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5月27日は日本海海戦の日

まるでこの日を狙ったかのように、空想戦争ファンタジー作品を量産するかわぐちかいじ氏の作品「空母いぶき」が公開されています。


図:公開映画「空母いぶき」

私にとって、かわぐち氏の作品は「沈黙の艦隊」が最初ですが、後年、世の真相を知るにつけて、かわぐち氏の現実認識の甘さは目に余ると感じています。それを幾つかピックアップすると次の様になるでしょうか。

(1)自衛隊には正規と非正規(偽)がある
(2)日本の艦船は既に原子力化されている
(3)世界の軍事装備品の技術基盤は殆んど日本製である
(4)日本海海戦は日米露欧の計画戦争である(ヤラセ)


それぞれについて私の認識を簡単に説明しましょう。

(1)自衛隊には正規と非正規(偽)がある

本ブログを長らく読んでいただいた読者さんには説明不要かと思いますが、自衛隊には漫画に描かれているような概ね理性的な、国民が一般的に想像し得る組織と、戦争遂行を絶対目的とし、超法規的な活動をしている別働組織の二つが存在します。もちろん、超法規組織ですから公式文書などにその存在が記載されているはずがありません。私はそれを偽自衛隊と呼んでいます。私はその存在を10年に亘る123便事件の調査活動を通して確信しています。

123便事件の主役はまさにその偽自衛隊なのですが、その断片的な表れは、最近の沼津事情からも観測することができます。彼らは戦争遂行そのものが目的ですから、日本を守るなんてことを本気で考えていません。強いて守るべきものを挙げるなら、彼らのスポンサーである、古代から連綿と続く権力者の家系や、その影響下にある大企業群であると言えるでしょう。経済的利益と権威の維持のためには、日本人ですら殺すし、平和が続くことを望まない人たちです。


図:123便事件調査から見えた日本の実際の統治機構(仮説含む)
  ・日本は見えない権力機構によって統治されている
  ・別働隊の存在は各機関の一部にしか知らされていない
  ・各別働隊は奥の院(仮称)の直轄部隊と考えられる
  ・在日米軍・警察・自衛隊の多重在籍者がいる
  ・別働隊の活動は日米あるいは他国の国法に制限されない
  ・別働隊と行動を共にする民間の軍属が多数存在する

関連記事:蘇る亡霊(19)
参考記事:駿河湾・沼津関連記事ガイド


(2)日本の艦船は既に原子力化されている

「沈黙の艦隊」では、日本初の原子力潜水艦が架空の存在として登場するのですが、何を言ってるのかと呆れるばかりです。自衛隊が現保有している公称スターリングエンジンの潜水艦は、燃料無補給で潜航日数40日が定期任務です。その40日も備蓄食料の搭載量の制限で決められているのであって、燃料や水の補給とは関係ないのです。正直、

 どんだけ燃費がいいんだか

と言わずにはいられません(*1)。現在の小型原子炉のサイズはアメリカンフットボール大にまで小型化できるので、旧型の原潜のように露骨に大きな原子炉を船内に置く必要がないのです。おそらく、そのような小型原子力発電装置を公式スペックから外して搭載していることは明らかです。同じように「空母いぶき」のモデルになった、出雲や加賀のような大型護衛艦にも非公式の補助エンジン(モーター)として搭載されていることは間違いありません。

この技術革新を知らないからこそ、「沈黙の艦隊」や「空母いぶき」のような、時代錯誤的かつ大時代的な空想戦争ファンタジーが描けるのでしょう。海上自衛隊の基地である呉港周辺海域は相当に放射能汚染が進んでいるとの情報も入ってます。

*1:元海上自衛官のお話より。本人もどうしてそんな長期間潜航ができるのか分からないし、潜水艦任務は極秘扱いなので誰も教えてくれないとか。また、隊内に何を任務としているか不明な部門があることも証言されてます。


