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灯台下暗しの強盗事件

※10月21日に追記があります

今、関東地方では酷い事件が続けて起きていますね。


(以下略)

YAHOOニュース(ABEMA TIMES) https://news.yahoo.co.jp/articles/770547b002f85eb25c800daf5681914c67c79d95

1都3県の合同捜査本部が置かれたようですが、この事件の推移を見ていると、123便事件が起きた1985年8月12日に終結宣言が出されるまで、1年以上も続いた「グリコ森永事件」が思い出されます。

このグリモリ事件の犯人、殆ど大金らしい大金も取れないまま、世間を騒がし続けて突然の集結宣言、複数犯と考えられますが、事件を起こし続けた1年以上のもの間、いったい何を原資に活動していたのでしょうか?そして、どうしてその運命の日に集結宣言を出したのでしょうか?

私はグリモリ事件は明らかに123便事件、もとい「1985計画」に関係する、世間の目を欺く陽動作戦と考えるのですが、同事件に関する各種書籍に目を通すと、どうも、警察当局はかなりの所まで犯人を追い詰めたのにも拘わらず、肝心の所で上からの指示と噛み合わず、犯人を取り逃がしてしまったように書かれています。

 関連記事:「グリコ森永事件」というエンタメ 

おそらく、これは著者自身と担当刑事の身の安全を守るための婉曲表現で、その表現の本意とは

 警察幹部が同事件に関与していた

と言いたかったのではないかと想像されるのです。

ここまで書いたら、私が何を言いたいのかもうお分かりでしょう。素人バイトを雇い、10万、20万ぽっちのために強盗をする、強盗をさせるような犯罪が、単なる金儲けのための組織的犯罪であるとはとても考えにくいのです。

グリモリ事件の例に倣うなら、合同捜査本部が最初に疑うべきは、身内の人間、つまり現職の警察関係者であると考えられるのです。

素人が差しでがましいかもしれませんが、まずは次の警察官僚のここ数年の動向から調べてみては如何でしょうか?



次に、これが警察やマスコミの目を逸らす陽動作戦の類のものなら、本当の狙いはいったい何なのか、そこを押さえなければなりません。

それを考察する鍵となるのは、今年起きた2つの事件

 ・1月2日の羽田空港日航機火災事件
 ・宮崎空港不発弾爆発事件

なのです。

39年前と同じく、いずれも旅客機絡みというのが非常に気に掛かるのです。

追記(10/21)

今朝のテレビ朝日のワイドショー番組で同事件の特集を報じていました。



バイトを投入した素人犯罪であることはもちろんなのですが、その指示役について専門家は次の様に語っていました。
    
 1)被害者の資産情報をある程度持っていたようだ
 2)どうもその情報精度はあまり高くないようだ
 3)精度が低いが故に犯罪頻度の多さでカバーしたのでは?

国民情報について、公安や自衛隊は民間には無いかなり精度の高い個人情報を持っていますが、あまりに正確な情報を出すと出所が疑われるので、その辺は上手くコントロールして出してくるでしょう。犯罪頻度が高いのは、それこそ社会不安を起こすのが目的の一つでしょうから当然だと言えます。

1985年のケースと若干異なるのは、現在の報道機関はほぼ完全に情報統制のコントロール下にあるということです。テレビ朝日さんやNHKさんに限っては、先ず最初に、1月2日の事件について、どうして以下の様な中華製フェイク動画を流したのか、説明してもらはなければなりません。麻生さんから指示があったのではないですか?




SIMPLICITAS IUSTORUM DIRIGET EOS ET SUBPLANTATIO PERVERSORUM VASTABIT ILLOS
正しい人は自分の無垢に導かれ/裏切り者は自分の暴力に滅ぼされる。
(箴言 第11章3節)


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3つの鶴丸

あの大事件から39年が経過した現在でも、123便に関する情報は暗号めいた報道で出されることがあります。

昨日出された以下の報道は、123便に関するいわゆる「暗号報道」なのですが、この報道に含まれるキーワードの数は、短い文章なのにも拘わらず、最近のものとしては非常に多いと言えます。

私が気になるキーワード・キーナンバーに赤の下線を入れたものが以下の引用記事になります。



引用元:YAHOOニュース(讀賣新聞) https://news.yahoo.co.jp/articles/a0c85c41477dfb44dfe259186953d1395d841bd1

JALの象徴「鶴丸」が描かれた3つの垂直尾翼はいったい何を意味するのか?

