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JAL123便墜落事故-真相を追う- 自衛隊撃墜説を斬る(3)

■日本の空は誰のものか?

私たちが自衛隊とは何をする組織かと問われれば、「日本を外国からの脅威に対し、武力を以って防衛する組織」と答えるでしょう。同時に、日本の国土、領空・領海を縦横無尽に移動する車両、航空機、艦船、隊員達の姿をイメージするに違いありません。ある方はそれを頼もしく思い、またある方は、彼らの姿を市民生活への脅威と感じているのかもしれません。

どのような主義主張を心に抱くにせよ、自衛隊とは、強力な兵器の携行を許された、日本における特別な組織であると、多くの日本国民は認めているはずです。この共通認識のネガティブな面、武力で国民を統制する悪辣な組織というイメージこそ、自衛隊撃墜説を論立てる上での基礎として、これまで特に意識されることなく用いられてきました。

しかし、イメージではなく、自衛隊、もしくは日本という国家が置かれた現実を直視することにより、自衛隊撃墜説、特に基本シナリオの1.、4. 、5.が十中八九有り得ない仮説であることを簡単に論破することができます。

まず、下記の図をご覧ください。


(図1:1985年当時の管制区域:「御巣鷹の謎を追う」 米田憲司 宝島社 2005 p111 より引用)

この図を見る限り、関東西部・甲信越のほとんど空域が米軍横田基地(米空軍)の管制域であることが見て取れます。民間航路はこの管制空域を避けるように設けられ、123便など民間航空機はまるで巨大な立方体の端を舐めるようにギリギリの空域を飛ばなければなりません。後年、一部は返還されたようですが、このように、日本の首都、東京都を抱える同空域にして、圧倒的に在日米軍の統制下に置かれていることは歴然としています。

東京都知事、石原慎太郎氏がまだ元気だった頃(今もか)、横田基地の返還、もしくは民間との基地との共用を知事の公約として強く主張していた頃には、「日本の空は日本のものではない」というフレーズをよく聞いた記憶があります。あれは誇張でも何でもない事実そのものであり、石原氏が「『NO』と言える日本」や日米安保条約への疑念の表明など、戦後永らく続く、在日米軍(米国)による日本の主権への侵害行為を激しく糾弾していたのは、まだ記憶に新しいかと思います(*)。

* 余談ですが、石原氏の米軍批判はこの時期を境に急激にトーンダウンします。お得意の外国批判のメインは、後に中国・朝鮮など、氏が言うところの三国人に移ってしまいます。これについては、行き過ぎた米軍(米国)批判が理由でCIAに命を狙われ、存命の取引として、国会議員から知事クラスへの転出、米軍(米国)批判の中断を選ばずをえなかったと聞いています。このように言葉は過激でも、意外と根性無し、それが石原氏の正体なのでしょう。

図1を見れば、123便は相模湾上空での異変の後、横田管制区域をずっと飛び続けているのがわかります。横田管制から同便に対し、横田基地への着陸呼びかけが行われたことも事故調の記録に残っています。また、米軍からの救援申請を自衛隊が断ったなどの噂、事故直後に米軍の救難ヘリが現場に到着し、部員が降下寸前で命令により引き返したなどの証言(アントヌッチ証言)など、米軍との同事故の関りについては、空域の問題以外にも注視すべき点が多々あります。

詳しくは後に検証していきますが、とにかく、墜落までの経過時間の多くは米軍の横田管制空域内での出来事であり、基本シナリオ4.、5.のように、自衛隊の戦闘機が、主体的に123便を追尾・誘導したり、上空でミサイル発射するようなことはとても考えにいことです。自衛隊なんだから・・・という考えはたいへん甘いです。ここは日本の空ではないのですから。それでも自衛隊の戦闘機が関与していると言うなら、それは、米軍に許可を取り付けた上での行動、または米軍の命令か共同作戦と捉えなければなりません。私が「自衛隊(直接)撃墜説」を否定すると先に記したのは、このような意味であり、つまり、米軍の関与を無視しては123便の墜落までの顛末を語ることは出来ないということです。


続けて、以下の図もご覧になってください。


(図2:在日米軍の訓練空・海域:「日本の米軍基地の実体」 http://www.anpo-osk.jp/kiti/nihon.htm より引用)


図1もそうですが、赤い丸で囲われた地域に注目してください。既にご理解いただけたように、123便の垂直尾翼に異変が起きた相模湾は在日米軍の訓練空・海域であり、このような所で自衛隊の艦船が、自主的に艦対空ミサイルや無人標的機を飛ばせる訳はありません。ここは日本の海ではないのですから(くどいですが)。もちろん、横田管制空域の場合と同じで、米軍の関与が何かしらあれば、それはまた別の話です。

ちなみに、軍事評論家B氏の話によると、海上自衛隊の場合、在日米軍の許可無しにはミサイルの試射一つ出来ないとのことです。最近「本当は強い自衛隊」などと勇ましいタイトルの本を書店で見かけましたが、確かに、装備や隊員の錬度など、自衛隊は世界でも優秀なレベルだと思うのですが、国土を他国軍に専有され、主体的な指揮を失った状態で、いったい何の強さだというのでしょうか・・・この状況は1985年のあの日も同じだったはずです。


MERCENNARIUS AUTEM FUGIT QUIA MERCENNARIUS EST ET NON PERTINET AD EUM DE OVIBUS

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