(3)世界の軍事装備品の技術基盤は殆んど日本製である

日本は米国製兵器を泣く泣く買わされていると思っている方が多いようですが、最新兵器の電子基盤はほぼ100%日本製なんです。また、艦船建造などに必要な高張力鋼などの特殊素材も、日本の鋼材メーカーがほぼ独占状態です。国際軍事評論家のB氏によると、日本航空電子の半導体がなければ、外国軍はミサイルを飛ばすことすらできないそうです。要するに、日本国民の血税から払われた武器購入代は、米国企業を通して、日本の特定企業に還流する仕組みが出来上がってるんです。それこそが(1)の、戦争を絶対目的とする非正規軍の存在理由なのです。

本当にこの世から戦争を失くしたいのなら、日本の先端技術の海外流出を止めればいいだけのことなのであり、「沈黙の艦隊」の如く、その戦闘力(*2)を世界に見せ付ける必要なんて全くないのです。私が外国軍の指導者だったら、この世界から戦争を失くすために、まず、日本の生産基地を徹底的に無力化するでしょう。

*2:繰り返しになりますが、核兵器は存在しません


(4)日本海海戦は日米露欧の計画戦争である(ヤラセ)

日本海海戦で、後に日本占領を完遂するマッカーサー元帥が観戦武官として日本海軍に乗船していたのは有名な話です。歴史研究家の中には、そもそも日本海海戦を指揮していたのは、東郷平八郎元帥ではなく、欧米から派遣された海戦経験豊富な観戦武官たちだと言う人もいます。

この日本海海戦については司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」による印象操作が強烈なのですが、現実は小説と比べてさらに複雑に込み入ってるか、全く異なるようで、私もまだ完全に整理ができていません。少なくとも、バルチック艦隊がわざわざ超長距離を移動して日本海に進軍してきたというストーリー自体が、軍事行動的に不自然極まりないのです。

これについては追って見解を記事にしたいと思っていますが、おそらく、日本海海戦自体が、日米露欧の軍事部門が共謀して起した軍事ショーであったと見ています。その狙いとは、ロシア王政の打倒です。この海戦からおよそ10年の時を経てロシア革命が起き、ロマノフ王朝が倒れたことと深く繋がっていたということです。


 * * *


以上、簡単に私の所感を綴ってみました。「空母いぶき」に限って言及すれば、物語の仮想敵国にされているのは明らかに中国です。中国海軍との緊迫するやりとりが話しの肝となっているようですが、以前にもお知らせしたように

 中国軍と自衛隊の間でかつて空戦が行われています

もう何10年も前の話しですが、自衛隊のF4のファントムが撃墜されたと聞いています。もちろん、全て闇の中に葬られているのですが、B氏によると、このような隣国軍との小衝突は、軍事の世界で日常茶飯事だそうです。ですから、この情報以外にも自衛隊の衝突事例はあるのかもしれません。そんな現実も押さえず、自衛隊のある一面だけを強調するような空想軍事ファンタジーになんの意味があるのか、甚だ疑問を覚えるのです。

本当に、世界の平和安定を願うのなら、「沈黙の艦隊」は海洋に豊富な水資源があることを、全世界に伝えるべきではないでしょうか、国連常任理事国ならそれくらいやりなさいと言いたいです。まあ、漫画ですからそこまでムキになる必要もないでしょうけど。

関連記事:水資源問題は存在しない


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管理人 日月土
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八咫烏はニセガラス

まずは、天皇皇后両陛下が奈良の神武天皇山陵をご訪問されたという報道から。

両陛下が神武天皇の陵を参拝 奈良・橿原
毎日新聞2019年3月26日 12時30分(最終更新 3月26日 13時30分)

京都市に滞在中の天皇陛下は26日、皇后さまとともに奈良県橿原市を訪れ、初代天皇とされる神武天皇の陵を参拝し、4月30日で退位することを報告された。陛下は即位を報告した1990年の参拝時と同様にモーニング姿で、皇后さまも洋装で、順に参拝した。26日中に京都に戻る。


引用元:毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20190326/k00/00m/040/114000c