これを解読するには、出て来る数字だけを追っても的を射ません。全てのキーを一つの論理的なストーリーに敷衍する必要があるのですが、その為には日本古代史の全般的な知識と理解が必須となります。

私もまだまだ浅学であり、完全にこれを解読できたとは言えませんが、その解読手法はこれまで(神)ブログで解説してきた古代史分析を適用しただけとも言えます。以前からお知らせしているように、123便事件の真相を深く理解するには、日本の古代、引いてはその時代から現在に至るまでのパワーバランスの考察が欠かせないのです。そして、そのストーリーの中心に常に居るのが

 天皇

なのです。

この暗号報道の解読結果については、その内容に自信が持てた段階でメルマガにてお知らせしたいと思います。


 * * *


現在でも123便に関する新しい情報が発信され続けている・・・

それはそうでしょう、「垂直尾翼破壊」という皆様が良く知るストーリーそのものが、日本国政府と米国政府、そして運輸省・自衛隊・警察など政府配下の関係機関が結託して作り上げたフェイクストーリーであり、政府発表の支持者だけでなく、これまで熱心に陰謀説を唱えてきたいわゆる真相究明者さんたちですら

 39年間コロっと騙され続けてきた

のですから。もちろん私自身も当初は騙された側の一人だったのは否定しません。

 関連記事:折れなかった垂直尾翼(8) - 騙された国民 

よく考えれば、改竄だらけの1次資料をいくら目を凝らして読んだところで真実など出てくるはずもありません。泥棒の釈明書は所詮泥棒が書いたものでしかなく、その無実を立証するにはあまりに根拠に乏しいのです。


事件当時、地元新聞の1面に堂々と掲載された、ジャンボジェットとは明らかにサイズが異なるこのジェットエンジンについて、事故調査報告書は何かを語ったでしょうか?真相究明者と呼ばれる方々はこの事実について真正面から向き合おうとしたでしょうか?

これを無視しておきながら、墜落原因についてあれこれ空想を巡らせたところで、123便事件の真相に一歩たりとも近付けないことにそろそろ気付かなければなりません。(参考:https://jl123.stores.jp/


真実はもはや現場にしか残っていません。


ET AEDIFICAVIT DOMINUS DEUS COSTAM QUAM TULERAT DE ADAM IN MULIEREM ET ADDUXIT EAM AD ADAM DIXITQUE ADAM HOC NUNC OS EX OSSIBUS MEIS ET CARO DE CARNE MEA HAEC VOCABITUR VIRAGO QUONIAM DE VIRO SUMPTA EST
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。「これこそ、私の骨の骨、肉の肉。これを女と名付けよう。これは男から取られたからである。」
(創世記 第2章22-23節)


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折れなかった垂直尾翼(8) - 騙された国民

先日8月12日にYoutube「外閣調査室」さんの有料ライブ講演にゲスト出演し、17日にはライブ中に使用した資料の解説ページを、メルマガ購読者様とライブ視聴者様に向けて公開しました。

講演タイトルは、講演内容の中心テーマである「123便事件と天皇」ですが、そこに至るまでの周辺事情を説明した次の資料について、今回特別に本ブログでも、一部修正した上で公開したいと思います。

まずはそちらをお読みください。


資料3

123便真相追及者の多くが、政府公表の事故調査報告書を否定しながらも、何故か垂直尾翼が喪失したという政府発表については疑いを持ちません。

あの実証主義のT.Aさんですら、未だに「異常外力」云々を口にしており、その根拠が同事件容疑者の筆頭である日本国政府が出した文書であることを寸分も疑っていないのです。

垂直尾翼に関しては、それを立証するとされるものは1枚の不鮮明な写真だけで、上野村や長野県川上村で遭難直前の123便を目撃したとする証言者はだれも垂直尾翼の異常について語っていないのです。

ましてや、相模湾に浮いていたとされる垂直尾翼は金属フレームで骨組みを組まれた巨大なもので、こんなものが海上にプカプカ浮いているはずは絶対にないのです。

これについては、上野村から垂直尾翼部分を切り出してヘリ輸送したのが陸上自衛隊、それを海上で回収したとするのが海上保安庁、そしてメディアに公開したのが海上自衛隊というそれぞれの分担の元、さらに運輸省(当時)が加わり政府関連機関が一体となって作り上げた

