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認めたくない、憂うべき日本の現状(21)-風力発電で電力消費

最近、(神)ブログで千葉県銚子市を話題にしています。その中で、銚子の隠れた絶景として台地に何本もそびえたつ風力発電施設を紹介しました。


画像1:銚子の風力発電施設(引用元:Google)

台地に広がる銚子名物のキャベツ畑と現代的な風力発電施設のコントラストはよほど絵になるのか、アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」でも、犬吠埼にある白亜の灯台と共に背景として使われています。


画像2:映画のシーンから

SDGsが叫ばれる中、持続可能なエネルギー源として注目されている風力発電ですが、かつて銚子市の関係者に、海風が得やすい立地なのだからもっと風力発電を増やせば良いのではないかと尋ねたところ

「風力発電設備の建設コスト、そして廃棄コストを考え合せると、あれは全然見合わないよ」

と、にべも無い返答をいただいたことがありました。確かに、金銭的な問題だけでなく、建設と維持、廃棄にかかるエネルギー量が、施設が生み得るトータルのエネルギー生産量に迫るようでは、とても効率の良い発電とは言えません。

実際にコスト計算をした訳ではないので、その時は「そういう考え方は大事だな」と思ったものです。

ところが、最近また現地を訪れて風力発電銀座を見学したところ、「おやっ?」と思う光景を目にしました。1基は激しく回転しているのに、近くのもう1基はあさっての方を向きながらゆっくりと回っているのです。他の設備などは完全に止まっていました。

普通は、どの設備も同じ方角を向いてくるくる回っているのをイメージすると思うのですが、止まっているのはメンテナンス中だとして、どうして施設によって方角も回転も異なるのでしょう?

特に回転数が異なる場合、明らかにその周波数が設備によって異なるはずなので、一般的なジェネレーターで交流発電をしているならば、複数の設備からの電流を合成するとたいへんなことになってしまいます。


画像3:周波数の異なる2つの交流波形


画像4:上記2波形の合成波形(緑色)

いやいや、こんな波形ではとても商用電源として使い物になりません。そこで周波数を揃えたとしても、交流波には位相の問題がついて回ります。どういうことかと言うと、個別の設備で発電している以上、波形の0位置をピッタリ同期させるのは基本的に無理だろうということです。


画像5:同周波数だがオレンジの位相が60度進んでいる場合の合成波形(緑色)

上図に示したように、合成波形は綺麗な正弦波を作っていますが、その周波数は、青・オレンジの周波数とはまた異なります。これでは、位相の差異の程度によって合成波形の周波数が変わってしまい、これをまた元の周波数の交流と合成すると、画像4のような乱れた波形を作り出しかねません。

こんな電気は使い物にならないじゃないかと思われるかもしれませんが、ここでコンバーターをかけて直流に変換し、それを合成すれば何とかなるかもしれません。


画像6:同周波数だがオレンジの位相が60度進んでいる。
    これを直流変換したものをさらに合成した波形(緑色)

おおっ、これはうまく行きそうそうですね。直流と言っても、交流波の電位が0以上のものを抜き出したものなので、間欠的に電位0の部分が残ってしまいます。しかし、直流電源としてはまあまあ良いでしょう。

しかし、銚子の例の様に現実の運用で各設備毎に回転数の違い、すなわち周波数も異なりますし、位相がドンピシャで揃うことはまず考えられません。実際には次の様な不安定な直流電気となるでしょう。


画像7:周波数と位相の異なる交流を直流に変換して合成した波形(緑色)

これをみる限り、この合成直流電気を直接インバーターにかけて、一定周波数かつ安定した波形の交流電気に変換するのは、インバーターの原理から推察する限りほぼほぼ不可能と思われます。

インバーターは矩形波形の直流を交流変換する時、元周波数の1/2n (n= 0,1,2‥)倍の交流波しか作れません。周期の乱れた直流からの交流変換は無理なのです。また周期の無い一定電位からは矩形の交流波しか作れず、位相変化を利用したLRC回路の使用が難しくなります。もっとも、本当に一定電位の直流など実世界には存在しませんが。

この電気エネルギーを利用するには、一度揚水発電施設のような物理エネルギーに変換するか、蓄電池のような化学エネルギーに変換し、再度、特定周波数の交流電気として取り出すしかありません。