前回の記事「両陛下へ繋ぐ神武天皇御陵」でもお伝えしたように、両陛下が訪れた陵墓は神武天皇御陵でないのは明らかなのです。そして、本物の御陵が福岡県の那珂川市内にあることを、「現人」をキーワードにご紹介しました。

つまり、宮崎から奈良大和の地へ入り、あまつさえ、当地に陵墓を築いたという神武東征伝説というのは全くのデタラメだと言うことです。先の第2次世界大戦では、こんなデタラメを信じ込まされ、お国のためと言いながら

 300万人もの日本人の命が失われた

のですから、こんな嘘は大概にしないといけないのです。そして、5月に即位する新陛下の時代には絶対に引き継いではならないのです。


写真1:福岡県にある神武天皇御陵。ひどい扱いをされています。

神武天皇御陵探訪の勧め

5月の10連休には、前記事で紹介した航空写真と上写真1をヒントに、現地で本物の神武天皇御陵を探してみては如何でしょうか?始める前と終わりに現人神社へのご挨拶もよろしくお願いします。もしも見付けることができたら、お花の一本でも捧げていただけるとたいへんありがたいです。

現地をずばりお知らせしないのは、本当に関心のある方だけに訪ねて頂きたいのと、裂田の溝など、御陵以外の当地の遺跡や地形についても見て頂き、天皇家所縁のお土地の雰囲気を肌身で感じて頂きたいためでもあります。

JR九州博多駅から新幹線で博多南駅下車、または博多駅から那珂川営業所行きの西鉄バスに乗り、終点で下車して徒歩で回ることも可能です。そこそこ距離があるので、現地で小型車を借りて回るのがお勧めです。


■東征伝説をデッチアゲる理由

ここまで書くと、聡明な読者様ならこう考えるはずです、

"史書などいくらでも改ざんできる。そうだとしても、神武東征伝説が嘘だと言うなら、その嘘を吐く理由はいったい何なのだ?"

確かにその通りで、少なくとも現天皇家に東征伝を偽るメリットは感じません。それならば、この偽伝説によって何らかの利益を得る集団を拾うことが理由解明の一つにあげられます。また、天皇家の出自と直接関係のない九州の宮崎を何故ここまで強調するのか、その理由を追うことで受益者を特定するという方法が考えられます。

今回は、この偽伝説によって英雄として称えられた存在について考えます。つまり、史書をいじり、歴史的な権威や存在の正当性を捏造したと思われる集団のことです。その様な存在は幾つか考えられますが、その最たるものが、

 八咫烏(ヤタガラス)

であると私は考えます。

日本書紀巻第三にはこうあります。

原文
時夜夢、天照大神訓于天皇曰「朕今遣頭八咫烏、宜以爲鄕導者。」果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。大哉、赫矣、我皇祖天照大神、欲以助成基業乎。」是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣。

書き下し文
時に夜夢みらく、天照大神、天皇に訓(をし)へまつりて曰(のたま)く、「朕今(あれいま)頭八咫烏(やたのからす)を遣す。以って鄕導(くにのみちびき)としたまへ」とのたまふ。果して頭八咫烏有りて、空(おほぞら)より翔び降(くだ)る。天皇の曰(のたま)はく「此の烏(からす)の來ること、自づからに祥(よ)き夢に叶へり。大きなるかな、赫(さかり)なるかな。我が皇祖(みおや)天照大神、以(も)て基業(あまつひつぎ)を助け成さむと欲(おもほ)せるか」とのたまふ。是の時に、大伴氏(おほとものうぢ)の遠祖(とほつおや)日臣命(ひのおみのみこと)、大來目(おおくめ)を帥(ひき)ゐて、元戎(おほつわもの)に督將(いくさのきみ)として、山を蹈(ふ)み啓(みちをわ)け行きて、乃(すなは)ち烏の向ひの尋(まま)に、仰(あふ)ぎ視(み)て追ふ。遂(つひ)に菟田下縣(うだのしもつこほり)に達(とほりいた)る。