 端からデマカセ

であった可能性が一番高いと私は見ています。

要するに、自称真相究明者さんも含め国民の多くが、政府が仕掛けたこの「垂直尾翼偽装」に現在でもコロっと騙され続けているのです。

こうなると、政府の広報機関と成り下がったマスコミも含め、政府・マスコミを通して出てきた、123便に関する証拠・証言の類は全て疑ってかかる必要が出てきます。

その最たるものが

 ・出所不明のボイスレコーダーの一部
 ・事件当事者側である米軍のアントヌッチ証言
 ・警察に5年も保管されていたOさん写真

であり、これらは全て公開された当時には、新証拠としてメディアで大きく騒がれたものばかりです。

もはやこれら全てが政府肝入りの攪乱情報である可能性もあり、こうなると現地で自ら集めた証拠物や証言をベースに組み立てて行く他に真相に辿り着く方法はないと言えるでしょう。

ここで大きな意味を持つのが、当方が現地で回収した軍用機やミサイルの破片であり、全く当てにならない公的情報に頼らず、目の前にあるこの実物を以って全体像を作り上げなければなりません。

但し、軍機破片の物理的、政治的解析にはかなりの専門知識が要求されます。幸い、私にはB氏という軍事及び国際政治の専門家が知り合いにいたので、その方の助力によりかなり多くのことがわかってきました。ここで、B氏は自衛隊の幕僚養成コースでかつて教鞭を取ったこともある真の軍事エキスパートである点を強調しておきましょう。

しかし、それでも分からないのが、頑丈なはずの戦闘機がどうしてここまでバラバラの破片になったのか、そしてソ連空軍機、オーストラリア空軍機が航続距離を大幅に超えてどのように日本に到達したのかなど、主にテクニカルな部分に関する疑問の数々だったのです。

デジタル写真がまだ世に出ていない1985年の技術でも、ネガフィルムの明暗や輪郭を一部改変することが可能であっった点は特に注意すべきでしょう。

また本人のものとされる生存者4名のインタビュー記事はもちろん、テレビなどで放映された音声録音ですら、当時の技術で既に音声合成できたことを考えると疑ってかかるべきなのです。

特に、生存者が現地で経験しただろう生々しい出来事を考慮すれば、事件後、彼女たちが人からの問いに正常に受け答えできたかどうかすらも怪しいのです。

なお、国外戦闘機に関するテクニカル問題については、その解答となるべき仮説をライブ内では述べています。

39年が経過した今、123便事件の検証は改めて根本からやり直す必要があるのです。そして、国を挙げての嘘を成立させる力、そこから見えてくるのが「天皇家」とそれを取り巻く権力構造の存在なのです。私が以前から指摘している旧軍ネットワークとはその構造の中に含まれると考えられるのです。

 参考:123便関連記事ガイド 

追記

投稿から6時間半経過後、この記事への応答と読める暗号報道が出されました。興味のある方はまずキーワードから拾い出してみてください。私は既に解読を終了しています。



引用元:YAHOOニュース(TBS NEWS DIG) https://news.yahoo.co.jp/articles/884555e387b887e55abebf0c04fe8ecca7b5917d



OMNES GENTES CONGREGATAE SUNT SIMUL ET COLLECTAE SUNT TRIBUS QUIS IN VOBIS ADNUNTIET ISTUD ET QUAE PRIMA SUNT AUDIRE NOS FACIAT DENT TESTES EORUM ET IUSTIFICENTUR ET AUDIANT ET DICANT VERE
国々を一堂に集わせ、すべての民を集めよ。彼らの中に、このことを告げ/初めからのことを聞かせる者があろうか。自分たちの証人を立て、正しさを示し/聞く者に、そのとおりだ、と/言わせうる者があろうか。
(イザヤ書 第43章9節)


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39回目の夏-123便事件の本質

経過した年月を思い返すと本当に驚きます。あれからもう39年も経ってしまったのですね。あの時仲の良かった友人知人は今何をしているのか、事件の記憶と共に当時が偲ばれます。

さすがに39年も経てば、残念ながら若くして鬼籍に入られた友人も何人か出てきます。飛行機から沢山人が落ちる夢を見たと無邪気に語ってくれたあの人も、今は帰らぬ人となっています。彼・彼女等は、あの時目にした123便の悲劇について、天国からどのように見下ろしているのでしょうか?