しかし、困ったことに私が訪れた銚子には、そのようなエネルギーをストックする施設は全く見当たらないのです。周波数の異なる交流電気を商用電力網に流せばたいへんなことになりますし、位相が少しでも異なれば、周波数の変化を起こしてしまいます。

かといって、直流電気をエネルギー変換する施設も無い。こうなると、ここの風力発電施設がやっていることは次のケースしか考えられません。

 余剰電力を消費し過給電を防いでいる・・・

ホントかと思われるかもしれませんが、どうやら、ここの風力発電施設は電気を作り出すものではなく、

 電気を消費するため

のもののようなのです。それならば、動いていたり、回る速さが違っていたり、止まっていたりする風車が散見されるのも頷けます。なぜ、そんな〇カなことをするのか?その理由については次の過去記事が参考になるでしょう。なお、地下発電施設数の見積もりについては、同記事を掲載した当時より大幅に増えていることを加えておきます。

 関連記事:認めたくない、日本の憂うべき現状(9) - 大電力送電の大嘘

電力と言うのは、足りなくても困りますが、過剰にあってもまた困るのです。特に原子力発電の場合は出力調整が困難ですから。緊急事態宣言で乗車率0の新幹線を定期運行させる理由もそこにあります。

原発?どこにそんなものがあるのか?それは前からお知らせしている通りです。いつもあなたの足元に存在しており、あなたはその電気を使っているのです。コロナだワクチンだと心を砕く前に、もっと気にしなければならないことがこの世界にはいくらでもあるのです。


 * * *


今回は風力発電について触れましたが、ソーラー発電については各設置場所のインバーターで交流電気に変換して市中電力網に流していると一般に説明されていますが・・・まさか、冗談でしょ?あちこちに点在する発電施設の位相をどうやって揃えるのですか?

日立さん、三菱さん、東芝さん、電力会社さん、そして「電力ミックス」とか訳の分からない妄言を語る経産省さん、もうトボけるのは止めましょうよ!!ソーラーパネルは、本当は〇〇〇〇が目的なんですよね?


画像8:クリーンエネルギーをやってる感は風力と同じ(環境詐欺)


QUI CONTURBAT DOMUM SUAM POSSIDEBIT VENTOS ET QUI STULTUS EST SERVIET SAPIENTI
家に煩いをもたらす者は風を嗣業とする者。愚か者は知恵ある人の奴隷となる。
(箴言 第11章29節)


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ワクチンは打ち損

私自身もこのバカバカしい話題にもう触れたくないし、ちょっと意見するだけでデマだ陰謀論だのと、知性の欠けた情緒的なリアクションしか期待できない議論に参加する気もおきません。

それでも、再びこの話題を記事にしたのは、米国のワクチン推進メディアである New York Times (NYT) がシレっとこんな記事を載せて来たので、これは後々のために記録として残しておかなければいけないと思ったからです。


Why Anti-Covid Plastic Barriers in Classrooms and Restaurants May Make Things Worse
Saturday, August 21, 2021 5:15 PM

教室やレストランの感染除けスクリーンが事態を悪化させる理由
米国時間 8月21日 5:51PM

コロナウィルスの予防措置が、世界の多くの場所を巨大なサラダバーに変えています。感染除けスクリーンが店員と買い物客の間を隔て、ネイルサロンでは来店客同士を分断し、学生は他のクラスメートから遮られています。

直感的には、感染除けスクリーンは細菌から守ってくれるということになっています。しかし、エアロゾルや空気の流れ、換気を研究している科学者によると、多くの場合、スクリーンは役に立たず、人々に誤った安心感を与えているのではないかということです。また、スクリーンが事態を悪化させることもあると言います。(以下略、和訳:日月土)

引用元:The New York Times


これ、記事本文の大分部は省略しましたが、タイトルを読んだだけで、記事の中身がお分かりになるでしょう。今や、学校やレストラン、スーパーなど、またテレビ撮影のスタジオで当たり前になった、あの感染除け透明スクリーンが、通気・換気がきちんと計算された極一部の有効な例を除いて

 ほとんど役に立っていない

と言っているのです。しかも、通常の通気を阻害するため

 かえって感染スポットを作り出す

と、今更ながらその無意味さだけでなく、長時間区切られた空間の中に居ることを強いられる店員などには、むしろ有害であると結論付けているのです。

こんなことは、透明スクリーンが推奨された時点で分かりそうなものなのです。ところが、日本のマスコミでは、スーパーコンピューターによるシミュレーション画像を駆使してまで、スクリーンによるエアゾールの拡散予防効果を強調してました。

結局、それはたった一回の局所的な拡散だけを見て防止効果があると言ってるだけで、長時間スクリーンの内側に居たらどうなるか、室内全体の通気状態など現場の運用環境などは一切考慮なしだったのです。つまり、あの時のシミュレーション結果など、現実世界では何の意味も無かったのです。


画像:今では当たり前の光景ですが、何やってるんでしょうね?

