い事故を減らさなければならないという、極めて泥臭い問題も抱えています。ですから、起爆装置の感応精度が有る程度の範囲に制限されるのは当然のことです。「ぶつかりゃ大爆発」なんていうミサイルは、危なっかしくて、おそらくどこの軍隊でも採用されないでしょう。

感応精度に制限がかかる以上、起爆に至らない不発弾の問題も当然発生してきます。

「不発率(ふはつりつ)」という言葉があります。打ち出したミサイルや魚雷の内、どれくらいの割合で不発になるのかを表す数字です。相手戦力を測定する上で重要な情報となりますから、公表されることはまずありません。第2次世界大戦中の魚雷の不発率については、米軍が公表したデータを見た記憶がありますが、確か、9割以上不発だったはずです。まさしく「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」のレベルです。

B氏が入手した軍事情報によると、米国の巡航ミサイル「トマホーク」の不発率も湾岸戦争当初は9~8割のレベルだったが、戦争末期になってやっと5割以下のレベルになったとのこと。2発打ち込めば1発が起爆。B氏によると、それでもかなり性能がいい方だそうです。

1980年代のミサイル技術の集大成である巡航ミサイルですらそのレベルですから、当時の一般の戦闘機が搭載している空対空ミサイルの不発率も、最も良くて5割程度とみなすべきでしょう。


■そして123便の場合

以上の点から、大型民間航空機である123便を戦闘機が狙ったとしたなら、撃ち落すためには装備しているミサイルを全弾を打ち尽くすくらい発射するでしょうし(4発以上)、また、その内の半分は不発弾として残っている確率が高いと予想されるのです。

そして、実際に不発弾は残っていたのです。


FILIOLI CUSTODITE VOS A SIMULACRIS

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