文意
夜、(神武天皇の)夢に天照大神が現れて次のように仰られた「八咫烏を遣わすので、道案内としなさい」。すると空より八咫烏が舞い降りてきた。神武天皇は「この烏が来ることは、夢の通りだ。なんと大きく、輝かしいのであろうか。きっと祖先である天照大神が、天の継承者である自分を助けなければと思われたのだろう。」と仰られた。この時に、大伴氏の祖先に当たる日臣命は大來目を頭に大軍を率いて、空を飛ぶ烏を仰ぎ見つつ、その向かう方角に向けて山を踏み分け、掻き分けて進んだ。そして、遂に菟田の郷(*1)に出たのである。

 
 この絵は八咫烏ではなく長髄彦の戦いの時に現れた金鵄(きんし)

*1:一般に、書紀に出てくる菟田(うだ)は、現在の奈良県宇陀市の辺りを指すとされています。

東征伝説で困難に陥っていた神武天皇を助けた功労者は、人でも神でもなく、烏(カラス)だったのです。

八咫烏と言えば、スピリチュアル通の間では、天皇ひいては日本国を守護する正義の秘密結社で、そのメンバーに名前や戸籍はなく、リーダーは金鵄(きんし)とか大烏(おおがらす)などと呼ばれている。構成員は末端まで含めると5万人・・・・云々と語られているようです。

具体的には、東征伝説で神武天皇が上陸されたとされる熊野地方にある熊野大社を拠点とし、最新の科学知見を武器に世界にまたがる高度な特殊任務を担当しているとかしてないとか・・・・


写真2:熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)と八咫烏の旗
  偽伝説の上に成り立っている神社


写真3:関係ないのに神武天皇を祀る宮崎神宮
  こちらも偽伝説の上に成り立っている。便乗するのは神社本庁


確かに、熊野系の神社は3本足の烏(八咫烏)を神紋に掲げています。そして、この私も、直接対話したことはなくとも、八咫烏と自称する人物の噂を耳にしたり、それらしき挙動を示す人物達と遭遇したことは何度もあります。我家の上空をビジネスジェットに乗って数回ほど旋回していったのも、おそらくその類の方々でしょう。

そのように、全てにおいて怪しげな集団なのですが、彼らのことを今さら深く詮索する必要はもうありません。彼らこそ

 偽伝説によって権威付けられた集団

つまり、

 インチキ集団(=八咫烏)

なのです。そもそも、そんなにご立派な日本のヒーローが居るなら、どうして300万人も日本人が死ぬような戦争を避けられなかったのか、最近では福島第一原発の放射性ゴミを全国に撒き散らすような暴挙を止められなかったのかと疑いたくなります。そして、私の場合は何よりもこれです、

 どうして123便事件を防げなかったのか?

結果が出せない時点でもうアウトなのですが、むしろ、その作られた権威を笠に着て、積極的に皇室や日本社会を影から蹂躙している、外国勢力と共謀して戦争を始めたり、123便事件では積極的に隠蔽工作を行った、それがインチキ集団である八咫烏の正体なのだと思います。

神武東征伝説を糺すことは、同時に、宮中における獅子身中の虫である八咫烏を排除することを意味します。もしも、自分は八咫烏のメンバーで、もうこんな組織は嫌だと思われる方がいらっしゃるなら、脱会をお勧めします。命が危ないということならご相談に乗りますよ。組織に残って功績を上げたところで、最後には口封じと称して葬られるのですから、それなら、罪に手を染めないという選択を積極的に選ぶべきです。

最後に一言。そろそろ三重津のお里にお帰りの時間ですよ、さん。


 * * *


今回の記事だけで、神武東征伝説が虚実であることを納得される方はまだ少ないかもしれません。今後も、神武天皇の出自と現在の皇室との関係、福岡と奈良の関連性などについて、読者様にご納得頂ける資料を提供していく予定です。


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管理人 日月土


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両陛下へ繋ぐ神武天皇御陵

本日より、両陛下が京都と奈良を訪れるようです。

両陛下、京都・奈良を訪問へ 神武天皇山稜で退位報告
緒方雄大 2019年3月4日20時42分


 宮内庁は4日、天皇、皇后両陛下が25~28日に京都府と奈良県を訪れると発表した。4月30日に退位することを報告するため神武天皇山陵を訪れる。両陛下の京都府、奈良県への訪問は在位中最後になる。