NYTも、これまでさんざん煽っといてこんな記事を出してくるのですから、「今になってこれかよ」と溜息が出るのもお分かりになるでしょう。

しかし、呆れるのはこれだけではありません。次の記事などはご存知の方も多いと思います。

Israel, Once the Model for Beating Covid, Faces New Surge of Infections
Saturday, August 21, 2021 5:39 PM

一度はコロナ克服のモデル国であったイスラエル、同国が直面する新たな感染拡大
米国時間 8月21日 5:53PM

ワクチン接種が最も進んだ国の一つであるイスラエルが、現在、世界で最も高い感染率となっており、ワクチンの有効性に疑問が持たれています。(以下略、和訳:日月土)

引用元:The New York Times


こちらも記事本文の多くを省略させていただきます。12才以上の国民の78%が2度のワクチン接種を完了し、6月中旬にはマスクなどの規制なしで無しで自由に外食や海外旅行などを楽しんでいたはずのイスラエル国民が、この一か月、デルタ株の猛威により、再び感染拡大に転じて、政府は再度規制を強化せざるを得ない状況に追い込まれているという話です。

あのですねぇ、これは私も何度も書いてますが

 ワクチンに感染予防効果はない

のです。それは製薬メーカーのマニュアルにも明記されておらず、日本の厚労省もHPでは「期待される」程度の曖昧さで触れているに過ぎないのです。そんなものを国民に打ち込んどいて、「やったー!」と喜んでいるイスラエル政府や国民もどうかしているのですが、この話は我が国も同じ轍を踏みそうで笑ってばかりいられません。

米国政府は、何の根拠もなく「ブースターショット(3度目の接種)」を保健政策として検討しているようですが、これもおかしな話ですよね?

 2回接種で安心・安全

という、メディアを総動員しての大宣伝はいったい何だったのでしょうか?

日本では現在も、政府による「ワクチン接種促進」CMが流されていますが、このような海外の事例を見て、何も思うところはないのでしょうか?

主要メディアには絶対登場しませんが、ワクチン接種後の日本の死亡例は既に900件を超えているようです。コロナ死など一度も聞いたことない私の狭い関係者範囲の中でも、実はもう3件も死亡の話が聞こえてきてます。その内の二人は接種翌日に亡くなったとのこと。もう一人は初期に接種を済ませた医師です。

また、関係者からのリーク情報では、人口10万人程度の地方都市では接種後60人が亡くなっており、この情報を市当局は公表していないとの話も入っています。

人口10万人当たり25人のPCR陽性者(感染ではありません)が出ただけで大騒ぎしているマスコミが何故、ワクチン接種後の死亡例については全く取り上げようとしないのか、今更ですが、これをおかしいと感じなくなったら、この国もいよいよ終わりが近いと言うことなのかもしれません。

とにかく、上記の報道からはワクチン接種には何のメリットもなく(*)、これに期待することは無意味であるばかりか、副反応などリスクを負うだけのものでしかない、すなわち打つだけ損であると、まともな頭だったらそう結論するはずです。

*メリット無い:重症化を軽減するとのアナウンスもありますが、その数字の根拠が非常に怪しいことは「ワクチソ接種は有効なのか?」で説明済です。

なお、それでも接種するという人に対し私は反対はしません。今は暗黒時代の始まりであり、暗黒時代とは、社会への信頼性が失われた究極の自己責任時代と言えるかもしれません。何を信じどう行動するべきかは、全て本人の理知・理性に任されているのです。

500人超の死者を生んだ36年前の123便の惨劇、そして真実を今でも隠し続ける日本政府、その政府の言葉を信じるに足るというなら、それもいた仕方ありません。

 関連記事:マスクは生涯外せない


SAPIENTIAM ENIM ET DISCIPLINAM QUI ABICIT INFELIX EST ET VACUA EST SPES ILLORUM ET LABORES SINE FRUCTU ET INHABITABILIA OPERA ILLORUM SUNT
知恵と戒めとを無視する者は不幸であり、/その希望はむなしく、労苦は無意味、/その業も無益である。
(知恵の書 第3章11節)


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Do Choice to Save Your Life - INOCHIGATASUKARU

Yesterday, I dared to visit Nihondaira (serial high hills located in Shizuoka prefecture) even in the intermittent heavy rain caused by stationary rain front like rainy season.