そんな感傷を胸に、慰霊の為、今年も今月の初めに御巣鷹の尾根に行って参りました。

現地の到着が少し遅かったこともあり、尾根までの登山は諦めざるをえず、登山道入り口の近くで祈りを捧げてきたのです。


写真1:登山口前の駐車場は岩が崩れて使用できない状態に


写真2:登山道入り口


写真3:沢の上流に向かって合掌

時間が遅かったこともあり、登山口の前には誰もおらず、また下山してくる人もいなかったので、この時期には珍しく静かな慰霊となったことをご報告申し上げます。

慰霊訪問からの帰り、神流川ダムから少し上流にあるお社へお参りに立ち寄りました。


写真4:上野村楢原のお社

その時、ふと辺りを見渡すと、比較的新しい案内板が置かれているのに気付きました。どうやらここに分校があったようです。


写真5:分校跡であることを示す案内板

記述によると、ここに昭和38年まで小学校の分校があったようです。この分校跡の位置を3D地図で確認すると次のようになります。


地図1:昇魂の碑と分校跡の位置関係

この地図を見ても、この分校が上野村中心部よりも御巣鷹の尾根の現場に近いところにあるのが分ります。

これが、何を意味しているのかは明白でしょう。123便事件の20年ほど前まで、こんな山奥でも家族単位で生活していた人々が居たということなのです。

過去の記事でも、御巣鷹の尾根周辺はかつて林業が盛んであったことはお伝えしましたが、今回慰霊に向かう際も、神流川の対岸にトロッコ列車の軌道が設置されていただろう土台の跡が続いているのを確認してきました。

ここは、古くから人の出入りがあった場所なのです。しかし、事件当時の週刊誌上で、当時の航空幕僚長であった森繁弘氏は、

 日本のチベット

と言い放ち、乗客乗員の夜間の救助は困難だったと言い切ったのです。

明らかな嘘なのですが、自衛隊幕僚長をしてこう言わしめた理由はいったい何なのでしょうか?

世間では、相も変わらず墜落原因について侃侃諤諤の論争が続いていますが、そもそも123便に搭乗していない外野の人々が、事故調査報告書はもとより、2次資料、3次資料を元にいくら議論を続けたところで、確かなものは何も見つかるはずがありません。

それよりも、自衛隊幕僚長が言い放ったこの明らかな嘘にこそ、この事件の本質が隠れていると私は考えます。

123便事件を巡る裾野は皆さんの想像を遥かに超えて広く、1点だけを見つめていてもその全容は理解できるものではありません。もう15年も調査活動を続けてきた私ですら、全体像の半分も見渡せた気がしないのです。

それでも、これまで拾い集めてきた同事件のピースが、いったいどのような像を結ぶのか、本日夕刻よりゲスト出演する有料ライブではこれまでの成果を簡潔にお話ししたいと思います。

画像1:ライブでお話しする予定のレジメ

 ライブ情報:https://jl123.stores.jp/ 


 * * *


123便が消息を失ったとされる本日18:55分頃、読者の皆様にはどうか犠牲者の為に手を合わせて頂けたらば幸いです。


  あなたの口を開いて弁護せよ
  ものを言えない人を
  犠牲になっている人の訴えを
  (箴言 第31章8節 レムエルの言葉より)


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墓場まで持って行ったのは誰か - 蘇る亡霊(24)

123便事件を巡る言説の中に、中曽根康弘首相(当時)が「秘密は墓場まで持って行く」云々が現在でもよく語られますが、その出典が不明な事から、私は、当初からこれについては考察する価値がないとしていました。

最近「外閣調査室」さんのショート動画で、その出所について経済評論家の三橋貴明さんが明言したものが紹介されていたので、それを貼り付けておきます。


https://youtube.com/shorts/T-BPjRjmc14?si=ad3FaFiIvQjA60wq

この「墓場発言」、「書いてはいけない」著者の森永卓郎さんもネット上で取り上げているようですが、これに限らず、根拠があやふやなこの言説をベースに現在でも123便陰謀説が語られ続けているのが現状なのです。