 宮内庁によると、25日は即位30年にあたり京都市の京都御所で近畿地方の2府4県の知事や議長らを招き、茶会を開く。天皇陛下がお言葉を述べる予定。26日には奈良県橿原市の神武天皇山陵に参拝し、退位することを報告する。


 27日には、関西の宮内庁職員による即位30年や結婚60年を祝う茶会に出席する。(緒方雄大)

引用元:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM343K7TM34UTIL00W.html

続いて本日25日夕方の報道です。

両陛下、京都で茶会 26日は神武天皇陵に退位報告
天皇退位 社会
2019/3/25 18:08


天皇、皇后両陛下は25日、即位30年を記念する茶会を京都御所(京都市)で催された。近畿各地の自治体関係者や経済、学術、文化など各分野から約210人が出席。両陛下は出席者らと和やかに懇談された。

 (中略)

両陛下は26日に奈良県を日帰りで訪問し、神武天皇陵を参拝して退位を報告。27日には天皇陛下の即位30年などを祝う宮内庁職員主催の茶会に出席される。帰京は28日

引用元:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42874500V20C19A3CR8000/


歴代天皇の初代であられる神武天皇(神日本磐余彦天皇:かむやまとひはれひこのすめらみこと)は、古史においては天から降りた神の子孫にして、人の世の王として初めてその威容を表した方とされています。

ここで神話の真偽を議論するつもりはありませんが、神の御系統でありながら、人として世に現れたという伝説から、 神武天皇のことを神の現人(うつしおみ)と表現することがあります。その概念が最も過剰な形で現れたのが、明治政府成立から第2次世界大戦の敗戦まで、国策として神武天皇だけにとどまらず、時の天皇陛下その人の事を現人神(あらひとかみ)と呼び、崇拝の対象として国民に強要したことは、近現代史の常識となっています。

この「現人」なのですが、実は、この語を冠した神社が、福岡県の那珂川市にあるのです。その社名は「現人神社(あらひとじんじゃ)」です。そして、この神社の近くには、日本書紀にも記述され、第十四代仲哀天皇妃の神宮皇后の命により造られた、日本最古の農業用水路とされる「裂田の溝」(さくたのうなで)があります。日本最古の灌漑土木事業にして奈良大和の地ではないことに注目です。

この現人神社では背振の山々から降りてきたであろう地下水を汲むことができ、私もよく飲料用の水を頂戴に伺ったものです。境内にある大きな樟の木の木陰で佇みながら物思いに耽ったこともありました。もちろんお参りもしてますよ。


写真1:現人神社

さて、上記引用記事中にある「神武天皇山陵」ですが、こちらはあくまでも宮内庁が言う「推定」神武陵であることにご留意ください。宮内庁だって、御陵を荒らされたくありませんから、本当の存在位置をトボける位の奥ゆかしさと度量はあるのです。しかしながら、今年の5月に新陛下が即位されるという時節ですから、私の方から、もう少し絞り込んだ御陵の位置を、本ブログ読者様に向けてお知らせしたいと思います。


写真2:【推定】神武天皇陵 (奈良県橿原市)
 ここに行っても神武天皇はおられません。しかし、実際の御陵とは気脈で繋げましたので、遥拝所としてのご利用なら問題は無いでしょう

下図1の図中にその御陵はあります。両陛下は当然ご存知のことでしょう。気になる方は現地で探してみては如何でしょうか?


図1:現人神社、裂田の溝、そして神武天皇御陵(ひみつ)
 御陵調査の時、よく福岡県警のヘリに張り付かれたのを覚えています。日本国民が日本の歴史を知ろうとすることが、そんなに罪なことなのでしょうか?