The following pictures show what I had found there in a roundabout way.




I guess something big agenda cursing Japan was ended in failure. Since, after all the process had finished, sunshine suddenly appeared through the cloud rift.

Nihondaira is the place where the famous Kunozan-Toshogu (the mausoleum of Ieyasu Tokugawa who is the founder of the Tokugawa shogun family) is located. Its family seems to dislike Japan, and prefer the octagon curse particularly to pursue their distorted desire.

For your information, Tendai-shu is very good at octagon curse and often uses it to depress or hurt people. Tendai-shu is a central faction in Japanese esoteric Buddhism.

 * * *

長雨が続きます。18日、静岡県駿河地域の高台である日本平を訪れた後、安倍川沿いを北に走りましたが、道路に亀裂が入り、片側通行で通過しなければならない箇所が幾つかありました。この地に限らず、土砂災害等には十分お気を付けください。

日本平とは、静岡駅での目撃証言などから123便がその上空を通過したと考えられる場所でもあります。

長雨の中、雨で始まり雨に終わる調査になるかと思ったのですが、夕方近くには青空が現れ始め、空気の澄んだ気持ちの良い夏空の下で帰路に就くことができました。

暴風雨のためすっかり客足が途絶えた観光地で、風によろけながら全身すぶ濡れになって私の車の周囲をランニングしたり、何台も車を連ねて様子を見守り来てくれた静岡県人の皆さん、ありがとうございます。風邪をひかないでくださいね。


画像:陽の射した静岡市葵区の有東木(うつろぎ)集落を撮影

  関連記事:
  ・命が助かる選択を(笑)
  ・蘇る亡霊(22)-姿なき亡霊の群れ


ET DILEXIT MALEDICTIONEM QUAE VENIET EI ET NOLUIT BENEDICTIONEM QUAE ELONGABITUR AB EO ET INDUTUS EST MALEDICTIONE QUASI VESTIMENTO SUO ET INGREDIETUR QUASI AQUA IN VISCERA EIUS ET QUASI OLEUM IN OSSA EIUS
And he loved cursing, and it shall come unto him: and he would not have blessing, and it shall be far from him. And he put on cursing, like a garment: and it went in like water into his entrails, and like oil in his bones.
彼は呪うことを好んだのだから/呪いは彼自身に返るように。祝福することを望まなかったのだから/祝福は彼を遠ざかるように。呪いを衣として身にまとうがよい。呪いが水のように彼のはらわたに/油のように彼の骨に染み通るように。
(Psalm 108:18) *新共同訳では詩編109編17,18節


The Sun, The Moon and The Earth
Written on the ground of Jesus Christ
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白い2羽の使者

本日は令和3年8月12日、謎多き日本航空123便ジャンボジェットの遭難から36回目の年を数える日です。

この遭難を私は事故ではなく、事件と捉えていることは、今更説明することではありませんが、何にせよ、多くの人命が失われたことだけは確かです。読者様におかれましては、本日、ささやかな時間で良いので、それら失われた魂に向かって、祈りを捧げて頂ければ幸いです。

本日を迎えるに先立ち、私も御巣鷹の尾根に登ってきました。昨年の暴風雨によって大きく荒れた登山道は、関係者のご尽力によって整備が進み、今年は、昨年よりも楽に慰霊碑まで向かうことができました。この地を守ってくださる皆様には本当に頭が下がる思いです。


画像:2021年8月の昇魂之碑と高天原山

今年の登山で気付いたのですが、毎回重さを感じることの多いこの地が、今回は何故か、妙に気持ちが落ち着くのです。

その理由は、12年前に調査を始めてから既に数10回ここに来てすっかり慣れてしまっていること、他に、猛暑の襲う低地を離れ、樹木に囲まれた涼しい高地に来たことなど、いくつか考えられますが、もっとも大きな理由は、新型感染症やオリンピックで大騒ぎしながら、国民には自粛という名の忍耐を強制する、大マスコミの大袈裟な騒々しさや、報道に右往左往させられる国全体の在り方に、すっかり嫌気が差したからなのかもしれません。