もっとも、中曾根さん自身も、今思えば政治的パフォーマンスに長けた方で、「不沈空母」発言とか、レーガン米国大統領(当時)との山荘会談など、その派手な政治的姿勢に対して当時から疑問や不信を持たれた方は多い事でしょう。

それが、「123便の秘密は墓場まで」に拡大解釈されてしまったのは、確かにさもありなんとは思います。

その中曽根氏については、当時中曽根事務所に出入りしていた方から

あの人は、自民党内からの信望も薄かったし、実際に何を考えているのかよく分からない方でした。

そんな、人心掌握からほど遠い人が、123便に関わる重大な機密保持を任されたとは到底思えません。

との証言を得ています。代わりに、当時の党内実力者がいったい誰であったのかと尋ねたところ

間違いなく竹下登さんでしょう。あの方であれば、123便事件の背後で実際に何が起きていたのか知らされていたはずですし、党や政府内部の調整も可能だったはずです。惜しむらくは既に他界されてしまったことですね。

竹下登さんと言えば、中曽根さんに続いて昭和62年(1987年)に第74代内閣総理大臣に就任された方です。


竹下登元首相(内閣ホームページから)

竹下元首相と言えば、その任期中に戦後最大の贈収賄事件と言われるリクルート事件や、褒め殺し騒動のいわゆる皇民党事件に見舞われた不遇の首相として記憶されています。

しかし、竹下元首相と123便事件を繋ぐ重大な出来事に

 プラザ合意

が、あることは忘れてはならない事実なのです。

1985年当時、大蔵大臣であった竹下氏は、123便事件直後の9月、ゴルフに出かける振りをして家を出て、そのまま飛行機に搭乗してニューヨークのプラザホテルに向かい、そこで、その後の急激な円高を招いたプラザ合意を締結することになります。

ゴルフルックで出かけたかどうかは裏が取れていませんが、プラザ会談自体が秘密裏に行われたことは確かであり、実際にここでの合意は後出しジャンケンのように後日発表されたのです。

そして、翌年1986年には日米半導体協定が結ばれ、当時半導体立国とも呼ばれた日本の半導体の世界シェアが、それ以後急速に低下することになっていくのです。

加えて、1988年の竹下内閣下で、その後の日本経済凋落の大きな原因とも言われる、消費税の導入が可決されたのですが、これこそがプラザ合意の大きな成果として特に注目されるべき点なのです。

123便事件とプラザ合意の関連性を述べる識者の多くが、それを米国の対日工作と取るのも表面的には正しように見えます。

では、どうして123便事件の直後に米国はこのように大きく動きだしたのか?

その論理の大筋は

自衛隊が間違って民間機を撃ち落としちゃったので、米国さんに頼んで一緒に誤魔化してもらった。そのつけ払いを迫られた結果がプラザ合意だった。

という、いわゆる「自衛隊誤射説」に軸を置いたものですが、この論理が成立するためには、自衛隊の標的機なりミサイルなりが、123便に激突したという事実がなければ成立しません。

その事実性を裏付ける一番の根拠とされているのが、「垂直尾翼の喪失」なのですが、以前からお伝えしている様に

 垂直尾翼が喪失した事実は非常に疑わしい

のであり、このプラザ合意締結に至るこの陰謀説には大きなクエスチョンマークが付くことになります。

では、プラザ会談が行われた理由、そこで実際に何が話し合われたのか?

それらを具体的に知っているのは竹下元首相だけであり、残念ながら、その竹下氏は既に鬼籍に入られてしまっています。

その失われた情報を繋ぐ意図で記したのが、過去記事「旧軍ネットワーク最後のチャンス」で示した、日本の旧軍閥の存在とそのネットワークであり、その旧軍閥が日本政府はもちろん、米国政府、そして日本皇室とどのような関係を構築していたのか、そこを追うことでしか123便事件、もとい1985計画の真相を掴み得ないと私は考えるのです。


ITAQUE NOLITE ANTE TEMPUS IUDICARE QUOADUSQUE VENIAT DOMINUS QUI ET INLUMINABIT ABSCONDITA TENEBRARUM ET MANIFESTABIT CONSILIA CORDIUM ET TUNC LAUS ERIT UNICUIQUE A DEO
ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。
(コリントの信徒への手紙一 第4章5節)


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