 柏原(橿原)の 南に坐す 九ニ父は

  一八十成る世の 行くすゑをみる


 * * *


神武東征や大和朝廷などという、明治政府や歴史学者が創作した寓話を信じている内は、本記事の真意を理解するのは難しいかもしれません。長きに続く日本(にほん)の歴史の中で、京都や奈良などというのは、たった1000年の歴史しかない新参者とすら言えます。

日本正史の初っ端がそもそも間違っているのですから、この国がここまで無節操なのも当然と言えば当然のことなのかもしれません。エコノミスト2019の表紙で「嘘つき日本人」が描かれたのも、頷けるというものです。


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管理人 日月土
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東京大空襲、B29のピンポイント攻撃

今日は3月11日、あの東日本大震災から早いもので8年の年月が経過しました。続く福島第一原発の事故により、私は一時海外避難を選択した訳ですが、それからというもの、日本という国の呆れるばかりの原子力行政の実態が次々に露になってきました。その断片を掻い摘んで本ブログでお知らせしてきたのですが、原子力の闇は想像以上に深く、なかなか全体を把握するという訳にいきません。

先週も、埼玉県寄居にある自動車関連企業の工場内で比較的中規模の放射能漏れ事故が発生したようですが、なんとか収束しそうなので、わざわざ情報開示をしませんでした。実はこの程度の放射能漏れ事故は、この1年、時よりどこかで起きているのものであり、私もいちいち不安を煽るようなことはしたくないのでなるべく公表を控えるようにしています。

何故、自動車関連企業なのかは、過去の記事をお読みになっている読者様なら敢えて説明は不要でしょう。現代社会の動力源は小型化された原子力に大きく依存し始めているのですから。自動車メーカーが放射性物質を取り扱っていないと思う方がむしろ認識不足と言えます。だからこそ、福島であれだけの大事故を起しながら、原子力素材の生産プラントである原発を、経団連や電気事業連合会、そして経産省が停止しようとは言わないのです。

おっと、いきなり脱線してしまいました。今回の記事は、前回に続き1945年3月10日に発生した東京大空襲についてです。

放射能漏れ事故に遭遇したら

「直ちに影響はありません」。これが、この手の放射能漏れ事故に関して今の私がお答えできる限度となります。事故の影響は生涯における発ガンリスクの上昇など、目に見えないところに現れるでしょう。残念ながら、日本国内で絶対安全な場所と呼べるところはありません。常に原発と隣り合わせているのだと覚悟し、発酵食品の積極的な摂取や、睡眠を多くとりストレスや疲労の蓄積を防ぐなど、発病を予防することを第一に心がけてください。過度な心配こそ大敵です。

私見ですが、10人中9人いや100人中99人がガンになる時代がやって来ても、おそらくこの国は変わろうとしないでしょう。一時の利便のために命を差し出しても良いという、今のままでは。


■B29のピンポイント縦断爆撃

まず、こちら↓のサイト記事を参考に、東京大空襲時の出来事を時系列に書き出しました。書き出すと言っても、始まりと終わりだけですが。
http://historyjapan.org/great-tokyo-air-raid-2

 1945年3月10日
 00:08 第一弾が江東区に投下される
 00:15 空襲警報が発令される
   ・・・・・・・・・・・・・・
 02:00 この頃に空襲が終わる
 02:37 空襲警報が解除される

東京大空襲には、機銃を外し、燃料も最小とし、焼夷弾を満載した米国の爆撃機B29が300機出動したと言われています。諸元によると最大積載時のB29の総重量は約43トン以上とありますので、こんな重い機体が高度1000m以下などという空気抵抗の大きい高度帯を飛行したとするなら、現代の旅客機と同じで時速300km以上は出していないと飛べないと思われます(*1)。ここでは便宜上、空襲時のB29の飛行速度を300km/hと固定します。

ここで、以下の図を見てください。


図1:東京大空襲分析図

空襲による消失範囲は概ね6kmの円内に収まることがこれで分かります。300km/hで飛行するB29編隊が円内を通過するのに要する時間は

 60 × 6 / 300 = 1.2 (分)