御巣鷹の尾根は大きな不幸の起きた地ではありますが、少なくともここでは脚色のない静けさと、この世の現実を体感することができます。もはやフィクションかリアルかもはっきりしなくなった、大量の情報が氾濫する現代社会と、草木と山と空、そして人の死を示す墓標しかないこの地と、どちらが本当の世界なのだろう、そしてどちらが人の住むべき世界なのだろうと、山を下りながらしみじみ考えさせられたのです。

私のこれまでの調査結果に従うと、123便の不幸は間違いなく事件です。しかも、長期に亘って準備された計画の下で実行された事件です。その結論に至る物証、傍証、そして考察等はこれまでブログ記事で述べてきましたが、恐ろしいのはそれらが私の知り得た事実の全てではないということです。

私に限らず、執念深く本事件を追い続ける個人の方がいらっしゃるのはよく存じています。各人が描く123便事件の全体像がそれぞれ異なることも分かっています。それについて、私の描いた絵が絶対正しいなどと言うつもりもありません。

私も個人でこの件を追い続けて本当に疲れました。失ったものも多いです。他の皆さんも程度の差こそあれ、どこか同じような思いがあるのではないかと想像します。このように、何人もの個人が疲弊してしまう最大の理由とは、

 理不尽な事故調査報告が放置され続けた

ことに尽き、人であれば、人の命が失われた真の理由を確かめなければという思いが生じるのは同じなはずです。こと命に関して、真実の隠蔽は許されないのです。

今、日本国民共通のステップとして求められるのが

 日航123便遭難原因の再調査

であることは、間違いありません。本当にそんな奇跡が起こるなら、私はこれまで調べ上げた全てをそこに提供し、証言する用意があります。私はそんな奇跡を望んでいますし、必ず起きると信じています。


画像:登山道入り口前の車に貼られていた署名の呼びかけ。個人の活動のようですが頑張って欲しいと思います。(→署名サイト)

白い2羽の使者

今回の記事タイトルは、(神)ブログメルマガ8月1日号を配信した翌日、今月の8月2日に見た夢から採用しました。その夢とは以下の通りです。

「外から自分の部屋に入った私。すると、2羽の真っ白な、そしてたいへん美しいセキセイインコが並んで部屋に居るのを見て私はたいへん驚きます。きっと大事に育てられたインコだろうと思い、早く元の飼い主に返してあげなければ・・・」

そう思ったところで夢から覚めました。たわいもない夢ですが、それにしては映像の印象が妙に強く残り、もしかしたら何か重要な意味があるのではないかと、数日考えていたのです。



後でその意味に気付くのですが、それが何であるかは、123便撃墜計画に深く関わった関係者の場合は当然として、メルマガ8月1日号の特別解説をお読みなった購読者様ならばきっとお分かりになるでしょう。

長年調査を続けていると、こういう不思議な事が時々起こるのですが、まさにこれこそが、ここまで調査活動を続けて来れた大きな励みでもあったのです。


参考:
 ・黒霧123便関連記事ガイド
 ・(新)ブログ全記事リスト
 ・123便搭乗者検索
 ※gooブログ機能のバグにより搭乗者検索にリンクしません。こちらをお試しください
   http://debussy.php.xdomain.jp/passengersearch.html



GIMEL VOLVE SUPER DOMINUM VIAM TUAM ET CONFIDE IN EO ET IPSE FACIET
ET EDUCET SICUT LUMEN IUSTITIAM TUAM ET IUDICIUM TUUM SICUT MERIDIEM
DELETH TACE DOMINO ET EXPECTA EUM NOLI CONTENDERE ADVERSUM EUM QUI PROFICIT IN VIA SUA ADVERSUM VIRUM QUI FACIT QUAE COGITAT
HE DIMITTE IRAM ET RELINQUE FUROREM NOLI CONTENDERE UT MALEFACIAS
QUONIAM QUI MALEFACIUNT INTERIBUNT EXPECTANTES AUTEM DOMINUM IPSI HEREDITABUNT TERRAM
あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい
あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。
(詩編 第37編 5-9節) *vulgate版では第36編


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核爆弾は概念

今日は令和3年8月6日、広島に核爆弾が投下されてから76回目の同じ日を迎える日、ということになっています。今回はその核爆弾について考察します。

さて、核爆弾とは核分裂の際に放出されるエネルギーが破壊力として使われる爆弾であると一般には信じられています。それではそのエネルギーの正体が何であるのか、一般科学教書に従って説明すると次の様になります。


