時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

死刑執行の是非

2007年08月24日 | 社会問題
法務省は、東京、名古屋両拘置所で、死刑確定者3人の死刑を執行したと発表した。長勢法相の就任以降では、昨年12月の4人、今年4月の3人に続いて3度目で執行数は計10人。
1993年に後藤田法相(当時)が3年4カ月ぶりに執行を「再開」してからは、1人の法相の命令による執行数では最多となる。同省によると、この日の執行により生存死刑囚の数は103人になったという。
この記事に接して、初めて知ったことも含めて、いくつかの点について書いておこう。
1つは、死刑囚というのは、刑務所に収監されるのではなく、拘置所に収監されるということを今回の件を通じて初めて知ったことである。今回の死刑の執行も拘置所内で行われている。なぜ、刑務所に収監されないのかその理由はわからないが、確かに、懲役刑ではないので、刑務所に入って「労働」することもない。死刑囚は毎日、ただ死刑執行をされる日が来るのを独居房で待つばかりなので、刑務所に収監しないのかもしれない。
2つめは、長勢法相になってからの死刑執行の多さである。確かに、現行法制上、死刑が決められている以上、これを誰かが執行するということはやむを得ないのかもしれないが、それにしてもこの多さはいかがなものか。しかも、まもなく内閣の改造が予定されており、法務大臣も変更になる可能性が高いこの時期になぜ敢えて死刑を執行したのかは極めて疑問である。
3つめは、「死刑」という刑に対する考え方である。今回の件を通じて、死刑という刑罰に対する様々な意見が報道されていて興味深い。
編集長は、基本的には「死刑」には反対である。無期懲役と死刑との間には何か違いの元になる基準があるのだろうが、どうもアイマイな感じがする。また、相変わらず冤罪も起きている。死刑という判断に絶対に誤りはないのだろうか。また、人道的な見地からもあまり好ましいものではない。
一方で、凶悪犯罪が頻発するようになり、「死刑」の存在がその抑止力になるという考え方もある。また、殺人などの被害者の家族にとっては、加害者への憎しみは大きく、その感情からすれば極刑は当然との意見もある。
議論が尽きない問題であるが、もし、死刑を廃止するならば、それに代わる懲役刑の大幅な見直しが必要であろう。
現在は、長期の懲役刑についてはその刑期の3分の1を、無期刑については10年を経過した後に、仮釈放できることになっている。最近ではほとんどの場合、有期刑は3分の2以上、無期刑は20年以上が経過してからと言われているが、殺人などの刑としては、あまりにも短いように思われる。最近では、出所者の約半数が仮出所者である。
さて、死刑を廃止する場合は、仮釈放がない、文字通りの「終身刑」を導入したり、凶悪犯罪の懲役刑の上限を全体的に引き上げたりすることが必要になるであろう。また、刑務所内での労働も、真に出所後の就労に役立つものにしなければなるまい。
今回の件をきっかけにして、死刑の賛否はもちろんのこと、海外での刑罰のあり方や懲役刑のあり方、服役者への教育のあり方、刑務所そのもののあり方など、議論が活発に行われることを期待している。
同時に、詐欺などの経済事犯、企業による犯罪については、一般に暴力事件などよりも刑罰が軽い。なぜだろうか。虎の子の財産を騙し取られたような場合、被害者の感情、経済状態などを配慮して、もっと重い刑罰を科すべきではないかと思っている。併せて議論が行われることを願っている。