つまり、各機 最大1分12秒しか投下時間がないことが分かります。この短い時間内で円内に限って焼夷弾を投下しなければならないのですから、パイロットも爆撃手も凄腕としか言いようがありません、しかも、同レベルの優秀な人員を300機分揃えたというなら米国恐るべしですね。

さて、次にこの計算結果を用いて現実に何が起きたかを考察します。証言や資料と組み合わせた事実関係は以下のようになります。

 1)証言:空を覆うようなB29編隊
 2)証言:B29は大きな化け物のように見えた
 3)資料:出撃総数は300機
 3)資料:爆撃は2時間続いた
 5)計算:空襲エリアを1分12秒で通過

これら全てを合理的に説明し得る状況は、例えば

"30機程度のB29小編隊(全10編成)が12分おきに波状的に訪れ、1000m以下の超低高度で侵入し、1分強の限られた時間内に焼夷弾を大量投下した"

などが考えられます。ここでちょっと、この説明に私自身が納得がいかない点を列記しましょう

 a)本当に全機こんな高精度(時間・位置)で焼夷弾を投下できたのか?
 b)どうして、初期攻撃以後の波状攻撃に対して防御ができなかったのか?
 c)投下ポイントからの離脱機に対して何も反撃できなかったのか?

*1 時速300km以上:航空力学的にはその速度でもB29は飛行できないというのが私の考え、というか計算結果ですが、それについてはひとまず議論を保留しておきます。


■そこだけ切り取ったような高精度爆撃

図1を見ていてつくづく思うのは、まるで

 このエリアだけ空間を切り取ったように焼失している

ということです。神田や八丁堀など、多少西の方にも広がっていますが、それでも

 皇居や霞ヶ関だけはしっかり避けている

のが見て取れます。前述参考サイトによると、東京大空襲当日には強い風が吹いていたといいます。投下した焼夷弾は当然風に流されますから、爆撃手は風速を見越して爆撃ポイントを定めていたのでしょうか?そうだとすれば、やはり凄腕としか言いようがありません。そして、次々に訪れる全300機のほとんどが、おそらくそのミッションを達成したようですから、それもまた驚きです。そして、驚きと同時に、そんなことが技術的にも確率的にも起こりうるのだろうかと、強い疑問がふつふつと沸き起こってくるのです。


■2時間なされるままだったのか?

さて、おそらく高度1000m以下の高射砲射程圏内を悠々と飛行する大型爆撃機を、なぜ帝都防空隊は撃墜しなかったのか?それが前回記事の疑問点でしたが、参考サイトにあるように、米軍は機銃すら外して日本本土に乗り込んで来たようです。それは、米軍は高射砲どころか、迎撃戦闘機の出現すら考慮していなかったという事実の裏返しでもあります。

投下第一弾が江東区であったという記述より、おそらく、爆撃機は南の東京湾側から爆撃を初め、目標圏内離脱後は関東内陸部を旋回して海上に抜けているはずです。そんな作戦行動を2時間近く中止することなく実行できたのも、日本側からの反撃がほとんどないことを知っていたからなのでしょう。

そこまで日本の実情を知りながら、米軍はどうして、民間密集居住地である東京の下町を狙ったのでしょうか?反撃がないと知っていたなら、軍需工場や、それこそ霞ヶ関や皇居など簡単に狙えるはずです。そして、広島・長崎の悲劇を待つことなく、戦争を終結させることもできたはずなのです。

長崎の悲劇の場合、犠牲になったのは軍艦工場の三菱重工長崎造船所ではなく、同市内の一般市民でした。沖縄の場合など、日本との戦争に勝利するのが目的なら、戦術的には沖縄に進攻する必要すらなかったのです。

第2次世界大戦の末期、日本は反撃意志もなく、いたずらに降伏を先延ばしにしてきました。そして、米軍も反撃がないことを分かっていながら、一般市民がただ犠牲になるだけの攻撃を繰り返してきました。ここに両国の示し合わせがあったかどうか、証拠こそありませんが、少なくとも戦争末期の両国のやり方は、