画像:一般的な原子モデル

上図は中学校の理科教科書にも載っているような、よく知られた原子モデルで、更に小さな素粒子を考慮しなければ、この世の物質の最小単位であると考えられています。

中心に+電荷を帯びた原子核があり、その周りを衛星の様に-電荷の電子がグルグル周っているという構造です。このような状態が維持できるのは+と-の電荷が互いに引き付けあってるからと説明されることが多いようです。

さて、それはそれで良いのですが、そうなるとモデルの中心部分で+電荷の陽子同士や電荷を持たない中性子が密着しているのはどういうことなのだ?+同士が互いに近づけば互いに反発し合うはずじゃないか!という疑問の声が昔の科学者の間でも当然湧き起ったのです。

そこで考え出されたのが、更に小さな中間子と呼ばれる素粒子が陽子・中性子の間で力を伝達し合い、互いを引き付け合っているからだという考え方なのです。特に中性子同士を結びつける中間子を理論的に予測したのが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士なのです。

この陽子・中性子を結びつける力を「強い力」あるいは「強い相互作用」と呼び、その力は電気的な力の130倍以上あるので、電気的な反発力をしのいで互いを結びつけ、原子核を構成してるのだとされています。

そして、核分裂によって解放されたその「強い力」こそが、核爆弾を大量破壊兵器たらしめる力の源泉となるのです。


 ・・・・・・・


はい、ここまで一般教書通り説明したところで、読者様に質問があります。以上の話の中でおかしな点はどこでしょうか?難しく考えず気楽に考えてください。


答はとってもシンプルです。

 原子核の存在に拘る理由はない

のです。原子核に拘るからこそ、「+電荷の密集」というかなり無理のある設定を強いられ、それゆえに中間子などという無理を説明するための無理を更に創作するはめになったとも言うことができるのです。

原子核という概念はラザフォードの散乱実験によって発見されたことになっていますが、ラザフォードが確認したのは散乱が起きるという現象だけであって、

 原子核の存在を証明した訳ではない

のです。別の言い方をすれば、物質内に散乱を起こす高密度領域があるという実験結果と、それが原子核であるという議論は全く別のものなのです。


画像:アーネスト・ラザフォード(引用元:Wikiペディア)

物質の正体が何であるか、そのような基本コンセプトを確立すべき大事な科学的議論が省略され、いきなり現在の原子モデルありきで、今の今まで原子核物理が進展してきたのが本当のところなのです。

もちろん、現在の原子モデルで説明できることは多いのですが、説明できないこともある。本来ならば、一つでも説明できない観測事実があるなら、基本モデルの見直しが求められるのですが、実際のところは理論物理の分野で更に無理無理な理論が後付けで追加されるだけで、このままでは、説明にとって都合の良い素粒子の種類は無限に増え続けてしまうかもしれません。

ここで話を核爆弾に戻します。

仮に現在の原子モデルが正しいとしても、長崎に投下されたと言う爆縮レンズを用いた核爆弾はナノ秒レベルの制御が不可欠で、現在のコンピュータでもその精度が出せるかどうか分からないのに、当時のアナログ回路でそんなことができたのか?という大きな疑問が残るのです。

 関連記事:広島・長崎、原爆73年後の真実(2) - 長崎の原爆はなかった

広島の核爆弾を定義する上で必要な要素は次の3つです。

 爆発力、放射性物質、放射線

即ち、この3つの物理現象を発現できれば、必ずしも「核分裂」というあるかどうかも分からない原子核を当てにした理論は必要ないのです。

同じように、原子力発電においても「核分裂」の必要性は薄く、燃料の金属を高温化させる別の方法さえあれば、後は水素共鳴爆という熱化学反応の連鎖で発電に必要な水蒸気を作り出すことができるのです。現実に微生物の発酵現象を使って数百度まで温度を上昇させることもできるのです(稼働中の実験装置を実際に見てます)。

おそらく原子力発電所で実際に行われているのはこの「別の方法」であり、この方法による金属の劣化現象が放射性物質への転換として物理的に現れていると私は考えます。

そして、この「別の方法」による発電で生まれた放射性物質を、爆発現場に撒いてから「核を使用した」と宣言すれば、概念としての核爆弾に必要な「放射性物質」という要素は満たされるのです。

