JAL123便墜落事故-真相を追う-2013年頭のご挨拶
平成25年元旦
あけましておめでとうございます。
年が切り替わり、あの日航機事件からもう28年目の年を迎えようとしています。
私の調査も6年目に入るのですが、知人などからは、「もう終わったことなのだから、いい加減に終わりにしたらどうだ」と薦められることもあります。終わりにしたいのは、この私だって同じです。この調査期間中、ろくに仕事もできず、私財も減る一方なのですから。このままだと、いつかは自動的に調査を休止せざるをえないでしょう。しかし、その時が来るまでは、調べ上げた事実をできるだけ文字情報に残しておこうと思っています。
そこまでする理由は何かと問われれば、やはりこの事件で命を落とされた方々の無念の思いが、切実な訴えとなり私の心に届いてくるからです。断筆を薦める方がよくおっしゃるのは、「終わったことは水に流せ」という、ある意味、日本人的な美的な表現なのですが、私はそれは違うと思います。
「水に流す」というのは、争う者同士が過去の罪を認め合い、赦し合う時に成立するものです。そのためには、両者が共通認識として事実を確認するプロセスが絶対に欠かせません。その上での「水に流す」ならば、私も積極的にそれに同意するつもりです。
しかし、日航機事件の場合はどうでしょう?事実は徹底的に隠蔽され、遺族にも伝えられず、搭乗者の死は未だもって事故死扱いです。ここで事件の追及を止めれば、隠蔽側は保身を担保し、遺族は大きな悲しみとわずかばかりの補償金を手にするだけ。こういうのは「臭い物に蓋」と呼ぶのが正確な例えではないでしょうか?
スピリチュアル系の思考パターンが身についた方の中には、すぐに「言霊(ことだま)」の概念を持ち出し、事件について言及すること自体を「穢れ」として嫌う方もいらっしゃいます。しかし、それも違うでしょう。「穢れ」は「祓う」べきものであり、祓うためには穢れを正しく見据えなければ始まりません。いつまでも事実から目を逸らしていては、「穢れ」はたまる一方です。
1985年の日航機事件を境に、経済を中心に日本の社会状況が一変しました。この事件は、今や重い頚木となって日本を苦しめています。私たち日本人の生活にこれだけ大きな影響を与えた日航機事件の解明をすること無しに、輝かしい日本を取り戻すことなど到底不可能なことだと私は思います。
縁とは、不思議なもので、最近になって、公安警察の元重職だった方と偶然知り合う機会がありました。失礼だと思ったのでこちらからは積極的に話を切り出しはしなかったのですが、会話の流れの中でつい日航機事件に外国軍が関与していたことを仄めかしたら、ギョッとした顔をされて「何でそんなことを知っているんだ」とこちらの顔を覗き込んできました。
事件に外国軍(米軍・ソ連軍)が関与していたことなど、わざわざこの方に尋ねなくとも、現地で拾い集めた軍機破片が雄弁にその事実を物語っています。むしろ、私が気になったのは、
「終わったことなど、忘れてしまうのが一番良いのだ」
という一言です。「それは違う」という私の言葉を添えて、新年のご挨拶を締め括らせて頂きます。
写真1:お正月の二十二社神社
神武天皇も祈願したと言われる天神地祇の神を祀る
* * *
ネットで日航機事件に関する情報が流布しているようです。真実追求のためにはありがたいことなのですが、中には他サイトの言説と混同されていたり、本ブログの記述について誤解されている方もいらっしゃるようです。そこで、本年は小規模な講演会を開催し、「(新)日本の黒い霧」が何を主張しているのか、皆様に直に聞いていただこうと考えております。
FACTUM EST AUTEM IN MENSE NISAN ANNO VICESIMO ARTARXERSIS REGIS ET VINUM ERAT ANTE EUM ET LEVAVI VINUM ET DEDI REGI ET NON ERAM QUASI LANGUIDUS ANTE FACIEM EIUS DIXITQUE MIHI REX QUARE VULTUS TUUS TRISTIS CUM TE AEGROTUM NON VIDEAM NON EST HOC FRUSTRA SED MALUM NESCIO QUID IN CORDE TUO EST ET TIMUI VALDE AC NIMIS ET DIXI REGI REX IN AETERNUM VIVE QUARE NON MAEREAT VULTUS MEUS QUIA CIVITAS DOMUS SEPULCHRORUM PATRIS MEI DESERTA EST ET PORTAE EIUS CONBUSTAE SUNT IGNI
アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。わたしは王の前で暗い表情をすることはなかったが、王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」
(ネヘミア書 第2章1-3節)
遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土