 勝敗ではなくただ人を殺したかった

だけのようにしか思えません。もっというと、東京大空襲の焼失範囲が極めて限定的なのは、地上側で予め防火設計が厳密になされていたから、つまり、日本側で大火災発生のシミュレーションがすでに出来上がっていたからなのだとも考えられるのです。下手をすると、地上で火を付け回っていたのは日本側なのかもしれないのです。


図2:ご存知、火付盗賊改方の鬼平(© Saito Production)
   火付盗賊改方の影の仕事は火付役の赤猫たちを差配すること
   空襲当時は特別高等警察、今なら消防庁が該当か

こうした、第2次世界大戦における「日米共謀の疑義」は、空襲から40年後の123便事件を巡る米国の不可解な動きに再び現れます。詳しくは本ブログの過去記事をもう一度ご覧ください。


写真1:御巣鷹の現場を訪れた米国事故調査団(赤枠は軍人)
    「そしてミサイルは発射された(6)」より


 * * *


文の最後になりますが、東日本大震災でお亡くなりになられた全ての犠牲者のご冥福をお祈り申し上げます。


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管理人 日月土
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今日は東京大空襲の日

今日3月10日は東京大空襲の日。この悲惨な体験談はネットでも多く見ることができます。今回はその体験談より以下の部分を抜粋しました。


昭和20年3月10日の未明、空襲警報が鳴って飛行機が数機やって来たがすぐ引き返したので安心していた。そのあと、B29の戦闘爆撃機が空を覆うようにやってきた。
大きな化け物のように見えた。焼夷弾が雨あられのように落ちてきた。焼夷弾は日本の家屋を焼くように作ってあり、最初から家も人も殺すつもりだったのではないかと思う。
犠牲者は殆どが民間人です。民間人は戦闘に巻き込んではならないはずなのに。一夜にして10万人が焼け死んだ。
消火訓練で良くバケツリレーをしていたが、そんなものは全く役に立たない。

引用元:https://miyotya.hatenablog.com/entry/20180802


これ、何かおかしいと思われないでしょうか?

「空を覆うように」、「大きな化け物のよう」ということは、少なくともB29の飛行高度は1000m以下だと思われます。2000m以上なら、密集編隊でも点が散らばっているように見えるはずです。

当時の高射砲の公称スペック上の最長到達高度は16,000~19,000m。果たしてB29の大編隊は玉砕覚悟でみすみす高射砲の射程高度内に侵入してきたのでしょうか?

これを説明する理由は

 1)高射砲のスペックがそもそも詐称したものであること
 2)日本軍に首都防衛する気が初めからなかった

すると、米国空軍は

 1)または2)の事実を初めから知っていた

ことになります。日本軍の張りぼて防衛体制が丸裸だったとも言えますが、私は日米共謀の下、東京空襲計画が初めから計画されていたのではないかと疑っています。これはまた、広島・長崎にも言えることなのです。

すると次のような反論が聞こえそうです。

 そんなバカな、日本軍が日本を守らないはずがない!

果たしてそうでしょうか?ならばなぜ、1985年8月12日に起きた日航123便の遭難で、日本国政府は救助を何時間も遅らし乗客乗員を見殺しにしたのでしょうか?大きな目的のためには一部の国民の命などどうでもいい、そういう思想が戦時中から現在にかけて、この国に全くないと言えるのでしょうか?

ある元自衛隊員が言ってました、「本当に恐ろしいのは眼前の敵ではなく、愚かな味方である。後ろから撃たれたら我々はもう何もできないのだよ」と。

疑いは今でも晴れることはありませんが、今はまず、この日失われた命に対して謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。


 * * *



写真1:東京慰霊堂敷地内の句碑

 焼けてなお 芽ぐむ力ぞ 青草の民

元歌は「焼けて直ぐ 芽ぐむ力や 棕梠の露」、元東京市長の永田秀次郎の作とされていますが、おそらくそれは違うでしょう。震災の犠牲者にこんなに呪いの詰まった俳句を捧げるのは、その道の専門家であるとしか考えられません。この句碑により、1923年9月1日に起きた関東大震災も計画震災であった可能性が濃厚となってきました。


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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