それら後撒きの放射性物質こそが、政府による集団訴訟の上告断念で最近話題になった「黒い雨」であったと私は考えます。

ここでご注意頂きたいのは、概念としての原子爆弾を成立させる上で最初に必要なのは、この原子力発電所なのです。これが生み出す電気エネルギーによって「爆発力」と「放射線」が作られ、また、その廃棄燃料を「放射性物質」として再利用することができます。

大電力送電が物理的に不可能であることは既に記事にしていますが、それならば、大正時代、昭和初期の電力はどのように供給されていたのか?その頃には全国で電力消費の激しい電気鉄道が敷かれ始めています。

 関連記事:大電力送電の大嘘

例えば関東の大手私鉄である小田急電鉄や東武鉄道などは、丹沢や鬼怒川の水力発電によって生まれた豊富な電力を有効利用する目的で敷設されましたが、そんな長距離送電は無理に決まっているので、別の電源が必ず用意されていたはずです。この状況を説明するには

 大正期には既に都会の地下に原発が整備され始めていた

と考えるのが最も現実に近いと私は考えます。それならば、1945年の8月6日、この運命の日には既に大量の放射性物質ストックが地下に存在していたはずなのです。

広島と長崎の共通点


原爆の真実を考える時、広島・長崎の両都市に市電が開通していた事実こそが大きな注目点です。市電の運行を支える大電力はどこから供給されていたのかという観点はもちろん、市電のパンタグラフそのものが、放電による爆発性ガスへの引火装置に成り得る点を見逃してはなりません。

両都市とも舞台装置は揃っていたのです。(画像引用:Wikiペディア)


なお、「別の方法」とぼかした金属温度の制御方法、電力によって「爆発力」と「放射線」を作り出すメカニズムについては、また別の記事で考察したいと思います。これらは現代科学にとっては未知のテクノロジー(ブラックテクノロジー)を用いていると考えられ、原理を解明するのは大変難しいです。むしろ、中世に発達した錬金術や魔術と呼ばれるものの論理を用いる方が適切かもしれません。

最後に、米国の科学雑誌に掲載された、不確定性原理の提唱者でドイツの大理論物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルクの言葉をここに残します。私たちが学校で教えられる原子モデルが本当に現実世界を構成する基本単位なのか、大科学者の言葉から改めて考えてみてください。(和訳:日月土)


“It is obvious that at the present state of our knowledge it would be hopeless to try to find the correct theory of the elementary particles,”(Science 1955)
明らかなのは、現在の我々の知識では、素粒子の正しい理論を見つけ出すのは絶望的だということである。

“... the idea of an objective real world whose smallest parts exist objectively in the same sense as stones or trees exist, independently of whether or not we observe them... is impossible,”(Physics and Philosophy 1958)
そこらにある石や木を個々に観察したりしなかったりするが如く、この世の最小単位が物体として存在しているという物質的な現実世界観は そもそもあり得ないのだ。


注意すべきはこれらが広島・長崎の惨劇から10年以上経ってからの発言であることです。既に「核」の脅威が叫ばれていた中で、大科学者が原子核理論そのものを否定しかねない言説を吐露した真意とはいったい何なのでしょうか?ここからも、核爆弾の原理を説明するはずの常識的な科学理論がどれほど危ういものなのか、お分かりになるかと思います。


画像:ヴェルナー・ハイゼンベルク(引用元:Wikiペディア)


 * * *


今回の記事で一番お伝えしたいことは

 核爆弾は概念 (この世に核爆弾などない)

ということです。そんなものに世界の人々は何十年間も恐怖してきた訳ですが、新たな概念上の恐怖が最近になって世界的に導入されました。そうです、それが皆さんがよくご存知の「新型インフルエンザ」なのです。

私たちはまた、この在りもしない恐怖にこれからも付き合わされるのでしょうか?


画像:平和記念式典でスピーチする菅首相 (引用元:YAHOOニュース)
   読み飛ばしたという「核兵器のない世界」は初めから実現されている
   隠された地下開発と諸外国との共謀を話さねば本当の平和は来ない


PRINCIPIUM SAPIENTIAE POSSIDE SAPIENTIAM ET IN OMNI POSSESSIONE TUA ADQUIRE PRUDENTIAM
知恵の初めとして/知恵を獲得せよ。これまでに得たものすべてに代えても/分別を獲得せよ。
(箴言 第4章7節)



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管理人 日月土
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