あけましておめでとうございます。
年が切り替わり、あの日航機事件からもう28年目の年を迎えようとしています。
私の調査も6年目に入るのですが、知人などからは、「もう終わったことなのだから、いい加減に終わりにしたらどうだ」と薦められることもあります。終わりにしたいのは、この私だって同じです。この調査期間中、ろくに仕事もできず、私財も減る一方なのですから。このままだと、いつかは自動的に調査を休止せざるをえないでしょう。しかし、その時が来るまでは、調べ上げた事実をできるだけ文字情報に残しておこうと思っています。
そこまでする理由は何かと問われれば、やはりこの事件で命を落とされた方々の無念の思いが、切実な訴えとなり私の心に届いてくるからです。断筆を薦める方がよくおっしゃるのは、「終わったことは水に流せ」という、ある意味、日本人的な美的な表現なのですが、私はそれは違うと思います。
「水に流す」というのは、争う者同士が過去の罪を認め合い、赦し合う時に成立するものです。そのためには、両者が共通認識として事実を確認するプロセスが絶対に欠かせません。その上での「水に流す」ならば、私も積極的にそれに同意するつもりです。
しかし、日航機事件の場合はどうでしょう?事実は徹底的に隠蔽され、遺族にも伝えられず、搭乗者の死は未だもって事故死扱いです。ここで事件の追及を止めれば、隠蔽側は保身を担保し、遺族は大きな悲しみとわずかばかりの補償金を手にするだけ。こういうのは「臭い物に蓋」と呼ぶのが正確な例えではないでしょうか?
スピリチュアル系の思考パターンが身についた方の中には、すぐに「言霊(ことだま)」の概念を持ち出し、事件について言及すること自体を「穢れ」として嫌う方もいらっしゃいます。しかし、それも違うでしょう。「穢れ」は「祓う」べきものであり、祓うためには穢れを正しく見据えなければ始まりません。いつまでも事実から目を逸らしていては、「穢れ」はたまる一方です。
1985年の日航機事件を境に、経済を中心に日本の社会状況が一変しました。この事件は、今や重い頚木となって日本を苦しめています。私たち日本人の生活にこれだけ大きな影響を与えた日航機事件の解明をすること無しに、輝かしい日本を取り戻すことなど到底不可能なことだと私は思います。
縁とは、不思議なもので、最近になって、公安警察の元重職だった方と偶然知り合う機会がありました。失礼だと思ったのでこちらからは積極的に話を切り出しはしなかったのですが、会話の流れの中でつい日航機事件に外国軍が関与していたことを仄めかしたら、ギョッとした顔をされて「何でそんなことを知っているんだ」とこちらの顔を覗き込んできました。
事件に外国軍(米軍・ソ連軍)が関与していたことなど、わざわざこの方に尋ねなくとも、現地で拾い集めた軍機破片が雄弁にその事実を物語っています。むしろ、私が気になったのは、
「終わったことなど、忘れてしまうのが一番良いのだ」
という一言です。「それは違う」という私の言葉を添えて、新年のご挨拶を締め括らせて頂きます。
写真1:お正月の二十二社神社
神武天皇も祈願したと言われる天神地祇の神を祀る
* * *
ネットで日航機事件に関する情報が流布しているようです。真実追求のためにはありがたいことなのですが、中には他サイトの言説と混同されていたり、本ブログの記述について誤解されている方もいらっしゃるようです。そこで、本年は小規模な講演会を開催し、「(新)日本の黒い霧」が何を主張しているのか、皆様に直に聞いていただこうと考えております。
FACTUM EST AUTEM IN MENSE NISAN ANNO VICESIMO ARTARXERSIS REGIS ET VINUM ERAT ANTE EUM ET LEVAVI VINUM ET DEDI REGI ET NON ERAM QUASI LANGUIDUS ANTE FACIEM EIUS DIXITQUE MIHI REX QUARE VULTUS TUUS TRISTIS CUM TE AEGROTUM NON VIDEAM NON EST HOC FRUSTRA SED MALUM NESCIO QUID IN CORDE TUO EST ET TIMUI VALDE AC NIMIS ET DIXI REGI REX IN AETERNUM VIVE QUARE NON MAEREAT VULTUS MEUS QUIA CIVITAS DOMUS SEPULCHRORUM PATRIS MEI DESERTA EST ET PORTAE EIUS CONBUSTAE SUNT IGNI
アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。わたしは王の前で暗い表情をすることはなかったが、王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」
(ネヘミア書 第2章1-3節)
遠つ御親の始りの地より
管理者 日月土
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